桃聴
あたたかいお風呂に浸かると、いつまでもこうしていたい、なんて思うのに、結局いつも5分で出てしまう私。
でも、最近の私は長湯記録更新中。
いつまでもこうしていたい、なんて思う事もしばしば。
なぜなら。
隣の一哉くんの声が聞こえるから。
清水桃子。21歳なったばっか。まだ専門生。
最近ハマってる事。
…盗聴。
家賃4万、という激安アパート。越して来て、早3年近く。
展示用パネルみたいに極薄の壁と、それによる騒音被害、冬の極寒を除けば、トイレバス別の駅近徒歩5分の優秀物件。
でも今まで、これほどこのアパートに愛着を抱いたことなんてなかった。
「こんちわ」
帰って来て、鍵を探してリュックをガサゴソしていたら、隣のドアが開いて中から男の子が出てきた。
忘れもしない。あの日、3月3日ひな祭り。夕方。
たまたま、隣に越して来たばかりの一哉くんに会った。
あの日から、このアパートがキラキラしてまぶしい。
この壁の薄さに何度感謝しただろう、なんて思ってしまう自分、キモいぞ。
極薄のこの壁は、一哉くんの声をよく通す。
そして私は聞き耳をたてる。
ヤバい、これってストーカーだよ。
分かってるけど、だって聞こえてしまうから、なんて自分に言い訳してる。
私の部屋のお風呂と、壁を挟んだ隣が一哉くんのお風呂だった。
「それからどしたの」
太一が私に笑いかける。
「うん」私はブランコから立ち上がり伸びをする。
夕焼けがきれいな、桃色とオレンジ色の空。
「また、5分でお風呂出るようになっちゃった」
清水桃子。22歳なったばっか。トリマーの卵。
最近ハマってる事。
…それは。
一哉くんは、いつも誰かと電話したり、スカイプしててね。
いつも、悪口ばっか、言ってたの。
もう、聞きたくないって思った。
「それで、桃は」
「太一の歌を聞きたいって思った」
高校仲間の太一の歌が、無性に聞きたくなった。
「合唱部のダサい俺の歌?なんで」
「一番聞きたいって思ったのが、太一の歌だったんだ」
優しくて、透明な。
飾り気のない、太一の歌。
ダサいなんて、言わないで。
どれを聞くべきか、なんて。どれが、価値があるか、なんて。
聞き分けるのは得意。
私にしたら、得意分野。
今さらだけど、もう間違わない。
だから、今も、聴いてるんだ。
清水桃子。22歳なったばっか。トリマーの卵。
最近ハマってる事。
…桃聴。