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クライム・トゥ・ザ・ハッピー  作者: ライスサワー
4/5

越えていけ

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 十一時二十分、羽田発千歳行き四十七便は、両翼を大きく広げて澄み渡った初秋の空へと飛び立った。俺と稲倉の二人だけの修学旅行。北の大地、北海道への三泊四日の逃避行。四十七便は乗客の高揚を機体に染み込ませ、力強くエンジン音を響かせていた。


 俺と稲倉はそれを展望ラウンジから眺めていた。

「信じられない」

 俺は口をあんぐりとさせて、乗る予定だった飛行機が小さくなっていくのを見つめていた。

「な、あんな鉄の塊が浮くんだな」

 稲倉が手すりに凭れかかったまま言った。

「いや、そうじゃなくて、おまえがチケット予約してなかったことが信じられないの」

「人任せはよくない」

 この野郎。いきなり計画が崩れたんだぞ。ちょっとは焦れよ。


 そもそも北海道旅行の言い出しっぺは稲倉だ。

 俺が親の同意を得て計画の実行が決まった直後、稲倉は「北海道な、羽田発十一時二十分のやつで行くから」と言った。そんな風に言われたら、普通は二人分の席を予約してくれたんだと思うじゃないか。

 手際のよさに感心して俺は「ああ、ありがとう」と感謝の言葉まで言った。チケット予約してなかったんなら、なぜ稲倉は「気にすんなって」と鼻高々に答えたのか。ご満悦そうな顔を思い出して憎々しくなる。

 結局、搭乗手続きの時になって、俺たちに乗車の権利が無いことが発覚したのだった。唖然としている俺の横で、「ああ、席、空いてなかったか」と稲倉が言った。電車に乗ってボックス席の空席を確認するみたいな言い方だった。絶対こいつは飛行機を誤解している。俺は「じゃあ立ってますから」と空港職員に交渉する稲倉を引っ張って羞恥の場から逃げ去るハメになったのだ。

 行楽シーズンなのか、北海道にビートルズでも来るのか知らないが、千歳行きはどの飛行機も満席だった。なんとか空席があったのは夜の八時の便だけで、俺たちは思いがけずモラトリアムへと突入することになった。それでこうして展望ラウンジでダラダラと時間を潰しているわけである。


「あと八時間もあるぞ」

 俺がげんなりして言った。本当なら北海道で過ごすはずの八時間を、こんな通過するためだけにあるような場所で浪費しないといけないなんて馬鹿らしい。

「空港も面白いだろ」

 稲倉が言った。いい気なもんだ。何事にも動じないスタイルは尊敬はするが憧れはしない。たぶん、馬鹿ゆえに身に着いたスタイルだから。

「八時間も楽しませてくれる魅力がどこに潜んでるんだよ」俺が溜息と一緒に不満を吐きだした。

「周りの奴らとか」

 周りの奴ら?

 俺は展望ラウンジを見渡してみた。ドア付近では家族連れや男女の二人組などが入れ替わり立代わり出入りしていた。しかし俺たちがいるような奥まった部分になると、明らかに雰囲気が違う。手にバズーカのようなカメラを持った男たちが熱っぽい視線で滑走路や整備場を見つめているのだ。

「飛行機オタクっていうんだろ、あいつら」

 稲倉が、俺はこんな専門語用語も知ってるぜ、という感じに言った。どうしてこう何をするにつけても得意気になれるのか不思議だ。

 飛行機オタクたちは俺たちの周囲からあからさまに距離をとって陣取っていた。俺たち、というよりは稲倉を避けているのだろう。指名手配犯か何かに思われているのかもしれない。

「まあ、ちょっと面白いけど」俺が少し認めた。稲倉を恐れている人間を客観的に見るのはいい気分だ。「でも、さすがに八時間潰せるほど面白くはない」

「そうか?」稲倉は楽しそうだった。「あんなインドア派っぽい奴らが真っ黒に日焼けしてんだぞ。きっと暇さえあればここに来てんだろうな」

 どちらかといえば色白が似合いそうなバズーカ男たちは、肌が日光で焼かれて黒い色素が皮膚の奥まで入り込んだようだった。短期間での焼け方ではない。屋根がなく、サンサンと陽が照りつける展望ラウンジで、何日もかけて焦がされ続けてきたのだろう。でも、だからどうしたということもない。

「日焼けがそんなに面白いか?」

「ああ」稲倉が頷いた。「肌が黒いやつは生まれつきの色黒か体育会系の野郎だけだと思ってたんだ。こんなインドア趣味でも焼けるなんて思わねえだろ」

 はあ、俺が曖昧に相槌を打った。

「すげえな。こんなとこにも、ここだけの世界があるんだな」

 そう言って稲倉はバズーカ男たちのテリトリーを眺めまわした。何人かのバズーカ男たちがヒッと肩を震わせた。たぶんガンを飛ばしているように見えたのだ。

 俺は愉快そうにしている稲倉の顔をボンヤリと見つめた。いつになく機嫌が良さそうだ。十文字以上喋るし。

「あ、飛ぶぞ」

 バズーカ男の一人が言った。アロハシャツを着て無線を持っている男だ。

 ゴオという大気の唸り声があがり、銀翼の鳥がまた一羽飛び立った。カシャコン、カシャコンと男たちがバズーカを打ち始めた。

「いってらっしゃーい!」

 アロハシャツを着た男が手を振った。無線持ってるし、実は空港関係者で仕事中なのかもしれない。アロハシャツの職員がいればの話だが。

「飛んだぞ」

 稲倉も興奮しているようだった。バズーカ達の熱気にあてられて、飛行機好きが伝染したみたいだ。

「無事着くといいな」稲倉が飛行機を見つめたまま言った。

「というか、おれたちが無事につくかのほうが怪しい」他人の心配をしている場合ではない。「そういや、もしかして宿も予約してないわけ?」

「あ?」稲倉が不満げに言った。「なんでおれがそこまでしなきゃいけねえんだよ」

 やっぱり。後悔先に立たず。稲倉は脳内で計画を練っただけで、下準備というものはまるでしてないようだ。俺が予約しておくべきだったのだ。

「腹減ったな。なんか食おうぜ」

 人の気も知らないで、稲倉は腹をさすっていた。あまりの傍若無人っぷりにもう言葉も出ない。力が抜けた体で俺は頷いた。



 羽田空港の二階にあるフードエリアには世界各地の食べ物が並んでいた。稲倉に言わせれば、「ジャスコみてえ」らしい。俺たちの地元は下町で、デカい店と言えばジャスコなのだが、恥ずかしいので二度と口を開かないでほしい。

 料理はトルコ、ベトナム、韓国、どれも旨そうでどれも高かった。俺たちはやっとのことで空いている席を見つけて荷物を置くと、稲倉が食べたいと言ったベトナムのフォーを注文しにいった。各店でトレ―に乗った料理を受け取り、共用の椅子が並んだスペースで食べる仕組みだ。

「あんまりうまくない」稲倉が顔をしかめて言った。

「そう?」

 俺の鶏肉のフォーは結構うまい。何を血迷ったのか、稲倉が生春巻きを頼んだのが悪いのだ。カレー専門店でハンバーグドリアを頼むような変化球は、概ね失敗することが多い。

「おまえがフォー食べたいって言ったのに。なんで生春巻きなんだよ」

「別に。フォーが食いたいわけじゃなかったし」

 はあ? ついに三歩歩いたら記憶を無くすようになったか。

「ほら」稲倉が顎をしゃくった。「あの店の姉ちゃん、美人だったから」

 俺は先ほどのベトナム料理店に目を向けた。専用の制服を着たレジ係の女性は、たしかに愛嬌はあるが、いうほど美人には見えなかった。女っ気のない男子校生なので、持て余された性欲がフィルターをかけているのだろう。アヒルも白鳥に見えるのだ。もしくは稲倉は母親が美人すぎて美的感覚が狂っているのかもしれない。

「そうでもないけど」

 俺が冷めた声で言うと、稲倉は気分を害したようだった。眉を吊り上げて俺を睨んできた。

「てめえのセンスの方がわかんねえ。なんだよ、愛原ナギサなんてただのガリじゃねえか」

「なんだと?」

 俺も思わず睨み返した。ナギサちゃんを寿司のフロクみたいに言うとは。が、すぐに冷静になって目を逸らした。やめておこう。これから二人で旅行するのに、険悪になりたくない。それも喧嘩の理由が女のタイプの食い違いなんて、下半身で動く猿どもと同じじゃないか。第一、喧嘩になったら俺が稲倉に勝てるわけがないのだ。

 俺が視線を逸らしたことで間接的に負けを認めたことになった。稲倉も機嫌を元に戻したようで、生春巻きをさも嫌そうに食べる作業を再開した。

「そういや、来るみてえだな」稲倉が言った。

「誰が?」

「愛原ナギサ」

 俺は飲みかけていたスープを噴き出しそうになった。気管支を守ろうとして反射的にゲホゲホと咳き込んだ。

「きたねえな」

「ナ、ナギサちゃんが羽田に来るの? なんで?」

「なんでって」

 稲倉が壁に張られたポスターを指さした。「愛原ナギサがミニモンフェスタにやってくる!」との文字が躍っていた。羽田空港では今、ゲームが大ブームとなったミニマムモンスターのイベントが開かれていた。そして今秋公開のミニモンの映画の声優に、愛原ナギサが起用された関係で、特別ゲストとしてイベントに出演するらしいのだ。

「三時からだな。あ、じゃあ見れるじゃん」

 俺は興奮して体が熱くなった。稲倉、グッジョブ。飛行機に乗れなかったおかげで俺は一生の思い出を作れそうだぞ。

「結婚したばっかなんだろ? 仕事なんてかわいそうだな」

 同情の言葉を述べたくせに、稲倉は全く興味がなさそうだった。というか結婚の話題をサラッと出すんじゃない。ファンの傷口に丁寧に塩を揉みこんでくるな。

「やっぱナギサちゃんの生きがいは仕事なんだよ」

「ふーん」

 稲倉は何か言いたげにしていたが、口を開くのも面倒と言った感じで食事に戻った。ここまで嫌なものを分かりやすく嫌う奴は珍しい。稲倉がコマーシャルをやれば、日本から生春巻きは追放されるだろう。



 ミニモンの映画の宣伝映像が、また最初から流れ始めた。備え付けられた中型のスクリーンの中で、主人公の少年が赤道直下よりも熱いセリフを叫んでいた。二十回目までは数えていたが、もう何度聞いたのか分からなくなった。

 俺は出発ロビーの端っこに設けられた、ミニモンイベント会場に突っ立っていた。愛原ナギサが来るのだ。場所とりで二時間前待機は当たり前だ。

 周りにはさすがに小学生以下の子供ばかりだったが、チラホラと年長のお兄さんも見受けられた。その中に明らかに三十歳は越えていそうな、頭髪が脂ぎった細身の男がいて、何を勘違いしてるのかナギサちゃんの顔がプリントされた団扇を持っていた。俺も人目が気にならないわけじゃなかったが、あいつよりマシ、あいつよりマシ、と呪文のようにつぶやいて気持ちを保っていた。欲望にまみれたオッサンから純粋な子供まで、人種のサラダボールよろしく、様々な思念が会場に渦巻いていた。

「おい、またおまえの仲間が来たぞ」

 稲倉が後ろを見ながら言った。ジャガイモみたいな顔をした大学生ぐらいの男が、デジカメ片手にやってきたところだった。メークインは仮設ステージの前に来ると文庫本を取り出して読み始めた。明らかにミニモンより愛原ナギサが狙いだ。

「愛原ナギサってのはすげえな。こんなとこまでファンに来させちまうのか」

 稲倉はナギサちゃんに興味が無いくせに、俺と一緒に特別ステージまでの待機戦に参戦していた。いわく「周りの奴らを見てるとおもしれえ」らしく、ファンの世界そのものに興味があるようだった。俺としても稲倉を引き連れているだけで周囲に人が寄ってこないので便利だった。

大きなお友達と子供たちの割合が一対一ぐらいになり、子供たちの親が「おや、なにやら異様な雰囲気だぞ」と気づきはじめたころ、会場がどよめき始めた。

「なにかあったのかも」

 俺は妙な不安を覚えた。場所とりをしていた同胞たちの何人かが、顔を青くしてどこかへ駆け出していっていた。

「きいてみればいいだろ」

 稲倉が親指をクイッと立てて、後ろに立っていた大学生くらいの男を示した。

「あ、うん、そうだな」

 俺は大学生を観察した。服装はそこそこお洒落だ。髪にはワックスが使われている。これは俺より格上だぞ。

「なにやってんだ? 早く聞けよ」

「え、ああ……」

 また体が嫌な汗を掻きはじめた。やっぱりダメだ。見ず知らずの人間に声をかけるなんて。

「じれったいな」稲倉がたまりかねて言った。「よう」

 稲倉が大学生ににじり寄った。携帯をいじっていた大学生はビクッとして一歩後ずさった。稲倉は大学生に思われてもおかしくないし、組長の実の息子に思われてもおかしくない。やや身長で上回っている大学生は、あっという間に自分の階級が稲倉より下であることを悟ったようだ。

「な、なんですか?」

「なんか騒がしいけど、なんかあったのか?」

 ちょー上から目線だ。こんな教育をした親の顔が、天女のような美女だとは誰も思うまい。

 大学生はキョロキョロと辺りを見回した。

「そういやそうですね」大学生は今気づいたようだった。「あの、何かあったんですか?」

 さらに後ろにいたメガネの男に訊ねた。メガネの男は青い顔でパクパクと口を動かしていた。

「あの、聞いた話なんで、分からないし、信じられないんですけど、なんか、その」

 うろたえているメガネの男に稲倉の眉がピクッと動いた。俺は稲倉の服を掴んだ。馬の手綱を引く要領だ。

「その、ですね」

 メガネの男が続けた。

「ナギサちゃんが、飛び降りた、とか」



 頭の中が真っ白だった。それでも体は走り続けていた。

 ナギサちゃんが、飛び降りた。

 到着ロビー横、吹き抜けになった階段部分。そんなところにバンジージャンプの設備はない。ましてやプールの飛び込み台もない。愛原ナギサは、硬い床へと三階から飛び降りたのだ。

 人だかりが見えた。空港警察の姿もあった。

「下がって、下がって!」

 これが下がってなんかいられるか。俺は人ごみを掻きわけて前へと進もうとした。

「なにすんだよ!」

 頭の悪そうな野次馬おとこが俺をはじき返した。こんちくしょう。

「なんだその目は?」

 男が睨んできた。うるさい。通せ。ナギサちゃんの一大事なんだ。

「通せよ」

 冷たい声がした。稲倉の声だ。俺の後ろで、稲倉がキッと男を睨んでいた。男ばかりか俺の方までぞくっとした。こいつ、こんな顔をするんだ。人生で見てきた中でもっとも鋭い顔つきだった。

 男は稲倉に気圧されて不平を言いながらも場所をあけた。

 前へ前へ。

 警官が足止めしている最前線までいくと、俺の目に飛び込んできたのは青いビニールシートだった。ビニールシートの下にふっくらとした人間の膨らみがあった。神様、あそこにいるのが、どうか、ナギサちゃんじゃありませんように。

「自殺?」

「ねえ、死んだの愛原ナギサらしいよ」

「うっそお」

 野次馬の声が右耳から左耳へと抜けていった。神様、どうかこれが不謹慎なサプライズ演出でありますように。

「おい」

 俺の肩が誰かに叩かれた。振り返ると稲倉がいた。

「行こう」稲倉は俺を静かに見つめた。「行こう。泣くなよ」

 俺は稲倉の後についてその場を離れた。最近泣いてばっかりだ。

 人の死を見たのはそれが始めてだった。



 放心したままロビーの椅子に座っていた。もう二時間もたったのか。思考停止こそが究極の暇つぶしらしい。

 空港はマスコミや野次馬で騒然としていた。愛原ナギサの遺体は運ばれ、現場は処理された跡だったが、名所旧跡を紹介するようにリポーターが愛原ナギサの自殺現場を指さしていた。

 自殺現場? そうか。自殺、したのか、愛原ナギサは。

 黒魔術でも使わない限り、人に柵を越えて飛び降りさせることなどできない。他殺の線は考えられなかった。信じられない。結婚して、幸せの絶頂だったんじゃないのか?

「なあ」

 稲倉が話しかけてきた。稲倉はいままで俺の隣で何をするでもなくどこかを見つめていた。ファンでもないくせに、放心する権利なんかおまえにねえんだよ。

「おい、なんか言えよ」稲倉が言った。「おまえ、ホントに行かねえのか?」

 俺はこくんと頷いた。稲倉が顔をしかめた。

「北海道行かないでどうすんだよ? このまま帰るのか?」

 再び首を縦に振った。

「せっかくここまで来たのに」

「どうせ宿も予約してないくせに!」

 つい大声を出してしまった。周りの人がこちらを見た。感情の振れ幅がおかしくなっているようだ。安静にしていないと。俺は再び黙り込んだ。

「なあ」

 しばらくして稲倉がまた俺に話しかけてきた。

「いつまでここに座ってる気だよ」

 うるさい。そんなの俺の勝手だ。

「若者が席を独占してちゃ、ジジババが困る」

 俺は稲倉が道徳的なことを言ったのに驚いて顔をあげた。稲倉は大まじめな顔をしていた。思わずプッと吹き出してしまった。

「ここはシルバーシートじゃねえだろ」

 言いながらおかしくなってきて笑いが止まらなくなった。稲倉がお年寄りに席を譲る? 傑作だ。コメディ大賞だ。

「なに笑ってんだ」稲倉は不満そうだった。「おまえ、笑うと中学生に見えるな」

「は?」俺が笑い涙を浮かべながら言った。

「いつも、頑固じじいみたいな面してるからな」

 そういや久々に笑った。やっぱり感情の振れ幅がおかしいのだ。愛原ナギサが死んだのに、こんなに笑うなんて。

「ほら、展望ラウンジいくぞ」

 稲倉が立ちあがった。よっぽど気に行ったらしい。風に当たるのもわるくないかもしれない。俺も立ちあがって稲倉の後を追った。振り返ると俺たちが座っていた席には、いかにも厚かましい顔のブルドックに似たオバサンが座っていた。



「いなくなっちゃったよお、愛原ナギサ」

 俺が手すりに腕を乗っけたまま空しく笑った。眼下では青いラインの入った飛行機が、離陸にむけてスタンバイしていた。整備員たちが慌ただしく働いている。

「死んだな」

 稲倉の言い方は断定的だった。ズバッとした物言いのおかげで、俺も愛原ナギサが死んだという事実を認めざるを得なかった。

「なんでだろう」

「あ?」

「なんで自殺なんて。結婚したばっかりなのに」

「決まってんだろ」

 稲倉が自信たっぷりに言った。ほんとうに、いちいち得意気だ。そして言うことは決まって大したことはない。嫌なことがあったからさ、とかドヤ顔で言ったものなら殺してやる。

「一応きくけど、なんで死んだと思うんだ?」

「行けなかったんだな」稲倉が言った。

 はあ。予想を越えて意味不明の回答が返ってきた。

「どこへ?」

「別の世界」

「というと?」

「仕事の、アイドルの世界しか無かったんだろ。愛原ナギサには」稲倉が続けた。「ようやく結婚して家庭っつう世界を持とうとしたのに、仕事がそれを許さなくて絶望したんだろ」

 ときどき、本当にごく稀にだが、稲倉がものすごく頭のいい奴なんじゃないかと思うときがある。頭がいいというよりは、大人、というべきだろうか。

 愛原ナギサのことを何も知らない奴が偉そうに喋るのは許しがたいのだが、偉そうに喋るのはこいつの専売特許だし、少し言っていることが分かってしまうので突っ込まないことにした。

 稲倉には稲倉の、不良としての世界があって、俺には俺の、いじめられっ子としての世界がある。そしてきっと、ずっとその世界だけで過ごしていたら、どこかでおかしくなってしまうのだ。

「北海道、行くだろ?」

 稲倉が再び訊いてきた。こいつにとって北海道旅行とは、普段の世界から抜け出すことを意味しているのかもしれない。

「まあ」俺が笑った。「宿は予約されてないけど」

 そうだ、ここまで来て行かないなんてもったいない。愛原ナギサが死んだなら、傷心旅行にすればいい。

「おい、あいつら」

 稲倉が展望ラウンジの奥を指さした。俺はびっくりして口を開けた後、おかしくなって笑い始めた。

 バズーカ男たちがまだ熱心に飛行場を見つめていた。アロハシャツの男も飽きもせずに身を乗り出して最終点検の様子を眺めている。おみそれしました。空港は確かに、何時間も滞在する価値のある場所のようです。

「あいつらの世界は奥が深すぎる」

 俺が言うと、稲倉も笑った。

 ゴオッと飛行機が飛び立った。

「いってらっしゃーい」

 アロハシャツの男が両手をブンブンと振り回した。


もはや学園を飛び出してますが、旅行編ということで。

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