いや、それってばちがう野村利三郎だろう?
「命を無視するのはいただけぬが……。副長には、此度は桑名少将と子どもらの護衛に残したと、わたしから説明しておこう」
「此度はそれでよいとしても、今後もつづけばごまかせぬであろう。それに、隊士たちへの示しもつかぬ。ずっとともにいる連中は兎も角、最近入隊した者は、事情がわからぬのだから」
島田が野村をかばう気持ちもわかるし、蟻通の言も正論である。
「わかったわかった。当人にはわたしからきつく申す。それでよかろう?それよりも、たしか利三郎も死ぬのではなかったのか?」
島田の言葉に、蟻通と中島がこちらをみた。
「ええ、そうです。すぐではありません。来年です。宮古湾に甲鉄号という艦を奪取しにゆくのです。その指揮を副長がとるんですが、接舷して甲鉄号に乗り込み、戻れなくなってしまうのです」
「だれが?利三郎がか?」
蟻通が頓狂な声でいい、中島と相貌を見合わせた。
「かような馬鹿なことがあるか。どこかちがう野村利三郎であろう」
蟻通の断言に、中島もおおきくうなずいている。
そういえば、だれかも「ちがう野村だろう」っていっていたっけ。
たしかに、にわかに信じがたい史実である。
「真実はわかりません。伝わっている史実です。利三郎は甲鉄号から戻ることができずにそこに取り残されます。味方は、撤退を余儀なくされるのです。ただ、甲鉄号に取り残された利三郎がどうなったかははっきりしていません」
「利三郎なら、いったん敵に捕まってから逃げだしそうだがな」
「ああ。その場ではさっさと投降し、命乞いをする。陸についてから、なんなく逃げだす。あいつなら、そういう才覚は十二分にあるからな」
蟻通と中島の反応、それから推測は、野村が死ぬということをしったときの副長や永倉らと大差ない。
「いやいや。そもそも、利三郎が宮古湾にいくのかどうかすら怪しい」
そして、島田である。
その一言で、全員がおおきくうなずいた。
「いずれにせよ、はずされることになるな」
「はずさずとも、この調子ならしれっと陸に残っていますよ」
島田につづいて推察していることをいうと、かれは笑った。
「そうだな。艦上から陸をみると、ほかの見送りの将兵とともに掌を振っていそうだ」
「まず間違いないな」
島田の推測に蟻通の断言。
そう、まず間違いない。
こうして小休憩の間中、野村の話で盛り上がったのだった。
箱館府を統括していたはずの清水谷知事らがさっさと放棄したため、先陣の一隊が無人となった五稜郭を占拠したのは、その翌日であった。
史実では、一番のりは松岡四郎次郎という幕臣が率いる一隊となっている。
あいにく、現代でも松岡という人物の詳細はよくわかっていない。ゆえに、かれのウィキもない。
松岡に会えないかといろんな隊をまわって探してみた。しかし、松岡という人物に出会うことはなかった。
もっとも、出会えたからといってどうということはない。
せいぜい、一番のりした感想を尋ねるくらいだろう。
というわけで、五稜郭を無事に占拠できた。ってか、戦わずしてことをなすというおいしい無血占拠であった。
大鳥率いる本隊にすこしおくれ、副長率いる別動隊が到着した。
そのときには、すでに俊春が松前藩の動向を探りにでていた。
働き者のわんこである俊春は、本隊が無事五稜郭に入ることができることを確信した時点で、単身、松前城に向かったのである。
五稜郭占拠からときをおかずして、松前城を、っていうか松前藩を攻略することがわかっている。
そのための下準備というわけである。
副長と俊冬と再会してからのことである。
おれだけすぐに追い払われてしまった。
野村の不在に副長が気がつくまえに申告しておこう、ということになったからである。
それには、だだもれのおれがいては『あかんやろう』ということになった。
ゆえに、追い払われたというわけである。
副長の反応は、諦めモードだったらしい。
島田の会心のごまかしも、副長は気がついたにちがいない。
それは兎も角、その夜はテキトーに休んだ。
そして、その翌日、鷲ノ木から彰義隊や衝鋒隊などがぞくぞくやってきた。
松前城攻略のための援軍である。
その時分には俊春ももどってきている。
さっそく、各隊の隊長や副隊長が集まって軍議をおこなった。
かくいうおれも、島田や俊冬や俊春とともに参加させてもらった。
ちなみに俊冬と俊春は、公の場では元将軍家の御庭番、つまり公儀隠密として通すことになった。
かれらが幕臣の一部にかけた暗示がどこまで浸透しているかわからないが、「狂い犬」と「眠り龍」の二つ名や、柳生家出身の偽の身分が有効になるかも、という打算がある。
したがってかれらは新撰組の一員というよりかは影の幕臣、あるいは闇の臣っていうちょっとダークでミステリアスでクールな存在として参加するわけである。
その軍議がはじまるまえのことである。




