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さて、戻ってきてみると――妖精は紫色の石を抱きかかえ、不審者を見るような顔で、こちらを威嚇しなおした。
が、レトワが偉そうに、助けてやったと恩を着せると、徐々に意味が分かったらしい。
借りを作るのは嫌だとばかりに、手招きをして、<地下>を案内してくれた。
どこへ行くのか聞いても、捜しモノが見つかる、とだけ答えてくれる。罠だったら<地下>ごと破壊して出ていけばいいさと、レトワが危険なことを嘯くので、リシテは気が気ではなかった。
(どうか、レトワに脅されたこの妖精さんが、悪意を持っていませんように!)
人の知覚など役に立たないくらいの奥底、闇をこえると、徐々に空気が変わってくる。もう、異界としての<地下>に、入ったのかもしれない。
リシテは、隣を行くレトワに話しかけた。
「そういえば、さっきの人達には、この妖精が見えなかったみたい」
「お前は見えたのか? それは……地脈水脈、風脈に耳を澄ませ、読みとろうと努力し、話しかけ、対話を望む召喚士だから、見えたのだろう」
「……それって、何だか魔法使いみたいだね」
「魔法使いのようなものだろう、召喚士は」
「そうかなぁ。自分では、あんまり、直接、すごいことってできないよ……助けてくれて、ありがとう」
「礼を言われるのは、悪い気分ではない」
「リシテ!」
レトワの声に覆い被さるようにして、美しい声がリシテを呼んだ。
「キオ?」
この、薄暗い地下の底に、なぜ、あの銀色のひとが来ているのだろう。しばらく、自分の目が信じられなかった。
だが、見間違いではないらしい。銀の美青年が、憂い顔で、すぐ近くに隠れていた。
「キオも、<地下>に落ちたの!? 大丈夫!?」
「まだ平気だ! それより君は」
「私は大丈夫。レトワもいたし」
「……そう……」
キオの声が沈み込む。
一方、あのとき一緒にいたもののことを、リシテは思い出した。
「あっ、あの赤い竜は?」
「アレは落ちなかったよ。ちゃんと、ひび割れを避けてた」
それから、それから。大切なことを、忘れている。
リシテは悲壮な声を出した。
「お父さんを、捜さなきゃ」
「君のお父さんなら、そこにいたよ」
「え?」
キオの、すらりとした指先が、闇の奥を指し示す。ほのかに、キオの体から、銀色の光が広がった。
そこには、牛や馬やトカゲに似たモノ達が、重なりあうようにして並んでいた。それらのモノの奥に――彼らに囲まれて、食堂のイスみたいなものに腰掛けて、丸い眼鏡と、くるくるした髪の男が、やあやあと、上機嫌に手を振っていた。
「は?」
リシテは思わず、ぽかんとした。
男は、のんきに、グラスの水を飲み干す。そして、リシテも来てしまったのかあ、と笑みをもらした。
「でも、お互い無事でよかった。いやあ参った参った」
しごく嬉しそうに、リシテの父は頭をかいた。
レトワが、本当にアレが本人か、と言わんばかりに、戸惑いの視線を投げてくる。
リシテは、数度、小刻みに頷いた。
アレは間違いなく――父だった。
「あの、泥を見たかい? あれは、触れてはいけない、禁域の魔女だってみんなが言うんだ。あぁ、みんなって言うのは、これまで召喚したことのある、地底に住む<異質なモノ>達と、最近知り合ったモノ達なんだけど……」
<地下>に落とされた直後、リシテの父はいくつかの<異質なモノ>に囲まれた。普通、人間はこんな<地下>に落ちてこないし、落ちてきたとしても、最終的には<異質なモノ>達に食われるのだ。
<異質なモノ>達は、最初、リシテの父のことを食糧だと考えていたようだ。
それなのに、その人間は、まったく、怯えを見せなかった。むしろ、目がきらきらと輝いていた。
<異質なモノ>達は、無神経な男のことが気味悪かった。
どのくらい無神経かというと、「ねえこれどういう仕組み? 触るとどんな感じ? えっ中は空洞なの?」などと言って、羽や牙や角の仕組みを聞いたり触ってくる。
そんな男のことを、皆、うとましがっていた。が、男にあまりに悪気がないので、やがてしょうがないなと、見守る気持ちを持ち始めた。
それにしても――この男。地上に押し返してやりたいが、その動作が目立ちすぎる。もっと強くて、人間嫌いの<異質なモノ>に見つかれば、一瞬で壊されてしまうだろう。
それは、嫌だ。
<異質なモノ>達は、頷きあった。
これが壊れるのは嫌だ。
だから隠すことにした。
人間の匂いが分かりにくくなるように、赤い花の蘂の粉をまいてやった。男の頭に、尖った四本耳のオブジェをつけてやったり、ありとあらゆる魔除けを施してやった。
当人は、<地下>の生活でいろいろと見聞きできて、非常に満足していたが――ようやく娘と、それから大竜の意識の端切れが迎えにきたので、帰ることにしたのだった。
イスから立ち上がりながら、リシテの父はリシテを抱きしめた。リシテも、父にしがみつく。いろんな目に見られているのは分かっていたが、涙ぐむのは止められなかった。
「さぁ僕の、小さいお嬢さん。再会の喜びと近況報告は、うちに帰ってからでも遅くない。君の連れを、紹介してくれるかい」
「あっ……そうだった……お父さん、このひとは、私が召喚したの」
父はリシテを離すと、レトワの方に向き直った。
「やぁ、君があの、アルデバランだね」
陽気に問われて、レトワは不承不承、頷いた。
「そのような名前ではあるが……アルビバランテ、だ」
「それは失礼した。何だか、竜はみんな名前が似ているから! アルビバランテ、だね」
じっと、目を覗き込まれて、黒の大竜は困惑する。心の内を暴かれるような、不愉快なような、妙な気持ちだ。
「……いや。今は。この姿では、レトワと名乗っている」
「レトワ・アルビバランテ。いい名前だね」
「そうか?」
首を傾げて、レトワはリシテの方を見やる。
リシテも同じように首を傾げた。
「確かに、私がレトワってつけたんだけど……きらい?」
「そんなことはない。むしろ好きだ」
何だか万感がこもった言い方になったが、親子はまったく気がつかなかった(父親の方は、フリかもしれない)。
リシテの父は、周りの<異質なモノ>達に手を振った。またね、と言っている辺り、何も反省していないようだ。
「お父さんっ、もう、変なモノは召喚しないで」
「うーん。そうもいかないなぁ」
「お父さん!」
歩き出しながら、父は視線を巡らせた。
「あぁ、そうだ。リシテ、今回の召喚は楽しかった?」
「楽しいというには、不謹慎だけど」
話を変えられた。リシテは、口角を引き下げたが、ちゃんと答えることにした。
「……召喚に応えてもらえて、助かった。私だけじゃ、お父さんを捜せなかったよ」
「それはよかった。それにしても、二人も来てくれるなんて。何を使って召喚したの?」
「召喚したのは、レトワだけ、なんだけど」
「えっ?」
父が、銀髪の青年を振り向いた。
「これは?」
「それは、前、一度召喚したことがあるひと」
「それは知ってる。見たことがあるよ」
「で、今回、キオも……助けてくれたの。ありがとう」
「召喚していないのに、来てくれたんだ?」
リシテの父の視線を受けて、キオは、かすかに首をすくめた。
「召喚してもらえないなら、さ。勝手に、召喚されたことにしようと思って。鞄に入ってた、群青の石をもらった……これで、召喚てことじゃ、だめ?」
キオは、リシテの鞄を抱えて首を傾げた。完全に、召喚の押し売りである。
「……いやはや、熱烈だね……」
「お父さんがさっきのひと達に守られてたほどじゃ、ないよ……」
「えっ? そうかなあ」
不思議な連れとともに、リシテは地上へ向かっていく。
明るい日差しの下に、歩いていく。
(助かったけど……)
さて、どうしたものかと、リシテは少しだけ頭が痛い。
父が戻ってきたのだが――以前召喚したモノと、今回召喚したモノが、当然の顔をしてついてくる。
(もしかして、もうちょっと、うちでご飯を食べて暮らしていくつもりかな)
それはそれで、面白いことなのかもしれないが。
また、あの泥みたいな事件が起こりそうで、リシテの心配の種は尽きそうにないのだった。
*
初めは、やけに仰々しいなと思った。誰かが、何かを召喚しようとしているようだった。その輩は、やたらときらきらしい道具を並べて、必死に、小鳥の雛みたいに鳴いて、助けを求めている。
そんなにわめくと、よからぬ輩に聞きとがめられるだろう。
のっそりと、顔をあげて、黒い竜はため息をつく。
そこまでしなくても、よかろう――初めは、諭してやるつもりだった。
だのに、思ったよりも強く、引っ張られる。
そうして見る夢は、それなりの日常に彩られ、竜の心を和ませた。
そうか。そうか。
ではもうしばらくは――。
顎を前足の上に乗せて、竜はゆったりと微笑んだ。
了