表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

希望絶望

静寂に満ちた“堕ちた”聖堂。長い旅路を経て、仲間を募り、遂にそこに辿り着いた。5人の足音が静寂を突いていく。かつては清らかな空気で満たされていたはずの回廊は今やまるで廃墟だ。何故なら瘴気が漂っていた。その元凶は、魔王と呼ばれる、禍々しき存在。魔王はその瘴気で疫病を流行らせ、今にも国を壊滅させようとしている。しかし今、魔王は膝を落とした。勇者の剣が、魔王の体を貫いていた。

「グッ・・・クソ。やってくれたな」

どうしようもないほどの出血だ。魔王は自分の手に流れ落ちていく真っ赤な血を見下ろした。その直後、魔王の周囲に、光を帯びる魔方陣が出現した。杖を持った女が、呪文を唱えていた。そしてその隣で、勇者が言った。

「苦しまずに一瞬で燃やし尽くしてやる」

業火の如く火柱に、魔王は焼かれた。魔王は声も出せず、ただ遠退く意識を感じていた。まるで急な睡魔にでも襲われたかのよう。しかしその束の間、魔王の意識ははっきりした。体の感覚はない。魔力も感じない。だが魔王は悟った。肉体が滅び、魂だけの存在になったのだと。

「フフッフハハハッ、肉体が滅びようと、我は滅びぬ」

そんな魔王に、勇者が対峙した。何やら剣を光り輝かせながら。

「この時の為の聖剣だ。魔王よ、安らかに眠れ」

「無駄だ!我は人間の負の感情が集まって生まれたもの。人間に悪意がある限り、我は必ず蘇・・・クッ――」

眩すぎる光だった。その場の誰もが、思わず目を瞑るほどの。やがて聖剣が眠ると、聖堂からは瘴気が消えていた。


1回目。

魔王が倒されてから100年の歳月が流れていた。誰もが勇者を伝説と呼ぶ、そんな頃になって、とある噂が流れ始めた。正体不明の疫病が、とある町に広がっていると。その後、とある小さな国が壊滅したとの噂も流れた。何でもその国の王城が瘴気に侵され、どうしようもなくその場を棄てるしかなくなったのだと。人々は、勇者の伝説を思い出していた。その頃、魔王は玉座に座っていた。すでに王城は瘴気によって、“あの時”のような廃墟と化していた。瘴気が、疫病がすべてを覆うまで、あと幾年か。魔王はただ待っていた。しかしそこで、招かれざる客が扉を軋ませた。魔王はふと思い出した。新たにやってきた勇者が持つその聖剣の“あの光”を。

「お前が、伝説の勇者が倒したという、魔王か?」

「あぁそうだ。まさかその聖剣も朽ちていなかったとはな」

「最初は錆びていた。けど直して貰った」

「・・・そうか」

頬杖をついている魔王。魔王はたった1人で来た勇ましい者を冷めた目で見つめる。

「1人で、我を倒せると?」

「脅威なのはどこまでも伸びる枝葉、しかしその根っこはただ鎮座するばかりで、棘も無ければ毒も無い」

「クッ笑わせてくれる。ならば試してみるがいい」

「司教が言っていた。この戦いで聖剣は朽ち果てる。だが限界を超えて光を宿したこの聖剣で、お前は永遠に消え去る」


2回目。

魔王が倒されて100年。人間が暮らす“世界”というものも代わり映えしない。我が存在する、つまり人間の中から悪意が決して絶える事がないという事だ。

「そう思わないか?」

魔王は“客”にそう問いかける。瘴気漂う廃墟に自ら訪れる、その勇ましい3人に。

「お前が居なければ、もっと栄えてるさ」

「我が何故ここに居るのか、分からないのか?」

「書物に残されてるとは聞いた。だがオレ、勉強キライだから。へへ、ただ敵を倒す、それだけさ」

「聖剣も無い貴様らに1つ教えてやろう。負の感情を持つ人間が栄えれば栄えるほど、我は強くなる。覚悟するがいい」

突風の如く瘴気が吹き荒れる。杖を持った女は光の壁を張り、大きな盾を携えた大男はその盾でもって身を守る。3人が見えなくなるほどの赤く、黒く、紫に染まった風。

「オレが何故書物を読まないか、分かるか?」

姿は見えない、しかし魔王はそこに勇者が居るのが分かった。何故なら、聖剣の如く光が瘴気の向こうに見えていたからだ。

「オレはな、戦いの天才だからだっ!」


18回目。

世界のすべてを知ってる訳ではない。世界の片隅で生まれ、消え去る。その繰り返し。だが生まれ変わる度、魔王が倒された後あの国はああなっていた、その国はこう変わったと、小耳に挟んでいく事が出来た。そしてその度、人々が増える度、我は力を増していく。今ではもう、瘴気を操れる。ただ垂れ流していた時代は終わった。あれは確か、11回目の事だ。我が生まれた時、体から瘴気が流れ出ていなかった。だが同時に悟った。瘴気は内に秘められていると。しかし知能は浅はかだった。不用意に力を使えば、必ず勇者が嗅ぎ付ける。それを理解するのに少しばかり時間がかかった。

魔王はしゃがみ込み、地面に手を当てた。魔王の目の前には畑が広がっていた。誰がどう見ても、平民のような風貌の1人の男が畑の前でしゃがみ込んでいる、そういう構図。誰もその男が魔王などとは思いもしない。魔王はおもむろに立ち上がると、畑を見渡した。突き立てられた太めの枝という支柱に絡み、腰ほどまでに伸び上がった蔦。その蔦から分かれて伸びた幾つもの葉、そして果実。

「おい、みんな来てくれ!見ろよこれ」

「な、何という事だ」

畑の前に集まっていく農民達。

「何故だ、我々は、天に見放されたのか」

驚愕し、嘆く人々。その人々に紛れ、魔王は傍観していた。枯れた果実を、人々を。

「枯れてしまったものはしょうがない。また一から育てるだけだ」

魔王は川辺に座り込んでいた。小さな魚も泳ぐ、清らかで、透き通った真水。人々を潤す為に必要不可欠なもの。後日、1人の農民が水を汲む為に川にやってきた。いつものように、畑に使う為に、飲む為に、そうして水を汲んでいった農民を、魔王はただ傍観していた。それから魔王は北に向かい、城下町を歩いていた。

「い、いやっ」

「喋るな」

レンガ造りの建物と建物の隙間、太陽の光が常に届かない路地。魔王はそんな声をふと耳に入れた。目をやると、影の中には男と女が居た。男は自分と壁で女を挟み、同時に女の口を塞いでいた。

「声を出したら、殺すからな?どこまでも追いかけてやるからな?」

そう告げると、男は口を塞ぎながら女の服の中に手を入れていった。

「おい待て!」

そんな声に、魔王は大通りに顔を向ける。包みを抱えた男が走っていた。

「盗賊だ!誰か捕まえろ!」

全速力の男は、颯爽と魔王を通り過ぎていった。それから魔王は立ち止まった足を動かし、大通りを歩いていく。いつでも、どこでも、人間は悪意と共にある。だからこそ我が生まれる。しかしながら、人々は本当によく栄えていく。それと同時に、我の魔力が増強の一途を辿る。栄えると同時に我を生む人間とは、実に不思議なものだ。

王城を囲む森、言わば王の庭と言ったその場所に、魔王は居た。魔王は1本の木に手を当てていた。誰にも気付かれないように、瘴気をその木に蓄積させていた。これは15回目の時に思い付いた事。溜めに溜め、その後で一気に噴火させる。勇者が嗅ぎ付けるより速く、瘴気を大地に行き渡らせる。何故こんな事を考えているのかを、考えていた。しかしこの頭の中を聞かせる者が居ない。いや、1人居たか。

「よぉープライム、精が出るなあ」

農民の少年、プライムは畑を耕していた。自宅の近くの畑が“何故か枯れた”との話を聞きつけ、手伝いに来たのだ。

「フテボー、食うか?」

「良いの!?食べる!」

枯れた畑の持ち主、農夫のマントレイと肩を並べて座り込み、プライムは芋の団子揚げにかぶりつく。芋を蒸かして団子にしたもの、それがこの辺りでの主食。持ち運びが楽で、農作業にぴったり。フテボーと呼ばれる、それを更に揚げたものとなれば香ばしくて、プライムにとってはご馳走だ。

「悪いなぁ、手伝って貰って」

「困った時はお互い様でしょ?」

「ハハ、ウチの息子もそんなだったら良かったのになぁ」

「カシュウ元気にやってるかなぁ」

「さあなあ、ったく城下町の何が良いんだか」

16歳になるプライムはまだ城下町には行った事がない。この国は周辺国との貿易が盛んで、城下町の賑やかさはその周辺国の中じゃ1番だそう。しかし話を聞く限りでは、毎日のように盗みや暴力が行われているとの事。そんな話を聞いてしまっては、城下町に憧れなんか持たない、農作業をやって、こうしてフテボーを食べてる方がいい。

「よーし、畑はこんなもんか」

「じゃあ俺、川から水汲んでくる」

「おう頼む」

マントレイは微笑んでいた。あれだけ働いたのに、元気よく水汲みに行ったプライムの背中を見ていた。木製の小さな台車に木箱を乗せ川辺にやってきたプライム。するとそこには1人の知らない男が佇んでいた。薄汚れた服を着ているから、城下町に住む金持ちではない。それくらいしか分からないような男。プライムはそんな男を横目で気にしながらも、木箱の蓋を開けて小さな木皿を取り出し、先ず木箱を真水で軽くゆすいでいく。

「おじさん、城下町に住んでるの?」

聞こえてなかったのかな?という疑問が湧くくらいの束の間の沈黙の後、その男はゆっくりこちらに顔を向けた。まるで色の無い表情。それはほんの少しばかりの不安と、まさか暴力を振るうような人に話しかけてしまったのかというような恐怖を感じるほどだ。

「いや、城下町には住んでいない」

「そっか」

「何故そう思った」

「見かけない顔だったし」

「・・・そうか」

木箱いっぱいに汲んだ水をじょうろに移し、マントレイと共に畑に水を撒いていく中、プライムは“あの男”を何となく思い出していた。

「おーいマントレイおじさーん」

「ん?ああクマーナ」

「ありゃ、プライムまた手伝い?」

「うん」

マントレイの姪、クマーナ。彼女は畑で採れたものを売る為に毎日城下町へと足を運ぶ。しかしそんな彼女を前にしても、プライムは羨ましいなどとは思わない。かといって心配するような眼差しを向ける訳でもない。何故なら彼女には不思議な力があるからだ。彼女いわく、自分の周りには邪な気持ちを持つやからは自然と寄って来ないのだそう。

「見たことない果物の種買ってきたよ」

「何て名だ?」

「クロファッソ。一粒貰ったけど、ちょっと酸っぱい感じだった」

「そうか」

「でも食べ続けると病気しないんだって」

「それはすごいな。早速蒔いてみるか。ちょうど耕し終わったとこだ」

「あーそうだ、商人のおばさんから変な話聞いたんだよねー」

「ほう?」

「何か城の裏の森から悪い気が流れてくるって、司教様が話してたのを聞いたって。はい種」

「あぁ。王の庭か」

プライムもマントレイから分けられた種を持ち、3人で畑に種を蒔いていく。作業をしながら、プライムは話に耳を傾けていた。それからクマーナは試しにその森へ行ってみたらしい。するとなんとクマーナ自身も、森の奥から“邪な空気”が流れてくるのを感じとったのだそう。しかし王の庭とあってかそれ以上は兵士に止められ、心のモヤモヤだけが残ったという。

魔王は立ち尽くしていた。目の前には今正に、殴られている男の姿があった。それは些細なきっかけだった。売りつけられた銀がニセモノだったから、怒りをぶつけに来たのだ。怒りをぶつけに来た男は売人の男を殴り倒し、更に蹴り続け、そしてとどめに石で頭を殴りつけた。売人の男は、死んでいた。いつから事切れていたかは定かではない。怒りをぶつけに来た男は、売人の男が動かなくなって少ししてからようやく落ち着いた。息も荒々しく、血まみれの石を見つめていた。それからだった、ようやく魔王の存在に気が付いたのは。と言っても怒りをぶつけに来た男にとっては“ただの男”にしか見えないが。

「見せもんじゃねぇよ。とっとと失せろ」

「この城下町は、住みづらいか?」

「あ?・・・住みづらいも何もねぇ、これが生きるって事だろ」

「生きる・・・」

人間とは何かを考えていた。奪い合い、殺し合う。それが生きるという事かと。

「ならば、“人間”というものをもっと見せてみろ」

「・・・は?」

何故そうしようと思ったのかは分からない。それはただの“新しいアイデア”という事に他ならず、理由を聞かれれば、“ふと”そうしようと思ったとしか言い様がない。魔王はその男に、瘴気を注いだ。“あの木”に瘴気を施すのと同じように。それから魔王は建物の屋上へと上がった。元来、人間は魔王の瘴気に触れると発病し、死に至る。しかし時代が変わるに連れて瘴気の質も変わった。

とぼとぼと歩く男、ワーグエイ。魔王に瘴気を注がれてからというもの、彼はどうしようもない脱力感に見舞われていた。何もする気が起きない。“人を殺した”事などすっかり忘れ、思考力が麻痺していく。男の目に映るのは通行人。旅人や商人、そして買い物客。しかし男の頭の中では、それはただ“動くもの”として認識されていた。その時男はふと思い出した。妻が子供を連れて家を出ていった事を。そしてその2人を、たまたま目に留まった見知らぬ女と子供に重ねていた。俺が何をしたっていうんだ。お前達の為に金を稼いでやってるのに、何が不満だったんだ。まさか男か?違う男の下に行きやがったのか?

「あっ」

ワーグエイは短剣をその見知らぬ女の背中に刺していた。人混みと雑踏の中、女の“何か刺さった”という声なき声は掻き消された。

「誰だ、オレの短剣盗んだのは!」

露店を営んでいた男が叫ぶ。しかしその声は悲鳴に掻き消された。露店の男が胸騒ぎを感じ、騒ぎが立ち上った人集りへと歩み寄る。店や自分を守る為の護身用の短剣、それを盗まれては意味がない。盗んだやつの顔を拝み、1発殴ってやる。人集りが散りだしたそこに、露店の男が顔を出す。そこには背中から血を流して倒れている女、気絶しているように動かない子供、首を切られて倒れている男、腕を切りつけられている女。正にそれは惨劇だった。

目の前のすべてが、意味もなく嫌になる。もう俺の人生は終わった。妻も子供も、この世のすべてが俺をバカにしてる。

「おい!それオレの短剣じゃねぇか!」

その無差別殺傷行動を、魔王はただ見下ろしていた。これが人間か、これが生きるという事か。我は人間の負の感情から生まれた。そして瘴気は我が生み出すもの。言わば瘴気は、負の感情そのもの。“今の”それに人間が触れると、どうやら負の感情が増幅するらしい。

畑に蒔いた種が芽吹いた頃、いつものように城下町から帰ってきたクマーナ。しかしプライムの目には、彼女が何やら悲しんでいるように見えた。

「あぁプライム、今日も手伝い?」

「うん、何かあった?元気ないけど」

「いやぁね、城下町でまた起こったの」

「何が?」

「今回は火事だよ。そういう事が起こると話が広まるのが速いからね、またかってさ。ただでさえ混沌としてるけど、今ほどこんな事が続いてるのは初めてだって、商人のおばさんも言ってたよ」

「へー、そっか」

「それからさ、あたし、司教様の下に呼ばれたんだよね」

「司教様って・・・確か王様が1番頼りにしてるっていう?」

「んまあ、城下町に行った事ないなら知らないのも当然だけど、そんな感じ。規律を定める時の教導と王様の運勢を占うのが司教様ね。ほらこの前、王様の庭から、あたしも変な感じしたって話したでしょ?その話が司教様にも届いたらしくて、何か呼ばれたの」

「ふーん」

「プライムも行く?」

「・・・えっ!?」

「1度くらいさぁ、行ってみなよ城下町。あたしの傍に居れば安心だからさ」

「え、う、うん、いつ?」

「明日だよ」

蒸かしてすり潰した芋に刻んだ野菜を色々混ぜたもの。サンディという人物が最初に作った事から、この辺りでサンディアと呼ばれるそれはプライムの家の食卓に必ず用意されるものである。その日の晩ご飯、いつものようにサンディアを食べながら、プライムは小さな不安に駆られていた。行った事のない城下町、いつもいつも何か嫌な事がどこかで起こっているという城下町。

「父さん、俺、クマーナに一緒に城下町行かないかって誘われたんだ」

「行きたいのか?」

「んー、ちょっと行ってみたいなとは思う。でも怖いとこなんでしょ?」

「まあなぁ、行くならお金は必要な分だけ持つ事だな。それから、まあ、うん、短剣もあった方がいいな」

「そ、そんな危ないものなんて、持ち歩けないよ」

「分かってるさ。けどなプライム、城下町はそういう所なんだ。別にお守りとして持つだけでいいから、な?」

「でも、父さんの短剣持ってっちゃったら」

「いや、この時の為にな、実はプライムの短剣を買ってあるんだ」

「え・・・」

「プライム、私達はプライムが心配なのよ。分かってくれるでしょ?」

プライムは自分の部屋で、父親から貰った短剣を見つめていた。お守り、そうだ、いざという時、クマーナを守る為にも必要かも知れない。しかし、城下町というのはそれほどまでに危険な所なのか。それにしても父さん、いつの間に俺の為に短剣を買ってたなんて。

「おーいプライムぅー」

「うん」

「来たね、じゃあ行こっか」

「・・・もしかしてクマーナも短剣持ってたりするの?」

「え?ううん、言ったでしょ?あたしにはそういうの要らないから」

「ほんとに大丈夫なの?」

「不思議なもんだよねー」

クマーナが背負う大きな巾着袋。そこには売るものと買ったものを入れ、そして硬貨は服の腰周りに直接縫い付けた小さな袋に入れる。ただそれだけのクマーナを、プライムは改めて見つめる。とてもたくましく見えるが、ただの女の子。そんなクマーナが、“いつも遠くに眺めていた一本道”に向かっていく。大きな塀や谷がある訳でもない、行こうと思えば簡単に城下町へと行ける。しかしその道を初めて踏み出すプライムは当然ドキドキが止まらない。

「どれくらいかかるの?」

「そんなにかからないよ?」

人通りが多くなってきた。それに加えて人の声も。あちこちから話し声が聞こえてくる。だけど、思ってたほど、みんな暗くない。むしろ明るい。怖そうな人は確かにちらほら見えるけど、城下町って、賑やかな所なんだなぁ。

「賑やかな所だね」

「そりゃ大通りはいつもこうだよ。ほらあれ、お城」

「うわぁ・・・」

直線の一本道である大通りから望める、まるで人々を見下ろすようにそびえたお城。見張り塔で結ぶように造られた高い塀は、まるで城下町とは違う世界だと言わんばかりの威圧感と重厚感がある。

「入れるの?」

「まあ呼ばれたからね。でもあたしも行くの初めてだよ、いやぁ楽しみだなぁ」

「きゃあっ!」

遠くで女の人の悲鳴がした。プライムはふと横道へと目をやる。するとその向こうからは何やら荷物を抱えて走っている男の姿があった。

「誰か捕まえて!」

こちらの方に、男が走ってくる。そしてその男の直線上にプライムが居る。突然の悲鳴と、ざわついた空気。

「あっプライムっ」

無意識に走り出していた。プライムが見事に懐に飛び込み、男はキレイに倒れ込む。男は当然もがきだすが、日頃から農業で鍛えられていたプライムはそれなりに強く、男に突き飛ばされてもプライムはすぐに果敢に飛び掛かる。

「そこまでだ!やめなさい!」

止めに入る兵士。ガシャガシャと頑丈な鎧が擦り合う音は威厳の象徴であるが、その状況にその姿は同時に安心感をもたらす。

「ありがとうございました」

「裏通りにはなるべく近付かない事だ」

荷物を取り戻した女が深々と頭を下げて立ち去り、同時に兵士に捕まった男は連れていかれていく。それを横目に見ながら、クマーナはもう1人の兵士と居るプライムに歩み寄る。

「城下町の人間か?」

「ううん、向こうの村」

「そうか、随分と勇ましいじゃないか、よくやったな」

「うん」

兵士の背中を、プライムは見つめていた。相変わらず町はざわざわしているが、そんな雑音が遠くなるほど、満足感で胸がいっぱいだった。

「やるじゃんプライム」

「え、うん、何か、体が勝手に動いたっていうかさ」

「腕擦りむいてるよ?」

「え、ああ、これくらい何でもないよ、早く行こ?」

平民とは一線を画する服装、まるで別世界の人みたい。それにそこに居るだけで、何だか空気が違ってくる。そういうもの凄く豪華な風貌の司教を目の前に、2人の平民はガチガチに緊張していた。

「よく来てくれました。ふむ、なるほど、確かに感じますね」

「え、か、感じます、かね、えへ、分かります?」

「名はなんと」

「クマーナ、です、はい、こここっちはプライム、です」

「は、はじ、はじまめして、プ、プライム、です」

「うむ、先ずは落ち着きなさい。応接間へ案内を」

「ははっ」

応接間は勿論だが、門を抜けた時から、プライムは目移りしっぱなしだった。当然の事だが、村で暮らしていたら、絶対に見る事はない物ばかり。

「これもまた、神の巡り合わせというものでしょうかね」

そう言って司教は何やら独りでに微笑んだ。それはちょっと不気味だが、2人の平民はそんな事を思っても言葉に出来ず、とりあえずの苦笑いで対応してみる。

「プライムといったね」

「はい」

「その短剣、見せて貰っていいかな」

「へ!?え、短剣、ですか」

司教の背後に居るお付きの者が静かに動き、プライムに歩み寄って両手を差し出す。それからそんな丁寧に扱われる物じゃないのにと思うほど、お付きの者は短剣を両手に乗せ、司教に差し出した。

「これはどこで手に入れましたか」

「ううウチです、父さんが、前から買っておいてくれたもので」

「ふむ」

「その、その短剣が、どうしたんですか?」

「息吹きを感じます。クマーナ、貴女と同じような」

「息吹き、ですか」

「代々伝わる、邪なるものを打ち倒す為の聖なる息吹きです。しかしこの短剣は、まだ眠っていますね。しかしまた、クマーナとこの短剣が、“今”私の目の前に現れる。この意味を、深く考える必要がありそうです」

「その、どんな、巡り合わせなんですか?」

「貴女も感じるでしょう、王の庭から感じる“邪気”を」

「え、はい」

「あの邪気を打つ消すのもまた、私の役目。しかし私1人の力では敵いませんでした。しかしまたその時、貴女とこの短剣に出会った。それはきっと、あの邪気を打ち消す為に必要なのではないかと、私は考えています」

「あたし達に、な、何が出来るんでしょうか」

「そうですね。光と影は、必ず隣り合わせになるもの。どちらかが強まれば、同じように片方も強まる。ですので、行ってみましょう、その邪気の下へ」

魔王は見下ろしていた。兵士の列を。これからどこかへと赴こうという、大勢の兵士達。大方、領土の支配の為の布石だろう。領土を広げ、貿易を行い、そうやって栄えていく。しかしその為に、争いが避けられない場合もある。そういう争いがつまり、“我の種”になる。争いの為に生まれる我は、人間に何をすべきか。負の感情は人間を殺す。つまり我は、人間を殺す為に生まれる。つまり人間は、自らを殺す為に生まれる・・・?。人間とは、実に不思議なものだ。そして魔王は兵士の列に手をかざした。瘴気が風に乗り兵士達を撫でていく。誰もが一瞬の違和感を感じたが、周りを見回した時には瘴気は風に消えていて、そして彼らは何も知らずに町を出ていった。

それから司教、クマーナ、プライムが王の庭から戻ってきた頃、町には“とある問題”が起こっていた。緊迫感のある声で司教に駆け寄る兵士、ざわめき動き出す城内の人々、2人の平民はあっという間に取り残された。しかし兵士の話では隣国に保安要員として駐在する為に出発した兵隊が、国境沿いの隣国の町を襲撃し、我が国の領土だと主張した。当然隣国は激怒し、今にも戦争が起こりそうな緊迫感が生まれたという事らしい。そして今正に、その出発した兵隊の半分が帰ってきたと。

「何をしたか、分かっているのか!」

国王の怒号が飛ぶ。独り前に出た兵士を、人混みから見つめるクマーナとプライム、そして魔王。

「ですが、あの地は元々我が国のもの。我が国は今よりも更に、力をつけるべきです。それは国王、あなたも日頃から仰っている事ではありませんか」

「愚か者!実に浅はかだ、何を血迷ったか!貿易無くして国の発展などあり得ぬ。こんなやり方が、より良い貿易を生む事など決してない。牢で頭を冷やせ」

「は・・・ははぁっ」

1度は爆発させた負の感情を、抑え込めるのか。王の前とは言え、負の感情に身を任せて何か起きないかと期待していたが。国王の威厳、それとも忠誠心が、それほどまでに力を持っているとは。人混みから姿を消そうという時、魔王はふと聴覚を鋭敏にした。国王の背後に寄る司教の動きが目に留まったからだ。

「国王、兵から邪気を感じます。血迷ったのには、何か訳があるかと」

「それは本当か」

「もしや元凶もこの状況を観ている可能性がありますので、すぐに捜索を始めます」

「うむ、頼んだ」

「ははっ」

まずいな、不覚をとったか。あの兵隊から我を嗅ぎ付けられてしまえば、“我を殺す者”も現れるかも知れない。どうするべきか。邪気というものがあると広く知られれば、“あの木”に近付く機会も減ってしまう。ならば――。

「居たぞ!」

振り向く魔王。魔王に迫るのは兵士達と司教だ。しかし魔王は微笑んでいた。何故ならすでに、“その木”に手が触れていたからだ。鋭い眼差しで、司教が呟く。

「お前が、邪気の源」

その木は周りより、黒ずんでいた。まるで病に苦しむ人間のように。――そして、蓋が開けられた。一気に瘴気が辺りに撒き散らされていく。兵士達は思わず顔を背け、司教でさえも手で鼻と口を覆い隠す。しかし魔王は目を見張る。瘴気に当てられてむしろ、司教の全身がほんのりと光を帯びていた。魔王はふと、“あの光”を思い出した。

「何を、する気だ」

「人間が生まれる事に理由があるとするなら、きっと我の存在にも理由があろう」

――そして、その木は“噴火”した。空に向かって吹き上がる瘴気。突風のように、抑えられていたものが弾けるように瞬く間に広がっていく瘴気。それは一波だけのものだったが、頑丈な鎧を着込んだ屈強な兵士達が尻餅をつくほどだ。瘴気は町中に広がり、やがて隣国、そのまた隣国にまで吹き込んでいく。

「うわあああ!」

「きゃあああ!」

町では悲鳴があちこちで上がっていた。蓄積されより濃くなった瘴気が建物を崩壊させたのだ。柱が、壁が腐り、窓が落ち、独りでに崩れ落ちていく。それは誰もが、“世界の終わり”を予感させる光景だった。そんな事はつゆ知らずに対峙する司教と魔王。兵隊は全滅していた。瘴気ではなく、魔王の手によって。司教が光を帯びるのと同じように、魔王も黒く禍々しい光という瘴気を帯びていた。

「お前は確かに瘴気を祓う力を持ってるようだ。だが、今までの経験上、我を完全に殺せるのは、ただ1人」

「聖剣を持つ者、でしょうかね」

「だが、聖剣はもう無い。居るのは聖剣の光を“受け継いだ”者、だ。だがそれでは、我を殺すだけで、魂を消滅させる事は出来ない」

「聖剣はあります」

「何だと?」

「記述には、聖剣の剣身は特別な宝石であったとあります。しかしどれだけ歳月が流れようと、その宝石で剣が作られれば、それは聖剣です」

「あり得ない。あの聖剣は完全に力尽きたはずだ」

「魔王と呼ばれるあなたが蘇るのと同じように、“その光”も甦るとしたらどうでしょう」

「・・・なるほど。興味が湧く話だ。我と同じような存在。人間が生み出す、絶対不滅の我という存在と、その我が決して敵わないその“光”という存在。それらは一体、何の為の存在だ」

「光と影に、理由などありません。分かっているのは、あなたはここで打ち消されるという事」

「聖剣を持っていないのだろう?ならば我を殺せないぞ?」

そこに、2人の人間がやってきた。魔王は目を見張る。その2人は、司教同様に光を帯びていたからだ。

「おじさんが、邪気の源、なの?」

「ほう、いつかの人間か。なるほど、いや分かっているさ、望もうが望まのうが、光は影を、“嗅ぎ付ける”・・・ククッ・・・ハッハッハ」

「邪気が町を壊してる。どうして、どうしてこんな事するんだ!」

「町を、壊してる?んん、初めての経験だ」

「プライム、短剣を。それでなければ、邪気を打ち消せません」

「は、はいっ」

「・・・どうしてと聞いたな。それについては、我にも分からない」

「な、何だよそれ!町をメチャクチャにしておいて!」

「ずっと考えている。何故我は、人間を滅ぼそうとしているのか。理由は無いと言ったが、理由が無いのならそもそも“意思”など生まれない。もし今答えを出すのなら、我は『人間が成そうとしている事』なのかも知れない」

「司教様、どういう事?」

「ふむ、人間が持つ闘争本能や殺戮本能、それらを体現している存在、と言えばいいでしょうか。“殺し合う”事をする人間から生まれたものなのだから、人間を殺す為に存在すると言っているようです」

「そんなの、そんな奴居ちゃだめだよ。人は殺し合うだけじゃないもん」

「そうですね、だからこそ、邪気は“祓われるべき”存在だという事でしょう。さあプライム、想いを込めて、聖剣を目覚めさせるのです」

「想いを、込める・・・ふぅ、はあっ!!」


19回目。

わだかまりが解けたようだった。やはり“勇ましい者”には決して敵わない。しかしそんな事より、長い間考えていた事の答えが出たと言っていい。あれから、世界は“歴史上最大のダメージ”を受けたらしい。何ヵ国も含めた広い地に瘴気が吹き渡り、当時世界一の発展力を持っていた国とその周辺国が壊滅し、その影響は世界中に広がった。しかし“我は存在している”。つまり人間は絶滅などせず、発展力もその全てを失った訳ではない。大地は耕され、川の水は常に人間を潤している。

勇ましい者達はいつも“最後”に、同じような事を口にする。その意味を考えていた。畑を眺めながら。どれだけ人間を殺そうと、いつも目の前には畑がある。カゴいっぱいに作物を乗せて、少女が目の前を通り過ぎていった。その先には大人達が居る。どこか表情の堅い大人達の中には、1人だけ項垂れて膝を落とした者が居た。

「ほら、お前も食えよ」

「い、良いのか、本当に」

「その代わり、盗みと殺しはもうやめろ、いいな?」

「あ、ああ、ありがてぇ、すまねぇ、ううっ・・・すまねぇ」

――人は殺し合うだけじゃない。――人の中には希望がある。勇ましい者達の言葉の意味を考えていた。我が存在するという事は、人間の中に負の感情が存在するという事。しかし負の感情は、人間が栄える為の種として有意義ではない。

「はい、おじさん」

少女が目の前にやってきて、果実を1つ差し出してきた。何となく受け取ってみると、少女は笑顔を浮かべ、去っていった。果実は赤々と、大きく実っていた。

「・・・希望、か」


27回目。

新しい世界、新しい時代、新しい国々。人間は懲りずに、我を生み続ける。しかしとある勇ましい者は言った。人の本質は、愛し合う事にあると。争いは理解し合えないから起こる、しかし本気にさえなれば理解し合えないなんて事は絶対にないと。確かにそうであるからこそ人間が栄える。しかしどうだ――。

男達は引き出しという引き出しを開け、収納されていたものを片っ端から散らかしていく。食器棚、寝室、どの部屋も逆に見事というほど散らかしていく。そして男達は金目のものだけを袋に詰め、さっさと“その家”から姿を消した。魔王は見下ろしていた。糸の切れた人形のように動かない、血にまみれた男と女を。それからその隣の部屋の、婚礼の儀式で着る為にと飾られた真っ白なドレスの手前で、腹を刺され、首を切られて死んでいる全裸の若い女を。一家惨殺、この話は瞬く間に隣近所へと広まった。その後、1人の男がやってきた。男は若い女の死体を前にして、崩れ落ちるように膝を落とした。その男のみならず、隣近所の人々も悲しみに暮れ、そして怒りを奮わせる。その中に紛れていた魔王はふと、自分の手を見下ろした。体中にみなぎる負の感情。しかしこんな感覚は初めてではない。――そう、人間は常に、我を強くする。

とある勇ましい者は言った。どんな時にも希望はあると。希望を感じようとする事を忘れなければ、何が起きても大丈夫と。魔王は見上げていた。音を上げて燃え盛る一軒の家屋を。

「お前も手伝え!!」

半ば強引に押し付けられたバケツを持ち、魔王は掬った水を炎に撒き散らしていく。何人もの“やじ馬”の男達が休まずに水を撒き、やっと鎮火した頃、すでに家屋は真っ黒に焼けていた。それから当然、誰が火を放ったかという話が沸き立つ。しかしすぐにその答えは出た。結婚間近の女が家族共々殺された“その家”に火を放ったのは、殺された女の婚約者だった男だと。その男は姿を消している。しかし焼けた家には人間の死体は無い。その後、近所の人間の目撃談に耳を傾けた魔王は炭坑に居た。そこは生活に困窮した“ならず者達”もよく働きに来る場所。そして魔王は見下ろしていた。2人の男の死体と、包丁を持ったその男を。婚約者を殺されたその男。魔王はふと思い出す。強盗に入った3人の最後の1人を。しかしその男も犯人像を前もって聞いていたのか、“まるで欲にまみれた強盗のように”最後の1人を捜して歩き出す。

「や、やめろ・・・。わ、悪かった、悪かったって」

魔王はふと思い出していた。強引に裸にされ、恐怖に怯えきった女と、その女に乗っかり、首筋に刃物を当てる男。しかし今や女を殺した男は、“女と同じ立場”に成り果てた。一方は死の恐怖に怯え、“刃物を持つ方”は人間とは思えない形相。最早その男に声など届かない。馬乗りで首を絞められながら、そして刃先は左胸に当てられ、ゆっくりと皮膚を破っていった。

「ぐ、が・・・あ・・・が」

ゆっくり、ゆっくりと刃が体に入っていく。強盗の男の目は血走り、どこを見ているのか分からないほどギョロギョロと蠢いていく。やがて男の目から光が消え、その男は空を仰いだ。力が抜けたようにだらんと腕を垂らして。それからその男はそこら辺に置いてあったロープを持ち、炭坑を去っていった。ただ何となく、魔王は“末路”に興味を抱いていた。

「止めないでくれ」

「そんなつもりはない。我はお前の女が殺された事を知ってる。だからお前があいつらを殺すのを止めなかっただろ?」

その男は木にロープを括りつけ、輪っかを垂らしていた。低い枝に座り込んだ男は鼻で笑うと、ロープを手繰り寄せ、輪っかに頭を通した。

「なあ、人生って、何なんだ」

「お前が分からないなら、我にも分からない。ただ、お前は、勇ましい」

「・・・え?」

「いつか会った、勇ましい者に似ている。愛する者の為に戦ったお前は、勇ましい」

「ふっ・・・。それはどうも。だが、メアリーの居ない人生に意味はないんだ」

そう言うと男は枝から静かに飛び降りた。首だけでぶら下がり、徐々に動かなくなっていく。しかしその表情はどこか安らかそうだった。――しかしどうだ、この人間は、どこに希望を感じる事が出来たというのだ。

とある勇ましい者は言った。人間は、希望を抱く為に生きているのだと。魔王は眺めていた。子供達にパンを配る1人の男を。どこかでは誰かが命を絶ち、どこかでは誰かが命を繋いでいく。確かに、どうやら希望はあるようだ。その後、とある港町を始めとして、その隣町、そのまた隣町と、間欠泉のように噴き出す瘴気の柱から嗅ぎ付けてきた勇ましい者。彼は瘴気に手を伸ばした。元来、勇者は瘴気の影響を受けない。特徴と言えばそれだけだった。しかし今は、纏う光を操り、瘴気を消滅させる。魔王や勇者、瘴気や光といったものを知らない人々は勇者の光を“プラーナ”と呼び、プラーナを操る者は祈祷師と呼ばれる。由来は司教などの神職を務める者やそれに近しかった者を先祖に持つ為であったり、瘴気に侵されて不治の病にかかった人に、ただ手を当てて治したように見えた為である。そう、つまり力を増しているのは魔王だけではないのだ。

「我は、今までに随分とその希望とやらを見てきた。だが、だからこそ余計に解せない。人間は何の為に生きているのか」

「それは流石に俺でも全ては分からない。けどな、人間も動物と同じだ。生けるものは皆、生きる為に生まれる。そして生まれるからには生まれる意味がある。確かに人間は醜い事ばかりする。けどそれが全てって訳でもない。人間にとっては、それも全部含めて生きるって事なんだと思う」

「人間が栄えるのに意味があるなら、我の意味とは何だ」

「それは――」

すると勇ましい者は微笑み、掌を空に向け、光を集め、それで剣を形作った。

「――自分で考えろ」


68回目。

1人の青年が、叫び声を立てながら森から飛び出してきた。必死の形相だ。それは誰の目にも、“逃げてきた”様子だとすぐに分かる。すると森から町に響いてきたその叫び声に、“すぐさま”槍やら剣やらを持った男達がどこからともなく集まってくる。男達は皆鍛えられた体をしていて、同時に傷だらけだ。町の人々には分かっていた。何が起こったのかが。屈強な男達が武器を携え、町を背に並び、逃げてきた青年を待ち構える。全速力で近付いてくる青年、その静けさの直後、轟音が響いた。まるで爆発したように折れて砕けた木々が、青年の背後に飛び散る。それと同時に森から飛び出してきたのはそう、魔獣だ。どこから来たのかは分からない、そもそも元々存在するただの動物なのかも知れない。分かっているのは、人間を喰うという事。“魔”が生み出したものかも知れないと誰かが言った為、いつの日からか魔獣と呼ばれるようになった。

「よーし、今日もいい肉が食えるなあ」

男達が息絶えた魔獣を引きずっていく。人々は当然魔獣を恐れる。しかし自然と戦う者が現れ、そうやって人間は生き延びていく。今では当然のように、魔獣の肉は市場に並ぶ。そんな町からずっと離れた山脈、その1つの山の麓に空いた洞窟の中に、魔王は居た。無数の垂れ下がる石柱、広大な水溜まり、真っ暗闇の空間、そんな場所で独り座り込む魔王。

脳裏にこびりつく、戦いの記憶。確か、28回目くらいの時からだ、躍起になったのは。単純に、全力を出せば何か掴めるかと考えた。人間という人間を瘴気で殺し、町という町を瘴気で侵し、国という国を瘴気で滅ぼした。しかし未だに、疑問は消えない。人間が栄えるほど我は強くなり、その我が全力で人間を襲う。なのに我は勇ましい者に必ず滅される。転生する度強くなるのに、必ず滅される。・・・いや、我は弱いのか?。今もこの体にみなぎる力は、一体何なんだ。何度やっても失敗する。人間を殺す生き物、人間。その人間が生み出す我は、人間を滅ぼす事が出来ない。なら我は、何の為に存在するのだ。――これが、疲労、なのか?

〈牛飼いの青年の場合〉

「はぁ?何だ急に」

「いいから答えろ。まだ答えを持っていないなら今考えろ」

「えー、そう、言われてもなぁ。うーん、人間の本質ねぇ、やっぱり、食うことじゃないか?」

〈果物売りの女の場合〉

「ほ、ほ、本質・・・ですか」

「まだ答えを持っていないなら今考えろ」

「じゃあ、果物買って下さい。そしたら考えます」

「金は持っていない」

「だったら他当たって下さいっふんっ」

〈水車番の男の場合〉

「何だ急に、人生に迷ってんのかぁ?はは。そうだなぁ、やっぱり仕事して金稼ぐことだろ。人生やっぱり金だ」

〈娼婦の場合〉

「本質?そんなの、ふふ、決まってるじゃない?店はそこよ?ゆっくり教えてあ・げ・る」

「金は、持っていない」

「・・・はぁ?」

〈魚屋の男の場合〉

「それよりお前、頬が赤いぞ?女にでもひっぱたかれたのか?」

「あぁ。娼婦に金はないと言ったらいきなりだ」

「そらそうだろうよぉ。まあでも、聞いた相手はあながち見当違いでもないな」

「どういう意味だ」

「お前、女を愛した事ないのか?」

「ない」

「その歳でか?珍しいな。まあいいか。やっぱり人間の本質っつったら・・・いや、こればっかりは言葉だけじゃ分からん」

「なら、どうすればいい」

「簡単だよ、女を愛してみろ」

「つまり、孕ませるのか」

「あっはっは。そういう意味じゃ・・・まあそれも含めてだ。けどそれだけじゃない。男ってのは不思議でな、女を愛しちまうと、何もかもが変わるんだよ」

「何もかも?」

「あ、そうだなぁ、だったら、紹介してやるよ。知り合いに年頃の娘がいる」

「紹介・・・」

「確か、今年で16だったかな。おーいマーリーちょっと店見ててくれー出かけてくるわー」

「・・・はーい」

「さて行くか、すぐ近くさ、その角を曲がった先の薬草屋だ。お前名前は」

「・・・マ、・・・マオ」

「俺はカーク。知り合いの薬草屋がロン、で娘がリザだ。言っとくが、いきなり孕ますとかダメだからな?先ず女には優しくしろよ?」

「優しく・・・分かった」

〈リザの場合〉

「よぉロン」

「おぉ?カークか、何だ」

「この前言っただろ?そろそろ男でも紹介してやるかって。連れてきてやったぞ?マオだ」

「おいおい、若くねぇな。いくつだよ」

「考えたこともない」

「はっ・・・とんだ田舎者だな、まぁ・・・うん、顔は悪くないか。おーいリザ、ちょっと来い」

「はーい」

「お前、仕事は」

「してない」

「カーク、どっから連れてきたんだ」

「さっき初めて会った、ちょうど良いだろ?へへっ」

「何がちょうど良いんだよ、ったく」

「お父さん」

「おぉ。じゃあ、そうだな、リザ、その男に畑手伝わせてやってくれ」

「え・・・うん」

「じゃあマオ、焦るなよ?」

そう言って肩をポンと叩き、カークは去っていった。それから魔王は当然、畑に立っていた。一体何をしているんだろう。何故こうなったのだろう。そんな事を考えながら。

「リザと言ったか。お前は、人間の本質は何だと思う」

「え?本質・・・ですか。急な質問ですね。とりあえず手は動かして下さい」

「・・・あぁ」

「その、マオさんは、どう思ってるんですか?」

「ずっと考えているが、分からない。人間は醜い事ばかりする。しかしそれだけではない。一方で殺し合い、一方で栄えている。もしその2つの内に本質があるとするならば、それはどちらなのか」

「そういった事でしたら、私は愛し合う方が本質だと思いたいです」

「思いたい?」

「答えは人によって違うものです。そもそも、答えなどないのです」

「答えは・・・ない、か・・・」

「ほら手が止まってますよ?」

「・・・あぁ」

「でも、それなら作ればいいのです。自分の答えを」

「答えを、作る?」

「答えがなければ作ればいい、そうでしょ?」

「初めて聞く答えだ。お前は、聡明だな」

「え、えへ、あ、いえそんな。私、本を読むのが好きなんです。本には色んな事が書いてあります。正反対の事が書いてある本もあります。でもそれはどちらかが間違いという事ではなく。そういう考え方もあるという事、そして、どちらかを自由に選べばいいという事です」

「自由に、選ぶ、か・・・」

しかし我の源は人間の負の感情だ。その我に、選ぶ資格があるのだろうか。だがいつまで経っても答えが見えないのもまた事実。それなら、その“もう1つの本質”とやらを追ってみるのも、いいのかも知れない。

とある日、1つの都市が壊滅した。その元凶は誰もが分かっていた。人を喰らい、火を吐き散らす空の魔獣。人々はそれをドラゴンと呼んだ。そこら辺の魔獣とは比べ物にならない凶暴さと強靭さ。兵隊が列を成し、何度も街を防衛してきた。しかし遂にそれも叶わず、人々はドラゴンに屈した。兵隊は死に、街は燃え、人々は逃げ去った。それでも国王は諦めず、ドラゴンに落とされた街に兵隊を送る。

「ファリナド王!」

王間に駆け込んでくる1人の兵士。その胸には国王から直々に贈呈される勲章が光る。彼は功績を上げ、国王からも信頼されている1人。そんな彼が慌ててやってきた。国王、付き人達、並びに国王の護衛達も皆、その姿に目を向ける。

「現れました!・・・プラーナを、操る者が」

「何!?本当か?先ずは連れて参れ」

「それが、ドラゴンを倒すと、そのままどこかへと」

「ドラゴンを倒した!?いいから捜し出すのだ!」

「ははっ」

魔王は見下ろしていた。腰ほどまでに伸びた蔓から実る赤い果実を。そして思い出していた。同じような赤い果実を実らせていた1本の木を。それは66回目の事だ。木に瘴気を溜めていた。以前と同じような目的ではなく、何が起こるのかという実験的な意味を込めて。しかしその何かを見届ける前に、勇ましい者に滅された。あれはどうしてるだろう。何か特異な変化は起きたのだろうか。記憶の限りでは、あの木の赤い果実は周りの同じものよりも赤黒くなっていた程度だった。

「優しくする、とは何だ」

「えっと、困っている人に、手を差しのべる事です」

「差しのべる・・・」

「と言っても単純ではないのです。落ち込んでいたら優しい言葉をかけるとか。しかしそれだけでもありません。時には、厳しく接するという優しさもあります。愛があるからこそ甘やかさずに接するという事も必要だと書いてもあります」

「愛がある、からこそ、厳しく、か」

魔王は種蒔きを終え、座ってパンをかじっていた。そこで肩を並べているリザは、ほくそ笑んでいた。彼女は魔王の横顔を伺う。その眼差しは常に覇気が無く、常に遠くを見つめている。

「私、こんなに人と話すの、初めてです」

「父親は」

「お父さんは、私が難しい話をしても上の空です。本を読みなさいと自分が言ったのに。同年代の友達も、難しい話は苦手なので」

「そうか」

落ちた街を行く兵士達は、街に戻ってきた人々を見ていた。ドラゴンが倒された事を知り、街を作り直そうと帰ってくる人々。人々は口々に、勇者と言っている。牙を折り、脳天に突き刺したとか、尻尾を掴み片手で振り回したとか色々と誇張はあるが、胸に勲章を光らせる兵士、ハーロットはその目に焼き付けていた。光輝く剣を。倒れた人々の介抱、倒れてくるドラゴンの死体、その上火の海の街という状況に、勇者とやらを見逃してしまった。

〈店先の男の証言〉

「その勇者を、その目で見たか?」

「え?あ、いや見てない。オレは聞いただけだ」

「誰から」

「えーと、誰って・・・あんた誰から聞いた?」

「オレはあそこで木を切ってるローダから」

〈ローダの証言〉

「ドラゴンを倒した男の行方を知ってるか」

「行方・・・いや」

「お前から勇者の話を聞いたという男から話を聞いてきたのだ。お前が勇者を見たのではないのか」

「ああ、俺は・・・酒屋で聞いた」

〈酒屋のマリーの証言〉

「あら、兵隊の方が昼から酒かい?」

「い、いや」

「大丈夫だよー何も他の兵隊の方に告げ口したりしないから、ほら座りな」

「あ、あぁ」

「兵隊の方も人間だからねぇ、こんな時でも酒が欲しくなるものさ。恥ずかしがる必要はないよ」

「ところで、あなたはドラゴンを倒した者をその目で見たのか?」

「ああ見たよ?いやぁここだけの話、ドラゴンの皮とヒレを漬け込んだヴィヌーがあるんだ。一口どうだい?」

「いや酒を飲みに来たのではない、そのドラゴンを倒した者を捜している」

「ここは酒屋だ。客じゃなきゃ話してやれないかなぁ」

「な・・・く、分かった分かった、なら1杯貰おうか」

「そう来なくちゃね」

ニヤリと微笑んで見せたマリー、すると彼女は透き通った淡い色のヴィヌーを見せつけるように手に取った。

「ほらこれだよ、この大きなヒレに分厚い皮。昨日から漬け込んで、ちょっとは色が濃くなったんだよ。あぁ貴重なもんだからねぇ、1枚でいいから、銀が欲しいなぁ」

「銀だとぉ!?まったく・・・いや、それほどの価値があるか、飲んでから決める」

「そうかい、まあいいよ」

指ほどの小さなグラスに注がれた、少し色の濃い白のヴィヌー。ハーロットは半信半疑で、それを一気に飲み込んだ。

「んっ!何だこれは。色よりも、舌に絡む味の濃さに驚きがある」

「だろ?」

「だが、銅で8枚が妥当じゃないか?銀じゃ商売にならないだろ」

「分かってないねぇ、いいのかい?銅じゃすぐに無くなっちまうよ?こういうのは商売を考えるより嗜好で飲まなきゃだめなんだよ」

「んー、そうか・・・分かった、仕方ないな。それならもっと強い酒にした方が良いんじゃないか?」

「ふふっ、この私が、そんな事考えてなかったと思うかい?価値は決まったし、強いのなら銀1枚と銅5枚で出すよ?」

「ほう・・・」

まだ勲章を持っていない兵士が、“聞き込み”の為にふらっと酒屋に入り込んだ。未来ある若い兵士、アウス。しかし彼が見たのは酒屋のマリーと談笑する隊長の姿だった。手分けして聞き込みすると提案した隊長。なのにその隊長が、まさか酒屋で、酒を飲んでいたとは。

「・・・隊長」

「ん、おぉアウス、何か分かったか」

「は、はい。シドの村の出身だと聞いた者が居ました。隊長、まさか、酒を飲んでたんですか」

「ドラゴンの皮とヒレを漬け込んだヴィヌーだ。銀の価値がある味の濃さだぞ?」

「そそ、そうなんですか?じゃあ俺も・・・とはなりませんよ隊長、さっさと行きますよ?」

「・・・あぁ」

突き抜ける爽快な音が響く。降り下ろされた斧が、気持ちよく薪を割る音だ。円い薪を半分に、そして半円の薪をもう半分に。パキン、パキンと薪が転がる。そんな日常で鍛えられた青年、エメス。彼が居るのは、ドラゴンの話が広まった街の外れの村。そんな場所に、兵隊がやってきた。斧を地に立て、何事かと兵隊を見つめるエメス。

それからエメスは王間に居た。兵隊達に“見つけられても”エメスは焦りや敵意は見せなかった。ハーロットが勇者かと問えばエメスはそうだと応え、何故黙って消えたかと問えばエメスは「やるべき事をやっただけで、目立ちたいからやった訳じゃない」と、苦笑して応えた。

「この度の功績、国王として心から礼を言う」

「いえ、勿体ないお言葉です」

「それに体も良く鍛えられている。お前さえ良ければ我が兵として国の為に働いてみないか」

「・・・俺には離れられない家族がいます。俺が離れたら、畑仕事と薪割り、それから狩りをする人が居なくなります」

「うむ。ならば家族ごと、城下町に移り住めば良い」

「・・・でしたら、その良い暮らしを、もっと貧しい人達に譲ります」

「・・・うわっはっはっは!なんと清らかな心の持ち主。うむ、ならば・・・そうだな、望むものがあれば何でも用意してやろう。家を豪華に建て替えて欲しいならそうしてやるし、人手が欲しいなら召し使いもやる、それとも伴侶が居ないならそれも用意するが」

「・・・でしたら、母の為に奉公人を1人」

「・・・そうか、欲の無い男だな」

魔王は戸惑っていた。市場で買ったものを抱え、リザと共に家に帰る。その家路に対して、リザの横顔に対して、戸惑いを覚えていた。リザは“答え”を沢山持っている。何かを問えば尽く答えを出す。しかしその事よりも、最早この戸惑いが這う虫のように煩わしい。まさか我が、人間のように生活する事になるとは。

「お父さん、今朝市場で聞いたんだけど、魔獣が来てるんだって」

「何だそれは」

「人間を食べる怖い獣。北の国ではもう魔獣の肉とか食べられてるって」

「暇な男達の仕事が増えて良いんじゃないか?」

「そうだけど、その北の国の、1つの大きな街がね、魔獣に落とされたって」

「そんな危険な魔獣もいるのか。その魔獣がこっちに来るって?」

「ううん、その魔獣は倒されたみたい。魔獣って年々増えてるみたいだよ?」

「そうか」

木と木がぶつかる音が鳴る。魔王は杭を地面に打ち付けていた。木槌を大きく振りかぶり、ゴン、ゴンと、とある範囲を縁取って、紐を張り、囲いを作った。動物から畑を守る為の囲い。そんな一仕事を終えた時、魔王は目に留めた。囲いの向こうに立ち、畑を見つめる動物を。白い毛皮に細い4本足という姿の動物だ。

「どうだ、囲いがあれば、畑に踏み込めまい」

白い動物はピョンと跳ね、畑に入った。

「何だと!?」

「ベェ~」

「もうーヘンリー、畑に入ったらだめだよー」

白い動物、ヘンリーはロンの家畜。いつもベェベェと鳴き、リザを困らせているようで、和ませている。どうやら人間の言葉は分からないが、感情を感じとる事は出来るらしい。洗濯物を干しているリザが名前を呼ぶと、ヘンリーはとぼとぼと囲いを出ていき、雑草を食べていく。

突き抜ける爽快な音が響く。エメスはいつものように薪割りをしていた。国王に手配して貰った奉公人の女を連れ、家に帰ったエメス。それはそれは母親は喜んだ。奉公人も真面目で人当たりが良い。割られた薪が左右に転がったそんな時、エメスは斧を地に立てた。慌ててやってきた兵士を目に留めたのだ。その男はハーロットだった。

「ドラゴンだ!」

「お兄ちゃん?」

「ちょっと行ってくるからな?」

カランと斧が倒れる音が妙に耳に突いた。エメスの弟、ケビはポカンと突っ立ったまま、去っていくエメスを見つめていた。走っているエメスは思い出していた。ドラゴンの存在を知るのが遅かったから、この前は街が焼かれてしまった。しかし今、目の前に居るドラゴンはまだ街を焼いていない。人々が逃げ去っていき、兵隊が向かっていく。

「グルゥアアア」

「回り込め!尻尾と足だ!」

ハーロットの号令、人々の悲鳴、降り下ろされた爪や尻尾が建物を破壊する音。そこは戦場だ。そこでエメスは真っ直ぐ突っ立ったまま、ドラゴンを見上げていた。この前とは違う姿のドラゴン。一体どこから、あんなのが出てくるのか。そして前のドラゴンと同じ、動物からは感じない“何となく嫌な雰囲気”。

「おいエメス!早くしろ」

「分かってる」

エメスは右手を天に掲げた。白く、黄色く、まるで太陽の光のように暖かい閃光が彼の手から放たれていく。人々の期待が一気に膨らむ。見ただけで希望を感じる、それはそういう光だ。その光はドラゴンの動きを鈍らせる作用もあり、兵隊ならずとも人々にとって、勇者の存在自体が正に勝利を確信するものだ。

「おい逃げるぞ!追え!」

魔王はふと、立ち上がった。木陰で本を読んでいたリザはふと魔王に目を向ける。魔王は遠くを見ていた。まるで何かに取り憑かれたように。

「マオさん?どうかしました?」

「感じるのだ」

「何をですか」

「分からない。だから見に行ってくる」

「え?・・・あ、ちょっと、マオさーん」

魔王は夢中で走っていた。感じる。何を感じているかは分からない。しかしその胸騒ぎは無意識に足を向かせるものだった。森を駆け、川沿いを上り、最早、ここがどこだか分からない。そんな場所でやがて、魔王は巨大な亡骸を見つけた。今までに見たこともない巨大な亡骸。すでに死んでいるようだが、魔王は確信していた。これが、胸騒ぎの正体だと。

「そこで何してる」

鎧を着た男が静寂を破る。そこにあったのは巨大な亡骸だけではなかった。数人の兵隊、そして光輝く剣を持つ男の姿もあった。その一瞬、光輝く剣の存在で、魔王は1つ悟った。その男は、かの勇ましい者だという事を。

「この亡骸は何だ」

「農民か?まあいい、魔獣の事くらいは知っているだろ?」

ハーロットが魔王に歩み寄る。その横で、かの聖剣を持つ男は聖剣を消し去り、興味が無さそうに“農民風の男”に背を向けていく。

「魔獣、これが、魔獣なのか」

その亡骸からは、微かに“瘴気”を感じる。魔王の脳裏に再び“あの木とあの果実”が浮かび上がる。周りとは少し色の濃いあの果実から感じた瘴気と、巨大な亡骸から感じる瘴気。関係があるのかどうかは分からない。関係があるのかどうかを調べる方法があるとするなら――。

川沿いを下る途中に見つけた、黄色い果実を実らす木。その果実の1つを握り、瘴気を送り込む。紫がかったところで摘み取り、一先ずはそれを持ち帰る。魔王は迷っていた。ただ、道に。川を下ればリザの家の近くという訳ではなかったのだった。薬草屋のロンの店、そう聞き込みながらようやく辿り着いた家。畑にはリザの姿はない、干している服の傍の木陰にもリザの姿はない。木陰にはリザの本が落ちていた。おもむろに本を拾おうとした時――。

「マオ!」

家から、ロンが姿を現した。ロンの言葉に、魔王は体の力が抜けた。それから、そこには本と果実だけが残された。魔王は立ち尽くしていた。服をボロボロに破かれたリザの死体を目の前にしていた。ロンは崩れ落ち、泣いていた。

「いつ、こうなった」

「まだ、体が、温かいんだよ・・・」

首が赤みがかっていた。微かに指の跡も見える。

「誰が」

「知るかよ!!・・・くそぉっ!・・・まだ、まだ・・・16なのに!何でだよぉ・・・」

魔王は思い出していた。だからこそ自然と、ロンの肩に優しく手を乗せた。リザは言っていたのだ。手を差しのべる事は、優しさだと。魔王は見つめていた。半開きの、リザの死んだ眼を。その時にふと頭に過ったのは、いつかの首を吊った男の姿だった。

「我が、リザを殺した人間を、殺してやる」

鼻を啜ると、ロンも魔王の肩に手を乗せた。その手の力は、魔王も思わずその手を見るほどだった。

「いや、いいんだ。お前まで、リザの為に罪を背負う事はない。その気持ちだけで、俺は嬉しいよ」

「リザの為だけじゃない、ロンの為にもだ。・・・やらせてくれ」

誰がやったかは分からない。いっそこの街すべてを瘴気で覆ってやろうか。何故だろう、“あの煩わしさ”が止まらない。――これが、怒り、なのか?

魔王は固まっていた。そういえば、果実を忘れていたと考えながら。木陰に居たヘンリーが、紫がかった果実を食べていた。そしてすでにヘンリーの体のほとんどが黒くなっていたのだった。みるみるヘンリーは膨らんでいく。角が太く、足も太く、それはまるで、怒りを覚えた自分自身のようだった。

「・・・マァ・・・オ」

「何!?ヘンリー、喋れるのか」

「・・・ミタ」

「何を」

「リザ、ヲ・・・コロ、シタ・・・オ、トコ」

「何だと!?どこだ!」

「セナ、カニ、ノッテ。ニオ、イ、ワカ、ル」

ロンが家をふと出た頃、そこに魔王の姿はなかった。干している服の傍の木陰には、本と食べかけの果実があるだけだった。ロンはおもむろに、リザの本を手に取った。彼の背中は、ただただ悲壮感だけが伺い知れていた。

とある酒屋のカウンターに、そいつは居た。魔王が声をかけると男は気怠そうに振り返る。しかし魔王の顔を見た途端、男は恐れるように表情を一変させた。

「お前が、リザを殺したのか」

しかし直後、男の目つきが変わった。吹き出し、狂気な笑みを浮かべてみせた。

「俺はな、小さい頃から、リザと知り合いで、リザが好きだったんだ。なのに、何だお前はいきなり現れやがって。お前みたいなやつに奪われるくらいだったらな、殺した方がマシだ!ハッ!」

「貴様」

男は笑いだした。ここは酒場だ。酔っているならそう不思議な事じゃない。魔王はそんな様子をただ見ていた。すると男は狂気な笑顔で、更に挑発的に笑い声を含ませた。

「お前の名前、呼んでたぜ?・・・俺に犯されながらな!」

魔王は男の首を掴む。しかし男は据わった目で、ただニヤついて見せていた。

「いい女だった。泣きながらな、感じて喘いでたぜ?」

エメスは斧を地に立てた。街の向こうから、禍々しい悪寒が走ってきていた。何事かと、思わず斧を手放した。カランと斧が倒れる。まるで引き寄せられるように、エメスは馬を走らせていた。どうやら禍々しい悪寒は収まったようだ。だがその代わり、どうしようもないほど胸騒ぎが止まらなかった。そしてやがて辿り着いた街は、“腐っていた”。建物は崩れ落ち、人気は怖いくらい凪いでいた。何がどうなれば街がこうなるのか。エメスはふと何となく、酒屋に入った。そこにはたった1人だけ、倒れている人間の姿があった。ほんの少しだけ安堵し、歩み寄る。しかしその倒れている人間は、首から上が無くなっていた。

魔王は座り込んでいた。あの洞窟を背にして。ただただ、途方に暮れていた。何をする気にもなれない。そんなところに、人の気配がやってきた。小枝を割る人の足音。魔王はゆっくりと顔を上げる。そこに居たのは、エメスだった。

「・・・お前は、俺を一目見て分かったんだろ?“自分を殺す存在”だと。俺も分かってた、お前は負の化身だって」

「・・・何故、あの時、聖剣を消した」

「あの時のお前は、何となく、嫌な雰囲気はしなかった。なのに、あれは、芝居だったのか?やっぱりお前は、“ああいう事”をする為の存在か。それとも、ほんの短い間に、心変わりでもあったのか」

「心変わり?・・・我は、ただ、殺された女の為に、女を殺した男を殺しただけだ」

「・・・お前・・・恋をしたのか」

「・・・恋?いや、自分でも分からない。リザが死んだ時に感じた、胸が詰まるような感覚、これは一体、何だ」

「・・・悲しみだ」

「なぁ、さっさと、殺してくれないか?我はもう、疲れた」

「その悲しみを乗り越える方法ならある」

「何だと?」

「よく聞くのは、新しい恋をする、とか」

「・・・人間の本質とは何だ」

「・・・やっぱり、愛じゃないのか?」

「もう、どうでもいい。人間の事はよく分かった。人間とは、本当に疲れるものだ。しかし今死んでも、我は必ず生まれ変わる。だが何だかもう、その転生が苦痛に思える」

「・・・じゃあ、殺さずに、封印するか。死んだ事にならずに、死んだようになればいい」

「出来るのか?」

「俺に期待してるから、わざわざこんな洞窟の前で待ってたんだろ?」

「フッ。我は初めて、聖剣に感謝する。お前は、今までで、最上の勇者だ」


69回目。

最早、人間などどうでもいい。初めて、我は、我という存在に絶望を感じた。いや、絶望を通り越し、むしろ虚無感といったところだろうか。目の前に居たのは、ひざまづく1人の男だった。

「敵国を滅ぼす為に、邪神様の力をどうかお貸し下さいませ」

「・・・人間の戦争の為に、封印を解いたのか」

これが、人間か。――ああ、リザよ、この目から流れるこの雫は、一体何なんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ