合宿 Ⅰ
合宿が行われるのは王都から少し西の外れに連なり繁華街の奥に位置するフォーケン家の管轄地。
大きな館が4つ。それに比例するように巨大な実習専用の敷地。ここで今回の授業は行われる。
既に騎士学校生と魔法学校生の人垣でその壮大な敷地の三割ほどを埋めている。
圧巻というべきだろうか。教育機関の最新設備が至るところに設置され、フォーケンのこの国に及ぼす力が見て取れるだろう。一介の貴族が束になっても無理だろう。
「幾らなんでも人多すぎんだろ」とアイン。
「これ位で何を言う」とウォーカー。
「うへぇー晩ご飯なんだろー」とリン。
「はわわわわわわー……」とシルフレ。
「お久しぶりです、エリファスさん」とティファニーが腰の前で両手を合わせて此方にやって来た。
「どうも、先日のパーティー以来ですね」
軽い会釈を入れる。
ティファニーは最近、合宿運営の手伝いでプライベートや学園で接触する機会はほとんど無かった。
「そうですね。その事ですが話しはミラお姉様から聞きました。エリファスさんは会場の防衛に加わって下さっていたのですね。戦果も耳にしています、本当に助かりました。私も敵の事もある程度は把握していますが気を付けて下さい」
ティファニーはミラから俺がミラの守護者を辞めた事を聞いている。
そしてなにより敵の事を知っている、とはもう既にフォーケンは兄さんを敵として認知しているという事か。確かに昨日の警備は厳重過ぎるほどに厳重であった、二家の祝の席でもあり厳戒態勢を敷くのは当然だろうが、あの場であの戦力は余剰も良い所だろう。
もう、兄さんはこの国にけしかける事を上流身分にリークしたのかもしれない。チラホラとそんな情報を店長経由で掴んで入る。
「フォーケンとアルフォードの警備隊の実力あっての結果です。そして誇るべきはティファニーさんの方です。俺は大した事はしていません」
ティファニーはそれを聞くと、柔しく微笑んだ。
「エリファスさんのご厚意なら無碍には出来ませんね。……罪な殿方です、貴方は」
そうやって引いてくれると俺も助かる。ここで俺が名誉なんて貰っても目立つだけで意味がない。
「今回の合宿地はフォーケンの管轄地ですからティファニーさんも何かと忙しかったのでしょう。あまり気に病まず合宿に専念して下さい」
側にいたティファニーと会話を続ける。今回の合宿は両学院ともお互いに高め合ういい機会であると同時に、互いの相容れぬ感情がぶつかる事もある。魔法師と騎士、それぞれに思う事や、価値観があれば解釈も変わる。
ティファニーはフォーケン家令嬢として、合宿を運営する為の仕事を多少なりとも頼まれている事だろう。懸念と昨日の襲撃とがかけ合わさり解消されない不安もある。端的に言うとティファニーの表情は不安によって曇っている、という事である。取り繕うような笑顔がそれを証明している。
「お気遣いありがとうございます。でも大した事はしていません。まだ私なんかに大役は任されませんし……」
「今、貴女に大役を任せるほどフォーケンも愚かではないでしょう。失敗から学ぶものは多いですが進歩を阻害する失敗は害でしかありません。何事も適量を心掛ける事です」
「……エリファスさんは狡いです。いつもそうやって、はぐらかします」
否定出来ないのが心ともない。
だが、彼女の弛緩した表情を見て、つい綻んでしまうのは許して欲しい。
「な、なんで笑ってるんですかぁ!」
「笑っていましたか? それは大変失礼しました。では嗜好を変えて慰めて差し上げます」
「い、いいですよっ! 子供じゃないんですから!」
小動物が餌を頬張るように口を膨らませてぽかぽかと愛らしい音を立てながら拳を叩きつけるティファニー。
止めたと思うと肩を上下させ頬を高潮させた。
「……エリファスさんくらいです。礼節をわきまえ尚且つこうして冗談を交えながら接して下さる方は」
「その言葉、良い意味として受け取っておきますね」
「フォーケンのお嬢さん、そうやって見せつけるのも構いませんが集合がかかっていますよ」
ウォーカーが軽口を叩きながら人の集まりを指差した。
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この合宿はまず座学が皆無である事で有名。実際問題、座学などここに来なくても教材さえあれば自分で出来る。ここに居る間の活動時間はすべて実技に明け暮れる事になる。
合宿は八種類ある専攻科目は各自選ぶ事が可能。
俺の専攻は近距離格闘術と範囲魔術の二種類。範囲魔術とは書いて字の如く、指定した範囲に魔法を発動する技術。難易度的に範囲魔術の制御は、かなり上位の魔法技術に分類される。
不得手では無いが、これから先、微妙な魔法のコントロールが出切るか出来ないで大きく変わるのだ。やっておくに越したことはない
近距離格闘術は魔法が使えない場合の有効な手段である。武器を扱うのは昔から小慣れていた。体術全般はこの身体になってから慣れの為に大量に消化しているので自分の腕に多少の自信はある。だからどのくらい通用するのか試したい。
午前中に範囲魔術、午後に近距離格闘術を学ぶ。
範囲魔術の講師はマードレット=ハウエル先生。リース先生も爆裂などの範囲系を得意とするが、今回あの人は複合系魔法を教えているらしい。
既に範囲魔術専攻の生徒が敷地に集まっている。無論、魔法学校の生徒が相対的に多いが赤い制服の騎士学校の生徒も何人かいる。
「点呼をとるので返事をして下さい」
マードレット先生の点呼が始まり次々に呼ばれる。
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「エリファス=フォード=ベルンハルト」
「はい」
「ウォーカー=バーラン」
「はーい」
「シルフレ=アルカナード」
「は、はぃ!」
「さてと……全員居る様なので講習を始めましょう。その前に範囲魔術の定義、基礎内容を述べてもらいます。ウォーカー=バーラン、分かりますか?」
マードレット先生はどうやらウォーカーをご指名のようだ。対してウォーカーは余裕のある笑みを浮かべながら額から怪しい汗が一筋垂れている。
大層な、取り繕い方だな。
「……はい」
(範囲魔術は座標変換と範囲制御の複合型ですよっ!)
シルフレがマードレット先生の死角からこっそり耳打ちをする。
「範囲魔術は座標変換と範囲制御の複合型です」
「……良く出来ました。ウォーカーくんの言った通り範囲魔術は、座標変換と範囲制御を同時発動する技術を用いたものです。この二つを土台に範囲魔術は成しえます。故にこれから合宿の間にはこの二つを鍛えていきますので皆さん、覚悟して下さい」
「「はい!」」
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基本的にマードレット先生の授業は生徒が各自で模索するような型であった。
的確なアドバイスとそれを元に生徒が各自で紐解いてゆく。
やっていて実感するが範囲魔術は業が深い。決してやればやるほど比例してコントロールの精密さが増すわけではない。微弱な調整の果てに範囲魔術を会得するのだ。どれくらいの魔力を使うと、どれくらいの範囲に魔法を及ぼせるか。魔法によって必要魔力が違えば、その調整法方も多岐に渡る。
「マードレット先生すごい!」
「わー、きれーい!」
「流石はマードレット先生!」
マードレット先生は前の方で魔力コントロールの手本を示しているようだ。
ひるがえした手のひらの上に直径三十センチの水球が出来ている。寸分違わず三十センチを保っている。その範囲だけに魔力を及ぼし水球を維持しているのだ。範囲制御の練習だろう。
俺もあのレベルは小一時間前までは出来なかった。
まぁ今では一センチ単位調整も可能だがな。
「皆さんもやれば必ず出来るようになります。会得が難しい範囲魔術ですがその反面、魔力があるなら誰にでも可能な技術です。諦めずに頑張りましょう」
そうは言っても難しい事には変わりない。と、思っていたマードレットはひとりの生徒を見つめた。
(……もう彼には明日中に追い抜かれちゃうわね。今は追いつかれた、って感じかしら。ほんと嫌味な子……お姉さん意地悪しちゃおーかしら)
「皆さん、彼を参考にして見て下さい。エリファスくん、ちょっと来てくれるかしら?」
彼はバツが悪そうにしながらも前にやって来る。彼と横並びになった時点で両肩を掴み紹介を始めた。
「エリファスくんは今年の魔法学校首席です。既に範囲制御の魔力コントロールなら私と同等の技術を持っています。皆さんと同い年ですし、気さくに教えてくれるでしょう。何せ首席、ですから。エリファスくんも皆に色々と、教えてあげてね? 先生は歳が離れてるし視えてないこともあるかもだから」
エリファスは、珍しく額に青筋を浮かべた。
「……え、えぇ構いませんよ。何せあのマードレット先生のたのみですから」
(あらぁ~、凄い剣幕……。でも、私もよくこんな平民の子と関わるようになったわ。この子のせいと言うかおかげと言うか。去年の私ならまず講習に難癖をつけて平民の子は入れなかっただろうしね……。ありがとう、とでも言っておきますか。せめて胸の内だけでも)
早速エリファスに駆け寄るひとり。赤い制服を着た騎士学校の女の子だった。
「あ、あの! 私、騎士学校のサシャ=グレイシアと言います。範囲制御が苦手で……是非、その技術、教えては頂けないでしょうか?!」
サシャは貴族の娘であった。マードレット=ハウエルとは親同士が親しく、魔法の素養もあった。背丈は中くらいでエリファスと同様にポニーテールで髪を束ねる。くっきりとした二重に、小顔、ブラウンの髪をしている。
エリファスに教えを乞おうとするのは大抵が平民の子であった。サシャ以外は自分より身分が下の子に教えられるのは嫌なのだろう。
「ウォーカー、お前はもう少し魔力を控えて段々と上げていった方が良い。見た感じお前は魔力を下げる云々は下手くそだ」
「う、うるせ。分かったよ。えーっと……最初は少なく段々上げる……だな」
マードレットはその様子を俯瞰し、そして共感していた。入学当初、ウォーカーは平民に対して無粋な態度を取る傾向があったが、今は違う。エリファスを見て色々と覚ったのだろう、なんて矮小な事に拘泥していたのか、と。微笑ましい光景にマードレットはつい笑顔になってしまう。
「うお、できた!……何か掴めそうだわ。ありがとよ、エリファス」
「どういたしまして」
「……的確ですね。これが今年の魔法学校首席の実力」
サシャはその光景に嘆息していた。
「えーっと……グレイシアさん? でしたっけ」
「はい! あ、サシャで良いですよ。その方が短いですし」
「分かりました。ではサシャさん、良いアドバイスが出来るかはさて置き、取り敢えず、どれくらいこまやかな範囲制御を出来るかを見せて下さい。それからです」
サシャは言われた通り今出来る大きさの単位、十センチ間隔でコントロールされた水球を作る。因みにマードレット先生やエリファスは一センチ単位でコントロールが可能。それは小さな硬化を十枚、手の上で積み上げる難易度に等しい。もはや曲芸に近い行為であるだろう。
「サシャさん、イメージを変えましょう。単位を想像して水球を造るのでは無く、綺麗な円を想像して下さい。人によってはそちらの方がすんなり行くこともあります」
「なるほど、綺麗な円ですね! 分かりました!」
その日からエリファスは範囲魔術の講習でマードレットと同じくらいの人気ぶりを発揮するのであった。
✳
午前中の活動が終わり食堂に姿を表す学生たち。言うまでもないが広い。4つある館のうちひとつの半分くらいは食堂の容量として消費されている。
今回の合宿は人数が人数である為、メニューは三種類に絞られているがどれも箸が進みそうなレパートリーだった。
サシャ=グレイシアもまた溢れそうなよだれを必死に抑えどれにすべきか悩んでいた。
(ぜ、全部食べたい……。意外と魔法って使うとお腹空くんだよねぇ。素振りも十分疲れるけど)
「おーい、エリファス。お前は何する?」
「Bの定食メニューだな。アインはどれにするのだ?」
「んー野菜多めがいいからコッチの奴かな」
(Bのやつ食べたら魔法うまくなるかな! なるね! 絶対これは食べ得だよ!)
サシャの並ぶ列が減り、注文をする番になる。
「Bの定食メニューをお願いします」
その声の主はサシャでは無かった。隣の列に並ぶ女性だった。青いロングヘアが印象的ですぐにこの人だと分かった。個人名はまでは定かでないが、着ている制服が青なので魔法学校の人だろう。
(誰だか良く分からないけど、綺麗な人……しかも同じメニューとか。もしかして、あれ? 食べたら綺麗になれる的な)
「お嬢さんどれにすんだい?」
「あ、はい。Bの奴をお願いします!」
「あいよ、ちょっとお待ち」
横の受け取りのレーンにずれる。
「……あ、さっきの」
「あ、グレイシア家のサシャさんですね?」
その美貌にハートを射抜かれたサシャ。心を鷲掴みにされるまでコンマ二秒。頬に逃げ場の失った熱が貯まる。
「はぃぃ。あのお名前を伺っても……?」
「ティファニー=クラン=フォーケンです」
挨拶を交えて二、三言葉を交わすとすぐに食事が出てくる。
サシャは友達が待つテーブルまで料理の乗ったお盆を持ちながら歩く。
(いや~このご飯食べたら一石二鳥だね。あー魔法学校最高だなぁ)
「サシャ〜、なんか随分ご機嫌だねぇ?」
「まぁねぇ。いいこと尽くめだったんだよー」
「うわー、なら私も範囲魔術の講習受けたかったー! ていうか例の魔法学校首席はどうだったの?」
「エリファスさんの事?」
「そうだよ、そうだよ。めっちゃイケメンで尚且つ礼儀正しくて紳士で、極めつけは平民! もうねみんなギラギラしてるんだよー」
サシャは特にそういう印象を持たなかった。どちらかと言うと何か、人間的な関係に無関心な振る舞いが目についた。あまり深く考えない主義のサシャから言える事は、アドバイス上手かったの一言に尽きる。
「まぁ確かにイケメンだよねぇ。金髪にポニーテールが異様に似合っているのは間違いないよ。男子なのに私よりポニーテール似合ってるとか物凄い敗北感」
「うんうん。でもサシャも十分可愛いけどなぁ。鵜呑みにしちゃう辺り」
「え゛マジ?! ていうかポニーテール関係ないじゃん……それ」
「うつつを抜かしていている場合か。合宿中もポイントを奪い合う期間だぞ」
トイロ=バイアスは不機嫌そうにそう言った。
「平気でーす。もうあと一〇〇〇ポイントで進級ボーダーラインクリア出来るし」
「サシャがいつの間にそんな成長を……凄いなぁ」
「マードレット先生に一〇〇ポイント進呈して貰ったんだ。まぁエリファスさんのお陰なんだけどねー」
「うわ、やっぱ狡い!」
「でも、エリファスさんの方が凄いよ。もう四〇〇〇ポイント越えてるらしいし」
「よ、よんせんっ?! え、まだ入学してから一ヶ月経ってないよね……」
サシャのお土産話にそのテーブルはより一層盛り上がる。
トイロ=バイアスは無関心を装いながら空になったトレーを持ち席から立ち上がった。
「……ペテン師が。首席同士、どちらが優秀かこの腕で然と目定めてやる……」




