ミッドナイト・ダイビング
って、俊冬に気をとられているすきに、俊春がズボンを脱いでしまっていた。
「なんだ。褌、しめているんじゃないか。どきどきさせるなよ」
かれは、褌をちゃんとしめていた。
まぁ、当然っちゃ当然か。
「わんこ、気をつけろといったよな。おまえ、かれに狙われているんだから、不用意に裸身をみせないほうがいい。それに、気を許すんじゃない」
「そんなわけないだろう?なんでおれがぽちを狙うんだ。そんなことに生命を賭けるわけがない」
「へー、そうなんだ。わかったよ。そういうことにしておこう。時間がもったいない。わんこ、さっさといけ」
俊冬は、あいかわらずわが道をゆく男である。
しかもいまのいいかただと、完璧おれに非があるみたいだし、嘘をついているみたいだ。
「ちぇっ、なんだよ。まるでおれが悪いみたいじゃないか。ってか、『いけ』って、どこへいくんだ?」
おれが俊春に尋ねたと同時に、かれはまた柵の上に飛び乗った。それから、こちらをちらりと振り向いた。
「ばいばーい」
なんと、かれはちいさく掌を振るなり柵から飛び下りたではないか。
甲板に、ではない。海に、である。
「げええええええええっ!」
叫びつつ、柵にすがりついてそこから身を乗りだして海をのぞきこんだ。
相棒も柵の間から鼻面をだしていっしょにのぞきこんでいる。
水面に変化はなく、なんらかの音もきこえてこない。
おれたちの乗船している太江丸は、木製の艦である。機関は蒸気内輪。馬力は百二十馬力なので、それほどおおきな艦ではない。
輸送船のため、備砲はゼロである。
とはいえ、小舟というにはほどとおい。その艦の船首から、ダイブしたのである。しかも、夜半にだ。
「なななな、いったいなにゆえ?いきなり自殺まがいのことを?」
柵から身を乗りだしたまま、慌てふためくおれの右横に俊冬が並び立った。
相棒は、いまだ柵の間から鼻面を突きだしている。
「自殺まがい?まさか。ただのダイビングさ」
「はああああ?」
「これから、艦を相手にすることになる。この時代の艦をしっておく必要があるだろう?」
「い、いや。そりゃそうかもしれないが、いくらなんでも危険すぎるじゃないか」
「心配ないって。わんこは犬かきが得意だから、おぼれることはない」
「犬かき?そんな問題じゃないだろう?」
あいた口は、とてもではないがふさがりそうにない。
「おれたちは、某国の原子力空母を沈めたことがあるんだ」
さらっといわれたので、とっさになんのことかわからなかった。
「世界中を欺き隠しつづけ、やっとできあがっての処女航海のときにね」
その静かな説明に、やっと気分が落ち着いてきた。体ごとかれのほうへ向くと、かれも体ごとおれへ向いた。
「どんな最新のテクノロジーのデカブツでも、ちいさな餓鬼二人のまえではただの玩具さ。餓鬼が泳いでちかづき、鉄の壁を登って艦内に侵入し、プログラミングを解読して情報を盗んでからストップさせる。それだけでは充分じゃない。物理的に破壊し、さよならした。二時間もかからなかったよ。たったの二時間だ。その国が原子力空母をつくるのに、構想から十数年はかかっただろうね。それなのに、たったの二時間で四、五十億ドルをうしなったってわけだ」
誇っているような口調でも表情でもない。たんたんと語るかれの表情は、ただそれが命令だからやったというような冷めたものである。
「しかし、この時代の艦についてはよくわからないからね。体感しておいたほうがいいにこしたことはない。そうだろう?」
それから、かれはにんまり笑った。
その瞬間である。頭といわず全身に水をぶっかけられたみたいになった。
「ひええええっ!」
雨でもないのに?
またしても叫び声をあげてしまった。
頬を水か伝い、口中にはいってきてひろがった。
「しょっぱ」
塩っ辛い。
「ごめんごめん」
ちっとも『ごめんごめん』って感じじゃない謝罪が耳に入ってきた。
柵のほうをみると、ずぶ濡れの俊春が柵の上に立っている。
「どうだった?」
「おおきくないし、この艦は木製だからね。侵入もしやすい。甲鉄号なら事情はちがってくるけど、なんとかなるんじゃないかな」
俊春は柵から飛び下りてから、準備していたらしい手拭いで体を拭きはじめた。
艦から夜の海に飛び込んで、艦のまわりをまわって確認し、よじ登ってきたわけだ。
驚異的すぎる。これも、かれらの身体能力のほんの一部なのだ。
「きみらの力は、おれの想像の斜め上をいきすぎているよ」
ため息っていうか嘆息っていうか、兎に角、どうリアクションをとっていいかわからない。
「なに?じろじろみないでよ。いつもぼくの裸を陰気な目つきでみてるよね」
「み、みていない。なにをいっているんだっ!」
人間は、誠のことをいわれればムキになる。
いまも、無意識のうちに俊春の体に刻みこまれている無数の傷痕をみてしまっていたようだ。
それを指摘され、ついムキになってしまったってわけである。
俊春がかっこかわいい相貌を右に左に倒しつつ指摘してくるまで、かれの体をみつめていたなんて気がつかなかった。




