7
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「……うう」
真っ暗だ。明かり一つ見つからない。鞄は、地上に落としてきたようで、手元にない。リシテは完全に丸腰だった。
「レトワ……?」
呼んでみるが、誰も、近くにいる気配がしない。
ぴちょんと、遠くで、岩肌に水が伝う音が聞こえる。
手を伸ばしたら、指先を少し岩で切ってしまった。
「痛い……」
(私、どうしよう……何も、できない)
助けを待つより他に、どうしようもない。方角も、何も分からないのだ。
身をかがめて、息をする。不安に押しつぶされそうで、掌をぎゅっと握り込んだ。
――リシテ。
目をつぶると、父の声が思い出された。
――僕達は、すごいことなんて、ぱぱっとはできない。だから、それができるひとに対して、よいものをプレゼントして、お願いする。
(お父さん……?)
なぜ、今思い出すのだろう。
人は危険なときに、頼りになるヒントを思い出そうとすると言うが――走馬燈みたいに、父の言葉がよみがえってきた。
――祈りも願いも。誰かの心を動かして、物事の流れを変えていく。よい歌。よい食べ物。楽しい踊り、情緒。光と闇のすべてが、力になる。
――僕は、いろんなことが知りたい。だから、祈りと願いを使って、知識を持つ者を引き寄せる。リシテ。僕らの子供。君はどう?
「私は……」
急に、辺りがぱあっと明るくなった。
我知らず、立ち上がって踏み出していた足に、何かが当たる。
紫色に輝くそれは――キノコだった。
「あっ……森で取ったキノコ……」
鞄に入れたつもりが、ポケットにも無意識に詰め込んでいたらしい。
レトワには嫌がられたが、持っていて役に立った。
キノコは、闇に慣れてきた目には、十分に明るかった。
リシテは、ポケットを探ってみる。キャラメルや飴の棒が入っていた。一つずつ、ネズミ型の<異質なモノ>にあげるなどして、交渉しながら――人間を見たかどうか、など聞きだしつつ――リシテは洞穴を進んでいった。
(何だろう、わくわくする?)
緊張して、胸が痛い。なのに、うまく交渉できると、嬉しくて仕方ない。
レトワらしき人を、ネズミ達は見ていなかったし、出口も分からない中、喜んでいる場合ではないのだが。
ネズミ(の形をしたモノ)が、小さく鳴いた。
――ソッチ、だめ。
リシテは、二股に分かれた洞穴の、真っ暗な方を突き進もうとしていた。かすかに、風が吹いてくるので、外への出口でもあるのかと思ったのだが。
――コッチ。
「この先には、何があるの?」
――オオキイ。アブナイ。
それだけを答えて、ネズミが首を傾げる。
リシテの好奇心が、自制心を一瞬だけ上回った。
「ちらっとだけ、見てもいい?」
――ダメ。
ネズミが駆けていく。
案内人を、みすみす逃すわけにもいかない。
リシテは残念に思いながら、脇道探検をあきらめた。ネズミを追って歩き出す。
やがて明るくなってきた。外、ではないようだ。煤けた、たき火の匂いがした。
――ニンゲン。イル。
「案内してくれて、ありがとう」
ネズミ達は、ちちっと鳴き交わして、逃げていった。
(さて……)
人間がいると言っても、安全かどうかは別問題である。
リシテは、そっと、岩穴の隅から顔を出した。
下は広々としている。どうやら、石を掘りだした後の空間――鉱山の跡地のようだった。険しい顔をした男達が、数人、文句を言い合い、歩き回っている。
町の近くの鉱山は、以前はいい石がとれたそうだが、最近は閉山状態だと聞く。石自体は、燃料にしたり、磨いて宝石にしていたらしいが――。
(下には行かない方がよさそう)
食堂の人が言っていた、柄の悪い、一攫千金を狙う男達と、同一人物かもしれない。
ちっちっと、音がする。またあのネズミが戻ってきたのだろうか。
首を傾げたリシテは、自分のいる洞穴の隣、別の穴にある、紫色の光に気がついた。
キノコが光っているのかと思ったが、違う。
薄い羽を背に生やし、薄紫の淡い紗をかぶった妖精が、人には分からない言語で、下方の人間を威嚇していた。まだ人間達は妖精に気づいていない。ツルハシなどの道具を持って、適当に辺りを荒らして回っていた。
(あの妖精……石を守ってるんだ!)
紫水晶にも似た、透明な紫の石を、妖精は抱え込んでいた。親鳥が雛を守ろうとするかのようだった。
(でも、あんなところにいたら見つかっちゃう)
リシテは、慎重に足場を確認して、隣の洞穴に移ろうとした。
リシテに気づいた妖精が、しゃーっしゃーっと威嚇する。
「だ、大丈夫だからっ……もうちょっと、奥へ隠れよう? ね?」
人間など誰でも同じ、とばかりに、妖精が、小さな牙をむき出しにする。
どうにか、リシテの手足が、隣の洞穴に届きそうになる、そのとき。
「何だありゃあ!」
(見つかった!)
驚いたせいで、足が滑った。必死で踏みとどまるが、洞穴の中に自分で戻るよりも、男達が駆けつけてリシテを掴みあげる方が早かった。
「痛い!」
髪を掴まれ、引きずられる。
「おいおい、何でこんなところにガキがいるんだ」
「顔を見られたぜ」
「まぁ、石もどうせこの辺りで売りさばいたりしねえが……用心に越したことはねえな」
リシテの隣で、乱暴に叩かれた紫の石が、一部砕け散った。妖精が騒いでいる。だが、男達には見えないのか、妖精をほとんど相手にしなかった。リシテは、怖さよりも怒りが先に立った。
「そんな、ひどいこと、しないで! 石がほしいなら、そこの妖精に、ちゃんとお願いしなさいよ!」
「何だこのガキ」
「何もできねえガキが。引っ込んでろ!」
「……何も、できなく、ないもの!」
十代後半、リシテは、子どもと言うほど子どもでも、ないのだ。
この石を守るには、どうしたらいい?
ポケットの底に入れていた、蛇の鱗を、男達の足下に投げる。
父の作った、道具や魔法陣もないけれど――震える唇で、呪文を唱える。途中で叩かれそうになったが、リシテはめげなかった。
「この、鱗を、私と一緒に拾ったひと! どうか聞こえるなら、」
「俺をさっさと呼び出さないとは! いい度胸だな雇い主!」
召喚が完了する前に、黒い影が現れた。黒髪に金色の光をまといつかせ、彼は反対側の洞穴の壁を蹴って、軽々と、こちらの岸に飛んでくる。
「何だありゃあ!」
騒ぐ男達には目もくれず――レトワは、リシテに指を突きつけた。
「お前はどこをほっつき歩いていた!? 本来の目的を忘れていないか!」
「わっ忘れてないよ! お父さんを捜すの! でもレトワとはぐれちゃったから、しょうがないじゃない」
「何だこいつ……!」
男達が、怯えて後ずさりする。が、足下に転がる、紫の石に蹴躓いた。妖精が、ここぞとばかりに男達を殴り始める。
「ひっ!?」
「何だ!?」
「ばっ化け物!」
見えないが、何かが触っているのは分かったのだろう――男達は全速力で、後も見ずに逃げていった。
「怪我はないか」
「うん、あの」
男達の悲鳴が聞こえる。遠くで、茶色の塊が、彼らに襲いかかるのが見えた。
「あれ! レトワっ」
「……助けるのか」
「そうだよ! 悪い人でも、食べられるのは見過ごせないよ!」
「仕方ないな」
レトワがため息をつく。だが、一瞬の後にはもう、口元に笑みが浮かんでいた。
「あんまり暴れないで!」
リシテは叫ぶ。妖精を守ろうとしたのだが、むしろ自分が抱きついて怯えている格好だった。
どおんと、天井が大音声で震えている。
泥が、ぎゃあぎゃあと、わめき声をあげる。
レトワは何度でも蹴り飛ばし、あるいは掴んで背負い投げすらした。
相手は泥の形をしているのに、逃げることもできず、ひどく不自由そうにもがく。
「黒、竜、め!」
「む」
一瞬、レトワに隙ができた。中空でもつれた両者だが、泥がレトワを叩き落とした。
「レトワ!」
加勢したいが、何をすればいいだろう。
「えぇと、何か、何か、何か」
ポケットを裏返す。さっきまでに、大分、<異質なモノ>達にあげてしまっていたので、それ以上何も出てこない。
「レトワ! 無事!?」
「あぁ……」
土煙の中から、上着の裾をぼろぼろに裂かれ、けれど体には傷一つ負わずに、男が立ち上がる。にや、と斜に構えた笑みを浮かべた。
「なるほど? 心配される、というのも、面白いな」
「何言ってるの!」
「まぁいい。さて、アルテバイゾン。お前もしばらく眠れ? お前も、古い竜の端くれだろう――恨みつらみの行きどころがなければ、しばらくは寝て暮らしてみろ。面白いものが、見られるかもしれないぞ」
婉然と、笑んで。
レトワが、腕を振りおろす。泥が、見る間に圧縮された。女の、ぐしゃぐしゃに潰れた悲鳴が、鉱山に響きわたる。
泥であったモノは、爪の先ほどもない、ちっぽけな、小石になった。
まだ、恨み言をぶつぶつと言っている。
レトワは辺りを見回してから、リシテの手元に視線を落とした。
「お前、小瓶を持っていないか?」
「持ってないよ。鞄の中にはあるんだけど、鞄を落としてきたから……」
「ではこのままでもいいか」
レトワは、小石を、自分の上着のポケットに入れる。
嫌な予感がして、リシテはこわごわと、レトワを見上げた。
「……それ、持って帰るの?」
「置いて帰るよりマシだろう。妙な輩に拾われて、悪用されると面倒だ」
洞穴は、すっかり静まり返っていた。人間の持ち込んだたき火は消えていたし、さっきの男達も、どうにか、逃げて行ったようだった。
紫の石が、リシテが持っていた(そして洞穴を移ろうとしたときに落とした)キノコのように、うっすらと輝いているばかりである。
「そういえば、レトワは……さっき合流するまで、<地下>のどこにいたの?」
「あぁ……」
躊躇うような、視線の揺らぎがあった。