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平和の種

何度目かの転生。

いつの間にか、人々は色々な暦を数えるようになった。どこからが始まりかなど知るはずもないのに。勝手に作り、さも前からあったかのように数えていく。人々は“今”を、1880年と数えている。目を見張るなんて言葉じゃ言い切れないほど、随分と人々は栄えた。その中でもやはり銃というものの進歩は恐ろしい。より正確に、より巨大になった兵器はより多く人間を殺し、より一層我を強くする。

戦い方も変わり、戦場の景色も大分変わった。近頃は領土を広げるより、誰が国の王となるかが問題らしい。やれ革命だとか、暗殺だとか、どうやら今人々は政治というものを注視しているようだ。魔王は見下ろしていた。市民が武器を持ち寄り、領主邸へと乗り込んでいく姿を。しかし当然の如く警官隊がそれを阻み、またいつものように“暴動”が起こっては鎮まっていく。以前と比べて街は随分とキレイになり、貴族とやらは豪華な衣服を身に纏う。魔王はふと見上げた。無駄の多い構造をしたとある建物を。無くてもいい“装飾”とやらで飾られた建物や、置物。人々はそれを“芸術”と呼ぶ。まったく理解出来ない。こんなものがどこもかしこにも存在している。

「何故、お前は絵を描く」

「え?ああ・・・描きたいから描いてる、理由なんかない。これが私の人生なのだから」

魔王の足下には大きな鞄。その中には使い古された絵の具やら筆が詰められている。顎ヒゲを蓄えたその男はパレット片手に筆を持ち換え、色を使い分け、画架に立てられた絵画に向かう。男は目の前に流れる大きな川を描いていた。橋やその周りの建物などを含めて。ただ風景を写す、その事にどれだけの意味があるのか。魔王は男、そしてその手を見つめていた。

「殺し合うか愛し合うか、人間はそのどちらかではないのか」

「さあな。難しい事は分からん。私は子供の頃から絵を描いていた。私にはこれしかないんだ」

「家族は居ないのか?」

「いや、妻も子も居る」

「殺し合う事に、関心はないのか」

「関心か、確かに、ないな。暴動なんか見ているととても愚かだと思う。絵を描き、絵を眺め、その美しさに魅入られる方がよっぽども快感だ。ああそれに、美しさには言葉の壁も関係ない。君はジャポネーズに会った事はあるかね?」

「いや、そんな名前の国は聞いた事ない」

「そうか。あの国の者の着る服は実に美しくてな。あれは正に、美の具現だ」

「美しさに魅入られれば、人間は殺し合いを止めるという事か?」

「んん、それもあるだろうな。だが万人が同じく魅入られるものが、果たしてあるかどうか」

「お前の絵では、無理なのか?」

「どうかな。近々、サロンに私の絵を出品する予定だ。そこには沢山の絵が集まり、人も集まる。私の絵がどれだけの人を魅了出来るか、そこで分かるだろう。君も行ってみたらいい」

「そうか。お前の、名は何だ」

「私は、クロード・モネ」

芸術、そんなものが、果たして人間の心を変える事が出来るのだろうか。魔王は眺めていた。路上で疎らな人に囲まれながら、楽器で旋律を奏でている人間を。人々は言葉もなく、ただ“魅入られている”。そこには確かに、誰かと誰かがぶつかり合うような敵意などない。人々は一様に、同じものを見つめている。それから魔王はまた、とある暴動を眺めていた。どうやら労働賃金による抗議活動らしい。畑を耕すのに使う農具などを持ち寄り、領主邸の前へと詰め寄る人々。人々は怒りをぶつけるように叫び立てる。いつものように沈黙を決め込む領主邸。下手に動けば痛い目に遭うのは市民の方。武器を持ってはいても、声をあげるだけの市民達は次第に苛立ちを増していく。するとそんな中、痺れを切らした2人の若者が前に出た。しかしそれは一瞬の間に起こった事だった。1人がバケツで液体を撒き、もう1人が火炎瓶を放り投げた。炎は瞬く間に広がる。警官の1人の足が燃え上がり、領主邸の塀が燃え上がり、暴動の為に集まった市民達でさえ悲鳴を上げる。そこは一瞬で惨劇になったのだった。暴動の雰囲気など消え失せ、更に警官が炎に包まれていく。誰もが燃える警官をただ眺める中、別の警官達がバケツで水を撒き散らし始める。

そんな事件が引き金となり、やがてとある日、警官隊と市民達の“盛大な喧嘩”の火蓋が切られた。若者が起こした事件のお返しと言わんばかりに市民への圧力が更に増し、市民の反発は再び暴動を生み出した。まるで見せしめかのように町娘が襲われたり、言いがかりのように刑罰を執行されたり、そんなこんなで遂に市民達は反旗を翻したのだった。それはまるで小さな戦争のような、最近になってからは類を見ないほどの争いになっていた。魔王は見下ろしていた。小さな建物の屋上から、その争いを。誰もが怒りに身を任せ、殴り合い、物をぶつけ合い、そして命さえも奪う。理性の欠かれた動物のように。やはりこれが、人間の本来の姿なのだと思わざるを得ない、そんな光景だ。

「これはっ!ああそうだ!これか!」

眼鏡をかけた1人の男が、魔王を見ていた。そしてそんな独り言を上げながら、男は魔王に駆け寄った。魔王は座って人間達の争いを見下ろしていた。

「そこの君、もっとこう、頬杖をついて」

「ん、何だお前は」

「動かないで!いいから、そのまま、あれを見下ろして、頬杖を、ほら」

「分かったから手を放せ、まったく。・・・こうか?」

「おお!うん、それだ、そのまま動かないで」

「何をする気だ?」

「すぐに終わる。デッサンするだけだ」

「デッサン?・・・お前も芸術をやるのか」

「あぁ、先日、大きな仕事を請け負ってね。何でも、美術館を建てるからそこに展示する作品を作ってくれないかという話でね。君は、ダンテの神曲を知っているかね?」

「知らない」

「そうか。その中に地獄の門というものがあってだね。私は、それを作ろうと思っている」

「門を作るのに、何故我を描くのだ」

「君は地獄の門の要だ。今正に、地獄を見下ろす男。恐怖もなく、地獄というものをただ見つめて、熟考している、そんな男の存在があってこそ、門も意味を成すという事だ。それに君の佇まいは、構想の纏まらない私自身に重なって見えてね。すぐに取り入れたいと直感した。美術館が出来たら是非見に来てくれ。君は、『地獄を見下ろす男』のモデルなのだから」

「そうか。お前の名は何だ」

「私はロダン」

しかしそれから、ロダンの地獄の門が完成したという話は聞くことはなかった。色々と事情があるなら仕方ない。だが魔王は眺めていた。座って何かを考えている1人の男の姿を模した像を。どうやらこれだけは別として評価されたらしい。魔王は芸術というものがどういう意味を成すのかを考えていた。


何度目かの転生。

街には音楽が溢れている。大きな戦争が終わって久しい。勿論音楽だけではない、世界には相変わらず“悪意”も溢れている。法律というものも大方作られたが、人間はどうしても、“人を殺す”という事から離れる事が出来ないらしい。やはりそれが人間なのだ。

魔王は道端で歌う男を囲む人混みに紛れていた。男はギターという楽器を掻き鳴らし、歌を歌う。行き交う人々はそれを聞きに足を止めたり、止めなかったり。それから魔王は歌を歌っていた男、レイデリオとテーブルを挟んでコーヒーを飲んでいた。

「時代も変わったものだな。今や歌にもプラーナを込める時代か」

「お陰で足を止める人は多いよ。なあ、昔あった魔女狩りって、あんたと関係してるのか?」

「関係はしている。だが処刑された大半以上は、我の血を引いた者とは関係ない。本物の魔女達は、本物だからこそしっかり隠れていた、という訳だ」

「あー。じゃあ、今も、居るのか?あんたの直系の子孫」

「あぁ。この時代に生まれてからは、まだ会ってないが」

「何か、今も影では魔女狩りが続いてるらしいって聞いた事があるんだ」

「そうか」

それから2人はマンションの一室の前に居た。ドアをノックすると、その部屋からは女の声がした。誰という問いに、レイデリオが応える。すると女はドアの向こうから入っていいと応えた。2人が部屋に入ると、女は大きなキャンバスに絵を描いていた。見渡せばその部屋は“カラフルに汚れていた”。

「えっ!?・・・本物?本物の負の化身?」

「まあね、トゥレイリー、完成した?」

「どうかな。何?どしたの?負の化身なんか連れてきて」

「魔女狩りの話してあげようと思って」

プラーナの使者であり、魔王の瘴気も併せ持つ女、トゥレイリー。しかし彼女は筆を置かず、パレットに筆を着け、キャンバスに顔を向けた。

「あー、そう。あたしのお祖母ちゃんね、あたしのママが小さい頃に魔女狩りに遭ったんだよね。まあ確かに本物だったからしょうがないんだけど。犯人は、そういう事を専門にしてる秘密結社だって聞いたよ?」

「秘密結社?」

「プラーナの使者でも瘴気の持ち主でもなく、魔女と思われる人を暗殺する組織っていうかぁ、カトリック教の過激派っていうかぁ。まあ要は単なるキリストとカトリック間の争いって感じかなぁ」

「そうか」

「ねぇキリスト教って、あんたの子孫っていうか、あたしの先祖が作ったってホント?」

「瘴気が引き起こす魔術、それからプラーナ、その2つが宗教を生んだのは確かだ」

「へぇーそうなんだぁ」

魔王はふと、壁に掛けてある1枚の絵を見上げた。その絵の描き方に、何となく心当たりを感じていた。

「これは、誰の絵だ」

「ほら、あの有名なモネだよ」

「クロード・モネか」

「うん。え、まさかまさか、モネに会ったとか言わないよね?」

「いや、会った」

「ええっ!!・・・あはは、さすが魔王。ねぇねぇ、他にはどんな有名人と会ったの?」

「・・・ジャンヌ・ダルク」

「ええっ!

 うおっ!ホントかよ!」

「そもそもジャンヌは我の子孫だ。プラーナと瘴気を持っていた。でなければあれほど有名にはならないだろ?」

「それはそうだな。え、まさかジャンヌ・ダルクが聞いた神の声って、あんたなのか?」

「いや、それは違う。我は誰の目にも見える生きてる人間だからな」

「あー、何だそうか。いやあ、ははは、面白いなやっぱり」

「ねー、ホントに生きる伝説だよねぇ。それから?」

「オダノブナガは知っているか?」

「えっと、どこの人?」

「ジャポンだ。癖の強い男だが、紛れもなくプラーナと我の瘴気を持っていた。ジャンヌと同じく戦争の中で名を馳せたが、ジャンヌとは反対に皆に恐れられる王だった」

「へぇー、ジャポンか、あっちにも行ってたんだね」

「でも俺、ジャンヌ・ダルクがそういう人間だって聞いた事ないぞ?教科書にも載ってないし」

「あ、確かにそうだよね」

「ジャンヌもノブナガも、プラーナや瘴気という言葉すら知らなかった。力を持っているのが普通だと思っていた。しかもノブナガに至っては、力を持っているという考え方ですらなく、力を才能だと言っていた。我も、プラーナや瘴気というものがあると教えなかった」

「それは、何で?」

「思ったのだ。もしかしたら、プラーナや瘴気も、最早人間性の一部でしかないのではないかと。街を歩けば様々な人間が居る。プラーナなど関係なく、そもそも他人に優しい人間も居れば逆の人間も居る」

「そっか、まあそうだよな」

「お前達は、何故芸術を磨く」

「え?んー、何故って、好きだから」

「俺だって、やりたいからやってるだけだ」

「そうか」

「え、まさかまさか、あんたもやりたいの?」

「理解はまだ出来ない。だが生まれる限り、我は触れた事がないものに触れてみたいとは思う。時代が進み、戦争と愛とは別に人間は芸術というものを生み出した。だからより人間を知る為にも、人間が新しく生み出したものを我も知る必要がある」

「ねぇ、その口調変えたら?ちょっと眠たくなる」

「口調?・・・」

「芸術って言っても色々あるぞ?何するんだよ」

「なら、我も絵を描こう。トゥレイリー、道具を貸せ」

「うん良いけど、劇みたいな口調を止めてくれたらね」

「劇?とは何だ、それも芸術か?」

「うん。作り話を、実際に演じるの」

「演じる・・・」

「じゃあ、今度、連れてってやれよトゥレイリー」

「いや、あたしそこまで暇じゃない、レイデリオが連れてってよ」

「えー、しょうがないなぁ」

魔王は筆を見つめていた。あのモネも、トゥレイリーもこれでこんなにも鮮明な絵を描くとは。それから魔王は、トゥレイリーによって描かれている夕陽に照らされる街並みの絵を見つめた。1つ1つの建物、木々は鮮明で、その景色全体が夕陽に赤く照らされている情景はまるで本当に夕焼けを見ているような穏やかさがある。

「絵とは、何の為に描くものなのだ」

「難しいね、んー、普通は記録だよね。後は例えば、実際には無い景色を、平和の願いを込めて描くとか」

「記録、平和、か」

魔王は絵を描き始めた。記録という言葉を胸に。ふと何となく、“あの時の記憶”を記録しようと直感した。レイデリオはポロン、ポロンとギターを鳴らし、トゥレイリーは絵に集中し、暫し沈黙が流れた。そしてやがて、魔王のキャンバスには「爆煙」が描かれた。完成した絵を見たトゥレイリーがタイトルを尋ねると、魔王はそう応えたのだ。キャンバスには、“小さく見える街から立ち上る、巨大な爆煙”が描かれていた。

「まさか、前に見たものとか?」

「あぁ。これは、1945年8月に起こった事、いや、我が起こすよう仕向けた事、だな」

「今から25年前だね、どこ?」

「ジャポンだ」

「へぇー、最近までそっちに居たのかぁ、で?これは、まさか戦争の情景?」

「あぁ。この爆弾1発で、1度に10万以上の人間が死んだらしい」

「えっ!?それって、まさか、核兵器?」

「25年も経てば知れ渡ってるか」

「うん。この国も、核兵器作ってるし」

「そうか。これはジャポンに落とされた核兵器の爆煙だ。要は記憶の記録だ」

「あんたが仕向けたって、どういう事?」

「最初、我はエタジュニに居た。そこで我が、科学者達に大量殺戮のアイデアを見せたのだ。我は元々その為の存在だったが、我がどれだけ人間を殺しても、人間は人間同士での殺し合いを止めない。それなら、人間の手で大量殺戮が起これば、人間は少なからず殺し合うという事を考えるだろうと思った。今考えると、


“核兵器は、我の〈平和への願い〉が込められたもの”

だと言える。


人間が、“人間とは〈そもそも〉愚かな生物”だと自覚する為にあるとな」

「平和への願い、か。じゃあ、んー、魔王っていう存在はさ、元々“人間が平和を考えるようにする”っていう、使命があるのかな」

「そうかも知れないな。レイデリオと出会う前、行ってみたのだ、ジャポンに。“あれからどうなったか”を観る為に。ジャポンは、“戦争を放棄する”という結論を出していた」

「うん。教科書に載ってるよ。それって、良かったって事だよね?」

「どうだかな。あれで平和を考えなければ、人間は生物として“終わり”だ。だが平和を考え、戦争をしないと考えたのは世界でジャポンだけだ」

「まあ、そうかぁ。でもさ、どうせ平和を考えさせるなら、ジャポンよりエタジュニの方が良かったのに、何でジャポンに核兵器を落とさせたの?」

「そうだな。ノブナガの居た時代のジャポンも、そこは戦争で溢れていた。当時は王が1人ではなく、小さな国に細かく分かれていたからだ。しかもその残虐性は極めて高い。敵国を潰す為ならと、まるで雑草を摘むように人間を殺してきた。つまり、今のジャポンも、これから先、ジャポンは永遠に、その残虐な人間達の血と記憶を受け継ぐという事だ。それなら、ジャポンは大量殺戮されても文句は言えない。そもそも核兵器以上に残虐なのだから。そんな残虐な人間が減るなら、それはむしろ平和に繋がる。要は、“バチが当たった”のだ」

「ジャポンの人が聞いたら、怒りそうだね。ねぇコーヒー飲む?」

「あぁ」

3人はテーブルを囲む。コーヒーの香りがほんのりと立ち上る。それから啜り飲む音が鳴り、静かな時間が流れる。トゥレイリーはふと、「爆煙」を見つめた。

「世界はさ、いつ平和になるのかな」

「今出せる答えは、人間が平和になるのは不可能だと、言わざるを得ない」

「まぁ、これからだよね。ねぇ、もっと色々聞かせてよ」

「・・・そうだな。ではまた、ジャポンの話をしようか」

暫くして、魔王は筆を置いた。トゥレイリーは船の絵を描いていて、レイデリオは楽譜に音符を書いていた。魔王のキャンバスには、“手榴弾を持つ1人の少女”が描かれていた。トゥレイリーがタイトルを尋ねると、魔王は「戦渦の中の少女」と応えた。それからまた、魔王はコーヒーカップを手に取った。

「ジャポンに核兵器が落とされる少し前の話だ。戦争とは関係なく過ごしていた女学生達が居た。しかしそこにエタジュニの軍隊が上陸し、女学生達は戦渦に巻き込まれた。その少女達は勿論兵士ではないが、傷付いた兵士の為の看護要員として戦場に向かった。無論銃弾の雨に少女達は死んでいった。そこまでは仕方のない話だ。だがその中で、とある少女達は手榴弾を渡された」

「戦えって事?」

「いや、それで、自殺しろという事だ」

「エタジュニの軍人が?」

「いや、少女達の教師がだ」

「・・・何で?」

「戦争に負け、捕虜となるくらいなら、自殺した方が良いと諭したのだ」

「そんな・・・」

「勿論少女達は、そんな事は望まなかった。だがそうしなければならないと、追い詰められた。この絵は、その時、自殺する為に隠れる場所を探している少女の記録だ」

「あんたが助けられなかったの?」

「我だけでなく、人間も生まれ変わるのだ。だからその時代で生きていく苦しみから解放してやる方が、少女達にとっては幸せだと思った」

「んー、そっかぁ。でも、何で自殺なんかさせたのかな」

「それも、ジャポンの風習なのだ。その昔、ジャポンの人間は自ら命を絶つ事を誇り高い事だとしていた。今の時代からしてみれば、ジャポンは“昔から命を軽視する種族”だという事だ。それも、ジャポンが核兵器を“引き寄せた”理由の1つだろう」

「ふーん」

「しかしそれでも、ジャポンの人間は争いを止めない。戦争ではなく、国内での犯罪、政治での衝突など、例え核兵器を落とされても、人間は争うという事から離れられないらしい」

「・・・そろそろ、あたし帰るからさ、あんたも一緒に夕食食べようよ」

「あぁ」

トゥレイリーのアトリエの下の階に、トゥレイリーの家はあった。トゥレイリーは両親と妹とでの4人暮らしだそう。トゥレイリーがプラーナと瘴気を持っているなら、当然親もそうだ。トゥレイリーの母親は、魔王を見るとまるで親戚の人間に接するように笑顔を浮かべた。

明くる日、魔王はルーヴル美術館に居た。トゥレイリー、そしてレイデリオと共に。随分な人の数だ。服装の違いから、なるほど方々から観光に来ているのだと理解出来る。同じ場所に、同じものを観る為に足を運ぶ。芸術が、人々から敵意を無くしている証拠だろうか。魔王は館内を見渡す。ただ1つの絵を見るのとは違う、沢山の芸術品が集まるからこそ、これほどの人間が集まり、その人間達を魅了するのだろう。

「最近作られたものは無いのか」

「そうだねぇ、基本的に美術館ってのは、時が経って価値が付けられたものを展示する場所だし」

「お前の絵は、どこかに展示されてるのか?」

「ずっとはないよ?でも先月、若手の為に企画されたサロンに出品して、入賞して展示されたよ」

「トゥレイリー、意外とすごいんだ。銅賞3回に銀賞と金賞が1回。まあプラーナ込めりゃ、そりゃあ人は惹き付けられるしな」

「変な風に吹き込まないでよ。あたしはね、絵にはプラーナを込めてないの。筆に込めてるの。するとね、何となく色の乗りが良いの」

「そうか。確かにお前の絵は心に入ってくる」

「あんたもさ、出品してみたら?戦争に関連する作品を扱うサロンもあるよ?」

「だが、トゥレイリーほどの鮮明さはない」

「でもリアリティーはあるし、鮮明過ぎないところが逆にいけると思うんだけどなぁ」

魔王はトゥレイリーと肩を並べ、眺めていた。メンバーと共に、道端で楽器を鳴らし、歌っているレイデリオの姿を。他にもレイデリオ達を囲む観客は十数人ほど。レイデリオの響きの良い声は妙に耳によく入る。芸術という括りでも、歌というものはまるで別物だ。音という、目には見えないもの。見て感じる絵とは違い、聞いて感じる“歌”というもの。だが感じ方の違う絵と歌でも、共通点がある。それは“魅入られてる”者同士は殺し合おうとはしないという事だ。今レイデリオの歌を聞いているこの人間達の間には、“少なからず平和な時が流れている”。これが恐らく、芸術がもたらすものなのだろう。

「我はまた1つ、答えを見出だせた」

「どんな?」

「芸術は、恐らく、平和の種に値する」

「あはっ・・・うん!あたしもそう思う。でも宗教が絡むと、芸術も争いの種になるんだよね」

「それは宗教の問題だ、芸術は関係ない」

「あ、うん・・・そうだね。じゃああんた、これからは戦争でじゃなくて、芸術で人間に平和を考えさせるの?」

「だが、芸術は弱い。芸術はこれからも世界中に広がり続けるだろうが、それだけで人間が戦争を止めるとは到底思えない。やはり戦争がどう自分達を苦しめるかを知る為には、実際に戦争をするしかないだろう」

「やだねぇ。あたし田舎町出身だけど、少なくともその時は平和だったよ?」

「我は、人間がこれほどの戦争を生み出したのは、街の発展が比例していると思っている」

「あー、ね、それはそうだろうね」

それから3人はカフェに居た。コーヒーを飲み、サンドイッチを昼食にする。日除けのパラソルの下で、魔王はハット帽に投げ入れられていく紙幣や硬貨を思い出していた。儲かるかとレイデリオに尋ねると、そこそことレイデリオは笑った。

「トゥレイリー、では動物が何故戦争しないか、分かるか?」

「そりゃあ知能の問題でしょ?」

「いや。動物は自然の中で暮らし、自然を尊敬し、畏怖し、決して自然を壊そうとしない。人間の戦争の発端は街の発展だ。だから自然を壊さない田舎町では大きな争いは生まれない」

「じゃあ田舎町に住めば、人間は戦争を止める?」

「我はそう思う。例えば田舎町には作物が豊富だ。食べ物が沢山あれば、人間は争わないだろ?」

「うん。でも、今から生活を原始的に戻そうって言っても、多分無理だよ」

「そうだな。それなら、核兵器で発展した街を滅ぼすしかないだろう」

「いや、それは・・・ダメでしょ」

「だから、人間は愚かだというのだ」

「なぁ、何とか良い奴だけになったりしないのか?」

「我では出来ない。試したのだがな。だが、その為に人間は法律を作ったのだろう?」

「いやぁ、そうなんだろうけどさぁ。全然良くなってる気がしないんだよなー」

魔王はふと脳裏に過らせた。絵を描くトゥレイリーの姿と、歌を歌うレイデリオの姿を。最早、勇者と魔王の戦いは、とうに終わっているのではないか。魔王は元来、人間を滅ぼそうとしてきた、それを、勇ましい者が阻止する。それが通例だった。しかしいつしか魔王と勇者は愛し合い、今やまるで、仲間のような距離感だ。

「どうかした?」

「いや、時代は変わったなと」

しかし、通例だからといってそれが答えではない。そもそも、魔王は人間を滅ぼす為の存在ではなかったとしたら。まさか、魔王が平和を考えるようになるとは。

「何かあんた、先生みたい」

「先生?」

「しかも良い先生。だって実体験を話してくれる以上に説得力があるものなんてないじゃん。結局学校の先生って言っても、学生と同じように勉強して先生になっただけだし。やっぱり答えってさ、体験しないと出せないものだから」

「確かにそうだが」

「そう言えばさ、ジャポンにも、あんたの子孫居るんでしょ?」

「あぁ。その娘から聞いたのだ、核兵器の話を」

「そうなんだ。他には?会ってないの?」

「エタジュニでも会った」

「そりゃあ世界中に居るだろ。ここだって周りの国まで合わせたら何十人どころじゃない」

「力を持っている者同士、感じるはずだが」

「えっそうなの?あたし、全然感じた事ないよ?」

「・・・そうか。子孫繁栄と共に、力も薄まっているのかもな」

戦争という話はほとんど聞かない。しかし今の時代、新しい悪意の形が広まっている。人々はそれをテロと呼ぶ。対立ではなく、一方的に強い悪意が人間や物に害を及ぼす。確かに戦争ほどの損害はないが、その影響は確実に魔王を強くする。救急車、そしてパトカーのサイレンが鳴り響く。観衆も多い。魔王は眺めていた。救急車に運ばれていく幾つかの死体を。銃の乱射事件と、人々は口々に言う。5人の人間が死に、犯人も射殺されたそういう事件は珍しい事ではないと、トゥレイリーとレイデリオは顔をしかめる。しかしそれはテロではないらしい。“普通の”事件だと、皆は言う。戦争であれば、敵国の兵隊を一掃すれば事態は収まる。だが、犯人はすでに死に、我に出来る事は何もない。ただ行き場のない負の感情が水蒸気のように沸き立つ。それはまるで、今の我の存在自体が意味を成してないという結論が出ているかのようだった。

その瞬間、魔王は目を疑った。そして反射的に周りを見渡す。何故なら、世界が止まっていたからだ。すべての音が消え、風が止まり、すべてが止まっていた。そう、魔王でさえも。目の前に、我が立っている。その我は事件場を見ていた。しかしすぐに理解出来た。我の体は透明で、我は今、意識だけなのだと。止まった世界の中では、強制的に意識を向けさせられるものが存在していた。それは事件場の中心からモヤモヤと揺らめいて沸き立つ、負の感情だった。黒く禍々しい瘴気。ふっとした瞬間、“魔王は意識を取り戻した”。まるで夢でも見ていたかのように世界は止まってなどなく、そこには相変わらずサイレンが鳴り響いていた。そして瘴気は、見えなくなっていた。

「どうかした?」

「いや。お前達には見えなかったのか?沸き立つ瘴気が」

「えっ全然?」

「俺もー」

その夜、魔王はトゥレイリーの住むマンションの屋上に立っていた。夜中だというのに、完全な闇の中ではない街。しかし、先程のような瘴気は見えない。久しく感じていなかった、純粋な瘴気だった。しかし見えなくとも、常に我の中には力がみなぎってくる。それからまた、街の片隅では事件が起きた。魔王は再び人混みに紛れていた。状況を見ればそれは交通事故だ。1台は逆さまになり、1台はフロントが潰れ、1台は側面が大きく窪んだように砕けている。車を運転していた人間の1人は、「目の前にいきなり男が現れた」と警官に話していた。誰が犯人という事ではないが、制御の利かなくなった車に轢かれ、死傷者が出ていた。まだ救急車は来ていない。倒れている数人の中の少女に、必死に呼び掛ける中年の男。するとその男がすっと立ち上がり、狂ったように銃を発砲した。男は涙を流しながら、怒りに震えていた。観衆の悲鳴と警官の怒号が響く。その瞬間、世界は止まった。魔王は再び自分を、そしてトゥレイリーとレイデリオを見る。すべてが止まった世界で、銃を突き出す怒りの形相の男からは瘴気が沸いていた。その直後、その事件場を中心にしてあらゆる方面から瘴気が吹き込み始める。魔王は眺めていた。今までに無い、この経験を。建物を越え、隙間を縫うように人々の足元を這い、風のように、水のように、瘴気は一点へと集まっていく。振り返った魔王を、瘴気はすうっと通り過ぎる。そして遂に、瘴気はその一点に到達した。魔王は目を細め、それをただ注視する。瘴気は渦巻きながら、その一点に吸い込まれていた。その光景に魔王は何となく、胸騒ぎを感じていた。結末など予想出来ない。しかし何かは起こるだろうと。それから、止まった世界の嵐はすっと消えた。そこで魔王は目を見張った。その瞬間、魔王は意識を取り戻した。世界は動いている。しかしそこには、今まで居なかったはずのものが存在していた。銃声と怒号が鳴り響く。直後、銃を発砲している男に、“魔王”が襲いかかった。人々はどよめき、警官もその状況に警戒し、固まる。銃を持つ男が大破している車に衝突したその時、トゥレイリーは呟いた。

「・・・負の化身」

男は突如殴りかかってきた“その青年”に向けて発砲する。すると痺れを切らし、警官が男に発砲する。肩を撃たれた男は銃を手放し、崩れるように座り込む。しかし警官と男は、共にあるものに釘付けになっていた。撃たれたはずの青年が、変わらずに立っていた。

「君、大丈夫か?」

警官の問いに、青年は立ち尽くす。青年は上半身は裸だった。だから当然、誰もが胸元の弾痕と出血を理解している。しかし直後、青年の体に瘴気が這い回り、胸元の穴が塞がり、血液は跡形もなく、正に何事もなかったかのように消滅した。

「モ、モンスターだ!」

座り込む男が叫び立てる。人々は再びどよめき、警官は素早く銃を青年に向ける。それからその場には、“4人”が残った。嵐のような瘴気が一瞬にして人々を昏倒させたのだった。その発生源は、青年だった。

「負の化身って、ふ、増えるん、だね」

「ど、どうすんだよ。何で俺達は倒れないんだ」

「それはお前達が我の子孫だからだ」

外見で言えば、40歳ほどの負の化身と、20歳ほどの負の化身。青年は警戒心に満ちた鋭い眼差しで魔王を見ていた。

「お前は、“最初の我”だな。負の感情しか知らない。最初から勇ましい者が1人でなかったように、魔王もまた1人ではないという事か、それとも、我だけでは人類の負の感情が収まらなくなったか」

「お、おい、さっさと殺した方がいいんじゃないのか?」

「我と同じく、また生まれ変わるぞ?」

「け、けどさ、このままじゃ、街が危ない」

我でさえも、負の感情以外の事を知るのに、どれほど生まれ変わったか。今この場で、負の感情以外を教える事は、恐らく不可能だろう。ならば――。

「負の感情を倒せるのはプラーナだけだ。お前達でやるしかない」

「え?いや、え?・・・やるって、どうすんだよ」

「主は怒っている」

「あ、喋ったよ?」

「・・・ヌシ?とは誰だ」

「これ以上の人口増加は、人間にも害を及ぼす。だから自分が人間を減らさなければならない」

「む、無理だよぉ、あたし、そんなプラーナなんて出した事ないもん」

「お、俺だって」

「あんたやってよ」

「我はプラーナなど――」

魔王は脳裏に過らせた。その昔、プラーナの込められた果実や料理を食べていた事を。魔王はふと、自分の手を見下ろす。あり得ない。我は魔王なのだ。「あっ」という2人の声に、魔王は顔を上げる。青年は手を広げ、宙に浮き上がっていた。人間の姿であるからこそ、その光景は常軌を逸したものだ。3人は呆然と青年を見上げる。すると青年は魔王に向けて、両手を突き出した。バチバチと両手を這う瘴気。直後、青年の両手から黒い閃光が放たれた。勢いよく槍で突かれたような痛みが走った。それから何メートルか吹き飛ばされ、何かに激突したが、まるで岩のように体は重く、魔王はただ自分を追いかけるように青年から逃げてくる2人を眺める事しか出来ずにいた。

「おい!大丈夫かよぉ」

「血が出てる、レイデリオ、早く救急車――きゃああっ」

「うぅっ」

それはまるで、ミサイルでも落ちたかのような衝撃だった。青年から放たれた黒い閃光。それにより周囲の建物や車のガラスは一斉に砕け、突風に煽られるように2人は転がる。その瞬間に、魔王の目の前に突如降り立った見知らぬ青年。しかし魔王は理解していた。少なくとも、その青年は“純粋な勇ましい者”だと。その勇ましい者は魔王に振り返る事なく、“純粋な魔王”を一点に見つめ、手中に“かの聖剣”を出現させた。それはまるであの時のようだった。“ただ魔王と勇者が戦う”あの時。

「いててて、びっくりしたぁ」

「ねぇ、しっかりして?寝たら死ぬよ?レイデリオどうしよう」

魔王は急激な睡魔に襲われていた。勇者とは、魔王と戦う為の存在。そして、我は魔王。だが今、その勇者は、我を見ていない。何故なら勇者の目の前には、魔王が居るからだ。――では、我は、何だ?。


何度目かの転――ふと声が聞こえた。体の感覚は無い。何も見えない。その声はどこか、悲しそうで、苦しそうで、助けを求めているようなものだった。それから魔王の視覚は覚醒した。体の感覚はまだない。目の前にはトゥレイリーとレイデリオが居た。

「死んじゃった!?」

どうやらここはさっきまで居た場所らしい。魔王はすぐに理解した。我は死んだのだと。足元には我がぐったりと壁に寄り掛かっている。我は今、魂だけの存在だ。今まで、死んだ直後に死んだその場に転生するという事はなかった。もしかしたら、プラーナの力で滅された訳ではないからだろうか。魔王は辺りを見渡す。青年の魔王は居ない。純粋な勇者は、少し遠くから我を見ている。周囲にはまるで酸素のように瘴気が漂っている。そして魔王は、思いきり瘴気を吸い込んだ。

「うわっ生き返った!?」

「そりゃそうだろ、魔王って不死身なんだろ?」

「あ、そっか。で、でも、生き返ったのはいいけど、魔王の死体は、どうするの?」

「放っておけばいいだろう。ヘビの抜け殻だと思えばいい」

「え、うん。でも、何かリアル過ぎて気持ち悪い」

そこでようやく、魔王の下へ純粋な勇者が歩み寄ってきた。魔王の子孫でないプラーナの使者。そもそも、この人間が本当のプラーナの使者なのだろう。プラーナを持っていても、我の子孫は、“そういった使命”というものを背負っていない。そもそも我の子孫は“勇者”ではない。

「お前はもう、魔王として認識されなくなったらしい」

「・・・誰にだ」

すると勇者は鼻で笑った。まるでこれから言う事はさも当たり前だというように。

「主だよ」

「・・・その、主とは誰だ」

「主は、主だ」

「神様?」

トゥレイリーの問いに、勇者はゆっくり首を横に振る。

「あの魔王は、滅したのか?」

「いや、逃げられた。まったく、時代に比例して手強かった。まぁどうせ転生するし、今は仲間を集める方が優先だ」

「我の子孫でない本物のプラーナの使者か」

「あぁ」

それから魔王達は、アトリエに戻った。魔王は静かに、そして力が抜けるように椅子に座る。我は、本当にもう、魔王ではないのか。なら我は、一体何なんだ。ふとあの声を思い出した。転生する直前に聞いた、あの声。〈煩い〉という、あの声。悲しげで、若干の怒りさえ感じる、そんな声だった。テレビには“謎の大量昏倒事件”のニュースが流れている。その傍らでレイデリオはギターを遊ばせ、トゥレイリーはキャンバスに向かう。あの後、純粋な勇者ルスエルは仲間を捜しに旅に出た。本人曰く、あれだけの存在感がある魔王ならどこに居ても分かるらしい。だから自由に動いても問題無いのだと。

「ねぇ、また絵描いてよ」

「あぁ。しかし我は、魔王でないなら、何の為に生きているのか分からなくなった」

「レイデリオぉ、魔王が悩んでるー」

「あー。皆そんなもんだろー。最初から自分が何か分かってる奴なんて居ないだろ」

「だが我は、やはり自分の生きる理由を見出だしたい」

「じゃあ、ホントにこれから新しい人生ってところだなー」

暫しの沈黙と集中。筆を動かしながらも、魔王は思い出していた。青年の魔王を。真っ直ぐな眼だった。迷いのない、ただ“滅ぼす”という行為だけを考えている、そんな眼だった。

「出来た?」

「あぁ。これはナポレオンという男だ」

「へぇ。知ってるけど、随分と服がボロボロだね」

「島に置き去りにされた時のだからな。この男は我の子孫ではないが、瘴気を持っていた。瘴気の込められた果実を、我が与えた。しかしこの男はそれほど運が良くなくてな、幾度も戦争に行ってはよく敗北していた。それでもこの男がいつも口にしていたのが、不可能という言葉は嫌いだという事だった」

「教科書に載ってるよ?」

「そうか。不器用だったが、何とも真っ直ぐな男だった」

そんな時、ドアがノックされた。コーヒーカップを置き、トゥレイリーは誰が来たのかと立ち上がる。しかし魔王には分かっていた。あのドアの向こうに立つのが誰なのかが。トゥレイリーがドアを開けると、そこにはやはりルスエルが立っていた。

「あら、まさか、ウチの魔王を滅ぼしに?」

「主が魔王だと認識してないなら、俺も魔王だとは思わないさ」

「なら、何をしに来たのだ」

「言っただろ。仲間を捜すと。お前は主に魔王だと認識されなくなっただけじゃない。“魔王と戦う者”だと認識されたんだ」

「・・・バカな、あり得ない。我は、魔王でなくとも、プラーナの使者でない事は確かだ」

「けど、プラーナ、持ってるだろ?」

「そんなはずはない」

「俺が感じないとでも言うのか?」

魔王は見下ろした。自分の手を。プラーナを込められた果実を口に運び、愛する者を抱いた、その手を。我は、魔王でなくなったばかりか、プラーナの使者まがいな存在になるとは。我は一体、何なんだ?。そもそも、最初から魔王として生きる為の存在ではなかったとでも言うのか?。

「お前は、主の声は聞いた事はないのか?」

「主が何かも知らないのに、分かるはずがない」

「悲哀と怒りを込めた、助けを求める声だが、ないならそれでもいい」

「・・・・・・何だと」

「お、心当たりのある顔だな。けど主が何かは知らないと。そうか」

「主とは何だ」

「んー、まあ主に干渉されたなら言ってもいいか。主ってのは、この惑星の事だ」

「えっ!?わ、惑星って、生き物な訳ないん、でしょ?」

「普通の人間には分からないさ。けど、惑星にもちゃんと意志ってもんがある」

「えぇ、そ、そうなんだぁ」

「その惑星が、何故、我に声を掛ける」

それからルスエルは一先ずアトリエに上がり込んだ。トゥレイリーとレイデリオは各々の趣味に触れながらも、ルスエルの話に気が気ではない。話を急かす魔王をまあまあと宥め、ルスエルはコーヒーを一口飲み込んだ。

「魔王は何で不死身だと思う」

「人間の負の感情が我の源だからだろう」

「なら、新しく魔王が生まれたのは何でだと?」

「人間の負の感情が、我だけでは収まらなくなったか、あるいは我が、純粋な負の化身ではないからか」

「あぁ。後者が正解だ。お前は確かに魔王だったんだろう。けど今は正と負の感情を併せ持つ。だから主は、純粋な魔王を新しく生み出したんだ」

「それは、そもそも魔王という存在は主が生み出すものだと言う事か?」

「あぁ。主は、負の化身である魔王、正の化身である勇者を生み出した。ならその理由は?」

「ただ戦わせる為、ではないのだろう?」

「魔王は、人間を減らす為に生まれる。そして勇者は、人間の絶滅を防ぐ為に生まれる。そんなところだ」

「・・・やはり、我は、人間を滅ぼす為の存在だったのか」

「人間の本質は悪だ。だから人間が増えれば必ず殺し合い、自然や惑星はその巻き添えを食らう。それを律する為に、人間の数を減らす存在が必要だ。だがそんな人間という存在でも、生けるもの全てにおいて命は平等、それだけでは人間は絶滅するし、例え本質が悪でも、中にはその本質を自ら制御しようと正の感情に目覚める者もいる。勇者は、そう言う人間を守る為の存在だ」

「そうだったのか。それなら尚更、我は、一体何なんだ。今の我は、自然に反している」

「それは、流石に俺も分からない。主にとっても予想外らしい。お前は魔王と勇者の使命を併せ持ち、その2つから逸脱してるからな。だが主はお前に干渉した。つまり、んー、どちらかを選べという事か、あるいはどちらともやれという事か」

「・・・どちらとも。つまり、悪い人間は殺し、同時に善い人間は守れという事か」

「かもな。何にしろ“人間を律する使命”は背負ってる。だからこうして、魔王と戦う為の仲間として、お前を迎えに来た」

「1つ、疑問がある」

「ん?」

「今になって、我は何故初めて主の声を聞いたのだ」

「そりゃあ、時代の経過だろうな。今までは、干渉しなくても主の意志通りに物事が進んでたんだろ。けど今や、人間の悪意はこれまでとは質が違う。だから新しく魔王を生み出し、お前にも協力させようとしてるんだろうな」

我は、我を何と呼べばいいのだろう。我を生み出した主とやらは、我を魔王とも勇者ともしていない。だがこのままではやはり不便だ。以前は人間のようにマオと名乗ったが、それはどうにも歯痒かった。我はやはり、魔王なのだ。こうして新しい使命を背負った我は、魔王だ。

「お前、名前はあるのか?」

「我は魔王だ」

「ややこしいだろ。何か付けろよ」

「・・・我は、魔王でありたい」

「んー・・・だったら、サタンでどうだ」

「それなら良い」

それからカフェで2人を待っていたのは、勇者である浅黒い肌の女だった。この国ではアンドと呼ばれる国から来たのだそう。細長い布を体に巻くような民族衣装が特徴的で、名はヴィマラ。

「すぐに魔王を滅するのは、それはそれで人間の為にならないのだろう?」

「まぁ基本は傍観だ。今までもそうだったし、これからも変わらない。ある程度人間が減らなければ意味が無いからな。善い人間は守りつつ、ある程度人間が減った時に魔王を滅する。その繰り返し。それが勇者の使命だ」

「分かった」

それからルスエルは別の勇者を捜しに行き、魔王改めサタンはヴィマラと純粋な魔王の下へ向かい始めた。国が違えば言葉は当然違う。しかしヴィマラはルスエルに会ってから言葉を必死に勉強したと、微笑んで話す。ヴィマラには常に魔王の位置が分かっている。しかしふと立ち止まったヴィマラは一瞬首を傾げ、こう言った。「瘴気が増えた」と。見渡せば前方以外は普通の街並み。その緑の生い茂る小山に、魔王は居るのだそう。隣でサタンも感じていた、とある心当たりを。薄い瘴気の気配が複数。それはまるで――。

直後にそれらは草木を揺らし、道路のど真ん中に飛び降りた。重たい図体がドスンと降り立つ音が鳴る。そして聞いた事もないような“怪物達”の野太い鳴き声が人々の悲鳴と交じり合う。魔獣だ。4匹の鳥型魔獣は車を襲い、通行人を襲い始める。その様子を、ヴィマラは眺めていた。ただ怯えている訳ではない。先ずは傍観しなければならないからだ。しかしその息は少し荒く、その表情は焦りと怒りに歪み、その体は今にも走り出しそうに震えている。だがあくまで、勇者は“ただ魔王を滅する為の存在”ではない。あくまで、勇者も魔王も、人間の為に存在している。


そうこれは、〈主からの人間への警告〉


魔獣は車のフロントガラスを砕き、後部座席に逃げ込んだ人に雄叫びを浴びせる。翼を広げ、足をガラスの穴に突っ込み今にも人を襲おうというところ。それでもヴィマラはそれを眺める。別の方では火が立ち上った。横たわるバイクが燃え上がっていた。そして遂にはヘルメットを被る人が魔獣に襲われ、動かなくなった。それでも人々はそんな状況を見る余裕などなく、悲鳴と共に逃げ惑う。その人混みにまた、魔獣が突っ込む。群れる魚のように散る人々。しかし魔獣の目の前には、逃げれなかった若い女とその幼い子供の姿があった。魔獣は座り込む親子に雄叫びを浴びせ、翼を広げる。とっさに、サタンは走り出していた。

「クエッ」

サタンは肘で魔獣の脇を突いた。大きな翼をバサバサと鳴らし、転んだ体を立て直す魔獣。例えば、無差別にではなく、悪い人間だけを襲うようにすればいいのではないか。サタンはそう、魔王に小さな怒りを覚えた。だが確かに、悪い人間を見ただけで判断する事は出来ない。気付けば親子は逃げていた。そして魔獣は雄叫びを上げ、また人混みを追い掛けていった。何とも歯痒い。それから間もなく、パトカーのサイレンが聞こえてきた。そして、警官が銃声を鳴らし始めた。事態が落ち着き始めても、魔王は姿を現さなかった。人間の数が多いから、魔王も数を用意したというところだろう。

サタンは眺めていた。今度は熊型魔獣が人々を襲い始めた。警戒していた警官達はすぐに駆け付け、カメラ機材を持った人達も待ち兼ねたように集まってくる。昔であれば魔獣は人間の脅威なのだろう。だが今や、魔獣はそれほど脅威ではないらしい。時代も変わったものだ。確かに何人かは魔獣によって殺された。警官も記者も、通行人も。しかし武器を持った人間の群れは最早、魔獣以上だ。事態が収まると、この惨劇の場所には観衆が集まり出し、記者が騒ぎ始める。それからテレビでは連日のように、“モンスターの襲撃事件”がニュースで取り上げられた。何日か経った後、再びカフェにて、サタン、ヴィマラ、ルスエルがテーブルを囲む。ルスエルが持っていた新聞の見出しには、「人間を襲う新種の動物」という言葉が載っていた。更に小さな見出しには死者は20名を越えると。

「新聞もテレビも結構取り上げてるし、調子は良いだろうな」

「もうそろそろじゃない?私、もう我慢出来そうにない」

「いや、まだまだ、全然だ。見出しを見ろ。新種の動物だとさ。俺の予想じゃ神様がどうとか、少しくらいあると思ってたけど。まったく無い。せめて後、2週間は様子見だ」

「2週間!?無理よ、そんなに待てない」

「我慢しろ、人間の為だ」

ヴィマラは黙り込む。サタンは震えていたヴィマラを思い出していた。そして同時に、冷たい眼差しでヴィマラを見るルスエルを見ていた。

「別の勇者に会っていたのか?」

「あぁ。ジャポーネだ」

「ここには来ないのか?」

「3日後に来る」

「ルスエル、悪い人間だけを襲うようには出来ないの?」

「無理だろ、判断しようがない。それに無差別だからこそ、正の感情に目覚める者が出る」

「でも、助けた人が悪い人だったら?誰を助ければ良いか、私分からなくて」

「深く考えるな。正の感情に目覚めた者が死んだとしても、主が生まれ変わらせてくれる、だから割り切れ」

再びヴィマラは黙り込む。サタンはふと見渡す。同じようにカフェで過ごす人間達を。誰が悪人かなど、知る由もない。例えば誰かが病気で倒れた時、率先して助ける人を見ただけで判断しろと言われても、誰も出来はしない。

「完璧を望むな。俺達は俺達の出来る事をするしかない。ヴィマラが失敗しても、主も誰も責めたりしないさ」

ふとした沈黙が流れる。風が止み、人の話し声も聞こえなくなった。3人は一瞬、何事だと辺りを見渡す。しかし“それ”はもう見慣れたもので、何だ止まったのかと、そして何が起こるのかと、3人は顔を見合わせる。そこかしこには瘴気がゆらゆらと立ち込めている。

「プラーナで消し飛ばしたらどうだ?」

「いや、キリがないだろ」

「人間にプラーナを浴びせれば、善い人間になるのではないのか?」

「もう試したさ。確かにプラーナを取り込めば人は変わる。しかしそれは永遠じゃない。悪意に触れれば薄まり、すぐに消える。ましてやこんな時代だからな」

「そうか」

「ちょっと2人共、呑気にコーヒー飲んでないで、あれ見てよ。集まっていく」

「まるで、3人目の魔王でも出そうだな」

「おい、バカな事言うな。主から何も聞いてないぞ」

「だが、この前と同じだ」

サタンの言葉に、ルスエルは表情を途端に引き締める。まだ半信半疑のようだが、ルスエルは立ち上がり、集まっていく瘴気を見つめる。瘴気はこうしてあちこちで見えるのに、プラーナは何故、見えないのか。サタンがそうコーヒーを飲み干す。そしてやがて、嵐が消え、世界は動き出した。雑音がワッと耳に纏った。

「バカな」

ルスエルが呟く。そこに居たのは、女の魔王だった。30歳前後に見える、痩せ形の髪の長い女。青年の魔王と同じく、“初めて見る”世界を睨んでいた。それから女の魔王は、3人に目を留めた。

「魔王が2人だと?・・・いや、それほど、主は怒っているのか?」

ドォーンという、強い地響き。まるで地面の中が爆発したかのよう。その一瞬で、人々は警戒し、恐怖する。それから間髪入れず、再びの地響き。轟音と共にカフェのテーブルは倒れ、コップが割れ、人々が転ぶ。そこで同じく転んだヴィマラが声を上げた。

「ルスエル!」

「まだだ!これが、主の意志だ」

「でも――」

人々の悲鳴が轟く。コントロールを失った車がぶつかり合い、1台の車が歩道に乗り上げた。たった2回の地響きだった。それなのに、女の魔王の周辺は“一変”した。

「おい待て」

女の魔王に、ヴィマラが駆け寄る。その背中は怒りを宿していて、その手は、ほんのりとプラーナに包まれていた。

「悪い人間だけを襲うようには出来ないの?」

「・・・悪い、人間、だけ。どう判断するの」

「・・・それは、観察するの、時間をかけて」

「観察・・・。それをして、主は私を生み出す事を選択したのでしょう?」

「でも、同時に主は善い人間を守れって言ってる。それならいくら魔王のあなたでも、悪い人間だけを選んで襲うべきでしょ?」

「善い人間を守るのは、私の役目じゃない。私の役目は、人間を殺す事だけ」

これこそが主の思惑であり、自然の形。やはり魔王と勇者は戦うべき存在。ふと昔を思い出しながら、サタンは投げ飛ばされるヴィマラを眺める。それからヴィマラは聖剣を、女の魔王は瘴気の剣、言わば魔剣を生成した。2人が戦うのを、ルスエルも黙って見つめていた。聖剣の光と瘴気がぶつかり合い、バチバチと音が鳴る。分かり合えないのではない、分かり合う事が目的ではないのだ。だが我は、その存在理由を逸してしまった。そしてやがて、ヴィマラは座り込んだ。そんなヴィマラの肩に、ルスエルは優しく手を乗せる。それから女の魔王が滅されたその“震源地”には救急車が停まり、記者が集まった。サタンは眺めていた。人間の戦いで生じた訳ではないこの惨状では、誰もが強く“誰かを恨む”事はしないのだと。つまりあの女の魔王は、敵意の芽を育てる事なく、人間を減らせられたはずだ。

「どうしても、我慢出来なくて」

「まぁやったものは仕方ない」

ヴィマラが正しかったかどうか、我には分からない。“震源地”から少し離れた通りのカフェで、3人はテーブルを囲んでいた。

「勇者が集まるのは分かるが、いつまでもここに居続ける訳にはいかないのだろう?」

「帰ろうと思えばすぐに帰れる。俺が何故、こんな短期間でヴィマラを呼び、ジャポーネの勇者と会う事が出来たと思う」

「交通機関が発展したからであろう?」

するとルスエルは不敵にほくそ笑み、コーヒーカップを口に運ぶ。そんな様子を見るヴィマラもサタンに微笑んで見せる。

「時代が変わり、力を増したのは魔王だけじゃないさ。ましてやこの広い世界だからな、今の勇者は皆、テレポートが出来るんだよ」

「テレポート?」

「言わばプラーナの架け橋を渡るんだ。そりゃあビザは取ってないから誰にも見つからないようにしなきゃいけないが、見た事がある景色を思い浮かべれば、何千キロもすぐさ」

「そうか」

「言ってなかったか?俺はフランス人じゃない。生まれも育ちもニューヨークだ」

「そうだったのか」

「でも、だからってヴィマラも自ら望んでここに来たんだ。ホームシックにはならないさ、だろ?」

「うん。でも、プーリーが恋しい。フランスの料理、スパイスが全然無い」

「プーリーとはどんなものだ」

「チャパティーっていうのを油で揚げた、パンだよ」

女の魔王がいつ転生してくるかは分からない。しかし青年の魔王も忘れてはならない。それから日も暮れ、サタンはドアを開けた。トゥレイリーは微笑んで出迎え、そして夕食卓ではいつものように“魔王との戦い話”に嬉しそうに聞き入った。

とある日、サタン、ルスエル、ヴィマラの3人は人の気配の無い静かな路地に居た。沈黙の中、突如3人の中央にプラーナの光が沸き立つ。普通の人間には見えないそれは、まるで瘴気が沸き立つようにゆらゆらとしている。すると直後、その中に人影が見え、その瞬間に光はポンッと消えた。そこに居たのは、1人の男だった。メガネを掛けた若そうな男は3人を見ると、小さく頭を下げた。ルスエルが「ようこそ」と手を差し出すと、男はその手を握った。男の名はシロウだそうだ。

「魔王が移動してる。追いかけるぞ」

「テレポートするのか?」

「あぁ」

「我はやり方を知らない」

「俺が作る橋を渡るだけだ」

「見た事のない場所には行けないのであろう?」

「俺には、“見れない場所なんてない”。俺は特別だ」

そう言うと、ルスエルは人差し指をこめかみにそっと当て、目を閉じた。そして、4人の中央に光が沸き立つ。煙たいような感覚が過ぎた後、そこは森の中だった。魔王の下へ向かう途中、ルスエルは語り出した。ルスエルにしかない特別な力、それは千里眼だそうだ。それは主に与えられた力。意識を飛ばせば、どこまでも見渡せるのだそうだ。

「ここはまだフランスかい?」

シロウが尋ねる。

「いや、ポーランドだと思う」

「それは、フランスからどの方向にあるんだい?」

「北東だ」

森の中にある静かな平原。そこに魔王は居た。あくまでも監視体制の4人だったが、魔王の隣に立つ“魔獣”の姿に、4人は固まった。人間の姿をした魔王と比べて、魔獣はかなりの巨体だ。しかしそこでルスエルは呟いた。「まだ動くな」と。ふと、魔王と魔獣が4人を見る。一瞬の緊張が張り詰める。しかし魔王は動かず、魔獣は4人とは別の方へと歩き出した。原形は恐らく熊なのだろう。しかしその体格、筋肉、角は最早ファンタジーだ。ヴィマラがそわそわしても、ルスエルは再び呟く。

「まだだ」

「なら、せめて魔獣に襲われる人を助ける。それなら良いでしょ?」

「分かった。シロウ、ヴィマラをサポートしてくれないか」

「分かった」

それから1人佇む魔王。彼はサタンとルスエルを気にはしているがそこから動かず、何もしない。サタンはふと、昔を思い出していた。何もせず、勇ましい者を待っていた自分を。

魔獣が走る。ドスンドスンと、恐怖を掻き立てる地響き。人々が逃げ惑い、そして1台の車が宙を舞った。凄まじい音を掻き立てて落下する車。それから魔獣は小さなビルに突撃した。容易く砕ける壁、ガラス。それはまるでスリップしたトレーラーか何かが激突したかのようだ。壁を突き抜け、尚も止まらない魔獣の前に、ヴィマラは居た。彼女の背後には、ベビーカーを持つ女性が立っている。ヴィマラの手は光り輝いていた。手加減を知らず、迫ってくる魔獣。息づかい、地響きが全身に伝わってくる。ヴィマラはすうっと息を吸い、手に力を込めた。太く捻れ、前に突き出た大きな2本の角。コンクリートなど簡単に砕くそんな角に向けて、ヴィマラは思いっきり手を振り出した。バチンという音が響く。しかし誰がどう見ても、“ただ叩いただけ”。しかしそれでも魔獣の軌道は逸れ、2本の角は若い親子ではなくトラックに突き刺さった。トラックは引き摺られ、魔獣はつまずくように転がる。全員を助ける事は出来ない。それでも逃げていく親子を見送ったヴィマラは満足げに肩の力を抜いた。

魔獣が突っ込んだ建物から、シロウは出てきた。彼は怪我人に肩を貸していた。あっという間に、“そこはメチャクチャになっていた”。目をキョロキョロと動かし、魔獣を探す。喉を鳴らすような呻き声に、シロウはパッと眼差しを向ける。トラックが宙を舞っていた。そのトラックの先には、ヴィマラの姿があった。――声が出なかった。体も動けなかった。しかしその代わり、周りの悲鳴と共にトラックが落ちていくのを、“強く見つめた”。ヴィマラがうずくまる。ドシャンという轟音。トラックは回り、ヴィマラを通り過ぎていった。魔獣の雄叫びが轟く。シロウはサーッと血の気が引いたのを感じていた。それからすぐに警官達がやってきた。サイレンとそのランプに、魔獣はふとキョロキョロする。そしてすぐに、銃声が鳴り出した。しかしそれから、パトカーが宙を舞った。誰にも手が付けられないと警官達は怖じ気付いていく。暴れ回る魔獣を誰もが眺めていたそんな時、2人の男女が警官達の前に出た。ヴィマラとシロウだ。警官達はその勇姿を見ていた。その一瞬、魔獣と勇者達は睨み合う。2人の手は光り輝いていた。ヴィマラは心の中で、「そろそろ良いよね?」と呟いた。

魔獣は角を地面に突き刺した。その勢いは地響きを立たせ、地面の破片を舞い立たせる。その破片が舞うその瞬間に、魔獣は腕を振り回した。“誰もが顔を背ける”。舞った破片が殴り砕かれ、細かく飛散したのだ。ヴィマラは地面の破片に潰され倒れている警官を見下ろした。それから前に出ていくシロウに目を向けた。シロウはその光り輝く手を魔獣にかざしていた。魔獣が走り出す。その眼差しはシロウに向けられていた。しかしシロウが手を動かすと、魔獣は何故かすんなりとその軌道を変え、その角は甘く建物に突き刺さった。ヴィマラは思い出していた。ルスエル達から分かれた後、シロウが話していた事を。プラーナには、それぞれの個性があると。そして自分のプラーナは、いわゆるテレキネシスに特化していると。それから間もなく、武装警官隊の乗る車両が魔獣の周辺を囲んだ。物騒な格好をした警官達がぞろぞろと降りてくる。整列し、ライフルを構える警官隊。その銃口は魔獣、そしてシロウに向けられた。

「お前が、モンスターを操っていたのか!」

「・・・・・・え!?な、何でそうなるんですか」

「惚けるな!今、モンスターに建物へと突っ込ませただろ!」

1人の普通の警官が叫び立てる。すると武装警官隊がジリジリと詰め寄る。

「動くな!ひざまずいて手を上げろ!」

「え、そんな」

「お前、シヌワか!戦争したいのか!」

「違います。僕は、確かにテレキネシスが使えます。けど今は、反対に魔獣の動きを封じてるんです」

「テレキネシス?魔獣?ふざけるな!こんなものを密かに開発していたとは、シヌも隅には置けないな。この悪魔が!」

「僕は・・・シヌワじゃない」

「ならコレアンか?」

「(どうしよう、日本だと言ったら、国際問題になっちゃうかな)」

「言えないのか?まあいい。これほどの破壊活動をしておいて、生かしておく訳にはいかない」

「シロウ!」

ヴィマラはとっさに走り出し、シロウ目掛けて飛び込んだ。頭の中でルスエル達の居る場所を思い浮かべながら。ルスエル達は相変わらず魔王を眺めていた。そして魔王も、相変わらず突っ立ったままだ。そこへ、2人が飛び込むように戻ってきた。その2人を見て、ルスエルは叫んだ。

「ヴィマラ!」

すでにシロウは死んでいた。体中に弾痕があった。何が起きたかなど聞けないほど、ヴィマラも虫の息だった。虚ろな眼差しで、口から血を吐きながら、ヴィマラはルスエルをゆっくりと見た。

「おい!何があった!」

「ご、めん・・・なさい」

「ヴィマラ!・・・ヴィマラ!」

動かなくなったヴィマラの頭をゆっくりと地面に置くと、ルスエルは叫び、地面を思いっきり殴り付けた。2人共が、銃に撃たれて死んだ。一体何があったのかと、サタンは立ち尽くしていた。

「人間が、2人を殺したのだろう」

「何でだよ!」

「それは――」

「それは、人間達があの2人を、魔獣を作った者だと思い込んだから」

口を開いた魔王に、ルスエルとサタンは顔を上げる。しかも更に魔王は2人に歩み寄ってきた。

「どういう事だ」

ルスエルが尋ねる。

「魔獣を通して、人間達を見てたんだよ。その2人は人間を助けようと魔獣に向かった。けど人間は2人が勇者だなんて知らないし、不思議な力を前に2人を魔獣と同族だと思い込んだんだ。だから撃ち殺したんだよ」

「くそっ何なんだよっ。こっちは、こっちは人間を助けようとしてんだぞ!」

サタンは立ち尽くしていた。事前に、勇者という存在だと知らせる事は出来たのか。もしそれが出来たとして、例え違う国の人間でも、勇者の助けを疑わずに受け入れられるのか。

「ん・・・魔獣が、人間に殺されたらしい。さて、今度はもっと強いのを作らなきゃな」

魔王が去っていく。しかしルスエルは膝を落とし、項垂れたままだ。自分達を守る為の存在ですら、人間は殺すのか。――これが、人間か。サタンはふと、かつての記憶を振り返った。殺された女の為に、やり返す。そんな記憶だ。

「勇者は、まだ他に居るのか?」

「いや、もう感じない。でも主が望めば、誰かにプラーナを授けるだろうが」

「そうか。引き続き、魔王を見張るのだろう?」

「・・・・・・俺さ、プラーナの使者は、守られてる存在だと思ってた。仲間を捜して、人間救って、魔王を滅するだけだと、何があっても、主に守られるって、思ってた。けど・・・これじゃ、命が幾つあっても、人間なんか救えない。人間は、本当に頭が悪すぎる」

「なら、もっと田舎町に行けば良い。もっと、発展途上の国に行けば良い」

「・・・そう、かもな。しばらく、魔王に任せるのも良いのかも知れない」

サタンは眺めていた。森の中で、独り手を広げている魔王を。まるで森林浴をしながら、瞑想しているのかと思うような佇まいだ。一体何をしているのかと、サタンは不思議そうに眺めていた。

「あの勇者は?」

「しばらく魔王に任せると言っていた」

「ふーん。で、あなたは何をしにここに?」

「お前はこれから、人間を襲う為に新しく魔獣を作るのだろう?」

魔王は手を下ろした。そして、少し鋭い眼差しをサタンに向けた。

「安心しろ。邪魔をしに来たんじゃない。今度は、我がやる」

「でも、今のヴァルシャヴァにもう1度魔獣を向かわせれば、人間は何かしらの意図を考えるようになるかも知れない。自分の狙いはそれなんだけど」

「なら、我が一言、魔獣は神の使いとでも言っておく」

「んー、そう、言うなら。てっきり、あなたは勇者の側の存在だと思ってた」

「忘れるな、我は魔王だ。しかもお前よりも遥かに長生きしているな」

「・・・ベテラン面・・・」

サタンは見下ろしていた。適当な屋上から、魔獣の亡骸を運び出そうとしている人間達を。街はどこもかしこも壊れている。広範囲という訳ではないが、そのダメージは少なくとも人々の記憶には残るだろう。サタンはふと、3人の武装警官に目を留めた。魔獣の亡骸を縛り付けている作業に、無関係者が寄り付かないようにする為の見張り。その数人の中の3人の警官。サタンは彼らに手をかざした。それから1人が、“突然”叫び声を上げた。

「主は怒っている!!」

するとその彼は“突然”、ライフルを空に向けて撃ち鳴らした。誰もが目を向ける。その場の空気が、一瞬で凍り付く。尚も彼は叫び続け、ライフルを鳴らし続け、遂には魔獣の亡骸の上に登った。するとまた別の警官が――。

「主は怒っている!!」

それから3人目の警官がライフルを空に向けて撃ち鳴らす。どうしたんだと、落ち着けと、正気の警官達が3人に呼び掛ける。しかし尚も、3人の警官は“発狂”したまま、遂には銃口を人々に向けた。

「神の使いである魔獣を殺したお前達に、主は怒っている!」

「神の、使い、だと?」

「これは、主の意思だぁっ!!」

そして“地獄”が始まった。3人の警官が、“突然”人々にライフルを乱射し始めたのだ。いきなりの事で正気の武装警官でさえも凶弾に倒れていく。悲鳴と銃声が混ざり合い、観衆の市民達が逃げ惑う。市民達が死に、警官達が死に、やがて“発狂した警官”が死んだ。事態は収まった、と、誰もが力を抜いた。

「アァヒャヒャヒャー!!」

再びの乱射。誰もが、“誰だ?”と目を向ける。そう、サタンでさえも。言葉にはならない奇声を上げる1人の武装警官。再び悲鳴が沸き、市民達が血にまみれていく。サタンは見下ろしていた。“洗脳していない男が発狂した”その状況を。その男は明らかに市民を狙っていた。サタンは首を傾げていた。何故、あの男は発狂したのだと。その男はサタンの想像を越えていた。女も、子供も凶弾に倒れていく地獄。不意の強襲によりその場の警官は全員戦闘不能に陥り、その男だけがふらふらとさ迷っていた。“サタンが起こした地獄”などとうに誰もが忘れていた。血に濡れた子供の泣き声、大量の死体、漂う異様な臭い。サタンの意思など関係なく、これは人間が起こした事。

「ママ・・・痛いよぉ、ママぁ」

「神が、人間を、殺しに来る。ヒッ・・・ヒャッヒャッヒャ・・・もう終わりだ」

「ママぁ・・・ママぁ」

足を撃たれ、飛び散った鮮血で視界を潰された子供が泣いている。それを見てか見ずか、ふらふらと男が近付く。その場には子供の泣き声が響いていた。やがて男はその子供を足元にして立ち止まった。しかし男は子供など見ず、空を見上げていた。すると直後、男は手持ちの手榴弾のすべてのピンを抜き、ボトボトと足元に捨てた。その1つを、子供が知らずに手に取った。

「神よ」

「ママぁ・・・ママぁ・・・マ――」

そう人間は、〈魔王よりも恐ろしい〉

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