地獄と姫(四)
「遅かったのう。失敗したかと思ってしまったわい」
「少し思うところがあってな・・・」
目の前に立つ赤姫の姿は相変わらず巫女装束に般若のお面。艶やかな黒い髪の毛は一本も乱れることなく腰の位置までまっすぐに伸びている。
先ほどと違うのは、綺麗な足袋が汚れないようにするためなのか、立派な下駄を履いていることだ。対して俺の格好はというと、明るめのTシャツにジーパンと、これまたこの世界には不釣り合いなものであった。
そう言うのも、俺と赤姫がいる場所は、適した言葉が思いつかないが、強いて言うなら“ギトギト”や“ネトネト”といった感じだろうか。とにかく生理的に受け入れがたい。
あちらこちらに散らばっている骸骨はまだましな方で、目の前にある幅数メートルといった川の向こう岸には、人間とは決して認めたくないような“ヒトの形をした汚物”が点在している。
俺は今にも吐きそうだが、赤姫は泰然とそれを見つめていた。
「本当にここは『三途の川』なのか?地獄より酷いじゃないか・・・」
「間違いなく『三途の川』じゃ。しかし、言われてみると確かにひどく荒れ果てているのう。『天国領』とは言わないにしても、これほどのものじゃったろうか?」
そう言いながら赤姫はゆっくりとしゃがみ、あたりの“土のようなもの”や“石のようなもの”を手に取り、感触などを調べ始めた。
触れても大丈夫なのかと心配してしまうほど毒々しいが、彼女は躊躇することなく調べ続けている。
「何かわかったか?」
「ふむ。この土やら石は瘴気に侵されておる。似たようなものは地獄でも見られるが、それとはまた違った類のもののようじゃ」
赤姫がそう説明してから、再び別の石へと手を伸ばした刹那・・・
「何者だ!?ここは『三途の管理者』以外の存在が立ち入ることが固く禁じられている。それがわかっていての狼藉か!?」
後ろから、男性のように逞しく、はっきりとした声が聞こえたが、振り返るまでもなく女性であることが判明した。
それを聞いた赤姫は静かに立ち上がり、声の主へと振り返った。
「儂は『地獄領』領地『叫喚の赤界』が領主である。『三途の管理者』が筆頭と面会したくて参った。取次願おう」
驚いた・・・こんなにも尊大な喋り方ができるんだな。
言動が子供っぽくてすっかり忘れていたが、初めて赤姫を見たときは畏れ多い気持ちになっていたかもしれない・・・
「なぜ今になって『地獄領』の領主が現れる!?以前招集したときにはなんの返事もしなかったくせに!」
少々興奮しているようで、女性は声を荒げている。
動くなとも言われてないし、俺はとりあえず振り向いてみた。
そこには、非常に簡素な西欧風の槍をこちらに向けた女性が立っていた。歳の頃は20代後半といったところだろうか。
女性は、これまたこの場所と構えている槍には似合わない黒いスーツを着こなしており、バリバリのキャリアウーマンといったところだ。
どの世界でも地球の服装がスタンダードなのだろうか?いや、さすがに巫女装束を一般的な地球の服装とみなすことはできないが。
「お前、招集されたことがあるのか?」
赤姫に聞いてみると、彼女は全く身に覚えがないような様子で、首をかしげた。
「儂はそんなの知らんぞ。そもそも儂は生まれてこのかた、『地獄領』の領主以外と交流したことがないしのう」
「なら、あのさっきから殺気立っている女性は何が言いたいんだ?」
「剣夜、お主はつまらん洒落を言うのう。「さっき」と「殺気」をかけておるようじゃが、全くひねりも何もないわい」
「・・・別にわざと言ったわけでもないし、わざわざ解説なんかするなよ。それに、そう言う赤姫は面白いことが言えるのか?今までぼっちだったお前にはハードルが高いと思うが」
「今、領主である儂を馬鹿にしおったな!一人しかおらぬ領民とはいえ、甘やかすつもりはないぞ。いかなる場合でも、けじめはつけなければ・・・」
「貴様らっ!私を無視して勝手に話をするなっ!」
スーツの女性は一歩踏み込んで、槍の先をこちらへ近付けた。
少しやりすぎたか?挑発するつもりはなかったんだが・・・
「お主も儂らとおしゃべりしたいのか?寂しがり屋じゃのう」
「ちがーう!べ、別に・・・最近姉さんが構ってくれないな、寂しいな、などと考えているわけではない!」
おいおい、本音がダダ漏れになってるぞ。この人は正直者なのかもしれない。
「なんじゃ、違うのか」
「おい、お前騙されてるぞ」
思わず突っ込んでしまった。まあ、長らく人付き合いをしてこなかったからしょうがないのかもしれないが。
「とにかく、この地に無断で立ち入った以上、タダで済むとは思うなよ。手始めに、貴様らを拘束させてもらう」
「聞いた通り頭でっかちのようじゃ。剣夜は下がっておれ。こやつ程度なら儂一人で十分じゃ」
そう言われても、俺に戦うすべは最初からないのだが・・・
しかしまずいな。互いに臨戦態勢といった状態で、二人の殺気がヒリヒリとこちらにも伝わってくる。
数秒の沈黙の後、最初に動いたのはスーツの女性の方だった。
槍を左手で持ち、右の手のひらをこちらへ向け、何か呪文のようなものを唱えている。
しかし、彼女がそれを言い終える前に、どこからともなく、艶かしい声が聞こえてきた。
「何事かしら?争いごとは嫌いよ」