第二の不思議「気まぐれステップス」
旧校舎に入った俺は、ひとまず正面の階段を上がる。
ボールが上から降りてきたなら、部長がいるのは上に違いない。
木造の階段は一段一段踏む度に、軋む音を出す。
軋む音は旧校舎を悲鳴のように遠く響き渡っていく。
LED製の懐中電灯の白い明かりが暗闇を切り裂いていった。
「部長出てきてくださいよ。十分驚きましたから」
返事はない。
どうやらまだ肝試しごっこを続けるつもりのようだ。
「部長氏はまだ来ていない」
背後から耳元に息と声がかかった。
「うわァァ!」
あまりにも突然の声に驚いて叫び声を上げた。
「うわっ、うわぁぁ!」
振り向けば、暗闇に真っ白な顔が浮いていて腰が抜け尻餅をつく。
「私よ。貞子よ」
よくよく見てみれば、見たことのある和人形もとい貞子先輩だった。
表情を一切かえることなく、俺を見下ろしている。
「怖がることないわ」
驚かせた本人が言う台詞じゃない。
あと貴方が言っても説得力皆無なんだが。
綺麗なんだが顔が整いすぎていて、人間離れしてる感がある。
「貞子先輩。そういうのやめてくださいよ」
貞子先輩はくすりと笑い、手に持っていた懐中電灯を付ける。
どうやらLEDではないようで、豆電球特有のオレンジ味を帯びた光が俺を射す。
思っていたよりもだいぶお茶目な人のようだ。
部長も来ていないと言っていたし、そうなると……、
「ボールといい、なかなかやってくれますね」
「……ボール? なんのこと?」
貞子先輩は知らないと言うように首を傾げる。
傾げる首の角度がきつく、首の折れた人形のようだった。
「だからボールですよ。サッカーボールを落として来たのも、貞子先輩、でしょう?」
言っている途中で貞子先輩の表情がまるで変わらないのを見て、自分でも不安になってきた。
貞子先輩は首をゆっくり横に振る。
「私は知らない」
嘘を言っているようには見えない。
しかし、貞子先輩じゃなかったら説明がつかない。
いや……、
「ちょっと失礼します」
ポケットからスマホを取り出し、ショートカットから部長にかける。
電話はすぐにつながるが着信案内が流れる。
圏外か電源を切っていると女性の声が教えてくれた。
間違いない。
部長はすでに来ている。
貞子先輩にもばれないように潜り込んでいる。
しかもスマホの電源を切って場所を悟られないようにしているな。
まったく付き合ってられない。
「部長! いるのはわかってます! これ以上、悪戯を続けるなら俺は帰りますからね」
暗い廊下を俺の叫びが木霊する。
返答はなし。
よし。帰ろう。
「貞子先輩。帰りましょう。あの部長にまともに付き合うのは馬鹿らしいですよ」
貞子先輩は何も言わない。
俺の後を静かについてくる。こえぇよ。
踵を返して階段を下りていく。
「東君。階段の怪談、覚えてる?」
二階を通過したところで耳元からぼそり。
そういうのやめてくれませんかね。
しかも「かいだん」で重なっていて笑うのはどうなんでしょう。
まったくおもしろくないし、笑い方がカタカタでむしろ怖い。ほんと怖い。
「十三段あったわ」
続けてぼそり。
よくある怪談だ。
階段の段数が変わる。
旧校舎の七不思議にもあった。
「気まぐれステップス」だったか。
しかし、俺はすでに知っている。
「貞子先輩。この階段は元々十三段ですよ」
実は部活の帰りに数えておいた。
上から数えても、下から数えても十三段。
十二段から十三段に増えていたのではなくて、元々十三段だ。
「そうね。じゃあ、今、何階にいるのかわかってる?」
……あれ?
さっき二階を通過したから今は一階に向かっているに違いない。
しかし――、しかしだ。
俺はそもそも二階までしか上っていない。
「私たちは確かに二階にいたと思ったのだけれど、違ったかしら?」
この校舎に地下はないはずだ。
少なくとも正面玄関を入ってきて、地下へ伸びる階段は入学以来見たことことがない。
背中に冷たい汗が流れる。
同時に生暖かい息が耳元に吹きかけられる。
「上がった方が――いいんじゃないかしら?」
俺は無言で頷いた。
ここを降りてはいけない。
まだ踊り場にもついていない。
そこから先に進めば引き返せない。
どこかわからない場所につく。
しかし、上がれば二階だ。
こうして俺たちは引き返して階段を上がる。
「強引ね」
無意識のうちに貞子先輩の手をつかんでいたようだ。
彼女の手を冷たく、俺の熱を奪っている。
「すみません」
謝って手を離す。
無事に階段を上がり、壁を見る。
月明かりに示されたその文字は「3F」。
理解できず固まっていると、どこかからピアノの旋律が響いてきた。
俺はこの曲を知っている。
ベートーベン、ピアノソナタ第十四番嬰ハ短調「幻想曲風に」。
通称「月光ソナタ」であった。