8.馴染みの職場で侯爵令嬢を演じます
数日後、私はサヴィオラのドレッシング・ルームに潜り込んでいた。
今から私は、アルシェール王国の侯爵令嬢クロエ・ドゥ・ベラヴァンスになる。
フィオーラは病欠だ。
ビアンカちゃんに伝えたら、『合間合間にお見舞いに行くね!』と言って聞かなかったので、やむを得ず『実は……彼氏とデートなの』と、苦し紛れの嘘をついてしまった。
そうしたら――。
『えぇっ!!? フィオーラ、彼氏いるの!!?』
『ごめんね。隠してたわけじゃないんだけど……』
『ううん! 気にしないで! 確認しなかったアタシが100悪いんだから』
『確認……?』
『うぅ゛~……はぁ~……どうすっかなぁ~……』
――何て言って、頭を抱えていた。
あれは何だったんだろう……?
「よし」
私は一息ついて、部屋の隅へ。
その場でステッキを高々と掲げる。
「ヴァレリオ・デ・サヴィオラの理想の異国令嬢になれ~っ」
前回よりは堂々と。
けれど、より小声で呪文を唱えた。
直後、虹色の光に包まれて――クロエへと姿を変える。
私はそっと覗き込むようにして、鏡の前に立った。
金髪に、おっとりとした目元の女神が、不安げな表情でこちらを見ている。
今日彼女が着ているのは――柔らかなバニラアイボリーのシルクドレス。
ウエストは深い森を思わせる、フォレストグリーンのコルセットで締め上げている。
相変わらずデコルテは全開で、惜しみなくその見事な胸を披露していた。
蜂蜜色の髪は、複雑な三つ編みを幾重にも重ねてアップスタイルに。
髪の毛に散りばめられた小さな宝石達が、クロエの美貌を惹き立てていた。
「っ!」
扉がノックされた。
私は大慌てでソファに座り、穏やかで広がりのある声で返事をする。
「どうぞ」
「失礼致します」
執事様、メイド長様、ビアンカちゃん、そして私の先輩メイドのエリザさんの4人が入室してくる。
4人ともクロエが唐突に現れたことに対して、まるで疑問に思っていない。
猫さんが言った通りだ。
ドレッシング・ルームで変身をしたことで、到着時点から記憶の捏造が始まったらしい。
「ご機嫌麗しゅう、クロエ・ドゥ・ベラヴァンス様。当家へようこそお越しくださいました」
執事様が代表してご挨拶をなさる。
私はゆっくりと、けれど迷いのない動作で、組んでいた扇を、胸元でわずかに緩めた。
「丁寧なご挨拶、痛み入りますわ。良き主には、良き奉仕者が集うものなのですね」
上長、友達、先輩に向かって、堂々と嘘をついている。
その事実に罪悪感を募らせながらも、一方でほんのちょっとだけワクワクしてしまっていた。
悪戯の延長、なんて思ってしまっているのかもしれない。
まったく……私もまだまだ子供ね。
「こちらはビアンカ。アルシェール語に通じております。ご滞在中、何かお困りごとなどございましたら、どうぞ気兼ねなくお申しつけください」
執事様からのご紹介を受けて、ビアンカちゃんが礼をする。
ドレスがばさっと音を立てるぐらいの、元気いっぱいの礼だ。
そんなビアンカちゃんを目の当たりにして、執事様とメイド長様は苦笑い。
一方で先輩は――嫌悪感を滲ませていた。
「Vous êtes, en vérité, belle comme une Déesse.
C’est un honneur radieux de vous rencontrer, madame!
(本当に女神のようにお美しい方。お会いできて光栄ですわ!)」
ビアンカちゃんが披露したアルシェール語は、文法も、発音も、イントネーションも、状況に合わせた言葉選びに至るまで完璧だった。
まさに、どこに出しても恥ずかしくない語学力。
サヴィオラの『外交補佐』として頼りにされるのも納得だ。
だけど、こうしてビアンカちゃんの凄さを理解出来たのは、私がアルシェール人になったからだ。
先輩達のように、「何の努力もなしに重用されている」とひがんでしまうのも、無理もないのかもしれない。
「では、ご案内致します」
執事様は扉を開けるなり、ぴたりと動きを止めた。
背中越しにでも底なしの呆れが伝わってくる。まさか……?
「ヴァレリオ様、なぜこちらに?」
「えと……その……まっ、待ち切れなくてさ!」
案の定、扉の向こうに立っておられたのはヴァレリオ様だった。
絵をお描きになるためか、白いシャツに黒いパンツと、かなりの略装だ。
薄いシャツ越しに、鋼のように硬く引き締まった体躯が見て取れる。
「後は自分でやるからさ、モーリス達は下がって――」
「何を仰います! 未婚の男女が密室で二人きりなどと……っ、非常識にもほどがあります!」
「っ!? そっか……そうだぁ~~っ、あが~~~っ!」
「やはり、あちらの部屋にお連れするおつもりだったのですね」
「っ!!! いやっ――」
図星を突かれて、坊ちゃんは大ピンチだ。
傍から見れば、あのアトリエはただの物置部屋。
そんなところに『青い血』を引く令嬢を招くなど、あってはならないことだ。
けど、クロエにならその異例を特例と認めさせることが出来る。
まぁ、言ってしまえば、ただの『ゴリ押し』なのだけれど。
「お気持ちは分からないでもないですが、あちらは淑女をお招きするような場所ではございません。予定通り、応接間へ――」
「どのような場所でも構いませんわ」
「しっ、しかし――」
「わたくしは、ヴァレリオ様に描いていただきたい。ただ、それだけなのです」
執事様がゴクリと息を呑む。
クロエが放つ気高さに、圧倒されてしまわれたのだろう。
流石はクロエ。フィオーラではこうはいかない。
「申し訳ございません。無作法をお許しください」
執事様が深々と頭を下げられる。
対して私は穏やかに微笑んで、こくりと頷いた。
すると、直ぐにヴァレリオ様が腕を差し出してこられる。
頬はもうゆるゆるだ。
あのアトリエで描けることが、嬉しくて仕方がないのだろう。
私も嬉しくて胸がいっぱいだ。
……お掃除、続けてきて良かったな。
「では、参りましょう!」
「ふふっ、ええ!」
ヴァレリオ様からエスコートを受けながら、アトリエを目指していく。
見慣れた景色であるはずなのに、別世界のように見えた。
豪華絢爛な廊下の真ん中を歩いて、使用人のみんなからすれ違う度に礼を受ける。
これがヴァレリオ様や、ご一族の方々が御覧になられている景色。
あまりにも分不相応で、居た堪れない。
目的を忘れて、『お構いなく』、『わたくしはいないものと思ってください』なんて、言ってしまいたくなる。
「Peut-être…… c’est ainsi que cela devait être.
(……これでいいのかも)」
今のはビアンカちゃんの声?
振り返ると、ビアンカちゃんはどこか気の抜けたような表情をしていた。
私の視線に気付くなり、両手をパタパタと振って慌てて取り繕う。
その笑顔は、胸が痛くなるほどぎこちなくて。
……そっか。
ビアンカちゃんも迷いながら恋をしてるんだ。
だとしたら、説得の余地はある。
諦めさせることも、出来るのかもしれない。
……でも、本当にそれでいいのかな。
「教皇庁が財務の管理権をルンガルディに委ねただと!?」
「ええ。おそらくは、戦費への融資を渋ったためかと」
「……愚かな」
東棟の中ほどに差し掛かったところで、男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
あの声は――ご当主のジローラモ様だ。
お相手はご兄弟のドメニコ様。
ジローラモ様と共に、サヴィオラ銀行を経営されているお方だ。
今の話が本当なら、これはとんでもない事態だ。
銀行の経営は、教皇庁に支えられていると言っても過言ではない。
教皇庁との取引が軒並み打ち切られたら、サヴィオラは――。
「……っ、ははっ! 騒がしくてすみません。参りましょうか」
ヴァレリオ様は何でもない風を装って歩き出した。
廊下に並ぶ美術品へと話題を移して、場を盛り上げてくださる。
私は引き続きクロエを演じながらも、これからサヴィオラに降りかかるであろう波乱を思うと、とても生きた心地がしなかった。




