進軍開始
旧幕府軍に、船のレンタル料やら人件費を払うヨユーなどあるはずがない。
っていうよりかは、金にしろ物資にしろできるだけ温存しておきたいというのが本音である。
ゆえに、漁民たちにレンタル料や人件費を支払ったり、漁ができない間の休漁補償をしたりなんてことはしないはずだ。
脅したりすかしたり、というのが実情だろう。
結果的に、かれらはそれを恨んだり不満に思う。
われわれに対する心証は、めっちゃ悪いだろう。
「ずいぶんと手際がいいですね。敵は、おれたちの動向をつかんでいます。すでに本土から兵を送りこんでいて、川汲峠へ向かっています。いまからですと、よほど急がないと待ち伏せされてしまいます」
おれが漁民たちに思いをはせている間に、俊冬が報告していた。
副長は一つうなずいてから、俊春に報告をするよううながした。
「こちらは、すでに峠下付近にいたっています。数はわが軍の先陣の倍ちかく。敵軍は、史実どおり夜襲する気満々のようです。こちらにもどる際、人見先生と本多先生にその旨伝えました。いずれにせよ、本軍も急いだほうがいいでしょう」
副長は、その俊春の報告にも一つうなずいた。
「大鳥さんはあんな人だ。本多君がまだマシとはいえ、伝習隊には戦術にあかるい者がすくない。それに、銃に頼りすぎている。いざっていうときの覚悟がどうも足りなさそうだ」
副長は俊春を、それからおれに視線を向けた。
「あんな人だが、手下からの信頼は厚い。死なせたり、みすみす下手をみさせるには忍びない」
「わかっています。伝習隊には射撃で援護してもらい、できるだけ新撰組が、いえ、ぼくが動くようにします」
「とはいえぽち、おまえも無茶はするなよ」
「承知」
「主計も、頼んだぞ。もしもだれか死ぬってことを思いだしたら、おれの許可はいらん。おまえの判断で戦線を離脱させるなりなんなりしてくれ」
「承知」
「おーい、土方君ーっ!」
副長の命に了承したタイミングで、大鳥が馬でやってきた。
もう準備は整っているらしい。
大鳥にも物見の報告をし、すぐに出発することになった。
今回、市村と田村は、臨時の桑名少将附きとしての任務があたえられた。
つまり、桑名少将に面倒をみてもらうわけである。
が、正直にいえば、二人は駄々をこねるのがわかりきっている。ゆえに、そういう御大層な役をあたえることで、子どもらの自尊心をくすぐろうというわけである。
というわけで、副長が厳かに命令した。
案の定、二人とも「桑名少将」を護り抜くという意欲に燃えまくっている。
その後すぐに副長と俊冬は川汲峠方面へ、本軍は峠下へ向け、それぞれ進軍を開始した。
すべて史実どおりである。
史実どおりすぎて怖いくらいである。
本軍は、大野村と七重村という二つの村で敵を撃退した。
戦端がひらかれるきっかけとなった夜襲は、敵軍にすれば大失敗であった。
いそぎ先陣に追いついたおれたちは、全軍で協力して夜営をしているようにみせかけた。
先陣をふくめた本軍は、周囲に身をひそめて夜襲が開始されるのをまちかまえたのである。
そして、夜襲がはじまるのをまって、逆に敵軍を囲んでたたいたのである。
もちろんそれは、俊春の策である。
どうやらかれと俊冬は、古今東西の兵法もマスターしているらしい。
しかし、そのおれの推測はビミョーにちがっていた。
二つの村で敵軍をぶちのめし、五稜郭に進軍しているときである。
物見からもどってきた俊春に、「兵法をおぼえているのか」というようなことを尋ねてみた。
大野村では、待ち構えていた敵軍を逆に罠に誘いこんで撃退した。それから七重村では、やはり隠れ潜んで待ち構えていた敵軍を、村全体に火を放ったようにみせかけ、慌てて飛びだしてきた敵軍をたたいたのである。
どちらの策も、俊春が自分で物見をした上で練ったのである。
実際の命令は、大鳥がだした。しかし、それはすべて俊春が大鳥に進言してださせたのである。
はやい話が、俊春が軍を動かしたのである。
兵法だけでなく、用兵術にも長けているわけだ。しかも、指揮能力も最高である。
だからこそ、かれに尋ねてみたくなったのである。
話はかわるが、連れてきた馬のなかから「竹殿」に副長がのり、「梅ちゃん」をふくめたすべての騎馬に、桑名少将と桑名藩士たちにのってもらうことになった。
ゆえに、安富は残りたがった。が、荷馬車の馬たちがいる。
かれは後ろ髪をひかれる想いで騎馬たちと別れ、現在は荷馬車の馬たちにその分の愛を注いでいる。
そんな「馬フェチ」談義は兎も角、周囲に気を配りつつ俊春に尋ねると、かれはかっこかわいい相貌を右に左に倒してから口をひらいた。
「兵法?ああ、『孫子』とか『呉子』とか?もちろんしっているけど、ぼくらが実践するのはそういう正統派のものじゃないよ」
かれは宙に鼻を向けて空中に漂うにおいをたしかめてから、おれのほうへ視線を向けた。




