上覧試合
上覧試合、なるものがどういうものなのかがわからない。
いや、なんとなく想像はできる。
たとえば、天覧試合。サッカーやバレーボールは、天皇陛下がご覧になったのをきっかけに、その後、天皇杯としてトーナメントをおこなっている。
競馬だって、天皇賞がある。年に二度あるそれを、両陛下が天覧されることもある。いつだったか、人気のなかった馬が、並いる強豪をうち破り、一着になった。その騎手が、馬上で騎手用のヘルメットをとり、両陛下に頭を下げた。それをテレビでみ、いたく感動した。馬や騎手だけではなく、調教師や厩舎の人たちみんなに、「がんばったな、おめでとう」、と心から賞讃を送りたくなったワンシーンであった。
そんな厳かなものを、想像していた。
ら?る
帝ではなく会津候ではあるが、それでも、ふだんならお目にかかれぬ高貴な方であることに、かわりない。
ゆえに、上覧席も特別に設えているか、あるいは、屋内からみるものとばかり思い込んでいた。
そんな想像は、すべて覆されてしまった。
まず、試合場である。
さすがに、砂利のない土の上ではあったが、そこに木の棒で書かれたような正方形の線があるだけである。
そう、小学校の休み時間にドッチボールをやるときのような、そんな無造作な四角形がぽつんとある。
そして、そのすぐちかく、相撲でいうところのかぶりつきの位置に、床几が、こちらもただぽつねんと一つ置かれている。
ということは、田中ら重臣は、その周囲に立ってみるというのであろうか?
勝手な空想をしている。笑えるではないか。
あくまでも、内密の稽古試合。お手軽に、というのは当然のことであろう。そう思い直すことにする。
会津藩は、一刀流でも溝口派だという。といわれても、正直、その流派がどんなものかよくわからない。
先日のゲロ佐川の一撃も、ただ単純に相手を突き貫いただけである。ゲロ佐川の膂力と、突く正確さはわかったが、そもそもの太刀筋はいっさいみていない。
そして先日、屯所の道場で斎藤の太刀筋をみた。斎藤も一刀流というのを、webから知識で得ている。そうだ、無外流なる記載もあったか?だが、あれが一刀流かどうかがわからない。
斎藤は、緻密で姑息な剣を遣う一方で、重いそれをも遣う。つまり、つかみどころがない。
ああ、わかっている。おれとは、格そのものが違う。だから、動きにも膂力にも、ついていけないのである。
永倉に、こっそり尋ねてみた。あの鍛錬の翌日に。すると、永倉は驚いた。それは、おれの問いにたいして、ではなかった。
「そういやぁ、あいつの流派など、きいたこともなかった」
「がむしん」は、まずそういった。
「理心流を、学んでたんじゃなかったのか?おれはそう思い込んでた。我流だから、ちゃんとした流派で覚えたい、とな?違ったのか?」
逆に、きかれてしまった。
一刀流や無外流とwebにはあったが、じつはそれも確定的なものではない。
兎に角、斎藤は謎だらけである。
もしかすると、永倉が思い込んでいたとおり、我流なのかもしれない。
結局、一刀流については、なにもわからないままである。
会津藩で有名な剣士、というのも思いだせない。というよりかは、ゲロ佐川くらいしかwebでもみることがなかったような気がする。
ゲロ佐川と、四名の剣士。
四名は、いかにも純朴そうな外見である。ずんぐりむっくりした体型。相貌は髭に覆われ、昔の無骨な剣豪、といった感じである。
まるで、みてきたかのように表現しているが、漫画にでてくる典型的な剣士、といったらわかってもらえるであろうか?
つまり、ゲロ佐川以外は強そうにみえないが、じつは強いんじゃないのか?、といった感じにみえる。
「第一試合、両者まえに」
そのとき、審判の声がした。
審判は、会津藩の剣術指南役の弟らしい。
当人は生まれつき左の脚が悪く、剣士としての道はとざされたらしい。いまは、重臣の一人として手腕を発揮している、ということである。剣も、そこそこ遣えるらしい。
審判をするのに、なんの問題もないということである。
近藤局長が、先鋒である。
こういう意表をつくところが、じつに局長らしい。