2話 ハーケン魔術書店
トレモッツ王国・ハーケン領。
ハーケネスと呼ばれる街がロイスの故郷である。
トレモッツ王都と隣接している事もあり、人口も多く貿易や商業も盛んで、娯楽も数多く存在する。
ロイスが魔導学園に入学してから1か月が経過しようとしていた。
入学の少し前にハーケネスで魔術書店を開業し、わずか2週間で行列を成す人気店に駆け上がっていた。
噂はハーケネスを飛び出して、最近では王都から買い付けに来る者も少なくない。
『ハーケン魔術書店』では、日用で扱う魔術書から、高位魔導士が欲しがる上位魔法の魔術書まで幅広く取り揃えている。
先日、アリスのイタズラに使用されたものも高位結界の魔術書だった。
しかし、売れ筋の商品はそういった専門的な物ではない。
これまでの魔術書は、一般的に魔導師が必要とする代物という認識だったが、ロイスが作った魔術書はそのハードルを大きく引き下げた。
大衆の必需消耗品としての魔術書を作ったのだ。
店内を所狭しと駆け回る従業員が2人。会計を担当し、休む間もなく手と口を動かしている従業員が1人。
そこにロイスの姿は無かった。
会計を担当する少女が下に向かって何やら催促しているのが窺える。
「ロイスさま~ぁ。火の書が完売です~。追加お願いします~」
彼女はエルザと言う。
後の2人は、シャーレとキール。
3人ともハーケン伯爵家の使用人である。
エルザの足元には地下室に繋がる階段があり、そこの中でロイスは魔術書の作成に追いまわされている。
「了解しましたエルザさん。まだ時間がかかりそうなので、ご予約として承っておいてください」
「かしこまりました~!」
貴族とその使用人にしてはあまりにも砕けた会話だった。
ロイスに至っては敬語なのだ。
他の諸侯が目の当たりにしたら、馬鹿にされる事請け合いである。
元々偉そうにふんぞり返った態度を好まないし、媚びへつらわれるのも苦手としている。
さらに商売相手は平民がほとんどなのだ。
堅苦しい上下関係を意識させたくない。と言うのがロイスのやり方であった。
そしてそれは実際に、平民から好感を持たれる要因となっている。
「エルザちゃん、水の書ってまだあるかしら?」
「はいっ! まだ在庫があったかと思います。おいくつご入用ですか?」
最前線に立つ会計の接客は、溌剌としたエルザにうってつけだった。
この笑顔と元気の良さに客は安心して買い物が出来る。
平民は貴族に対して恭しく接するのがこの国の風潮だ。
客がそんな精神では、買い物をするだけで滅入ってしまいかねない。
だからこそ余計にこの店の接客は好感を持たれるのである。
「そうねぇ、5つお願いできる?」
「少々お待ちを。キールちゃ~ん、水の書5つおねがいしま~すっ!」
エルザはてきぱきと注文を受け、奥にいるキールへ向けて指示を送る。
「かしこまりました~。5つ確かにお持ちいたします~」
従業員は皆ロイスと同い年か少し上で、この少女たちの笑顔は繁盛店として欠かせない要素となっていた。
開店当初は魔導士向けの専門店と誤解されており、遠目から中を窺う人ばかりだった。
そこで、ロイスが店頭に出て日用魔術書の実演をしたところ、クチコミで噂が広がってこの繁盛に至った訳である。
魔力を扱えない人には「魔結晶」と言われる、魔力を内臓する石をセットで買ってもらう。
ロイスが作る日用魔術書はこの魔結晶に感応して機能する事も出来る。
本来魔術書は魔力の扱いを学んだ者が使う専門道具として認識され、刻印術式に魔力を流すことによって魔法が発動する仕組みだ。
なので、魔結晶の存在は魔導の技術と縁遠い者が、魔術書を扱える革新的なアイデアだった。
1つ難点を上げれば、魔術書は1枚1枚が消耗品であることくらいだろう。
会計カウンターの床から大量の魔術書を抱えたロイスが姿を現した。
「お疲れ様ですエルザさん」
「あっ、お疲れ様ですロイス様」
日用魔術書は主に家事に役立つことが多い。
火の魔術書は料理や暖炉に、水も同じく料理にも欠かせないが、洗濯や風呂の水を井戸から運ぶ手間を省くことができる。
光の書も人気で、これは屋内の照明に使われる。
そのような需要なので、店内を賑わせている多くの客が婦人層だった。
そしてこの層に対して今やロイスは絶大な指示を受けている。
15歳にして180センチ弱の長身と、適度に筋肉が付いたシャープな肉体。
誰が見ても美少年と思われる顔つきを、サラッと流れる銀髪が上品に引き立てている。
「あぁ、これはいつもありがとうございますコルドさん」
エルザに軽く労いの言葉を掛けたロイスはカウウンター越しで会計しているコルドに笑顔で接する。
コルドの夫は冒険者を稼業としており、一般的な平民にしては少しばかり余裕のある暮らしをしている。
いち早くこの店の常連になってくれたお得意様だった。
「あらロイス様。いつもありがとうございます。お陰で生活がだいぶ楽になりました」
「それは良かったです。
皆様の生活がよりよくなればそれは僕の幸せでもありますから。
それと……その、出来れば様と呼ぶのはご容赦できませんでしょうか……皆さまはお客様なのですから」
そう言って、ロイスはニコリと微笑む。
人妻のコルドと言えど、間近で見るロイスの笑顔は言葉を失わせるに充分だったようだ。
この笑顔こそロイスが婦人層を虜にしている最大の要因である。
店の外ではそんなロイスの登場に、婦女子達が黄色い声を上げていた。
「なんて運がいいのかしら。ロイス様のお顔を拝見できるなんて!」
「ほんとあんなお方がこの街の領主で良かったわよね~」
「見た目よし、人柄よし、商人の才能もある。完璧な男性よね~」
「ねえちょっと! 今わたしと目が合ったわよっ! やったやった!」
まるでアイドルの様な眼差しを向けられているが、本人としてはそう言う視線に鈍感である。
自分がそんな目で見られているとも露知らず、店の外で列を作っている客に向けて売り切れの報せを告げた。
「皆さまお越しいただきありがとうございます。大変心苦しいのですが本日は完売となりました。ですがご予約は承りますのでお時間がありましたらご記入をお願いいたします」
そう言って深々とお辞儀をする。
3人の従業員もその後ろで、さらに深いお辞儀をして客への感謝を表していた。
この姿勢も普通であれば考えられない。
階級社会が染みついたこの世界で、貴族が平民に頭を下げるなど有り得ない事だった。
その後、ロイスは今日中の予約リストに目を通しながら地下への階段を降りていく。
地下室は羊皮紙の束が積み上げられ、他には作業机とティーテーブルに少し大き目なソファが2つある。
仕切りは何もなく、簡易キッチンがあるだけの至って質素な部屋だった。
ソファには1人の女性が疲れた様子で座っている。
「今日もお疲れさまですクラリス」
「シュ……じゃなかったわね、ロイスもご苦労さま」
そう言って互いに笑顔で見つめ合う。
「毎日魔力切れ寸前まですみません」
「いいのよ。わたしはあなたの力になれればそれで」
クラリスはロイスよりも少し大人びて見える。
透き通るような青い髪は神秘的であり、言葉の端々にも気品が溢れている。
ロイスよりも低いとはいえ、女性にしては高身長だ。
そのせいか、華奢な体つきが更に細く見え、どことなく儚い印象を醸し出している。
ピンクフェアリーと形容されるアリスも美人だが、クラリスはそれ以上に妖精のような美しさを備えていた。
とは言え、このクラリスは本物の妖精、いや精霊であった。
且つて魔王を封印した英雄と、道を共にした1人なのだ。
そしてロイスこそ死したはずの英雄でもあった。
魔法剣士シュルレの転生した姿がロイスである。
世界を救った英雄達は全て異世界からの転生者。
魔王に対抗すべく、精霊の神と高位精霊とで儀式を行った。
この儀式で生まれたのがロイスを含む5人の英雄だ。
その時にロイスは日本人からトレモッツ王国の国民へと転生し、高位精霊と契約する。
その精霊がクラリスだった。
5人の英雄に5人の精霊。
英雄達は皆それぞれの精霊の力を借りた。だからこそ強大な能力を手にする事が出来たのだ。
封印の際は己の命に加え、精霊が持つ力が代償となってしまった。
英雄達はもう一度転生する機会を精霊の神に乞う。
それぞれが愛した精霊の力を取り戻したい一心ですがったのだ。
こうして2度目の転生を果たし、ハーケン家の次男として生まれた訳である。
「いつかクラリスの核を探しに行きましょう。まだ少し強くなる必要がありますけど」
「焦らなくていいのよ。わたしはあなたがいるだけで幸せなの。核なんて無くてもいいかもしれないわね」
「それは……駄目ですよ。あれがないと君は精霊界に戻れないではないですか」
「あなたがいない精霊界はきっと退屈ですもの」
物憂げな笑みをクラリスは浮かべている。
ロイスはそれを見て苦笑した。
「今日はもう休んでください」
「そうね、ゆっくり休ませてもらうわ」
するとクラリスの体が徐々に透明になっていき、ロイスの中へ消えていった。
魔術書の作成には魔力が必要であり、ロイスだけではまかないきれないのでクラリスにも魔力提供してもらっている。
精霊は契約者の中で休息しないと魔力を回復出来ない。
――まだお仕事なのでしょ? 頑張ってねロイス。愛してる。
――ありがとう。僕もですよクラリス。おやすみなさい。
そしてロイスは中の精霊が休眠したのを待って、作業を再開させた。