PRECIOUS DAYS〜
episode−one
時は三十年前まで遡る。
未来、そこには街道が、繁華街が蜘蛛の巣のように張り巡らされる事になるフェベルゲン王国中心の王都も、数十年前までは馬車を走らせれば荷台は大きく揺れ、過ぎ去った後には砂埃を巻き上げていた。地面は剥き出しで、とても将来、大国と呼ばれるようになるなど近隣諸国は思っても見なかった。
国の半分近い面積が未開の地と言われていたフェアベルゲン王国。しかし、フェアベルゲンの国土面積が抜きん出て周りの国よりも広い訳ではない。単に開拓の速度が追いついていなかったのだ。文化水準も軍事力も隣国より一歩遅れた時代を歩んでいた。
しかし、そんな最中、ここ数年で未開の地の三割は、荒れ地から食物の実がなるレベルまでの畑作が可能になった。そのフェアベルゲン三割の面積に相当する広さを耕作する場合、通常、農民や軍隊を千人単位で動員しても十年は軽くかかるであろう広大な土地である。
しかし、開拓に動員されたのはたったの五百人足らずの人員。
フェアベルゲンの荒れ地を切り拓いていたのが後に『開拓兵』と呼ばれる集団。その集団の構成員は傭兵や集会所の冒険者、放浪者という様な荒削りの面々。勿論、こんな寄せ集めの集団に統率性などあるはずがない。
王国の中流貴族であるレイブンクロー家がこれらの人員を集め指揮をとっていた。
レイブンクロー家の作業方針はそれまで上層階級で蔓延っていた賄賂や横領などを無視し、不必要な官僚を全て除去し、最速最短で開拓を勧めていった。
流石にどれだけ無駄を省こうと、まとめ役が出来損ないならば、することもできないだろう。
レイブンクロー家の当時の当主であるスフィーダ=レイブンクローは持病が悪化した為、息子に実質的な権利を明け渡していた。
その息子、この開拓を指揮していた張本人が ローヴァル=レイブンクロー。黒眼黒髪の中性的な顔立ちは母親に似たのだろう。まだ二十に届かない、そんな齢ながらも温和な表情からは思いもよらないくらい、兎に角、頭が回る。思考の巡り方が異様なのだ。
現在、ローヴァルは執務室に篭もり、大きなデスクに頬杖を付きながら、開拓の手順をまとめていた。その表情からは苛立ちが見て取れる。
「……どうしても足りない。金はともかく、もう一人くらい俺に引けを取らない様な人事官はいないものか」
いくら人を動かすのが得意だとしても俺は一人しか居ない。一人には出来る限界がある。故に俺は、昔から出来るだけ周囲の環境を動かして自分が有利になるよう進めてきた。
執務室に食事を持ち込んでくるメイドが部屋の前に来たようだ。思考を断つ、ドア鈴が鳴る。
「若様、お食事のお時間になりました。本日もお部屋の中でお召し上がりになられますか?」
「あぁ。そうする」
「承知いたしました」
ひとりのメイドが中へと食事を運び込む。その内容が質素なのは致し方ない。『開拓兵』を動かすので手一杯なのだ。
「すまんな。ちゃんとした給料を払えなくて」
「構いません。それに若様、私は生涯貴方に仕えると誓った身です。まぁ……他の貴族に仕えるなど給料の問題度外視して嫌です。お願いですから、追い出さないで下さい」
「そうか、分かった。……助かる」
「ありがとうございます。そう言えば若様、『エイクリア』と名乗る傭兵団が開拓に参加したいとの報告を先ほど請けてきました。いかが致しますか?」
「拒否する理由はない、な。こちらとしても差し出してくれるならば受け取らない道理はない……が」
しかし、ローヴァルの思考はそこで一旦、決断するのに踏みとどまった。『エイクリア傭兵団』、一度、そう遠くない前に聴いたことがある。
「その傭兵団、調べましたが相当な手練が居るようですよ」
「君の諜報能力は相変わらずだな。料理では砂糖と塩を間違えるというのに……」
「あ、ま、またやっちゃいましたか?」
「あぁ、口直しの一品が塩辛いとは斬新だった」
「は、はぅ……」
頬を高潮させ赤くなったままうつむくメイド。
「それより傭兵団の情報が聞きたい」
「は、はい。徹底した調べまではしていませんので、多少の推測も織り交ぜていますが、先日、国境を超えて侵入してきたセリナス帝国の魔法師、騎士団を『エイクリア傭兵団』が単独で撃破しています。特に団の中で『餓狼』と呼ばれている兵士が敵兵の半数以上を単騎特攻して殲滅したそうです」
「大した戦功だな……。となると餓狼は王が与えたコードネームという所かな」
「はい。そのようです」
この国は優秀な人材に二つ名が付くことが多い。それは勲章に近い意味合いを持ち、尚且つ国はソイツをある程度、自国の元で管理出来る。
「取り敢えず、『エイクリア傭兵団』は追々話をつけてゆく。今はやる事が多い」
✳
ミハイ=ルージュは屋敷中を駆け回っていた。両脇に木製のドアを挟んだ絨毯の通路を息を荒げながら慌ただしく廊下を走り抜ける。
「くそ、またかっ!」
三十年時を戻しても全く容姿が変わらないのはさて置き、ミハイはこの時、十七歳。少しばかり休憩をしようと勉強机から離れてみれば母、イリヤ=ルージュの姿がなかった。
能天気、頭の中が雲で出来ているくらい考えなしに何でもやりだす母。その奔放な性格故に手を焼くのは毎度毎度、娘であるミハイだった。幾度となく繰り返すたびに、母イリヤ=ルージュの捜索はミハイの仕事となりつつあった。
索敵魔法を使えばすぐに見つかった。母が料理をしていたのを理由に目を離したのがいけなかった。
どうやらここからそう遠くない山にいるようだ。故に索敵に引っ掛かる母の魔力を手繰り寄せたミハイは不思議に思った。部屋が荒らされていない事からしてまず誘拐の線は無いだろう。というかまず我が家に侵入されて自分が気付かない訳がない。
(あの方角は確か、森と位置が重なる。母上は一体あの森へ何をしに行ったのだ? 最近はレイブンクローの開拓兵があの森へ動員されているのをきくが、少々苦戦しているようだ。それもそのはず、あの森は獣が多い。それ故に山菜なども豊富……昔はよく狩りに行ったもの……だ)
「まさか、食材が足りなくて調達しに行ったのか?」
――阿呆だ。阿呆の極みと言っていいだろう。
この屋敷をでれば数分で着く市場がある。そこである程度の食材なら揃うはず。
判断を下す以前にミハイの身体は動いていた。屋敷から飛び出すように森へ一直線に進んだ。
✳
レイブンクローの時期開拓予定地の森。
そこで心底、少年は苛ついていた。
「おいおい、あと何匹居るんだよ……」
巻き付いたつるが大樹を締め付ける。そんな姿が延々と連なっていた。うっそうとした茂みの奥から赤い瞳が腹をすかしているのか、乾いた視線でこちらを覗く。
少し拓けた所に短刀を片手に下げた少年が無数の赤い斑点の映る茂みへと目を据える。少年の周囲には夥しい数の死体が無造作に転げていた。息の根を止めた本人も途中から数えるのをやめてしまった程にだ。
普通はこんな数の人を襲う野生生物と出逢うことなど滅多にない。山の心得のひとつくらい、かじっていれば獣が密集する結果にはならないだろう。
少年も傭兵団の端くれ。最近は開拓を推し進めるため山に入ることも以前より増して多くなった。そう、ひとりだったらこんな羽目にはならなかった。
「……」
「そ、そんな冷たい目で見ないで下さいぃ……」
てっきり、少年はどっかの貴婦人が森に入って護衛と逸れたものだと思ったら、いきなり山の中で堂々とトワの実を木からもぎ取ったのである。アホかよ、と思わずその光景に言葉を漏らす程度には驚いた。トワの実とは掌サイズの大きさで、味のいい果実と言われるが市場にはほとんど転がって来ない。
収穫すること自体、難しい作業はひとつもないのだが問題はその後にある。
トワの実は木から果実をもぎ取った瞬間、例えどんなに温厚な獣さえも何十年の飢餓に見舞われたように神経を興奮させてしまう物質を大量に噴出、五分も経てば獣の行列が出来上がる。しかも、その興奮作用は小一時間ほど続く。
血糊で短刀の切れ味が鈍り始めていた。既に剣を四本もなまくらにしてしまっている。もう、残りが無い。
「逃げるか……」
既に日没も近付き、空は濃い橙入りに染まっていた。夜分の戦闘は危険だ。無理をすれば視界がほとんどゼロ故に大きな危険を伴う。
「走れるか?」
迷い込んだと思われる貴婦人に尋ねた。
「は、はい。強化の魔法でなんとか」
「ここから東へ走り抜ける。いいな、距離は三千とちょっとだ、獣の速度はそう速くないが持久力がある。無理そうだったら担いで行く……」
年の差的に親と子くらいの差がある筈が、少年も貴婦人も全く意に介していない。
構えた二人に牙をむく獣。4足歩行で成人した人間の腰くらいの体高があり、全身は黒い毛で覆われていて唯一、赤い目だけが深い森の中で色味を帯びてた。
少年は草ヤブから飛び抜け遅い来る獣二匹の脳天を短刀で振り抜き頭蓋を破壊せしめる。血しぶきを上げると同時に、限界が近かった短刀の刀身が折れ、少年の武器がついに尽き果てる。
少年はポケットから閃光弾をひとつ、手で弾き、茂みの中へと投げ入れた。
貴婦人を連れ、振り返ると爆発的な閃光により二人の影が地面に投影される。眼が慣れるまでの間、多少の時間稼ぎにはなるだろう。
「『強化』」
貴婦人の身体の周りが紅く染まり、魔法が発動したのを確認すると、東へ走り出した。
身一つで疾風に似た速さを失う事なく、森の木々をいとも簡単にすり抜けてゆく少年を見つめるイリヤ=ルージュは背後の事を忘れ、思わず尋ねてしまった。
「あなた、騎士の教練でも受けているの?」
「……別に、」
「マントに刺繍されてる鷲のシンボル、『エイクリア傭兵団』よね、何であなたみたいな子供が戦っているの?」
「戦う以外に食っていく手段がないだけだ。それに今は走る事に集中した方がいい。追いつかれる」
「それなら何で逃げる事を選択したのかしら? ――ここからだと森を抜けられないわ」
分かっているなら何故、トワの実をもぎ取った、と言いたくなったが飲み込んだ。それどころではない。
もう追いつかれ始めている。
「この先に川があった。そこまで行けば何とかなる」
「――左後方三百メートルに大型の獣よ、索敵に掛かったわ。気付かれたみたいね、こっちに向かってる」
「……」
少年は返事をせずに黙り込む。
何故この貴婦人はここに居る? 最初は間のぬけたバカかと思ったが、強化の魔法といい、索敵魔法といいかなり上位の魔法を使っている。そんな奴が、獣ごときにに遅れを取るか?
「お互いに隠し合っていないで手を取りながら闘わないかしら?」
「……ちっ、やっぱりそういう腹か。魔法使えるなら後方支援をしてくれ、河原に着いたら俺が殺る」
「はい。りょーかい。ふふふ、面白い子ね」
✳
遮蔽物のない足元が砂利や石で埋め尽くされた河原に降り立つ。
「ねぇねぇ、君は体術得意なの?」
「……独学」
「ねぇねぇ、ねぇねぇ魔法使えるのかしら?」
「……火の玉くらい」
「さっきのぴかー! って光った奴って何?!」
「……」
――七面倒臭い。
何だコイツ。少々前の記憶を省いていなくても、この時点で少年は可笑しな貴婦人としか思えなかった。獣の相手をするより数倍増して面倒だった。
頭を抱えたくなったが
「来る……」
樹齢数百年の木々に鉤爪が掛かった。瞬間、その重量に大木はあっさりと悲鳴を上げへし折れる。
――鋼熊、外殻と呼ばれる体毛は、鋼熊が好んで摂取している鉱物の影響で一本一本がより頑丈に、更にまとまることでその高度を増す。
コイツと対峙した場合、剣や物理ダメージは視野に入れる事は出来ない。
鼠に全身を染めた鋼熊の体高は、背中に乗れば簡単に街の二階建ての宿を窓の外から覗ける。
しかし、すぐに戦闘にはならなかった。こちらに標的を絞った鋼熊を囲むように先ほど群れで遭遇した灰犬が、我が物だと鋼熊に訴えるべく吠えながら四方を囲んだ。
全く意に介していない鋼熊は四方から飛び掛かる灰犬の攻撃を防ぐことなく外殻で受ける。噛み付く群れは一見、優勢と見えるが次の瞬間に鋼熊が二足で立ち上がり、振り解いた灰犬を、前足の先にある野太い四本爪で難なく腹から灰犬を貫く。
刹那、焼き鳥のように串刺しになった灰犬はさながら小魚を放り込むように咀嚼された。骨の折れる音が静かな森に木霊する。
「……凄い後悔してるんだけど、どう?」
「巫山戯るな。……もう、遅い」
「あ、アハハハ。一応、名前教え合っておこうか」
「縁起でも無いことを……」
「イリヤ=ルージュよ、よろしく」
「テト、だ。」
いよいよ、こちらの番だった。
トワの実で神経を刺激され、最上級に興奮した鋼熊は、その体躯に見合わない俊敏な動きで、一気に詰め寄った。
少年は短く綺麗に整った金髪を揺らし、敵の気を引くために前に出た。一言でいえば鋼熊は強い。力や耐久値は王国騎士さえも正面からはぶつかりたくはないと言う。
「――ガァァァァァァッッっ!!!!!」
けたたましい咆哮に胃がせりあがり耳が押し潰されそうになる。
駿脚、テトの身のこなしは、小柄な身体の副産物のような安い速度ではない。鍛え上げられたしなやかな筋肉、ブレない体幹が高レベルの近距離戦闘を可能していた。
腕に刻んだ幾何学模様を浮かべる蒼い魔力回路に魔力を流し込む。魔力格子の原型となった技であり昔は術者自身に刻印を刻んでいた。
即席の魔力ブレードが右手から生成される。
敵の爪を掻い潜り、関節にブレードを叩き付けるが、鋼熊も流石の耐久力を見せる。灰犬に噛みつかれても身じろぎせずに立っていられるその体毛の強度。即席のブレードなど通すはずも無かった。
振りぬかれた鋼熊の腕は地面を刳り、周囲に破砕音を撒き散らした。間一髪、いや、交わす動作が間に合っているがそれも明るいうちだけだろう。
――このままだとジリ貧になる、不利だ。日没まで後、十数分無いだろう。それまでに勝負を決めなければ。
ただ余り人に見せるものでもないしな。出来れば避けたい。
瞬間、
「――召喚印
法術六の型『岩盤男』」
何処からか聞こえた少女の声。
テトの眼下の地面に描かれた紫色を帯びた魔法陣から突如、五体の蠢く物体が現れた。周囲の石が水溶液の様に流動しては固まり、肢体のような形を取った。
――具現魔法か? いや、違う。これは特異型の魔法だ……。
完成したと思われる五体の岩盤男は動きは遅いものの、あっという間に数の暴力で、鋼熊を組み敷いてしまう。どうやら窒息死させるようだ。岩盤男の硬度は鋼熊の爪に劣るが、岩盤男は削られた部分からまるで攻撃が無かった事のように次々と再生している。恐らく術者の魔力による再生機能だろう。実に相手にしたくない敵だ。
「母上!、」
「ふ、ふぅ、助かったわ、ミーちゃん」
テトとイリヤは金髪幼女の登場に救われたのだった。
これが後に黄金伝説として語り継がれた法術の鬼才、『宮廷魔法師師団団長ミハイ=ルージュ』と『賢人テト』の出逢いだった。
「おい……お前誰だ?」
「こら、ミーちゃん駄目でしょ。人にはちゃんと誠意を持って接するの! いつも言っているでしょ!」
「なら母上には今後、邸の外への外出を禁止願いたい」
「素直な娘もいいわ。うん。自己紹介しましょう!!、ねっ!」
この貴婦人は状況に困ると名乗りたくなる癖でもあるのか?
「ふん、……ミハイ=ルージュ、だ。背中の刺繍……ちっ、また傭兵か、近頃ヴァルのお陰でいらん輩がはびこり過ぎだ。……母上を保護してくれたことは感謝する」
訝しげな視線を向けつつ挨拶をされる。
「トワの実をもぎ取った奴の娘か。テトだ」
この二人の小さな火の粉の様な出会いが後に一国を変える大きな嵐の中枢となるのだった。




