副長のチート剣術
「八郎、大丈夫か?」
そんなおれのかんがえも、当然だだもれしている。
伊庭はそれをしり、おれをみたままフリーズしてしまっている。
副長が掌を伸ばし、その伊庭の肩をつかんで軽く揺さぶった。
「え?え、ええ、大丈夫」
伊庭は、はっとしたようにうなずいた。
「おれたちがやってきていること、これからやろうとしていることは、ずっとさきにまで伝わっている。すべてが正しく伝わっているかどうかは、おれにも主計らにもわからない。だが、主計らがしっているほとんどのことは、ほぼ間違いないと信じている。なぜなら、これまできかされていることが、実際におこっているからだ。もっとも、なかには無理矢理かえたところはある」
「ええ。だれかが死なないように、ということですね?」
「そうだ。どうもおまえやおれは、こいつらのいる時代では有名らしくてな。いろんなことが、かなり詳細に伝わっている。ゆえに、おまえの左掌のことを、主計が詳細に語れたってわけだ」
「ははは。わたしの左手首に傷をつけ、わたしが斬った人が、そんな名の剣客だったとは……。じつは、そのことをいまはじめてしりました。小田原藩士、くらいはわかってはいましたが……。鏡心一刀流ねぇ。どうりでやるはずだ。というよりかは、かなりの腕だったわけだ」
伊庭は、しばし店の天井へと視線を向けた。
現代は建物の造りじたいがしっかりしているので、防寒仕様になっている。が、この時代にそんな仕様になっている建物などあろうはずもない。
というわけで、脚許からじんじんと冷えてくる。冷えてくる、なんてなまやさしいものではない。
痛い。痛みが脚の底から上にひろがってゆく。
一応、支給された防寒具っぽい、ぶちゃけ足袋とかの重ね履きはしている。
が、正直まったくお役に立っていない。
箱館政府は、ぜひとも「ユ○クロ」や「ワー○マン」と契約し、防寒グッズを仕入れてもらいたいものである。
そんな寒がりのないものねだりは別にして、気がつけば伊庭の視線がまたこちらを向いていた。
伊庭にもおれの心の声は届いている。
ってか、だだもれしているのをきいている。
が、おれにはかれのその視線からはなにもわからない。なにもよむことができない。
「主計、江戸で剣術の勝負をつけようと約定したのを覚えているかい?」
かれは、唐突に尋ねてきた。
ぜったいに、忘れるものか。
江戸のかれの道場で、かれと勝負をした。
本来なら、かれにかなうわけがない。しかし、やさしいかれはおれに花をもたせてくれた。つまり、引き分けにおわった。
ゆえに、またいつか勝負をして決着をつけようと約束をしたわけである。
だが、なにゆえこのタイミングでその話をするのか?
まさか、話をそらそうとでもいうのだろうか。
「覚えているとも。つぎこそは、つけてやる。心形刀流宗家と天然理心流宗家の勝負の決着をな」
「って、なにゆえ副長がこたえるのです?そこ、おれが応じるところですよね?しかも、おれは天然理心流じゃないですし」
カッコよく応じようと口を開きかけたタイミングで、副長が寝とぼけたボケをかましてきた。
そこはやはり、上司といえどしっかりツッコまねばならない。
それが、おれの役割だから。
山があったら登るのと同様の心理である。
「歳さん。悪いですが、あなたとはもう二度と、もう二度と勝負はしません。あなたには、二度してやられています。それがちゃんとした勝負で、力の差をみせつけられたのでしたらまだいいです。しかし、どちらも剣術とはかけ離れた汚い策です。しかも、理心流の宗家って……」
伊庭は、かなり頭にきているようだ。鼻で笑ってからつづけた。
「勇さんが草葉の蔭で泣いていますよ。なんなら、総司君とやらせてください。話はそれからです」
伊庭の副長へのきっぱりはっきりした非難に、ふいてしまった。俊冬と俊春、それから向こうのテーブルの島田と蟻通、子どもらも大笑いしている。
一度目の勝負は、伊庭がまだ子どもの時分の話らしい。
伊庭が練習中に鼻を折ってしまった。副長は、その鼻が完治しきっていないのをいいことに、その鼻だけを狙いまくって攻撃したらしい。
二度目の勝負は、さきほどの江戸のかれの道場である。
副長は、こともあろうに伊庭の道場の床に油をまき散らかしたのである。
あのとき、掃除が大変であった。
これで、伊庭の非難もうなずけるであろう。
「いついつまでも昔のことを振り返るんじゃない」
つぎは、副長が鼻を鳴らした。
いや、なんかちがわないか?
副長、『昔のことを振り返るんじゃない』って、どの口がそんなこというんですか?
って、めっちゃにらまれた。




