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5.誰の記憶にも残らない令嬢

「むにゃ~~♡ これにゃ!! この香りにゃ~~♡♡」

「かっ、返して!!」


ネコさんが巾着袋を抱いて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。

絵を破かれたりしたら大変だ。

私は力任せにネコさんの前足を引っ張る。


「やかましい。壊したりなどせんわ」

「ほっ、ほんと……ですか?」

「ああ。後でちゃんと返す」


それなら……と、ほっと息をついてネコさんから手を離す。

でも、一体何をしているんだろう?

顔料の香りが好きなのかな?


「ヴァレリオと言ったか? その者の絵はどこにある?」


あの日の光景がフラッシュバックする。

ズタズタに破かれたキャンバス――夢の残骸の中で一人佇む、ヴァレリオ様のお姿が――。


「おい、掃除婦。聞いておるのか?」

「……もうそれしか残っていません」

「にゃにっ!? なぜだ!?」

「画家は廃業されたんです。その時に、全部ご自分で処分されて……」

「なら、なぜお前はここにいる?」

「えっ……?」


顔を上げると、ネコさんと目が合った。

ニタニタと厭らしい目をしている。


この方は神様か、妖精さんか。

とにかく、本来ならそれ相応の敬意を払うべきなんだろうけど、……ダメだ。無性に腹が立つ。


「ふっふっふ、どうやら吾輩達は同志であるらしい」

「……どういうことですか?」

「吾輩はヴァレリオの絵を欲しておる。そしてお前は、ヴァレリオの画家としての再起を望んでいる。そうであろう?」

「……いえ。私はただハウスメイドとして、務めを果たしているだけで――」

「嘘つけ」


ゆったりと尻尾を揺らしながら、小バカにしたような目で見てくる。

……ああ、何だかますます腹が立ってきた。


「ヴァレリオは、なぜ描くのを止めた?」

「存じ上げません」

「では、調べて参れ」


突然、眩い光に包まれた。

あまりの眩しさにぎゅっと目を閉じる。


「受け取れ」

「?」


見れば目の前に何かが浮かんでいる。

これは……絵筆? いや、普通の絵筆より一回り以上短い。

持ち手の部分は桃色で、穂先の部分は真っ白。

少なくとも、ヴァレリオ様のアトリエにはないタイプの筆だ。


「名を冠するなら『なりたい自分になれるステッキ』と言ったところか」

「……は?」

「そのステッキを使えば、絶世の美女にも、最強の女剣士にもなれる」

「だから、何だと言うのですか?」

「このままでは吾輩も納得がいかん。変身してヤツに近付き、筆を折った真相と共に――再起の芽が残っておるか否か、しかと探って参れ」


やっぱりこの精霊さん? には、この世界の常識が通じないらしい。

納得してもらえそうにないけど、一応話してみるか。


「お言葉ですが、仮にそれらしい見た目になれたとしても、どこの馬の骨ともしれない人間が、相手にされるわけが――」

「吾輩はそれを『なりたい自分になれるステッキ』と言ったはずだ」

「そっ、そうですが……それが何か?」

「例えば、お前が令嬢に変身した場合、関わった人間はお前をそれと思い込む」

「……一種の催眠状態ということでしょうか?」

「左様。因みにお前の方には、その架空の人物を演じるに足るだけの、捏造された素性や、記憶が流れ込んでくる。催眠状態の相手を欺く分には、不足はないだろう」

「すっ、すごい……!」

「はっはっは! そうであろう、そうであろう!」


っ! しまった。思わず感心してしまった。

私はぶんぶんと首を左右に振って、頭を切り替える。


冷静になりなさい、フィオーラ。

このステッキ、下手したらとんでもない危険物よ。


「その催眠状態はいつまで続くのでしょうか? まさか一生なんてことは――」

「案ずるな。指定回数分の変身を終えるか、期日を過ぎるかすれば、魔法は解除される。関わりが薄かった者から順に、その者の記憶は薄れ、()()()()()()()()()()()()()()

「誰の記憶にも残らない……」


確かにそれなら、ヴァレリオ様もビアンカちゃんも傷付けることなく、目的を達成させることが出来るのかもしれない。


「お前にとってもプラスになるはずだ。このまま何も知らぬまま、ただ一人ここでの掃除を続ける気か?」

「…………」


私はむしろ知りたくない。

だけど、ヴァレリオ様がお望みでないのなら、すっぱり止めないといけないから……。


「分かりました。お手伝いを致します」


そう言って私はステッキを手に取る。

私の手に収まると、パァッと七色に輝いて――すっと静かになった。


「よくぞ申した! 期限は今日から二週間。一回につき七時間有効で、計三回まで使える。娘よ、くれぐれもしくじるでないぞ!」

「えぇ……」

「なっ、何だ?」

「その……意外とケチなんですね」

「ふぬぉおおおぉお!!? 小娘の分際で吾輩を愚弄するのか!!?」


ネコさんは立ち上がるなり、子供みたいに地団駄を踏み始めた。

威厳もへったくれもない。

私は思わず大口を開けて笑ってしまった。


「笑うな!!」

「ごめん、ごめん。すごい、すごい」

「ぐぅ~~、この~~っ」

「で、私は何に変身すればいいの?」


ネコさんは立ったままの状態で、顎に手を当てて考え始めた。

何だかシュールだけど、これはこれで可愛いかも。


「……うむ。よし! では、まず手始めに『ヤツの理想の令嬢』になれ」


変身したら、ヴァレリオ様の理想のタイプが分かるってことか。

何だか物凄い罪悪感。まるで日記帳を盗み見るような。

しかも、その理想の中身が私って……。物凄く居た堪れない。


「それと……そうだな、その令嬢は異国人がいい。いくら催眠の効果があるとはいえ、ボロが出過ぎるのも良くないからな」

「なっ、なるほど」

「細かな素性は、吾輩の方で考えておく。お前はその異国の令嬢が潜り込めそうな催しを探しておけ」

「分かった」


こうして私はネコの姿をした精霊さん? と共に、ヴァレリオ様が筆を折った真相……そして、あの方の中にまだ『再起の芽』が残っているのか――この二点を確かめることになった。


再起の芽がゼロだったら、ネコさんがどう出るつもりなのか。

潔く諦めてくれるのならいいけど、もしも無理やりにでもヴァレリオ様に筆を執らせようと言うのなら、私は全力で止めに入ろう。


ヴァレリオ様には……坊ちゃんにはもう二度と、あんな悲しい顔をさせたくないから。




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