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まってました!やっとやっと再会できた

 そう。この人である。


 伊庭八郎いばはちろう。江戸の「四大道場」の一つにあげられる「練武館」を営む心形刀流宗家の出身で、幕臣である。

 この箱館政権にあっては、歩兵頭並にして遊撃隊の隊長格を務めている。


 あの伊庭が、眼前に立っている。


「よかったな、主計」

「はあああ?なにゆえ、おれに?再会はうれしいですが、よかったっていうほどではありませんよ」


 島田にいわれ、思わずムキになっていい返してしまった。


「すまんな。うちの餓鬼どもの相手をしてもらって」

「歳さん、あっいえ、陸軍奉行並。わたしも今日は非番ですから」


 ああ、あいかわらずいい男っぷりである。


 伊庭の脚許にお座りしている相棒が、じとーっとおれを見上げている。


「いいんだよ、八郎。おまえとおれの仲じゃないか……。おおっと、すまなかったな、主計。いまの『おまえとおれの仲』、というのに深い意味はない。主計、なにをしている?八郎だぞ、は・ち・ろ・う。はやく旧交をあたためろ」


 副長は、まるでモデルみたいなターンでおれのほうに体ごと向いた。しかもムダにでかい声でいうものだから、通りすがりの将兵までおれに注目している。


「副長っ!誤解を招くようなことをいわないでくださいっ」

「てっちゃん、主計さんみたいなのがBLなんだよね?」

「うん。受けらしいよ」


 市村と田村がひそひそ話どころではなく、めっちゃでかい声で会話している。


「ぽちっ!」


 ついこのまえのこともある。そんなありえない、冤罪レベルのガセネタを吹き込んでいるのは、俊春にちがいない。


「バウバウ!」

「はああああ?なにごまかしているんだ」

「バウ、バウバウバウ!」


 俊春は、すました表情かおでアメリカ式の犬の鳴き声を真似ている。


「じゃあ、たまかっ!」

「ミャウ、ミャウミャウ!」


 だめだ。いろんな意味で、人類の叡智に敵うわけがない。


「主計君、ひさしぶりだね」


 そのとき、なんと伊庭のほうからきてくれた。

 やっぱいい男だ。


 でっ、お子ちゃまで生意気きわまりない俊春から大人な伊庭のほうに体ごと向いた。


 憧れの伊庭が、近間の位置で立っている。


 くどいようだが、伊庭とおれはそういう関係ではない。『憧れの』というのは、人間的にも剣士的にもかれが立派だからである。


「それがBLなんだよね」

「たまっ!シャラップ」


 俊冬のささやき声にダメだしをしてから、伊庭をあらためてみた。


 視線が、かれの左腕にいってしまった。


 史実では、かれは箱根の戦で高橋藤五郎たかはしとうごろうという鏡心一刀流の小田原藩士に左手首を皮一枚残した状態で斬られてしまったことになっている。


 そこが江戸っ子であり大剣豪でもある伊庭のすごいところで、「とんと痛かねぇや」といって小刀どすですっぱり左手首を斬り落としてしまったという。


 まだ江戸にいた際、かれの道場で勝負をしたことがあった。そのことをしっているおれは、俊冬と俊春に事情を伝え、左からの攻撃に備えるよう実戦でもってアテンションしてもらったのだ。


 ドキドキしながら、かれの左手首に視線を落とすと……。


 ああ、神様仏様……。


 思わず神と仏に感謝してしまった。


 手拭いを巻いてはいるが、左手首はちゃんとついている。


「よかった。誠によかった」


 思いっきり声にだして心から安堵してしまった。


 この調子なら、かれも死なせずにすむかもしれない。


 伊庭八郎もまた、死ぬことになっている。被弾し、副長が死んだ数日後にモルヒネを飲んで自決するのである。


 おそらく、片腕である上に切腹する力もなかったのであろう。

 服毒死という死に方しかなかったのかもしれない。


 おれの「死んでほしくない人」のリストに、伊庭も入っているのは当然のことである。


「え?なにゆえ、みながわたしの左腕を気にされるのであろう?これは、たいしたことはないのだ。箱根でへまをしてしまったってだけのこと。ああ、そうそう。それも、江戸でお二人が左からの剣戟に弱い、と指摘してくださったからです。ゆえに、この程度ですみました。骨にまで達してはいないのですが、どうにもふさがらず、お二人ならうまく治してくれるだろうと噂をききまして」


 伊庭の視線のさきには、俊冬と俊春がいる。


 おれだけではない。俊冬と俊春も、伊庭の左腕をガン見していたにちがいない。


「歳さんも、蝦夷で再会した際に左腕をみていましたよね?歳さんに案じられるほど、わたしの左はそこまでひどいのかと、そちらのほうで落ち込んでしまいました」

「そのくらいの怪我で誠によかったです」


 副長のことは兎も角、伊庭の怪我がたいしたことがないことは事実である。


 心の底からそう伝えていた。


「ありがとう、主計君」

「あ、主計でいいです」


 思わず、呼び捨てするよういっていた。


「やっぱり受けだよな」

「ああ、まちがいないな」

「ちょっとそこっ!意味がわかっていていってるんですか?」


 島田と蟻通のひそひそ話は、ちっともひそひそ話になってない。


 全部丸聞こえだ。

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