VS銀狼(三)
視界がだんだん悪くなっていくのを感じ、ふと見上げれば空はすっかり暗くなっていた。
これでは戦闘に支障をきたすと思い、俺は覚えたての魔法であたりを照らそうと聖文を唱えたのだが、気分的にはより一層暗くなってしまった。
「何度見てもその光は、なんと言いますか・・・不思議ですね」
「素直に不気味だって言っていいぞ。俺も少しは思ってるからな」
バスケットボール大の「ドスグロイ」赤色に染まった光球を三つほど出現させながら俺たちは速度を緩めることなく走り続けた。
そろそろシルヴィーが限界だろうかと思い始めたその瞬間、この世のものとは思えないような「音」を感じた。
それは実際に耳から聞こえたのではなく、直接脳内にぶち込まれたような感覚だったのだ。
どうやら近くにいるようだが、目に見えないのは辛い。「雷剣」の魔法を使ってもいいのだが、リーニアに当たるかもしれないし・・・
「リーニア!!!」
俺が逡巡している横で、シルヴィーは見た目に反した大きな声で親友の名を呼んでいた。
そんな時、左方で壮大な爆発音がした。
驚きながらそちらに目を向けると、何もない空間から一人の少女が飛び出してきた。
「リーニア!?」
「シルヴィー、気をつけ・・・」
雪の上に転がった少女めがけて走り出したシルヴィーに俺が警戒するよう言うよりも先に“それ”は現れた。
ただ、現れたと言うにはあまりにも薄すぎるその姿は、一瞥しただけでは全体像がほとんど掴めないほど大きかった。
「これはさすがに・・・」
(貴様はまさか・・・『地獄領』のものか?なぜこのような場所にいるかは分からぬが、生かしておけんな)
今、喋ったか?
しかし、シルヴィーに聞こえた様子はなく、この声はどうやら俺の脳内に直接送られたものであるようだ。
『地獄領』だと?どうしてそんな単語をこの世界で聞くことになるんだ。
さらなる情報が欲しいところだったが、それ以上その声を聞くことはできず、巨大な銀狼は再び姿を消し、代わりに猛烈な吹雪が俺たちを襲い始めた。
後に残ったのはシルヴィーと、彼女に支えられてなんとか立ち上がっている少女だけだった。
彼女がリーニアって子なのだろう。騎士のようでありながら華やかさも兼ね備えた赤と黄を基調とした服はすっかりボロボロになっており、きれいに整えられていたはずの縦に巻いた長い金髪も乱れに乱れていた。
かなり憔悴しているようだが、俺たちに休息を取っている暇はない。
「シルヴィー、こっちだ!」
「は、はい!」
シルヴィーはリーニアを支えながらなんとかこちらに向かおうとしているが、雪に足を取られているのか、思うように前進できていない。
「シルヴィー、離して。私はまだ戦えるわ」
「ダメです!もうこんなにボロボロじゃないですか!」
リーニアが頑なにシルヴィーから離れようとしている隙を狙ったのか、空から巨大な氷柱が彼女たち目がけて降ってきた。
「危ない」
そう叫ぶよりも前に俺の足はすでに動いていた。
自分でも驚くほどの瞬発力のおかげで二人を抱え込んだまま氷柱の落下を回避した。
「すみません、剣夜さん」
「ちょっと、何をしているの!私の邪魔をしないでくださる!」
そう言ってリーニアはすぐに立ち上がり、拳を突き出しながら聖文を唱え始めた。
「『赤色の輝き、我を導け、エクスプロージョン』」
その魔法は名前の通り、重層な爆発音を響かせながら彼女の目の前に広がる一帯を直径5メートルほどの円状に焼け尽くした。
しかし、銀狼に当たった様子はない。
俺も見ているだけというわけにもいかず、シルヴィーを立たせた後、あたり一帯に向かって「雷剣」を打ち続けた。
十回は撃っただろうと思った頃、15メートル以上もある巨体がようやく姿を現し、赤い閃光を身に纏いながら動きづらそうにしていた。
間違いなくあの赤い閃光がこの銀狼の弱点になるのだろう。
(この力は・・・やはり地獄からの使者であったか。我を捉えにきたというわけだな)
(お前は地獄に追われる心当たりでもあるのか?)
(なっ・・・なぜ我の声が聞こえる!?だとしたら、いっそう我を「聖獣」と知っての所業であろう。『三途の管理者』にでもそそのかされたのだろうが、我とて被害者ゆえ、やすやすと捕まるつもりはないぞ)
全く話が見えない・・・そもそも「聖獣」ってのは「魔獣」の親戚か何かか?
わからないことだらけであったが、その思考は一旦中断せざるを得なかった。
「今の魔法はなんなの!?あんなの見たことがないわ!」
「あれは『ブリッツ』ですよ。ただ、剣夜さんが使うとあんな風に黒っぽくなってしまうんです」
「まあ今はいいでしょう。それより、あれは私が仕留めるのだから横槍は結構ですわ」
「おい」
俺が止める暇もなく、リーニアは腰のレイピアを右手で抜き取り、銀狼に向かって走り出した。
そしてすぐに左手を突き出してから魔法を発動させたが、その攻撃が命中することはなかった。
銀狼はその巨体からは想像もできない速度で左方向へと回避し、即座にこちらへと突進してくる。
どうやらリーニアは御構い無しに俺の方を狙っているようだ。
結果、俺が銀狼と正面から対峙するという形になり、リーニアの方が横槍になってしまった。
「私を無視しますの!許しませんわ!くらいなさい!」
渾身の魔法は銀狼の横腹に見事命中したが、銀狼はその攻撃をものともしなかった。
反対に、巨大な氷柱がすでに俺たちの頭上寸前まで迫っていた。
正面にばかり注意を向けていたがゆえに上方への警戒をすっかり手薄にしてしまっていたのだ。
紙一重でそれをかわした俺だったが、今度は正面からの銀狼の突進を回避することができなかった。
「ぐっ」
後ろに木がなければ数100メートルは突き飛ばされたのではないかと思うほどの衝撃だった。
「剣夜さん!」
声をかけてくるシルヴィーの方を見れば彼女は先ほどの氷柱に当たってしまったリーニアに黄色い光を当てていた。おそらくあれは回復魔法なのだろう。
しかし俺には休む暇も与えず、銀狼はこれで終わりだと言わんばかりの咆哮をあげながら突進してきた。
俺はなんとか態勢を立て直そうとするが、腕や脚になかなか力が入らない。
今さらになって自分の身体がすっかり冷えきってしまっていることに気が付いた。
この吹雪の中、Tシャツ一枚でよく凍死しなかったなと自分を褒めてやりたいところだ。
俺は「雷剣」で時間を稼ごうかと思い、左手に力を込めた。しかしなんの感触もない・・・
ここにきてようやく俺は握っていたはずの『聖遺物』を先ほどの突進で落としてしまったことに気付いた。
「まずいな、これは」
俺はなんとか重い足を動かしたが、迫り来る銀狼の突進をあと一歩のところで避けきれないと腹をくくったその時、銀狼の顔を小さな爆発が襲った。
そのおかげで九死に一生を得た俺はすかさずシルヴィーの元へと走っていった。
一方の銀狼は木に激突したにもかかわらず、それを薙ぎ払ってからすぐに方向転換をした。
「今のはシルヴィーがやったのか?」
「はい。リーニアに比べれば天と地の差ですけれど」
「いや、今のはかなり危なかったし、助かったよ。ありがとう、シルヴィー。とりあえず、ここはひとまず退散するぞ」
「何を言っているの!ここであいつを倒さなければ、また被害が出るかもしれないわ!私のせいで、もう何人も殺されてしまったというのに・・・」
「リーニアのせいじゃ・・・」
急に意気消沈して涙目になるリーニアをどう慰めようかと迷う暇もなく、銀狼は怒気を混じらせた咆哮をあげながら先ほど以上の速度で突進してきていた。
ここは覚悟を決めるしかないか・・・
「シルヴィー、『聖遺物』を貸してくれ。俺のはさっき落としてしまったんだ。あと、俺が突撃した後はすぐにリーニアを連れて後ろに下がってくれ」
「戦うつもりなのですか!?無茶です!」
「そうよ。あれはもうあなた一人の手に負える相手じゃないわ」
シルヴィーだけでなく、リーニアもすっかり弱気になっているようだが、俺の意志に変わりはない。
今思えば、もとより俺の中に逃げるという選択肢は存在していなかったような気がする。
「俺は大丈夫だ。それより早く!」
「は、はい!」
黄色と赤色二つの石を俺にわたしたシルヴィーは、リーニアを支えながらこの場を去ろうとした。
「剣夜さん・・・絶対に死なないでくださいね」
「一人では無茶だわ!私も・・・」
「・・・任せておけって」
俺はいまだに食い下がろうとするリーニアの頭に軽く手を置き、なんとか彼女を黙らせる。
やっと納得してくれた二人が歩き出したのを確認してから俺はもうそこまで迫っている銀狼と対峙した。
「さあ・・・始めようか・・・」