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2.三年後の坊ちゃんと私

昼下がりの陽射しに照らされて、金糸の壁布が眩く光を返す。

高窓から差し込む光は、レースの隙間をすり抜け、大理石の床に格子模様の影を落としていた。


ここはサヴィオラ家の廊下だ。


私達三人――同僚のビアンカちゃん、私、そしてメイド長様は、入室予定のお部屋の前に一列に並んでいる。


二人の間に立つ私の手には、磨き上げられた銀のワゴンが。

上段には白磁に金彩のティーセットが整然と並び、湯気を立てるポットからは紅茶の香りがふんわりと立ちのぼっている。


「もぉ~! 坊ちゃんったら、何やってんのよぉ~!」


堪りかねた様子でビアンカちゃんがぼやく。


彼女は私と同じ、黒のワンピースドレスに白いエプロン姿だ。

美しい紅色の髪は、シニヨンにしてまとめている。


ひときわ目を引くのは、アステリアでは珍しいエメラルドグリーンの瞳だ。

彼女は西方の王国・アルシェールの血を引く、所謂『ハーフ』。

語学も堪能なこともあって、メイド長様は勿論のこと、執事の方々やご当主様からも一目置かれている。


「静かになさい」


お叱りを飛ばされたのはメイド長様だ。

ご年齢は確か四十歳ぐらい。

薄い金髪に、瞳はアメシストを思わせるような澄んだ紫色。


服装は私達『中級メイド』のものよりも、もう一段上等な感じで、胸元にはサヴィオラの家紋入りのブローチを付けている。


まさにこのお屋敷の顔とも言える方に、ビアンカちゃんは「だって~」と子供のように口答えをする。


使用人としては不適切だと思う。

礼を欠くし、場を乱しかねない。


それでも私は、ビアンカちゃんのこの柔軟で真っ直ぐなところが、羨ましくて仕方がない。


完璧なメイドに近付くたびに、私は自分に自信を持てなくなっていった。

今ではもう、歯車(礼法)に従って動くことしか出来ない。


「ヴァレリオ殿は、まだいらっしゃらぬのか!」

「申し訳ございません。もう間もなくいらっしゃるかと思うのですが」


扉の向こうから、耳をつんざくような怒鳴り声が聞こえてくる。


本日いらしているのは、この都市――アステリアの最高意思決定機関『十人委員会』の一席を占めるお方だ。

本来なら、お待たせするなどあってはならないことだけど……。


「うおおぉおぉおお!!!」


豪華絢爛なサヴィオラ家の廊下を、暴れ馬のような勢いで駆けてくる男性が一人。

あれは――ヴァレリオ様だ。


兵士や石工を思わせるような逞しい体。

胸まで伸びていた銀髪は短く切り揃え、爽やかな夏の海を思わせるようなサファイアブルーの瞳を――キラキラと輝かせている。


かつてのあの……病床に伏した老人のようなお姿は、もうすっかり過去のものとなっていた。


「あ~♡ 今日もス・テ・キ♡」


ビアンカちゃんだけでなく、メイド長様までもがぽや~っと見惚れてしまっている。


これは何もお二人に限ったことじゃない。

ヴァレリオ様は今や、アステリア中の女性達の憧れの的なのだ。


画家をされていた頃は、髪も髭も伸び放題で、その美貌に気づく人はほとんどいなかった。


けど、パトロンとして表に立たれるようになってからは、それも一変。

眠っていた天性の色香が解き放たれて、たちまち世の女性を虜にしてしまった……というわけだ。


「ごめ、んね。ゲホッ……はぁ……嫌な思いをさせちゃって……」

「とんでもございません」


メイド長様が一礼する。私もそれに倣って一礼した。

レベッカちゃんもそれに続くけど、興奮を抑えきれないようで小さく「やば~い♡」と呟いている。

うん。とても恐れ多いことだよね。私もそう思う。


「あ、モーリス……」


騒ぎを聞きつけて、執事様が廊下に出て来られた。

モノクルの奥に静かな光を宿す、老齢の紳士だ。

その落ち着いた面持ちが、ヴァレリオ様のお姿を目にした瞬間――驚愕の色に染まる。


「何ですか、その格好は!」

「へ? 何か変?」

「服装が乱れております。一体何をされていたのですか」

「っ!!? ちっ、違う! 僕はモデルをしていたんだ! 断じてその……女性と淫らな……っ、とっ、とにかく、そういうのじゃないからね!!」


ヴァレリオ様の目は、私達メイドに向いている。

良からぬ噂が広まるのを恐れてのことだろう。


メイド長様がすぐさま「心得ております」と礼をする。私もそれに続いた。


()()、モデルをされていたのですね。それもヌードの」

「!!?」

「兄上様にきちんとご報告をさせていただきます」

「そっ、それだけは……!」

「貴方様は、サヴィオラ家の四男にして、アレッシオ様と並び、このアステリアの文化を担うお立場にあるのですよ。どうか、ご自身の立場に相応しい『自覚』をお持ちください」

「……うび~」


ヴァレリオ様はYESともNOとも取れない、何とも曖昧なお返事をした。

十中八九、納得がいっていない。

たぶん、またこっそりモデルをされるおつもりなのだろう。


ヴァレリオ様もまた『作り手』だった。

彼らの情熱には可能な限り応えたいと、そうお考えなのだろうから。


「まったく……」


執事様がヴァレリオ様の乱れた衣服を、一つ一つ丁寧に整えていく。


深い藍色の上着に、同系色のベストとパンツを合わせた、控えめながらも上質な装い。

シャツの高い襟元には、淡いグレーのクラバットが丁寧に結ばれ、その結び目には、サヴィオラ家の紋章を象った小さなピンが光っていた。


「整えましてございます――」

「素敵です!」


すかさずビアンカちゃんが絶賛する。

ヴァレリオ様は「ありがとう」と微笑みつつ、私の方にも目を向けてこられた。


やっぱり……。

私は緊張で体が震えるのを感じながら、何か……何か一言でもと、必死になって頭を働かせる。

だけど、何も思いつかなくて――ただ、頭を下げることしか出来なかった。


「ははっ……ごめん! 困らせちゃったね」


ヴァレリオ様の声が沈む。

ガッカリさせてしまったんだろう。

ああ……またやってしまった。


一日でも早く、ヴァレリオ様のお役に立てるメイドになりたい。


そう思って励んできたはずなのに、私はヴァレリオ様をガッカリさせてばかりいる。


ヴァレリオ様が喜んでくださるのならと、ビアンカちゃんの真似をしようとした時期もあった。


でも、結局止めた。

ヴァレリオ様が求めていらっしゃるのは、誰かを真似た『作り物の言葉』なんかじゃなくて、熱の通った『私の言葉』なんじゃないかと……そう思ったからだ。


ビアンカちゃんを見習うように求めてこなかったり、こんなふうに何度となくチャンスをお与えくださるあたり、おそらくは間違いないだろう。


自動人形(アウトーマ)のような私を憐れんでのことなのか、真意は定かではないけど、私からすれば困った事態だ。


人には向き不向きがある。

出来ることなら、ヴァレリオ様にもご理解いただきたいところなのだけれど。


「参りますよ、坊ちゃん。いいですか、まずはきちんと謝罪を――」

「はいはい。分かってるよ」


「しっかり頼みますよ」と、執事様は再度念押しをされた後で、扉をノックした――。




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