地獄と姫(五)
突然、殺気立つ二人の間に扉が出現した。
赤姫のものとは違い、こちらはグレーを基調とし、所々に華美な装飾が施されている。
ゆっくりと開く扉の中から現れた人物が先ほどの声の主であることは一目でわかった。
これまたお堅いスーツをきっちりと着こなしているが、それでいて女性らしい凹凸がこれでもかと強調されており、端的に言って色っぽい。
赤姫の方をちらりと見ると、悔しがっているのか、体が小刻みに震えている。
まあ、確かにあれには勝てないかもしれないが、女性の魅力はそれだけではないだろうに。
「双方構えるのをやめなさい。私の前での暴虐は容赦しないわよ」
「姉さん!しかし、あいつらは不法侵入者です。ここで排除しなければ!」
「落ち着きなさい、ミリー。冷静でなければこの仕事は務まらないわ。それより、あなた方は何者なのかしら?」
この女性が『三途の管理者』のトップなのだろう。
ミリーという部下を諭し、赤姫を値踏みするかのように見つめている間、一瞬たりとも隙を見せない。かなりの手練れであることがわかる。
「さっきも言うたが、儂は『叫喚の赤界』の領主じゃ。ここには、儂とこやつを『人間領』へ送ってもらうために来た」
「『叫喚の赤界』ねぇ・・・それでは、あなたがあの「地獄姫」と呼ばれていた方かしら?」
「その通りじゃ。今は「赤姫」と呼ばれておるがのう。これからはそちらで呼ぶと良い」
結構話ができるやつじゃないか。赤姫の口ぶりだと、出会った瞬間いきなり襲われるのかと思っていたが。
まあ、ミリーとかいう彼女にはいきなり襲われそうになったか。
「話はわかったわ。つまり、あなた方に人間界での肉体を用意しろ、というわけね・・・けれど、私たちも今立て込んでいて、その要望に対処する余裕はないわ。まして、二人分ともなると・・・」
「そのことなんだが。一体ここで何があったんだ?赤姫のことを招集したとかなんとかと、そっちのミリーって人が言っていたんだが」
俺のセリフを聞いた「姉さん」と呼ばれていた女性は驚きの表情を見せてから、ミリーの方へと顔を向けた。
どこか怒っているような、呆れているような様子だ。
「ミリー?」
「申し訳ございません!あいつらが挑発するものですから、つい・・・」
いやいや、何を言ってるんだ、この人は。挑発した覚えなどないし、そもそも最初から興奮していただろ。
「反省しなさい、ミリー。この件については厳重な情報統制をかけているのだから。あなたたちも、これ以上こちらの問題に踏み込んでほしくないわね」
「分かった。その代わりと言っちゃなんだが、赤姫の肉体だけでも人間のものにしてやってはくれないか」
「剣夜、お主も一緒に来るのじゃぞ!」
「分かってるが、現状一人分が限界のようだしな」
俺もそこまで我慢強くはないが、赤姫を一刻も早く人間界に行かせてやりたいしな。
どれくらい待つかはわからないが、赤姫が一人で過ごしてきた時間に比べれば早い方だろう。もちろん、それなりに急いではもらうつもりだが・・・
そんなことを考えていると、俺のことを「姉さん」はじっくり観察するかのように凝視しながら、何かをブツブツと唱え始めた。
「驚いたわ。ただの人間であるあなたがどうしてこの環境下においてそこまで悠々としていられるのか疑問に思っていたけれど、どうやらあなたの肉体は特別製のようね」
「特別製?」
「つまり、その体は『人間領』、『天国領』、『地獄領』を問わず、いかなる環境においても適応できるものである、というわけよ。私も初めて見るものだから、断言はできないけれど」
「なぜ剣夜がそのような肉体を持っておるのじゃ?まさか、剣夜は神の類じゃったのか!?」
いきなり声を張り上げた赤姫は手と手を合わせて拝むような仕草を始めた。巫女装束のおかげか、かなり様になっている。まあ、お面が一瞬でそれをぶち壊しているのだが。
「「神の類」とはなんだ。それに、むしろ俺の方がそれを聞きたいくらいだ。その辺どうなんだ」
「私にはわかりかねるわね。いえ、もしかしたら・・・」
「なんじゃ、何か知っておるのか?」
「いえ、なんでもないわ。それより、彼の分が必要なくなったのだから、あとはそちらの赤姫さんの肉体を用意すれば良いのかしら?」
「ああ、それで頼む。なかなか気がきくじゃないか。赤姫はどうしてあんなにも恐れていたんだ?」
「恐れてなどおらんかったわい!ちょっと用心しておっただけじゃ!」
同じような気もするが・・・
とりあえずこれで目標達成というわけか。案外あっさりと進んだな。
「なら、俺はお前の肉体が完成するまでその辺で待ってるよ」
「それはお勧めできないわね。肉体を一から生成するにはかなりの時間が必要よ。いくらあなたの肉体が頑丈とはいえ、この地の瘴気は生半可なものじゃないわ。一日と保たないでしょうね」
「となると、一旦領地に戻るか?気乗りはしないが」
「そんなことをせずとも、剣夜は先に人間界へと行っていれば良いのではないか?」
「そんなことしてもいいのか?」
「問題ないんじゃないかしら。あなたが彼女の領民であるなら、どこの世界にいても『ゲート』で合流できるはずよ」
そういうことなら、まあいいか。こんな場所にいるよりはずっとマシだろう。
「わかった。じゃあ、赤姫、俺は先に行ってるから、肉体が完成したら俺のところに来てくれ」
「任せるのじゃ」
両手を腰に当て、ない胸を張って赤姫はそう言った。
おっといけない、心が読まれるんだったか。なんだかこちらに黒いオーラが漂ってきている気もするが、気にしない。
「では、赤姫さんは私と一緒に、そちらの彼はミリーが『人間領』に連れていってあげなさい」
「ですが姉さん、いいんですか!?」
「言う通りにしなさい」
鋭い眼差しに晒されたミリーはこれ以上反論することもなく、少し俯いてから俺の方に近付いて来た。
先ほどまで持っていた槍はいつの間にかなくなっている。
「ではこちらへどうぞ・・・」
「ああ、ありがとう」
ここで赤姫とは一旦お別れか。
ミリーと「姉さん」は同時に『ゲート』を出現させ、開いた扉の奥へと進んでいく。
そういえば「姉さん」の名前はなんて言うんだろうかと思い、彼女の方をちらりと見ると、暗闇の中へと消えていく彼女の口から少しだけ、真っ白い歯が見えたような気がした・・・