拳遊び
次鋒は、高崎という名の藩士である。
やはり、無外流の皆伝という。
五人のなかでは一番背が高く、ひょろっとした体格である。それでも、165cmはあるかないか、くらいであろう。
相貌に、髭がまったくない。それをいうなら、頭髪は残念である。ゆえに、髷を結っていない。いわゆる、河童禿というやつだ。
還暦にさしかかっているか、すぎているか、そのくらいの年齢であろう。痩躯のわりには、威厳が漂っている。
体格からいけば、すばやい動きで相手を翻弄するタイプのようにもうかがえるが、この威厳と年齢から、ちょこまかと動くような小賢しさをよしとするかどうか・・・。
高崎もまた、先鋒の山川とおなじように線のところで草履を脱ぎ、一礼する。それから、中央へとすすむ。
摺り足ではなく、一歩一歩しっかりとあゆんでいる。
鋭角的な相貌のなかで、眼光が鋭い。あとでしったことだが、高崎は、佐川と互角以上の腕をもつ剣士らしい。
こちらの次鋒は、永倉である。
じつは、先鋒の局長以外、「どうするか?」で揉めた。
本来なら、四人で勝負して順番をきめるのが筋なのであろうが、そんな時間があるわけもない。
「拳遊びできめたらいいがやないかね」
そういいだしたのは、坂本である。
「けんあそび?」
はじめてきくその言葉に、馬鹿みたいに叫び返す。
まず、かんがえたのが、犬。
坂本の出身の土佐から、どうしても闘犬を思い浮かべてしまう。
土佐藩では、たしか四国犬をつかっておこなっていたはずだ。
ちなみに、現代の土佐犬は、その四国犬にマスチフやブルドッグ、グレード・デンなどをかけあわせたもので、ちょうど幕末ぐらいの時期より、交配をはじめたかと記憶している。
なんにせよ、こんなところでする時間はない。それに、犬がいない。いや、それ以上に、犬同士を戦わせるくらいだったら、自分たちでやったほうが断然はやいにきまっている。
つぎにかんがえたのは、なぜか腱。関節技みたいな?、と馬鹿なかんがえが脳内をよぎったが、それもまたおかしな話である。
剣のほうが、てっとりばやいではないか?
「拳遊びをしらんなが?」
よほどぼーっとしているようにみえたのか?
坂本が、おれの顔をのぞきこんでいる。
かくかくと頭を上下に振る。
「蛞蝓、蛙、蛇のことぜよ」
坂本は、そういいながら小指、親指、人差し指をそれぞれ立ててみせる。
「兎に角、はやくきめやがれ」
まだ要領を得ていないのに、副長がせかしてくる。
永倉も斎藤も、その遊びをしっているようだ。それぞれ、自分の掌をじっとみつめ、なにやら思案している。坂本もおなじである。
その三人の様子で、やっと気がついた。
「あぁじゃんけん、じゃんけんだ」
さきほどより大声で、叫んでしまう。
「なんなが、ちやけんとはなんにかぁーらんか?」
坂本が、総髪をわしわしとかきながらきく。
淡い陽光のなか、フケが盛大に舞っているのがはっきりとみてとれる。
はっとする。
じゃんけんの歴史など、調べたこともない。
おそらく、その拳遊びから生まれたのであろう。蛞蝓、蛙、蛇・・・。三竦みが、紙、はさみ、石へと変化したに違いない。
それが、いつのことか?
さきほどの永倉と斎藤の様子から、幕末期には三竦みのほうが一般的だということがわかる。ということは、じゃんけんはもっとあとに改良されたものであろう。
「ああ、おれの生まれたところでは、拳遊びをじゃんけんといいます」
ごまかすと、両局長をはじめ、おれの生まれたところをしる新撰組のメンバーは苦笑する。
かくして、拳遊びの結果、次鋒は永倉ときまった。
というよりかは、三竦みのなかで、なにが強くて弱いのか、がまったく理解できないまま順番がきまっていた。