合宿 Ⅴ
エリファスが復帰してそれから遅れて覚醒したトイロは大の字に寝そべったまま、病室のベットから除く天井を仰いだ。
……負けた、のか。
初めての感触だった。トイロの過去体験に負けた事実くらい一度はあった。しかし、敵わないと思った勝負はこれが初めてだった。立ちはだかる壁の厚みに打ちのめされて、俺はこうして白い天井を見上げているのだ。
奴は決して、寄って添う事など無い。同情などの余地は皆無だった。
「おっ、やっと目覚めたねー」
トイロが声のする方へ身体を向けると、窓から差し込む陽射しを照り返すアーモンド色の髪が目に入る。見慣れた顔だった。
「サシャ……」
トイロは寝たまま首だけを向けてそう言った。活性魔法により殆ど痛みは無いが、魔力の多量酷使により酷い倦怠感が未だに身体のあちこちに残っている。
陽射しがオレンジ色に染まり、部屋の中は、寝起きの眼には丁度いい具合の刺激であった。
サシャはトイロのベッドの横にある椅子に座り持っていた本に目を落としていた。特に話さずいつも通り良い意味で自分至上主義のサシャであった。
無言の空間に耐えかね、トイロは思わず思ったことを口にしてしまう。
「……なぁ、サシャ。情けないか? 俺が騎士学校の首席で」
サシャは腕を組み、口をへの字に曲げて顔をしかめた。
「うーん、勝って欲しかったのは間違いないかな。エリファスさんが滅茶苦茶強かったとしてもトイロは結果的に負けちゃったし、残念って言ったら残念だねー」
サシャは悪びれる様子もなく率直に答えた。サシャ=グレイシアの癖でもある。全く自分の考えを偽りで包まない。
こいつが思った事は周りも普通の奴なら、まずそう思っている。そこには、思った事をそのまま口に出すか、都合に応じて胸の内に秘めているか、どちらかの二択しかない。
だから……
「あぁ、俺はプライドを賭けた勝負で敗けた。……そうだ。騎士学校の皆に謝罪しなければな。表面上で平気な顔していてもサシャのように劣等感というシコリが残ってしまっては、見習いとはいえ騎士の名折れだろう」
謝意のひとつ示せないようでは、騎士を名乗れる筈がない。
「……え、トイロってそんな人だっけ?」
「謝ると言ってるんだ、何の問題がある」
「あはは、意外だねー。びっくりしちゃった」
トイロは盛大に溜息をつく。
「それより、今何時だ? 身体を起こせない。この角度からだと時計が見えん」
「はいはい。四時半だよ。もう大体の講習は終わってまーす、私も少し前に来た所だし。先生もゆっくり休めーって言ってたよ」
「そうか。……その、それでエリファスは授業に出ていたのか?」
「居なかった、かな? 範囲魔術の講習には出てなかったし、部屋にいるとおもうよ」
トイロは不思議そうな顔をして「あいつも疲弊していたのか?」と言った。まるで怪物扱いだった。
サシャは満足そうに背筋を伸ばすと
「それじゃ、私はもう行くね。お風呂混み合っちゃうから」
「あぁ、ありがとう」
「いえいえー」
看護室から踵を返したサシャはドアを開けて部屋を目指す。
かつかつと無機質な足音が廊下に木霊する。トイロのいる部屋の扉が丁度見えなくなると
「私の婚約者は良い人になったねー。人はやっぱり負けると何か変わるのかなぁ。まっ、いい方向に軌道修正してたみたいだし良しとしますか!」
それはまた自分至上主義サシャの本音であった。
✳
時は少々遡る。模擬戦の決着後リースやマードレット、模擬戦を監督した先生方の配慮により、エリファスは自室へと向う事になった。教師陣も生徒も、あのレベルの闘いの後、二人に対して授業を強要できるくらいの良い性格はしていない。事実トイロは打撃による意識昏倒でしばらく目が覚めないだろう。覚めたとしてもアレだけ魔力を乱発的に使えばそれこそ1日や2日は動けなくなる。
エリファスは本館へと脚をふらつかせるフリをしながらも長椅子を見つけ座り込む。正直な話し、休むほど疲弊してはいないが、あの場に長居すると人だかりが出来そうだった。俺はこうして目につかない所に居たほうが良いだろ。
座ったまま前のめりの姿勢で頭を手のひらで支える。
トイロは総じて強かったな。
中でも秀でている剣術の才能なら相当なものだ。そして剣術に見劣りしないくらいの大胆かつ繊細な魔力コントロール。育ちも良かったのだろう。
まだ若いが強敵と呼ぶに相応しい相手であった。これから先、この国を掻き回す存在になるかもしれない。一戦交えれば分かる。打てば何倍にも響く奴だ。俺には出来なかった事すらやってのけるかもな。
まぁ、少し感情的になりやすい部分を除けば化ける奴だ。
「……それより、こうしていてはやる事がないな。あまり時間を無駄に使いたくない。ほとぼりが冷めるまで部屋に籠城しているか」
重い腰を上げようとすると、はつらつとした声がエリファスをその場に留めた。
「あら! 貴方ってもしかしてさっき戦ってた子よね」
俺はその喋り掛けてきた人に思い当たる節が合ったので取り敢えず会釈しながら身体を向ける。
「どうも、あんな朝早くからご飯を作らせてしまってすいません」
「いいのよ、いいのよ〜そんなこと気にしなくて〜。お陰で今日は仕事終わったし早めに孫の顔を見に戻れるわ!」
割烹着姿で意気揚々と現れたのは、見た目通り、食堂のおばさんだ。講習前に終わる予定だった模擬戦は朝から始まる為、食事を作る時間を特別に繰り上げてもらったのだ。
この名も知らない俺の委頼を食堂のおばさんは嫌な顔ひとつしないで、二つ返事で了承してくれた。見返りを求めるのが正当な時代で育ったエリファスの目には奇異な人として写ったのだ。
「そういえば、食堂の料理、美味しかったです。素材の活かし方も然ることながら、特にあの独特の風味……あれはロッテーゼ特有の調味料を使っていますね」
「あら……随分と詳しいのねぇ。その通りよ。給仕の人の殆がロッテーゼの出身だからああいう味付けになっちゃうんだけど……でも本当に詳しいわね、あれ一回食べたくらいじゃ分からないわ普通」
「はは、身近に居るんですよ。あの味を再現している料理人」
まぁ、周知の通りあの料理人だ。あの店の料理を知ってからロッテーゼの味付けを知った。ロッテーゼ自体がフェアベルゲン王国の辺境にあるため郷土料理については最近まで聞く機会が無かった。
「世の中、意外な料理人もいるもんだねー」
そいつはシスコンの格闘技マニアだから、とは言わないでおこう。
「そういえばこの後は仕事、あがってしまうんですか?」
「ん? まぁ、そうだねー。私も歳だし重労働は出来なくなっちゃったって事もあるけど、ここで働いてる人、結構いるのよ?」
その言葉にエリファスの直感が引っ掛かった。思わず反射的に言葉を紡いでしまう。
「そんなに人を雇っているんですか?」
「うーん。まぁ多いってわけでもないけど〜、負担が無いようには人数居るかね〜」
「……流石はフォーケン家、ですね」
「まっ、最近はどこもかしこも景気いいからね〜」
その言葉に素直に頷くことが出来なかった。まるで魔法で固められたように全身が、ピタリと硬直した。
兄さんのやっている事は本当に間違っているのか……
現にこうしてある程度の幸せを手にしている者もいる。そう、この国は豊かになったのだ。未だに小競り合いが収まらない所を除けば『平和』なんだ。
俺は、何をするんだ?
兄さんを止める?
それは道理に合っているのか?
むしろ俺は世の中の平穏を崩そうとしているんじゃないのか?
「――、ーい、おーい。どうしたんだい、そんな辛気臭い顔しちゃってさ〜。ん! おばさんとのお話、嫌だったかい?」
横から覗き込むおばさんの顔の輪郭が何十にもなり霞んだ。仕切りなしに胃がキリキリと痛みを訴える。身体を伝ってゆく嫌な汗が止まらない。
「い、いえ。そうではありません。少しばかり悩みがありまして」
「ほうほうほう。悩みかぁ。ならおばさんが聞いてあげよう! ほれ、言ってみなされ青二才」
いや、まぁ青二才
……こんな心境にもなると否定出来ないな。
悩みは打ち明けたほうが解決は早い。バレない程度に言ってしまうか。
「二つのうち選ぶとしたら、の話です。一つ目が少数の犠牲を払ってもたらされる安寧、次にその犠牲を増やす代償に大きくなった損害を、全員で負担して凌ぐ道を進む、この2つは果たしてどちらが正解でしょうか……」
「な、なんか唐突の質問にしては難しいねぇ。まっ、アレだよ私しゃ孫が幸せなら今の時代がある程度、満足できるなら何でもいいさ」
どうしてだろう。悩みを話した筈なのに全く明後日の方向の答えが返ってきたんだが。こ、これは、対応の仕方が分からない……
「若いってのは良いことさ。何にでもなれるし、私みたいなおばさんにもなると周り見てそれの感想を言い合うくらいしか出来ないからねぇ」
「……確かに若い人は素晴らしいですね。そもそも見ているものが違う」
「いやいや、何言ってんのさ。あんたこそそんな若い面して、今青春真っ只中だろ?」
「あ、あぁそうでしたね……はは……」
おばさんが何か思いついたような顔をするとニコッと笑った。
「……あんたが今、何に対して悩んでるか分からんけど、確実に言えることは、私の好きだった時代は私がアンタみたいに青春を送ってた時だよ」
思わずその言葉に目を丸くしてしまった。それにはしっかりとした思い当たる節があったのだ。このおばさんの外観からして、この人が指す時代は、俺が政界を手に掛けていた時だ。
聞かずには居られなかった。
「……ワケを聞いても?」
「ふふ、まぁあの時はねぇ、何もかも自分で勝ち取った者が勝ちだったんだよ。だからみんな活き活きしてたし、青春時代ってこともあったけど、楽しかったわぁ。ま、今も今で悪くないけどねぇ」
刺さったまま取れなかった胸の棘がスッと抜けていった。その温かい言葉を聞いて、報われた気がした。安堵して頬が緩む自分がいたのだ。
話している頃に生徒たちの声が静まって来た。外での講習が始まる。
そろそろ太陽は高く昇り、日差しは肌寒い朝とは違い、目を細めるほど強く光を発し、辺りの色味を鮮明に照り返していた。エリファスも椅子の背もたれから背中を離し、おもむろに立ち上がる。
「お、授業受けに行くのかい?」
「いいえ、今日は頭冷やす為に休みます。それに一度はやって見たかったんですよ。『サボり』ってやつを」
「ふふ、それならおばさんは聞かなかったことにしておかなきゃね。それじゃまた何処かで!」
柔和な笑みを浮かべるエリファスはそのおばさんに向かってはっきりとそう言った。
「ありがとうございました」
魔法学校と騎士学校の両学校によって行われるこの合宿も大波であった二人の模擬戦を終えると、大過なく過ぎてゆきいよいよ最終日を迎えた。
最終日、マードレット=ハウエルは生徒全員が集まった前でマイクを握っている。
「本日の講習を始める前に一言、私から皆さんに伝えておく事があります。皆さん知っての通り、今日は合宿最終日です。そして今日までの三日間、日常生活からは遠く得難いものをその手で触れ、その目で見てきた事でしょう。将来どんな道に進もうと最低限人としてやる事は決まっています。『得たものを使いこなせるか』。簡単に聞こえて難しい、でもやりなさい。自分の才能の無さを悲観しているなら工夫しなさい。ここにいる生徒で何も出来ない人は居ません。
……最後です。各講習を担当して下さった先生の元で何を学び、何を己の糧としたか、『最終試験』でそれらを少しでも自らの技として発揮して下さい、以上です」
ここまで読んでくださってありがとうございます。m(__)m
ワケあって更新がかなり遅れます。あらすじに書いておきましたが週に一回更新に変更いたしました。
合宿終わるまではどうにか頑張ろうと思ったんですけど間に合いませんでした。はい、日曜に更新します。
ネタ出しはチャリ乗ってる時とか風呂に入ってる時にする事が多いんですが、今回話はかなりかかって更新ペースを落とすのが前倒しになりました。全力で謝罪いたします。割と今回の話は合宿偏始まってから絶対書くと決めていた部分で、納得行くまで話を練っていたらこの二十六話だけで五回くらい書き直しました。マシになったかはさて置き楽しめて頂けたら幸いです。
追記:感想欄に寄せられた誤字は修正致しますが表現の方はよっぽどおかしく無い限り修正が遅いかもしれません。あらかじめご了承下さい。




