伊庭にすべてを告げる
そのとき、相棒が立ち上がって副長の脚許にとことこあるいていった。お座りし、副長の軍服の袖を甘噛みする。
「おっと、すまん。兼定も、三人とともにやってきたんだ。八郎。おまえが左掌をうしなわずにすんだのは、四人のおかげだ」
「左掌を?」
かれは、自分の左手首の傷をみつめた。
「八郎さん。あなたを傷つけたのは、鏡心一刀流の剣士で高橋藤五郎という小田原藩士ですよね?あなたは、本来ならかれに左手首の皮一枚を残す状態で斬られるはずだったのです。あなたは、左手首を斬り落とされかかっている状態で、高橋さんを下方から頸を一突きして殺すはずだった。高橋さんを殺した後、あなたはみずから皮一枚の状態の左手首を斬り落とすのです。おれたちのいる時代では、そのように伝えられています」
かれは、おれの話を注意深くきいてくれている。
「いまの主計の話しは、おまえにとって突拍子のないもんだってことはわかっている。八郎、どうだ?馬鹿馬鹿しいっていうのなら、これ以上はやめておく」
副長がかれの相貌をのぞきこみながら、いってくれた。
まったく信じる気にならないとか、荒唐無稽すぎて不愉快だというのなら、これからの話はしないほうがいい。
これからする話こそが、かれにとってはこれまでよりよほどナンセンスで不快きわまりない内容になるであろうから。
しかし、一方できいてほしいと願わずにはいられない。
「いえ……。そのおかげで、わたしはこの程度の傷ですんだのでしょう?」
「ああ。主計がぽちたまに頼んだのだ。おまえが、左からの攻撃に備えられるようにしてくれってな」
伊庭の問いを受け、副長は俊冬と俊春とおれに視線をはしらせつつ応じた。
島田と蟻通は、隣のテーブルで静かにみまもっている。
子どもらも、おとなしくこちらをみている。
「ならば、わたしは三人、いえ、四人に礼を申さねばなりませんね。わたしの左掌の恩人です」
伊庭は自嘲めいた笑みを浮かべ、頭を下げた。
「八郎君、すまない。おれとこいつは、きみに暗示をかけていた。おれたちがさもこの時代で暗躍している隠密や御庭番であるかのようにね」
俊冬の謝罪に、伊庭は軽くうなずいた。
「こいつらのお蔭で助かったのは、おまえだけじゃない。総司や平助、それから左之、隊士たちの何名かもそうだし、それ以外にも死を免れた者がいる。かっちゃんと源さんのことも、こいつらは最後まで助けようと必死にがんばってくれた。が、かっちゃんと源さんはそれを拒んだ。だから……」
「近藤局長の頸を刎ねたのも、井上先生にとどめをさしたのも、おれだ」
副長の言葉をつぎ、せつないまでに静かにいったのは俊冬である。
おれの横で、俊春がうつむいた。
伊庭がはっとしたように俊冬をみ、そのまま二人でみつめあった。
「それは……」
伊庭は、そういいかけて口をつぐんだ。
伊庭はきっと俊冬の心の痛みを理解し、なにもいわぬほうがいいと判断したにちがいない。
言葉など必要がないときがある。
なにもいわないほうがいい場合、それからときというものがある。
「主計」
副長にうながされた。
これからのことは、おれ自身が語れというわけである。
「これからのことを話してもいいですか?」
伊庭に尋ねると、かれは無言でうなずいた。
「おそらく、推察されていると思いますが、この戦は負けます」
壁に耳ありということがある。
戦の勝敗のくだりは、かぎりなく声量を落とした。
「今年です。それも、半年ほど後のことです」
反応はなかった。
『うそだろう?』
『そんな馬鹿な』
といった反応すら。
おそらく、伊庭は負けることはわかっているらしい。
ただ、そんなにはやく負けるとは予想をしていなかったのではなかろうか。
「敵味方ともに、犠牲はすくなくありません。ですが、われわれは一兵卒になるまで戦い抜くわけではありません。榎本総裁は、結果的に降伏を選びます。ですので、助かる将兵のほうがおおいのです」
かれの表情をみながら、できるだけ要領よく語ることを心がける。
「いま、このことについてあなたに話をするのは……」
「わたしは、その助かる将兵のなかにいないからだ」
蟻通同様、伊庭も勘がいい。
かれは、あっさりそういってのけた。
そのかれの表情をみつつ、もしかして、アプローチ方法を間違ってしまったかとヒヤリとした。
副長のようにこの戦で死ぬ気満々なんじゃないのかと、いまさらながら思いいたった。
「す、すみません。こんな話、突拍子がない上に不愉快ですよね」
坂本龍馬や中岡慎太郎に、同様のことを告げたときとおなじことである。
それこそ「北斗○拳」のように、「おまえ○もう死んでいる」宣言をされた直後に、頭とか体が爆発するわけではない。しかし、『おまえは半年以内に死ぬぞ』と断言されて、いい気持ちはしないだろう。
体の不調で検査をしてもらったら、医師から「手遅れですね。余命半年です」と、診察室で告げられるのと似たようなものか。
性質の悪い予言やらお告げでもないのである。
伊庭だって、混乱しているだろう。その上に「おまえはもうすぐ死ぬだろう」ってことになったら、『はあ?おまえなにいってるんだ?』ってなるはずだ。
すくなくとも、おれはそうなる。
ってかぶっちゃけ、そうなってくれればそうなったで、信じてもらえるように説得すればいい。
が、逆にすでに信じていて、それを素直に受け入れられたら?
はやい話が、死ぬ覚悟をさせてしまったのなら?
自分でかれに告げておきながら、ゾッとしてしまった。
いっそ、おれの妄想であればいい。あるいは、深よみしすぎであれば……。




