6話 権力と誇りは嫉妬に変わる
ミノタウロス脱走事件から一夜明けた。
いつも通り屋敷を出て、いつも通りの通学路を1人歩く。
王都に入っても、学生の姿はロイス以外にいない。
と言うのも、トレモッツ魔導学園は、基本的に全寮制になっている。
例外として、徒歩で通学可能な高位貴族の子息は、任意で自宅か寮かを選べる。
この例外のお陰で喧噪に邪魔されず、歩きながらでも魔術の事に耽っていられるのは思いのほか有意義だった。
それも学園の敷地に入るまでだが、今日はいつにも増して学内が騒がしい。
言わずもがなではあるが、その理由に一番心当たりがあるのがロイスだ。
生徒達が放課後に繰り出すのはハーケネスが多く、事件当時周囲をふらついていた目撃者がいても不思議ではない。
コロシアムから魔物が脱走した事だけで充分な話題性だと言うのに、先ほどから聞こえて来る噂話の中には、ロイスがミノタウロスを圧倒したというものまで混ざっている。
表向きには、王国騎士団が鎮圧したと報告する予定になっているので、その点は時間が経てば忘れ去られることだろう。
今朝早くから貴族会議が開かれているので、既に騎士団がそれを発表している頃だ。
しかし当分の間はそのせいで望まない野次馬に追いかけられそうな予感を抱く。
少なくとも今日いっぱいは嫌でも注目を浴びる事になるだろう。
そんな日に実技試験が実施されていなければ、休みたかったのが本音だった。被害を受けた施設やコロシアムの修復作業に参加したかったというのもある。
最近では、女子生徒の間で美男子ランキングと言うものが流行しており、本人はその詳細を知らないながらも、ロイスが堂々の1位に選ばれていた。
長身で大人びた雰囲気をサラサラな銀髪がそれをより強調している。頭脳明晰で紳士的であり、伯爵家の次男と言う家柄も1位の要素に加味されているのだろう。
――やれやれ、これでは魔術の考察に集中できないですね。
そんな視線を潜り抜け教室にたどり着くと、この数日で急速に距離を縮めた男女が待ってましたとばかりに集まってきた。
「おっはよロイス君」
「おっすロイス」
ロータス侯爵家の双子、エミルとユーゴだ。
実技試験の為の魔術を試していた時、ロータス侯爵と共にハーケン家を訪れた事がきっかけで、ロイスは2人に魔術の手ほどきをしていた。
それから気兼ねない関係を築いている。
「おはようございますエミル、ユーゴ」
「聞いたぜ聞いたぜ~。お前の武勇伝をよ~」
さっそく核心を突いてくるあたりは、兄ユーゴの豪快な性格が成せる業だ。武骨な体型で、身長もロイスとそう変わらないので、馴れ馴れしく腕を肩に回して来ても無理ない姿勢でいられる。
ナチュラルに怪力なので、グイグイ引っ張られるとロイスの上半身は軽々揺さぶられてしまう。
「ねえねえ、ミノタウロスをボコったって本当なの?」
妹のエミルも遠慮がなく物おじしない。だが天然のユーゴとは違い、こちらは計算づくで話を振って来るので扱いが難しい。反応を見て楽しんでいる節が随所に垣間見える。
2人とも髪の毛が薄茶色で、精悍な顔もそっくりだし、笑った顔をとっても瓜二つだ。
「2人いっぺんに話されると答えに困ってしましますよ。それとユーゴ、あまり揺すらないでください」
「おっとすまねえ。で? どうなのよ?」
「ねえねえ、ボコったの?」
背丈が違うから見分けるのは簡単だが、幼少の頃は体型も似たようなものだったので、2人で真逆の髪型をしてるのだそうだ。
ユーゴは脇とうなじをツーブロック風に刈り上げ、少し長めに残したウェーブの髪をサイドに分けている。
ウェーブまで同じなのだが、エミルは肩下まで伸ばした髪を1つに結っているだけだった。
顔だけ見ればこの髪型でしか見分けが付かないのだ。
「ミノタウロスを倒したのは王国騎士団の皆さまですよ。僕は後ろで細々と援護していただけです」
「え~ほんとかなぁ~? だって他のクラスにロイス君がミノタウロスの足をぶった切った所を見たって子がいるんだけどな~」
「おう、俺も同じこと聞いたぜ?」
「現場はかなり混乱してましたし、その方が見間違っただけだと思いますよ」
その内貴族会議の結果が国王に報告され、今日中には王都とその近辺の街に発表される。
それまでシラを切り通せば周囲の興味も薄れるだろう、とロイスは考えている。
ユーゴとエミルも本人が違うと言っている事を、それ以上しつこく追及してこなかった。
そもそもクラスが違うどころか保安科でもないので、始業間近なのを確認すると忙しなく戻っていった。
2人には誤解だと説く事ができたが、他の生徒はまだロイスの武勇伝に興味深々のようだった。
時間が経つにつれ休み時間に教室を覗きに来る人数が増えていき、昼休みになると遂に直接真偽を確かめる者も出始めた。
その都度、ロータスの双子に言ったような定型文で返答していたのだが、中には美男子1位のロイスと会話する事だけが目的の女子生徒も加わって、ロイスの教室は人で溢れかえってしまう。
こうなると一定数の嫉妬も目に付き始める。
その筆頭になっているのが、父の失態を屈辱の上塗りの様に広められてしまったユリアン・ドミニク。
さらに、魔導士の家系に生まれ、魔法の腕に絶対の自信を持っている数人までもがロイスを目の仇にしている。
こういった嫉妬に囚われやすい人種は、不満を溜めこむ事に慣れていない。
学年が一同に集まって行われる実技試験が始まろうとしている時に、とうとう我慢の限界を迎えたようだ。
ロイスの目の前では、ロータス兄妹とユリアン・ドミニクが睨みあっている。加えて、ユリアンの横には魔導士家系のエリート、ロック・シャーヒンがいた。
「だから何回も言ってるだろ! 噂は誤解だってよぉ! いい加減にしないとあんたの親父がまた恥を搔くだけだぜ?」
「ほ~んと男の嫉妬ほど醜いものはないのよね~」
ロイスをかばっての発言であるが、この兄妹は売り言葉に買い言葉を地で行く2人だから、現状では火に油を注いでいるだけだった。
「父がいつ恥を搔いたと言うのかね? 我が家の名誉を汚す発言は慎みたまえよ?」
ユリアンは元々吊り上がった目を更に強調させて、怒気を強めた。
顔が強張っているのがひと目でわかる程に、頭に血が昇っている。
ミノタウロスの使用をドミニク公爵が推進していたのは一部には公に晒されている。貴族の情報に聡い学園の生徒であれば、誰しもがドミニクの失政と判断する事だろう。
その点を突いてユーゴは恥と言っているのだ。
「後方で援護してたって言ったって貴様に何が出来たというんだ? ホラ吹きもここまでくると滑稽だなハーケンよ」
ユリアンとは対照的に、あからさまな侮蔑の視線でロイスを見下しているのがロック・シャーヒンだった。
冷酷な眼差しは、エリート特有の確固たる自尊心を表している。
――まるで人の事をゴミでも見るような眼つきですね……。
ロイスはその本質を見抜いていた。
これは常日頃、ロックも言葉の端々から散見していたことだ。
魔導の名門、シャーヒン家こそ本物の魔導士なのであると。
しかしいつまでもこのいがみ合いを放っておく事は不味かった。
言い争いに参加していないロイスが、この騒動の主犯になってしまう可能性が一番高い。
「それで、お2人はどうしたいのですか? 僕は聞かれた事に偽りなくお答えしているだけなのですけどね」
あまりにも面倒なので、ロイスは行き過ぎない要求であれば即応じるつもりで問いかけた。
先に反応したのはユリアンだった。
「まずコロシアムの件は一切の責任を君の家で背負う事だ。こちらとしては王国騎士団を派兵までしているのだ。それくらいの後始末そっちでつけたらどうなのだね?」
さすがにこれはロイスがどうこうできる案件ではないし、それにしたってそれをユリアンが要求していい事ではない。
思わず絶句してしまったロイスに構う事なく、ロックが続ける。
「そもそも貴様が、王国騎士団を援護したと言うのが嘘なんだろ? さっさとその嘘を認めたらどうだ?」
どっちも言いがかりの域を出ない程に暴論である。
ただ、どんな無茶な言い分であったとしても、既にロイスは策を用意してあった。
「では、この実技試験で勝負しましょう」
この提案にユリアンは「ほう」と愉快気にこぼし、ロックは「うぬぼれるなよ!」と、眉間に皺を寄せて憤怒の形相になった。
「試験は逃げる教官に無属性魔法を当てる事、制限時間は1分でチャンスは各自5回。と言う内容でしたね。
単純に教官へ、より早く魔法を当てたほうの勝ちでいいでしょうか? 僕が負けたらお2人の言う事を受け入れますので」
どうですか? と言ったロイスの顔は呆れていた。
「それでいいだろう」
「はっ! 自惚れもここまでくると愚かだな」
ここに来てロイスは「やはり休むべきでしたね」と呟いた。
※4/16修正しました。
ユーゴとユリアンの言い合いの際に、ドミニクの恥についての情報描写を加筆しました。