地獄と姫(三)
「ここは地獄じゃないのか?」
「その通りとも言えるし、そうでないとも言えるのう。ここはあくまでお主のような人間がわかりやすいよう便宜的にそう呼ばれておるだけで、何もお主ら人間が想像するような世界では決してない」
「しかし、さっき『三途の川』がどうのと言ってなかったか?」
「確かに『三途の川』はあるぞ。それぞれ、我が領地のある『地獄領』、その対となる『天国領』、そして再び人間へと生まれ変わることができる『人間領』へと通じておる」
確か三途ってのは餓鬼道、畜生道、地獄道を指しているはずだったが、そこらへんはあくまで人間が考えたことだから違うのか。
「それで、俺はどうしてこちらに来てしまったんだ?」
「じゃから儂も知らん。普通、死んだ人間は『人間領』へと向かうはずじゃ。よほどの極善人か極悪人でなければ『天国領』や『地獄領』へは行かないと聞いたことがあるのう。それゆえ、儂の領地がこうも閑散としておるのじゃが・・・」
赤姫はどこか悲しげな様子で説明しているが、これは暗に俺が極悪人だとでも言いたいのだろうか?
どうでもいいような知識はいくらでも出てくるが、地球にいた頃の記憶は全く思い出せない。まさか本当に何もしてないだろうな・・・
自分への疑心暗鬼に悩まされていたところ、何かを決心したかのような赤姫はおもむろに自分の右手をこちらに差し出してきた。
「なあ、剣夜。これも何かの縁じゃ。儂の領民にならんか?」
「領民?俺はてっきり、ここは人間に戻してくれる流れだと思っていたのだが」
「ふむ。確かにお主はそこまで悪い人間にも見えぬし、もしお主が強く望むのなら、そうしても良いじゃろう。ただ・・・」
「なんだか煮えきらないな。言いたいことがあるなら聞いてやるよ」
この展開は極めて危険な気もするが、別段早く人間に戻りたいと思うわけでもない。むしろ彼女とこうして話をしていることが今一番していたいことなのかもしれない。
この気持ちを察したのかはわからないが、赤姫は先ほどよりも少し明るい声で話し始めた。
「儂は生まれた時から『叫喚の赤界』の領主じゃった。しかし、領主と言いながらも、あるのは領地だけで、領民を一人も持ったことがない。『地獄領』には他にもいくつかの領地があるのじゃが、儂はとにかく誰でも良いから話し相手が欲しくて、その領主たちと積極的に話そうとしたのじゃ。時には襲いかかってくる者がいたりしたからのう、戦闘になることもあった。その時に儂は「地獄姫」と呼ばれたのじゃがな。「強くて美しい」の代名詞であった。すごいじゃろう。ただ・・・時間が経つにつれ、一人、また一人と儂の元から去っていってしまった。そして誰にも会えなくなってからというもの、儂はひどく退屈な時間を過ごすしかなくなったのじゃ。本当につまらなかったわい・・・しかし、お主と今喋っていることは実に楽しいぞ。これからも儂の話し相手になってはくれぬか?」
話し相手か・・・つまり俺はこれからこの何もない空間でひたすら赤姫と二人っきりで話をし続けるわけか。
顔はまだわからないが、彼女はかなりの美人だと思うし、性格も多少子供っぽいところはあっても、許容範囲内である。それでも、これはある意味地獄のような生活になってしまうのではないか?
「どれくらいお前の話し相手になればいいんだ?」
「そうじゃな・・・できれば「永遠」と言いたいところじゃが・・・」
「それは冗談だろ?こんな何もないような場所、一週間ともたないぞ」
「それを言われるとなんの反論もできないのじゃが・・・」
しかしこれはどうしたものか・・・
俺がもし人間に戻れば、赤姫はまた一人ぼっちになってしまうのだろう。それはやはりかわいそうではあるのだが、だからと言ってこんな場所は俺の方が耐えられない。
「ここにもっと人を呼べないのか?」
「先ほども言ったように、『地獄領』には極悪人しかやってこないことになっておる。たとえ来たとしても、我が領地『叫喚の赤界』はそこそこ深いところにあるゆえ、あまり期待はできないじゃろうな・・・」
「こちらに人が来る可能性は低い・・・となると、いっそお前自ら人間界に行けばいいんじゃないか?お前は誰かとおしゃべりできればいいんだろ?」
「!?」
どうやらこの発想には今まで至らなかったらしい。
ただ、急にそわそわし始めたと思えば、赤姫はまたすぐに落ち着きを取り戻した。
「それはほぼ不可能じゃ・・・」
「どうしてだ?」
「儂の肉体は『地獄領』においてのみ維持されるからじゃ。つまり、人間界に出た瞬間、チリも残さず消滅するであろうな。逆もまた然りじゃが」
「なら俺はどうしてこの世界において消滅してないんだ?」
「それは・・・『三途の川』の途中で『地獄領』用の肉体に魂を移したからじゃないのか?儂も詳しくは知らんが、あそこには確か三つの世界を管理する存在がいたはずじゃ」
「なら、そいつらに頼めばいいじゃないか」
「だからそれが無茶なのじゃ!あいつらはかなりの頑固者で、自分たちの思い通りに行動しない奴は容赦なく消滅させようとすると聞く。しかも、その強さは計り知れないとかなんとか」
「お前はそんなに弱いのか?」
「はっ!なめるなよ。儂は『地獄領』において一位二位を争うほどの強さじゃった。相手が誰であっても簡単にやられるわけがあるかい!」
それも相当昔の話だろうに、一体その自信はどこから湧いてくるのだろうか。
「駄目元でもいいから頼んでみろよ。当たって砕けたらいい」
「いやいや、砕けることを前提で話すなよ。しかし、難しいことに変わりないのじゃが・・・」
赤姫は俯いてしまい、声もだんだん小さくなっていく。
先ほどまでの自信はどこへ行ったのやら。
急に怒ったり、喜んだり、落ち込んだりと、感情の起伏が激しいな。これも長らく人と話してこなかったからなのだろう。
「俺も一緒に行ってやるから。少しは元気出せよな」
「一緒に?そうか、そうか!ひょっとすると、剣夜が一緒なら「あやつら」も許してくれるかもしれん。いっそ儂と一緒に人間界へと向かえば良いじゃろう。そうじゃ、そうじゃ。その手があったか!」
どうやら元気を出してくれたみたいだ。
しかし、俺が一緒だからといってそんなにうまくいくのか?でもまあ、赤姫とこれからも一緒にいられることは決して悪い話ではない。
「なら早速行ってみようか。行き方はわかるのか?」
「確か・・・」
頭に指を当て、考えるような仕草を取ってはいるが、こいつ絶対知らないだろ。
「ちゃんと知っておるぞ!答えは簡単じゃ。『ゲート』で行けばいいだけじゃ」
そんな簡単に行けるのか・・・案外気楽なものじゃないか。
消滅させられそうになっても、最悪逃げればいいんじゃないか?いや、相手もその『ゲート』とやらが使える可能性が高いか。管理者っていうくらいだしな。
「しかし、剣夜。今思い出したのじゃが、儂の『ゲート』は儂の領民しか通れないかもしれん。お主は儂の領民になりたくないのじゃろ?」
「領民になると何が変わるんだ?俺に悪影響がないのなら、領民になっても構わない。ここまできたら、もう乗りかかった船だしな」
「お主に害はないはずじゃ。まあ、正直に言えば、儂も領民なんぞ作ったことがないからわからんのじゃがな」
「それもそうか。そうだな・・・わかった、領民になろう」
一度死んだ身だし、贅沢は言わないさ。
「で、どうすれば領民になれるんだ?」
「それはその・・・お主の体の一部を儂の中に取り込めば良い」
「体の一部?髪の毛とか?」
「それで良いじゃろ」
髪の毛を女の子に食べさせるというのは生理的、絵面的に大丈夫だろうかと思ったが、これも仕方がないか。
「一本でいいのか?」
「構わん。さて、いただくかのう」
「・・・」
「・・・」
そう言いつつも、赤姫はなかなか食べようとしない。
やはり髪の毛はお気に召さなかったか?しかし、他に差し出せる体の一部なんて思いつかないしな・・・
「・・・・・・さっさと目を瞑らんか!!!」
「目を?どうして?」
「言わせるな、この変態が!」
そういえばこいつはお面を外すのが恥ずかしいんだったか。よくわからん。
「わかった、わかった。終わったら合図してくれ」
「絶対覗くなよ・・・」
別に裸を見るわけでもなかろうに。まあ、見ようとも思わないが・・・
そう思った瞬間、再び激痛が。しかも今度は目だけに。
俺は慌てて目を手で押さえる。ん、さっきは動かなかったんだが?って、そんな場合じゃない。
「目がっ・・・」
「ふん。これが一番安全じゃわい。」
十秒も経たないうちに激痛は収まり、代わりに体が先ほどよりも“ポカポカ”する。
もういいだろうかと思い、目を開けると、赤姫は何食わぬ顔でこちらを見ていた。素顔は相変わらず見えないが・・・
「さあ、これでお主も我が領民じゃ!赤姫様と呼ぶが良いぞ!」
「アカヒメサマ」
「なんじゃ、心がこもっておらんのう。まあ良い。儂は寛大じゃからな。では早速『ゲート』を開くとしよう」
自分を寛大だと言うやつは大抵が独裁者と決まっているような気もするが、まあいいか。
そんなことを考えているうちに、赤姫は、彼女が初めて現れた時に使用していたのと同じ観音開きの扉を出現させた。
相変わらず真っ黒いだけでなんの装飾もない。いや、よく見ると、左右の扉に複雑な模様が小さく描かれている。家紋か何か、か?
「・・・」
また固まっている。扉はすでに開いているが、赤姫はなかなか入ろうとしない。
「今度はどうしたんだ?」
「いや・・・儂は領主だというのに、領地を離れてもよいのじゃろうか?」
「別にここには何もいないんだろ?特に問題はないと思うが・・・」
「確かに人間の類はおらんと思うが、「魔獣」と呼ばれる存在ならおるぞ」
「そんなのどこにいるんだ?ここに地面はないんだろ?」
もう自分が落ち続けていることになんの違和感も感じなくなってしまったが、地面がないというのはどうも不気味で仕方がない。
「どこかで飛んでるはずじゃ。儂なら好きなように呼び出せるが、やってみるかのう?」
「いや、それはまた別の機会に・・・」
こんなところで呼んで、もし俺が食べられでもしたらどうしてくれるんだ。もう少しあと先考えろよ。
「魔獣たちも儂がいなくなって寂しいかもしれんのう」
「たまに顔を出せばいいんじゃないか?『ゲート』でいつでも来れるんだろ?」
「それもそうじゃな・・・よし、思い残すことは何もないじゃろ。では行くとしようか、剣夜。儂についてくるが良い」
赤姫はそう言うと、真っ黒い扉の奥へと進み、そしてすぐに消えて行った。
俺は一瞬たじろいだが、それもすぐになくなり、足を一歩前に出す。
空を切るかと思ったが、まるで硬い地面の上を歩くような感触である。
もう何も恐れることはない。
「ドスグロイ」赤色に染まり、初めは嫌いでしょうがなかったこの空が、あたかも俺との別れを悲しんでいるようにも見えてきて、どこか名残惜しくもある。
「さっさと行くか・・・」
・・・俺もいつか『叫喚の赤界』の領民として、この空を誇れる日が来るのだろうか・・・