5
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町の役人にも、泥の姿をした<異質なモノ>がやった事態を、連絡しなくてはならない。
攻撃されたリシテとしては、自分も事情聴取されると覚悟した。
ただし、目撃者となった通行人達は、口々に、自然災害のようなものだから仕方ない、と言ってくれた。
簡単に、事情と氏名をメモ書きして、帰宅を許される。
長く、くねっている坂道をのぼりながら、レトワはリシテの頭部を見下ろした。
「皆、手慣れているようだが。そんなに、あぁいうものが出るのか?」
「昔は、出てたみたいだよ。お父さんが来るちょっと前くらいに、静かになったらしいけど……」
リシテは、空を仰ぐ。空、というよりも――空のほとんどを、覆い隠す、黒々とした巨大な山を見上げた。
「すぐそこに鉱山があって、鉱石が好きな妖精が住み着いたから、人を驚かせたりするタイプの<異質なモノ>は追い払われたみたい?」
「無機物好きな妖精に追い払えるくらいの、弱い輩しかいなかったのか?」
「それって弱いの? どうだろ? 鉱山の奥底は、異界と繋がってるみたいなんだけど、妖精がきゃあきゃあ騒いでうるさいから、あんまり通路を使わなくなった、ってお父さんが……召喚したひとに事情を聞いてたことがあるよ。……もしかして、お父さん、鉱山経由で出会えるかな?」
「それは分からないが。それにしても、妙な土地だな?」
レトワが、ちらりと背後を見やる。地面を軽やかに踏んで、銀髪の青年がついてくるところだった。キオがついてくると、通行人にものすごく、興味深そうに見られるので、ちょっと視線が痛い。リシテは、返答を考えることに集中した。
「山が大きいからかな? 大きくて、偉容のあるモノに、<異質なモノ>達も人間も、何となく惹かれて集まってくる、って」
「それも、父親が言っていたのか?」
「うん」
「会ってみたいような、会わない方が安全なような……怪しげな男だな」
「人のお父さんを怪しげな男っていう一言で説明しないで! 事実だけど」
「事実なのか」
「うん」
お腹が鳴る。ばつが悪くて、リシテは首をすくめた。
「ごめんなさい、ちょっと寄り道していい? お父さんがいなくなってから、あんまり食欲がなくて、食べてないんだよね。いまさら、何だかお腹がすいて……」
「空腹は、謝るようなことか? 自然の摂理だろう」
「……そうだね」
言われてみればそうである。近くの食堂に入り、スパイスやハーブの効いたパンや、平たい生地にたくさんの野菜を乗せたものなど、いろいろ頼んだ。キオは匂いに怯えて、建物の外で待っていた。
*
自宅に戻り、リシテは庭で仁王立ちした。
「ねぇキオ。さっきのお店で言ってたの。最近、悪ぶって、付け払いで食べて帰る、荒くれな人が来るって。その人達は、お金になるようなものが森にあるから、それを掘り返してるんですって」
「そうらしいな」
レトワが相づちを打つ。その辺に放られていた芋類を、投げたり拾ったりしながら。
おざなりなレトワは置いておいて、リシテは真面目な顔を保った。
「だからね、危ないと思うの。キオは、国に帰るか、もしくは、どうしてもここにいるって言うのなら、留守番をお願いする」
「留守番!」
悲壮な叫びをあげたキオに、留守番も大事な仕事だよ、とリシテは真顔で告げる。
「私は、森に行くつもり。森だけど、さっき言った通り、悪意とか暴力とか、貴方の体に悪そうな人達が出るっていうところなの。今から行くと、野宿になっちゃうから、明日。……うちには、ちょっと珍しいものがいっぱいあるのは、知ってるよね? 悪い人が襲ってこないように、見張ってて」
キオが唇を尖らせて、リシテを見る。まるきり子どもの仕草だが、年齢も子どもなのだろうか。分からない。召喚したのは一度だけで――ふわふわした羽やリボンといった、可愛いものを使ったのだ。
レトワが芋を投げてきた。キオが、子猫みたいに、ふーっと威嚇する。
「レトワ!」
「森の中に、赤い竜が来ていると聞いた」
レトワは次の芋を構えながら、キオに笑いかける。
「ここは地脈の声は遠いが、風の精霊は自由に喋っているな。森には鉱山の地下への入り口もあるし、その奥へ踏み込めば、そのうち異界としての<地下>にも通じるだろう。情報通だという赤い竜もいるから、先に話を聞けばなおいい。面白そうじゃないか。そして、――俺は行くが、お前は戦闘に向かない。ここに残れ」
全くの逆効果だった。気持ちを逆なでされたキオが、涙ぐんで、作業部屋に入ろうとしてドアにぶつかってしゃがみ込む。美青年が台無しである。
「お願い」
丸くなってすねてしまったキオに、リシテはイスを差し出した。
「留守番も、必要なの」
戸締まりするし、留守番などしなくてもいいと言えばいいのだが。
不承不承、キオは頷いた。涙さえも銀色を帯びた透明で、宝石みたいで、何だかもったいない。
ぽろっとこぼれた涙を掌で受けて、リシテはふと気がついた。
「キオ。これ、もらってもいい?」
「いいけど」
「ありがとう」
キオの涙を小瓶に入れて、蓋をする。
「君にとっては、召喚されたモノは、道具なんだね」
「うっ……綺麗だから、とっておきたかったけど……確かに、召喚に使えるかもって、思った。ごめんね」
「ううん、いいんだ。もっと、君のモノでいたいのに」
熱烈な告白のようだが、リシテには今一つ理解できない。
「貴方、以前の召喚時に使った羽とリボンが、よっぽど気に入ったんだね」
「そうじゃない」
そうじゃないんだ、と青年は首を振る。しょんぼりしながらイスに座った。
キオはあまり納得していないようだが、ひとまず、話は落ち着いた。
リシテは、住まいにしている建物の、居間を片づけはじめた。ソファーやイスなどを組み合わせて、即席の寝床を二つ作る。
一方、庭で、レトワは銀髪の青年をじっと見た。
「……何だ」
キオは、じりじりと焦りの滲む顔をする。耳を伏せて毛を逆立てた子猫のようである。
レトワは、にやり、とした。
「取引をしないか」
「何だ?」
「私は今、記憶が欠けている。だから、召喚士の要請に即応できない。人間のように、ヒントを探して歩き回らねばならない」
身をかがめ、レトワは囁く。キオからすれば、薄曇りとはいえ太陽を背にした男は、真っ黒な影のように見えた。
「あの娘を、助けてやりたいのだろう?」
「それは、そうだ」
「お前は一角獣の一種のように見える。間違いないか」
用心深く、身を低くして、キオは息を吐き出した。
「……そうだな」
「お前をひとかけらでも食えば、力と記憶が戻るやもしれん」
「は!?」
叫ぶや否や、キオは、ずどん! と相手に頭突きをした。避けるつもりで笑っていたレトワだが、うまくいかずにまともに食らった。
吹き飛ばされて、建物に激突する。
「何! 今の音、何!?」
リシテがドアを蹴るようにして飛び出してくる。
地面に転がったまま、レトワがうめいた。
「今そこで、ヘラ鹿に襲われたのだ……」
「えぇ!?」
「からかっただけなのに、本気で来た……冗談の分からない奴だった……」
「えぇ?」
「鹿じゃないのに……!」
その脇で、暴力沙汰の犯人となったキオが、歯がみしていた。
*
翌朝、日が昇るのもそこそこの時間に、キオは寝床を片づけて、きちんと待っていた。留守番の彼を置いて、リシテは鞄を持って出かける。
手ぶらのレトワが、後に続いた。
早朝の森は、露草の匂いがする。
リシテは、足下の草や木の上、蔓の絡まるところなどを観察する。
レトワが背中を押すようにしてついてきていなかったら、もっとしょっちゅう立ち止まっていただろう。
「あっあんなところに、秋アケビの蔓が」
「いいから進め」
慣れてきたのか、レトワは手際よくリシテを押す。リシテの気をそらせようとして、なのか、話しかけてきた。
「これほど近くにいるくせ、なぜ赤い竜は召喚に応じなかったのだろうな」
「貴方は何で応じてくれたの?」
「忘れたな」
話は数秒で終了した。
さくさく、と草を踏んで歩いていく。
途中、紫色のキノコを見つけた。
「やった!」
リシテは飛び上がる。さっそく、いくつか拾い上げた。
「これ珍しいよ! もっと南に生えてるものなの」
「南に生えているのなら、南に出かけたときに腐るほど手に入るだろう。今、必要か?」
「必要必要。いつ行けるのか分からないから。わぁ、森って、お父さんがあんまり入っちゃいけないって言うから、来たことなかったんだけど……いいなぁ」
さっきから、落ちていた毒蛇の鱗など、いろんなものが、リシテの鞄におさめられている。このキノコも、同じ運命を辿った。
レトワが平坦な声で言った。
「……それを、持って歩くのか」
「だって、これから赤い竜に会うんでしょう? いざというとき、相手の気に入るモノがあるかもしれない。持ってたら、あげられるよ」
「柑橘も、そうなのか?」
「これはおやつ兼用」
リシテは、柑橘の実を、鞄に入れて持ってきたのだ。
「食べる?」
森には涼しい風も吹いている。だが、歩いているせいで少し蒸し暑く感じた。喉が乾く。リシテは鞄を開け、ナイフで皮をむき、房から実を取って、相手に差し出した。皮は、紙に包み、鞄の中にしまいなおす。
実を受け渡すときに、互いの指先がふと触れた。
リシテは不意にびっくりする。
(普通に、飲んだり食べたり、眠ったりもしてたけど)
体温がある、ということに、改めて驚いた。キオはいくらか冷たくて、磁器に触れているような手触りなのだが――この生き物は、違うようだ。
(いろんな、<異質なモノ>が、いるのね)
リシテがじっと見ていると、何を思ったのか、レトワはリシテの頭を撫でた。
「なっ、何?」
「ん? いや、別に」
人間の手というのは、ものをあまり壊さないで済むから便利だなと、レトワは口ずさむ。
「貴方、元が怪力なの? それとも」
力が大きいとか強い、というだけではなくて、巨大な生き物なのだろうか。やたらと高く跳んでいたことなどを考えると、巨大な生き物ではないような、気もするが(巨大なものが空を飛ぶのを、見たことがないので)。
ふと、大きな風が吹いた。なまあたたかくて、湿っぽい。
リシテは、風の吹いてきた方角を見た。くくった自分の髪が、まだ、ちぎれんばかりにそよいでいる。
「ふうん?」
一声が、地を揺るがした。発したモノは、小山を軽々と越える巨体だった。
口を三日月型にひんまげて、真っ赤な生き物が、笑っていた。犬猫のように、行儀よく前足を揃え、とがった歯を見せて、こちらを見下ろしている。
短めの尾が、びゅんと風を切る。開けた草原とはいえ、その生き物は、器用に、小さな木々を避けた。
「来たね」
ごう、と、その口から風が吹き出す。
その背中には、折り畳まれてはいるが、広々とした皮膜の羽。細かな鱗、熱砂に強そうな、堅そうな皮膚。鰐やトカゲにも似た、長い顔。
どこからどう見ても、それは、赤い竜だった。
硬直して、リシテは相手の顔を見上げ続けた。