合宿 Ⅳ
合宿二日目にして模擬戦の当日。
エリファスは早めに食事を済ませ、外に出た。まだ日が昇って間もない時間帯。模擬戦の事情を知った食堂のおばさんは気を利かせてくれたので早めに行動が取れた。
軽めに身体を動かす。
取り敢えず今日の模擬戦の作戦は立ててある。魔法を打って相手の出方を見つつ、その後はアドリブだ。
近距離線になるのは間違いないだろう。
「流石に早いな、エリファス」
「アインか。お前も充分早いだろ」
「俺は元々炭鉱場の働き手だ。朝はやくからやらないと終わらないのさ」
背筋を伸ばすアイン。欠伸すると目尻に涙が止まっている。
「俺さ、お前に五口賭けてるからマジで負けんなよ」
「それで和ましたつもりか」
「なははー。んじゃ、朝飯食いに戻るわー」
そのまま踵を返し、宿舎へと向かったアイン。
「……アイツなりの励まし、なのか」
切り返して準備運動を始める。
✳
模擬戦開始予定時刻まで三十分。
敷地にはぞろぞろとやって来た両学院の生徒で溢れかえっていた。
「え、エリファスさん、マント無し……?」
サシャは観戦席として設けられた席に着いて、言った。横にはルプラ、ティファニー、リン、がいる。後ろにはアイン、ウォーカー、シルフレが傍観している。
「アイツは魔法具を一切使わん」
ぶっきらほうに答えたウォーカー。ルプラと既知の仲であった為にそこまで違和感なくサシャとも会話が出来た。もとから土足でづかづかと入り込む、そういう柄のウォーカーではあるが、それでも貴族なりの思慮分別くらいは持ち合わせている。
「でも、エリーって魔法具を使わないのに魔法具は造れるんですよね」
シルフレは苦笑混じりに情報を付け足す。
「騎士学校の方は随分とまた物騒な武器ね。魔剣かなぁ」
リンは不思議そうにその先を見詰める。
直径一キロほどの試合会場に映る二つ人の影。トイロ=バイアスは黒染めの大剣を背負っている。
「『魔法斬り』か。相性は悪そうだな」
「なんだ。知ってたのかウォーカー」
「まぁ、な。噂はよく耳にしてた」
ウォーカーは振り返ったルプラと目が合う。
「エリファスさんが魔法得意でそれをメインに置く戦法なら不利になるよ。間違いなく、それに遮蔽物なんてここに無いしもっと不利になるんじゃない?」
「そうだな。状況だけ見ればエリファスの不利かもな……。まぁでも結果が全てを語ってくれるさ」
「……へぇ、これまた随分信頼しているのね」
ルプラは向き直り正面の二人を見つめる。そして驚きを表情に出さないよう必死に努めた。あのウォーカーが大層な信頼を平民に置くとは何事だろう。それほどにエリファスという男は強いのか。今のウォーカーからは昔の傍若無人な態度は消え、逞しさすら感じる。
「……楽しみね」
誰にも聞こえない声量でルプラはつぶやくのだった。
✳
――開始数分前。
監督役という名目で新たに配属された先生が五人。魔法学校からはマードレット先生とリース先生の二人、騎士学校からはアルドレイ先生を抜いて三人も置かれた。
「よし、今から模擬戦の概要を説明する、ふたりともよく訊け」
アルドレイ先生は二人の間に立ち説明を始める。
「――取り敢えず、ある程度の攻撃は認めるが、トドメをさすのは辞めろ。危険と判断した場合や勝負がついた時点で、監督役の先生方が全力で割って入る。両者ともいいな?」
要約するとこんな感じだ。
「はい、心得ました」
「了解」
二人は背中を向けると歩き出し、距離を三十メートルほど開けて、そこから改めて向き直り構える。
トイロは黒染めの大剣を背中の鞘から抜刀。中段の構え、腰の位置で両手で大剣の柄を握りしめ目の前に合わせる。
力が偏らないよう全身に魔力を分散させ、肉体を臨戦態勢に持ち込む。呼吸を整え、目を据えた。
トイロも譲歩はしているのだ。本来なら脚部に火薬を装填し加速する事で相手に大打撃を与える排莢靴を装備しても良かったが、魔法使い相手という事を視野に入れ無くても向こうは通常装備だ。とても平等な試合とは言い難い。
しかし、ベルンハルトの魔法具を使わないと言う噂は本当だった。
まぁ、いい。何度か魔法を斬って力の差を見せつけてから叩き込んでやる。
「始めッッッッ!!」
怒声にも近いその声を合図に戦いの火蓋が切って落とされた。
先手を打ったのはエリファス=フォード=ベルンハルト。魔法陣を展開、水弾と水槍を発生させ対象物目掛けて加速させる。
(……どうせ難癖付けて最初は、かかってこないんだろう。何発か打ってクセを見抜かせてもらおう)
迫りくる水弾に焦ること無くトイロは大剣を地面に突き刺す。
「盾型」
『魔力格子』それは刻印魔法に似た原理で作用する。武器に魔力が流れ易いよう刻印を刻み、魔力を流すと放射状に広がり物理的に作用する。
一瞬ではあるが武器の範囲が広がるのものと捉えていいだろう。その硬度は鋼鉄に匹敵し、且つ重さを伴わない。有用性に長けた武器加工技術である。
ただ『魔力格子』の弱点、いわば欠点とも言われる所は、魔力の出力が高く無いと発動しない事。加えて使用難易度は複合魔法レベルを会得するくらいに難しい。
トイロの魔力格子は着弾した水魔法を全て弾く。初撃はトイロのガードの方が強度的な優位を譲らなかった。
大剣を引き抜くと同時に踏み出すトイロ。
(……無詠唱にコレだけの手数か。魔法学校首席も頷ける、が俺は負けない)
エリファスもまた心中では面白がっていた。
(魔力格子……。予測範囲内だが面白くなりそうだ)
首席同士の思惑が錯綜する。
二人に膠着状態は訪れない。
エリファスは次の手をすでに展開。虫の羽音がスピーカーで拡張された様な不協和音と共に、トイロの四方から風魔法の圧縮風刃が放たれる。範囲魔術の応用版で刃の形状に魔法を加工し射出したのだ。
前に出たトイロは魔法に囲まれたことに気付き『駿脚』を駆使し、空中を伝う中で二発、刃を交わす。
直後、冷や汗が伝ったのが分かった。交わした刃が、そのまま地面に煙を立て潜り込む。地割れが起こったと錯覚させる程の大きさのエグれたヒビを見て、トイロは今更、相手が殺る気できている事を認識し、背筋に電流が駆け抜けた。
それは『殺し合い』を経験したものと未経験の者の明確な差であった。
これはもう既に模擬戦の枠を超えているのだ。
トイロは進む中で大剣を逆さに持ち変え、身体のひねりを加えて残りの風刃を二回弾く。金属が擦れる様な、けたたましい音が弾いた刃の数だけ鳴り響いた。壁が無いはずなのに未だに反響音がトイロの耳の中を駆けずり回る。それほどに凄まじい衝突であった。
脂汗か冷や汗か判らない汗をかくトイロは、遠慮無しに魔法を放つエリファスをようやく視界に捉える。
こいつは正気なのか、と。死ぬ事は一度くらい考えなかったのか。
対してエリファスの表情は一貫して無であった。何も考えていないのではない、無駄な感傷に浸らず、ただ戦闘に純粋に溺れているのだ。
その証拠に、追加攻撃の雷撃がトイロを襲って来る。
✳
観客席はエリファスの奮闘に湧いていた。魔法学校の生徒にはひたすら無慈悲な魔法発動とも見て取れるが、騎士学校の生徒からすればあのトイロを魔法で封じている様にも見える。
「一体、彼には適性属性いくつあるの……」
サシャは無意識のうちに思った事が口から漏れていた。こんな光景を見たのだ当然かも知れない。
「信じらない……何これ。同時発動してるのに全然、魔法に乱れが無い」
ルプラもサシャ同様に開いた口がふさがらなかった。
「いや、騎士学校の首席も中々なもんだろ。いきなり無詠唱の魔法を連発されたら普通はまず対応出来ない」
ウォーカーはそう告げ口する。戦いをちゃんと見ているやつなら分かる。トイロの対応力の高さを。しかしそれでもなお、トイロの対応力を手数で上回っているのがエリファスだ。
「騎士学校の方、じわじわと間合いを詰めているぞ」
アインは腕を組みながら言う。トイロはエリファスの超数魔法の間を掻い潜りながらほんの少しだが二人の距離は最初より近づいていた。しかしアインは納得の行かない、浮かない表情だった。
「……なんでエリファスは、間合いを削られているのに後ろに下がらない?」
エリファスレベルの攻撃密度なら、後退することでその間合いを保てる。トイロの剣を受けないで済むのだ。その筈がエリファスは最初の位置から全くと言っていいほど動いていないのだった。
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ウォーカーの推測通り、『魔法斬り』の実力は伊達では無かった。黒染めの大剣の刃で、小さな魔法の核を的確に斬り裂き、次々と無に返す。
そしてトイロの『魔力格子』による範囲を拡大した防御や攻撃を含め近距離戦闘術は騎士学校首席を語るには充分であった。
(行ける、行ける……。こいつの撃つ魔法は僅かだがスキがある。このまま魔法を斬りながら押し切れる)
――、なんて思ってるだろうな……
トイロとの射程が縮まるその様子から推測していた。それでも尚、エリファスは半身に体を傾けるだけで下がらずに、魔法を連発する。
ワザと作っているスキでは無い。どうしても《門》の補助が無いと次の魔法を発動する間に攻撃の手が止まる時間が出来てきまう。
それに加え『駿脚』による突出した機動力。
「……やはり、これでは当たらないな」
ぽつり、呟いたエリファスのその言葉を聞いたトイロは無意識の内に口角を上げてしまう。
トイロは脚部に魔力を最大限集中
『駿脚』を発動。
左足による空中方向転換を二回、右足で前方加速を一回、方向転換によりエリファスが自分を見失った事は間違いない。超加速し、左背後から猛スピードで突進。
「喰らえ……」
大剣を剣先をエリファスに向けた時だった。
奴と目線が合う。
何故、自分が捉えられている?
まさか目で追われていたのか?
一体どんな……
トイロの思考が満足に巡る前にエリファスは行動に移る。
エリファスは構えから両手を崩すと手のひらを地面に向けた。そして魔法を発動。その手の先から紅いスパークを放つ魔法陣が三つ連なった。両手で合計六つの魔法陣。
発動した魔法は《範囲魔術の土魔法》+《硬質化》+《帯電は雷魔法》の左右対称である。
手の平をかざした地面からエリファスの手に向かって、土壌中の鉱物が規則的に形を成しながら紅いスパークを放出する。
そして形が整う。両手に握られた二刀の剣。刃渡り六十センチほどの太身で短めの刀身、片刃刀。
トイロの目の前まで迫った剣先を、産み出した剣で一太刀、斬り付ける。金属音が壁のない筈の平地で反響した。エリファスの剣舞にインターバルは存在しない。すぐさま次の手を繰り出す。
紅いスパークを伴う太刀が十数交差し空中に火花を散らす、その衝撃でトイロの大剣が後方へ仰け反る。エリファスへ突進した筈のベクトルを無理矢理ねじ返されたのだ。
後方宙返りするトイロは、その威力のままに吹き飛ばされた事に気付く。着地して大剣を構えたその顔は驚愕の色一色に染まっていた。その事実はトイロ自身でさえもわかっただろう。
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マードレット=ハウエルは監督役に従事する事を忘れ、その光景に魅入っていた。目を点にして、という言葉の意味を体験したような気分だった。
「どうです、ハウエル先生。ウチの生徒は」
隣の男が満足そうに尋ねてくる。試合前は神妙になっていたくせに何を言う。心の中で毒を吐く。そんな事より今は先程のシーンが頭を過って仕方がなかった。
「今の魔法は、一体……」
「三つの魔法の同時発動。土魔法で刀を作って、その上に無系統の硬質化を掛け、最後に攻撃に特化した雷属性の魔法を付与、ですね。使っている魔法は違うけど試験の時と同じだな」
三つの魔法の同時発動。マードレットもエリファスの試験結果を聞いていたがまさか戦闘をしている最中にそれを成すとは思ってもみなかった。第一、魔法は精神状態が大きく影響する繊細な技術だ。マードレットは死角から不意打ちをされたように暫く放心していた。
「……取り敢えず魔法がとても得意なのは分かりました、しかし、あの剣技は何ですか。彼は魔法使いではなくて? 合宿中は近距離格闘術を専攻してたようですが流石に彼の技能の次元が違う事くらい魔法使いの私でも分かりますよ……」
リースもエリファスの剣技の腕に解せなかった。店長を助けた時は魔法だけを使って相手を圧倒したと聞くが格闘技は特に何も話していない。店長がエリファスの事を秘匿する意味もないだろうし。
「ま、今は己の役目を全うしましょう」
「……えぇ、そうですね」
マードレットの歯切れの悪い返事が聞こえた。
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二本の赤黒く光を放つ短刀を十字に交差させ中腰の構えをとるエリファス=フォード=ベルンハルト。その表情に変化が見えることは無い。ただ一点を見つめているような目付きだが、それでいて全くスキがない。
「ハハ……、これが魔法学校首席か」
トイロは自嘲するかのように言った。そして自分の方が上手であるべき剣術も五分の勝負、いや負けているだろう。
状況からすれば完全に敗北を期した。ただトイロは分からなかった。この腹の奥底から湧き上がってくる衝動の正体が。窮地に立たされ高鳴っているのか、得体の知れぬ敵に今頃、畏怖しているのか、しかし何故だろう。不思議と自分を変化させる感傷に悪い気はしなかった。
トイロは少年期から英才として周りからもてはやされて来た。自分より何歳も年上の騎士に勝てるし、それが自らに与えられた天賦の才能の恩恵であると、自分でもその事は分かっていた。皆が自分の才能を認めて舞い上がっていたし、それに乗っかる様に成長してきた。
そして十五年余り生きて来て初めて出逢った、自分の手では決して届かない境地に達した者。
トイロは相対して、肌で感じた。
この人は強い、と。
ならば越えたい。今勝てなくても、負けて恥をかいたとしても関係ない。俺はこの人と闘いたくて仕方ないんだ。
悪寒にも似た鼓動に戦慄する。トイロの全神経はただこの勝負に全てを向けていた。
「行くぞッ!! ベルンハルトォォッ!!!」
大剣を今一度、強く握りしめ敵へと一歩、踏み込む。
対するエリファスは両手に持った短剣が再び紅い雷を帯びる。感電したかと錯覚させるその音はよどみのない、エリファスの今出せる魔法の最大出力だった。
――二人の姿が消える。
同時に駿脚を使用したのだ。その間に、トイロは魔力格子による拡張攻撃を繰り出し、エリファスは身体のひねりを加え回転しながら全てをいなす。
お互いに譲らない。轟音が鳴り響き、火花が散る。
何合か交える内にエリファスの剣の耐久力が限界を迎え、ボロボロになった刀身が半分に折れた。雷の付与魔法は攻撃力を増すだけで、付け焼き刃とも言えるエリファスの剣の方がどうしても耐久値では劣るのだ。
しかし、間髪入れずに土魔法と硬質化を再展開。新たに造られた剣がまたトイロの大剣を強襲する。
次第に剣術の差が見えてきた。トイロの服に切れ込みが入り、そこから赤く血が滲む。
トイロはこのままだとただぶつかり合ってただ負ける事になると察し、一発を決めにエリファスの間合いに深く、接近する。
しかし、諸刃の攻撃でもエリファスに手傷を負わせるには甘かった。
エリファスの両手に持った剣は形を変え、一本のサーベルに。トイロの懐に入り込んだ大剣目掛けて振り下ろすと、強引に地面に押さえ付けた。
エリファスは拳に魔力を魔力格子の要領で集中。それと同じタイミングで脚を振り抜くトイロ。
鈍い音と共に、トイロの頬に魔力で強化したエリファスの拳が炸裂し、エリファスの脇腹にトイロの蹴りがめり込んだ。
後方五メートルほど吹き飛ばされるトイロと対象的に二、三歩腹を抑えながら後退るエリファス。
勝敗は明らかだった。
その場から音が消え去った。
エリファスが負傷した箇所を押さえながら立つと、アルドレイの終了を知らせる掛け声が響いた。




