6.坊ちゃんの理想の女性に大変身!
数日後の午後。
私は週に一度の休みを利用して、とあるお貴族様の庭に潜り込んでいた。
バラ園の向こうでは、ガーデンパーティが開かれている。
私はこの迷路のように入り組んだ、高い生垣の陰で『変身』→ パーティにしれっと参加して、ヴァレリオ様に接触を図る……手筈なんだけど。
「何をしている。さっさとしろ」
猫さんが芝生に寝転がりながら、酷く気だるげな調子で急かしてくる。
私は「無茶言わないでよ……」なんて子供みたいにむくれながら、足元の池へと目を向けた。
澄んだ水鏡には、私の姿が映り込んでいる。
着ているのは、灰青色のリネン地で仕立てられた質素なコルセットドレス。
黒髪黒目。長い髪は使い古された革紐で横結びにしている。
我ながら、何の面白みもないごくごく平凡な女だ。
こんな私が異国の令嬢に?
やっぱりどうにも信じられなくて、二の足を踏んでしまう。
「早くしろ! 見つかったら、それこそ一大事ではないか」
「わっ、分かったわよ! もう!」
半べそをかきながら立ち上がって、ステッキを高々と掲げる。そして――。
「ヴァ……ヴァレリオ・デ・サヴィオラの理想の異国令嬢になれ~っ」
虫の羽音のようなか細い声で、呪文(?)を唱えた。
はっ、~~っ、恥ずかし過ぎる……!!!!!!
顔から火が出そう、なんて思っていたら――。
「きゃっ!?」
全身が虹色の光に包まれた。
肌の上を筆が走っていくような感覚がする。
だけど、擽ったいなんて思う余裕はない。
自分の『何か』が急速に、それも問答無用で変えられていくような気がして、怖くて仕方がなかった。
「はぁ……っ、はぁ……」
「成功だな。池を見てみろ」
「?」
言われるまま、恐る恐る水鏡に目を向ける。
すると、そこには女神を思わせるような美しい女性の姿があった。
蜂蜜色の髪はハーフアップに。
結われていない部分、所謂『下ろし髪』は、緩やかにウェーブを描きながら白磁の肩へ。
金色がかったペリドット・グリーンの瞳は、すべてを包み込むような優しさと、どこか夢見がちな、おっとりとした輝きを宿している。
唇は咲き誇る薔薇のように瑞々しく、それでいてふっくらとしていた。
纏っているのは、タフタのドレスだ。
ペール・スカイブルーのシルクで織られた、目にも柔らかな上等なもので――っ!!?
私は勢いよく身を屈めた。
けれど、思うように隠せない。
ペール・スカイブルーの手袋で覆われた腕から、白くなめらかな双丘が零れ落ちていく。
「何だ? 腹でも下したか?」
「むっ、胸が! 胸が~~っ!!」
「はぁ???」
ペチャンコだった胸が、こぼれんばかりの双丘に変わっていた。
おまけにこのドレス! デコルテは肩口まで大胆に開いている。
眩しいほどに剥き出しになった肌、深く刻まれた谷間――。
こんな破廉恥な姿で、人前に、ヴァレリオ様の前に立てって言うの!?
「ふむ。確かに見事な肉体美だな。ヤツが所望するだけのことはある」
そっか。ヴァレリオ様はこういう女性が好みなんだ。
でも、ビアンカちゃんも、そんなに大きくはなかったような……?
あ! よく見たらこの人、瞳の色が緑色だ。もしかして――。
「ねえ。この人ってもしかして、アルシェール人?」
「ああ、そうだ」
やっぱりこの人は、ヴァレリオ様の理想。
ヴァレリオ様はビアンカちゃんのことがお好きなのだと、改めて実感した。
「…………」
気が重いけど、せめてこの作戦が終わる頃には、自分の身の振り方を決めないとな。
二人の味方をするのか、それとも説得して思い止まらせるのか。
「そろそろ、同期が済む頃だと思うのだがな」
「??? どういうこと?」
「試しにお前、その女の素性を言ってみろ」
「え?」
「名前ぐらいは、もう言えるのではないか?」
言われてみれば、確かに……。
名前も、年齢も、今ならハッキリと分かる。
私はメモを読み上げるように、一つ一つゆっくりと猫さんと確認をしていった。
この女性――クロエの素性をまとめるとこんな感じだ。
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・名前:クロエ・ドゥ・ベラヴァンス
・年齢:18歳
・出身国:西方の王国 アルシェール
・身分:ベラヴァンス侯爵家 令嬢
このパーティに参加されている、伝統貴族ダルベローネ侯爵家のご子息、ジョヴァンニ様の従妹。
・来訪の目的:見聞を広げる&花婿候補を探すため。
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「うむ。問題なさそうだな」
「大アリよ!!」
「何がだ!!」
「アルシェールの侯爵令嬢だなんて……っ、そんなの……身分の上では、ヴァレリオ様よりも上になっちゃうじゃない!!」
実質的な権勢は、サヴィオラの方が上。
けど、大陸全体の階級制度に当てはめてしまうと、クロエの方が上ということになってしまうのだ。
サヴィオラはまだ、東西の皇帝へと連なる血を有していないから。
「御しやすくしてやったというに。一体何の不満があるというのだ」
「だって、そんなの……どう振る舞ったらいいか――」
「アルシェール語で、令嬢らしく挨拶してみろ」
「だから、そんなの無理だって!」と言いかけた瞬間――見知らぬ女性の姿が思い浮かんだ。
氷のように冷徹な印象の淑女で、漆黒のドレスを身に纏っている。
言動から察するに、女家庭教師だろう。
『良いですか、クロエ様。ベラヴァンス家の令嬢にふさわしい挨拶というのは――』
家庭教師と思われる女性が、挨拶の手本を見せる。
こっ、これだ! 私は目と耳に神経を集中させて、その礼法を頭の中に叩き込んだ。
そして――。
「Serelune à vous, mesdames et messires.
En ce jour de clairveil, que la lumière vous soit douce
(皆様、ごきげんよう。
本日はお日柄もよく、どうか光が皆様に優しくありますように)」
家庭教師の言う、ベラヴァンス家の令嬢にふさわしい挨拶を披露してみせた。
猫さんはそんな私を見て、目を丸くする。
「驚いた! 貴様、中々の役者ではないか!」
かなり興奮した様子で褒めてくれる。
だけど、今の私には喜ぶことも、照れることも出来ない。
とにかく余裕がない。
知識がどんどん流れ込んでくる。
そして、知識はやがて歯車に。
一つ、二つ、三つ、四つ……大きなものから小さなものまで、色とりどりの歯車が、みるみるうちに組み合わさって、私の中に新たな回路を作り出した。
不安はもうない。むしろ、自信しかない。
この知識があれば、私は間違いなく完璧な令嬢になれる。
――歯車に従って正確に動く。
令嬢もまた、それを何よりの美徳としているのだから。
「ふっ、とっとと行け」
「うん! ありがとう、猫さん!」
猫さんに手を振りつつ、生垣の外へ。
作法書の『令嬢の正しい歩き方』の項に従って、会場を目指していく。
「……うわぁ……」
お屋敷の前庭には、アステリアの若手実業家の方々が顔を揃えていた。
金融、香料、工芸、出版……それぞれの分野で頭角を現しつつある方達ばかりだ。
先程までの自信はどこへやら、また及び腰になりかけたところで、一人の……いえ、複数の男性達がこちらに目を向ける。
「美しい……」
「ああ。まるで美の女神のようだ」
「私には春の精霊に見える。あのお方が微笑みかければ、木々は途端に芽吹き花を咲かせるだろう」
誰しもが恍惚とした表情を浮かべている。
私は内心で戸惑いつつも、作法書に従って優雅で、それでいて隙のない微笑みを浮かべた。
「クロエ~! どこに行っていたんだい! 探したよ~」
一人の男性が近付いてくる。
あのお方は――ジョバンニ・デ・ダルベローネ様だ。
クロエの従兄。24歳。
ウェーブがかかった金色の長髪。
ふくよかで、目尻はくったりと垂れ下がっている。
容姿といい雰囲気といい、クロエと何かと共通点が多い。
真剣に探して、真剣に選んだんだ。
猫さんの凄まじいまでの熱意……いや、執念を感じる。
ヴァレリオ様から真相を聞き出せなかったら、私はどうなっちゃうんだろう……?
「ヴァレリオ、この子がクロエだよ」
「っ!」
鼓動が一気に跳ね上がる。
ダメよ。ここからが本番でしょ。
崩れかけた微笑みを整えて――ヴァレリオ様の視線を真正面から受け止める。




