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「で、どこへ行く」
「うーん。ひとまず、町かな」
「ここも、町の中のようだが」
見回せば、辺りには黒い山々が連なっている。雲をまといつかせた山の麓、坂の多い町の中に、リシテの家は存在していた。
こおん、と、金属音がした。
音源を探して、レトワが首を巡らせる。
「今のは……正午の鐘かな」
説明しながら、リシテは眉を跳ね上げた。
「わっ、ちょっと待ってね、先に仕事してくる」
「仕事?」
リシテは一目散に坂を駆けた。
目指すは、立派なポストのある、石造りの、一階立ての小振りな建物だ。
「遅くなりました!」
叫んで飛び込むと、中にいた店員と、客の老婆がびっくりした。
「あっすみません、大声出して……」
「いいよいいよ。今日の配達かい」
「午前中、他の用事があって、来られなくてごめんなさい」
馬のしっぽみたいに、リシテの背で、黒髪が揺れる。
遅れて、悠然とレトワが現れた。しん、と、辺りが静まり返る。
「あっ、この人は、その、お父さんの知り合いです!」
「あ、あぁそうなんだ。初めまして、手紙や小包等を扱ってる店を経営してます、ウツホです」
店員が挨拶すると、客達もうんうんと頷いた。何となくの一体感だ。
けだるげに息を吐いて、レトワがリシテを見下ろした。
「……レトワと言うものだ。こいつの父親を捜、」
「あっ小包来てますか?」
レトワの自己紹介らしきものを、リシテは慌ててぶったぎった。
荷物を受け取って、リシテは店の隅のテーブルに積みあげる。
しばらくしてレトワが寄ってきたので、小声で説明した。
「お父さんがいなくなったのは、秘密なの!」
「そうなのか? お前のように若い身の上で一人暮らしだと、防犯上いろいろと大変だろう。一人になったのを言ってしまって、匿ってもらうほうがよいのではないか?」
「匿ってもらうっていう表現も、どうかと思うけど……ありがとう、心配してくれて。でも、これは、召喚士の問題なの。貴方が私を心配してくれたように、それ以上に、きっと、町の人も、お父さんのこと心配する。召喚なんていう、魔法みたいなことをしてて、ただでさえ怪しいのに、みんな、普通にしてくれて、優しいんだ。きっと、何とかしようと、してくれる、でも、迷惑をかけたくない」
「赤の他人になら迷惑をかけても、か」
「うっ……」
赤の他人を召喚する、ということについて、ささやかな嫌みを言われた。
リシテはどうにか言い返す。
「貴方は、強いんでしょう? 普通の人間よりは、きっと頼りになる。お父さんを捜すのを、手伝ってくれるって言ってくれた、なら、手伝ってください」
「まぁ、召喚に応じた以上、やぶさかでもない」
「リシテちゃん、これあげる」
店員が、倉庫から品物を出しがてら、掌に乗るような缶詰をくれた。
ラベルを見ると、日持ちするよう、ナッツを入れて乾燥させたクッキーだ。
礼を言ったリシテの後ろで、レトワが気にしている。リシテはさっそく開けて、いくつかをレトワにあげた。
食べながら作業するのは行儀が悪い。だが、リシテはまだお腹もすいているし、お客さんも帰ってしまったので、今のうちなら大丈夫だ。レトワが食べ終えて口を開いた。
「こうした加工品を口にするのは、ほとんど初めてだな」
「さっきの、パンと水のときにも、同じことを言ってたよね?」
「そうだな」
「あのパンと水は、加工品って……言うほどでもないんだけど」
「だが、生まれたままのモノではない。水の方は、柑橘と水でできていたのだろうが、水に加工を施して清涼を味わうのは、面白い考えだな」
「何か難しいこと言われてるような」
「俺が普段しているのは、野生の獅子が、ガゼルをそのまま食うようなことだ。それも、滅多にはしない。ここでは火を通したり、味に仕掛けを施す。面白い」
「面白いのなら、よかったけど」
レトワが元いたところは、どんな場所なのだろうか。
気にはなる。何と言っても、父が落とされたであろう、<地下>に関わるモノに呼びかけて、召喚した、つもりなのだ。
「どんなところに住んでいたの?」
「それを知ってどうする」
「お父さんの居場所に近いだろうし……」
好奇心で、と言うよりは、筋が通っている。
ふうんと、レトワが鼻先で返事をした。
会話の間にも、リシテは小包を、宛先ごとに仕分けする。仕分け前のそれを何気なく数通受け取り、レトワは同じ模様ごとにすればいいのか、と手伝ってくれた。
「模様……そっか、文字は人間が作ったものだから、貴方には読めないよね」
「読めなくはない。規則性を理解すればな。この……国というのか? 町というのか、ここに来たのは初めてだから、この文字は初めて見る」
「他の町には、行ったことがあるの?」
「ある」
遠すぎて見えないものを、それでも見ようとするかのように、レトワが目をごく細くした。
「そのときは、水や食糧に手を加えることは少なかったな。着ているものも、今より、ずっと簡素だった」
「あっ。それを聞こうと思ってたんだった。その、着古した軍服みたいな格好って、何?」
「さあ? お前が用意したんじゃ、ないのか?」
「私? 私がやったじゃなくて、貴方が……そういう形で現れたんでしょう?」
「どういうことだ?」
「……前、私が召喚したひとは、本当は別の姿形だったらしいの。だけど、人間の前では人間に似せた格好を、していた。その方が、声帯とか仕草をまねられるから、話がしやすいって言ってた。そういうことなのかな?」
「自分が、そんな配慮をするとは思えないが」
自分の胸元を見下ろして、レトワは怪訝そうにする。リシテは吹き出しそうになった。
「覚えてないとはいえ、自分に対してずいぶんね。でも、親切なひとだと思うよ、仕分け、手伝ってくれてありがとう」
これで全部だ。区画ごとにまとめた小包などを、店の鞄につっこんだ。
「じゃ、いってきます!」
家々を巡って、リシテは小包達を配達していく。レトワが瞬きしながら、観察するみたいに、リシテの後ろ姿を見つめていた。
「それは、仕事か?」
「うん。元々、うちへの荷物が届いていないか、定期的にお店に見に行ってたの。旅回りの商人さん達が、町の主要な店に小包とかを預けるから……親が召喚士なんてやってると、珍しい物品のやりとりを、遠方に行った仲間達と、するんだよね。それで……そのうち、ついでに配達もするようになったの」
店の人がお小遣いをくれるし、子どもの頃から、リシテは責任を持って小包達を配ったものだ。
「お父さん、見つからないね」
「町にいるのか?」
「ううん。どう考えても<地下>に落ちたみたいなんだけど、もしかしたらそのへんに、いたりしないかなって、……一週間くらい、ずっと思ってた」
落ち着かなくて、怖くて怖くて。今日がいつなのか分からなくなって。頭を抱えて。
「怖くて、一歩も動けないんだ、ベッドで、月がどんどん傾くのを見てるんだけど、こんなことしてる場合じゃないんだけど、どうしよう、って思うばっかりで。だから、とりあえず毎日、同じことをしてた。ご飯食べて、配達をして……それから……」
ぐるぐるしだしたリシテに、レトワが何か言おうとして、結局、ただ見守っている。リシテは自分で、思わず笑ってしまった。怖いと、かえって、笑い飛ばしたくなる。
「お父さんを見つけるために、どういうことができるか、うちにある資料をあさったの。でも召喚についてしか分からなかった。せめて、<地下>に詳しいとか、お父さんに関わりのあるモノを、って思って召喚したんだけど」
「悪いな、記憶がない。原型も、いったい何だったのやら」
ぽんと、配達途中で老人にもらったオレンジを放りながら、レトワが危機感の欠片もなく言う。
「で、仕事はこれで全部か?」
「うん。あとは、うちで栽培した、他の国では珍しいっていう植物を干したり、裏の山に出かけて押し花作ったりするんだけど……それはまぁ、今日はいいや……お父さんを、捜さなきゃ」
声が、どうしても沈んでしまう。
「あっ、あの、貴方の記憶とか、力の欠片も、捜さなきゃ。何か、手がかりとか、思い出せない?」
リシテの震える肩を、戸惑うようにレトワの掌が触れていった。
胸の焦りが、少し減る。
「何にせよ、辺りの地脈と、それから知っていそうなモノをあたってみるのが先だな」
「地脈?」
「小川の流れるように、ざわめきが聞こえる。足下の、地面の表よりもずっと、奥から。それとうまく、意識が繋がれば、ずいぶん、この、感覚もはっきりするだろうが……この辺りで、一番、地下に近いところはどこだ?」
「地下に近い……」
「駄洒落じゃない」
「え? 何?」
「気づいてないのなら、いい」
いいと言いながら、どこかふてくされているようでもある。
(お父さんが、たまに、すっごくどうしようもない駄洒落を言ってたっけ)
「貴方、ものすごく年が上?」
「何に対して?」
「えっと……私とか」
「そうだろうな。お前のような小娘よりは、ずいぶんと長く生きている」
レトワは、うっすらと、記憶をたどるような表情をする。が、ふと眉間にしわが寄った。
「アレは、何だ」
視線の行く先を追うと、泥の塊が広がっている。石畳の隙間から、水が湧いてあふれたようだ。
リシテが近づきかけたとき、ぐるんと、泥が振り返った。