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12.坊ちゃんに忍び寄る不吉な足音

アレッサンドロ様が訪問された、その日の晩のこと。


使用人専用の食堂は、いつもと変わらず活気に溢れていた。

スープと焼きたてのパンの香りが漂う中、私の向かいでは、三人の姉達がいつになく真剣な面持ちで顔を寄せ合っている。


私は三人の姉達とは、まったくと言っていいほど似ていない。

栗色の髪に、丸目丸顔、三人ともぽっちゃりとしていて……例えるならそう――冬支度を終えたリスみたいな感じだ。


黒髪黒目、釣り目でペチャパ……ガリガリな私とは、似ても似つかない。


だけど、これは何も複雑な家庭の事情があってのことじゃない。

私はお父さん似、姉達はお母さん似。ただそれだけのことだ。


「……ねえ、聞いた? 教皇庁が遂に、ミョウバンの採掘権までルンガルディに移しちゃったみたいよ」


大口を開けてパンを食べようとしていたビアンカちゃんが、ぴたりと動きを止めた。

灯りを受けて琥珀色になった瞳が、憂いを帯びていく。


「やっぱりルンガルディは、サヴィオラに取って代わるつもりなのね」

「根強いサヴィオラ派を黙らせるために、ご当主様や、坊ちゃん方を()()する計画まで持ち上がってるって噂よ」

「ルンガルディならあり得る話ね。あそこは手段を選びませんもの」

「…………」


ただの噂ですよ。

そう一蹴してやりたかったのに、私は何も言えなかった。


用心するに越したことはないけど、いたずらに不安がるのも良くない。

そう思って、平静を装えば装うほど――不吉な足音が近付いてくる。


「っ! ジロ兄さん! 明後日は予定があるって――」

「分かってくれ、ヴァレ。ベネデット枢機卿閣下は、次期教皇と呼び声高いお方なのだ。何としても懇意にしておきたい」


()()、枢機卿閣下がアステリアにお越しくださることになり、ご当主様をはじめとしたサヴィオラ家の男子の方々が、ミサに参加しなければならなくなった。


教会は言わずもがな神聖な場所だ。

護衛も最低限しか付けられない上に、儀式の関係上お一人で席を立たれなければならない場面も出てくる。


不謹慎極まりないけど、神聖なミサの場は暗殺者からすれば絶好の狩場と言える。


もしかして、本当に……?

嫌な予感が、否応なしに現実を帯びていく。


――翌日の午前。

ヴァレリオ様は、お屋敷の使用人のみんなと共に、急ピッチで展示の入れ替えと再配置を行われていた。


枢機卿閣下へのギャラリーの案内役を任されたからだ。

閣下は大変な美術愛好家として知られていて、案内役を務めるヴァレリオ様の働きには、大きな期待が寄せられている。


だけど、当人の表情は晴れない。

あれはたぶん、プレッシャーのせいなんかじゃない。

ただ、悔しいんだと思う。

閣下の来訪に伴って、クロエとの面会も中止になってしまったから。


クロエの滞在期間はあと三日。

その間にどうにか時間を作れないかと、ヴァレリオ様が奮闘なされているのを……私は知っている。


「フィオーラ? どうしたの?」

「えっ? あ……何が?」

「すっごい暗い顔してたよ」

「そっ、そうかな?」

「っ! もしかして、彼氏と何かあった!?」


なぜだか目をキラキラさせながら問いかけてくる。

まるで、『何かあったことを』期待しているみたいに……。

人の不幸は蜜の味ってことかな?


「ねっ! ねっ! そういえばさ、そいつってどんなヤツなの?」

「いや、別にふつー……」

「い~ぎぃ! 教えなさいよ~!」


困ったな……。


ペンネロは、記憶の処理についてこう話していた。

『謎の美女』という形で成立する物や話は残るけど、それ以外のものは抹消される、と。


私の病欠はクロエとは直接関係がないから、たぶん……いや間違いなくきちんと残る。

つまりは、吐いてしまった嘘の後始末は、きちんとつけなければならないということだ。


嘘に嘘を重ねるようで気が引けるけど、仕方がない。

私は意を決して口を開く。


「実はこの前喧嘩しちゃって……。別れることになりそうなの――」

「それがいいよ!!!!!」


周囲の使用人のみんなの視線が、一斉に私達に向いた。

『仕事しろよ』『何やってんだ』そんな批難の目を浴びた私達は、ぐーっと身を小さくする。


「次行こ、次! 男なんて巨万(ごまん)といるんだからさ!! それこそ()()()()、ねっ?」

「そっ……そうだね!」

「あとでそのあたり、じっくりねっとり話そう!! んじゃ、また後で☆」


ビアンカちゃんは「やったー!」なんて言いながら、小走りで去っていく。

もしかして、私に紹介したい人がいるのかな?


正直、あまり気乗りしないな。

合わなかったら、ビアンカちゃんにもその人にも悪いし。


「フィオーラ!」


顔を上げると、ビアンカちゃんが私を呼んでいた。

手を振って応えると、ビアンカちゃんの笑顔は一層輝いて。


「大丈夫だよ! フィオーラなら絶対、ぜーーったい幸せになれるから!」


罪悪感がこみ上げてくる。

こんなにも想ってくれている友達を、私は――。

堪え切れず、すっと目を伏せる。


それと同時に、視界の端にメイドを捉えた。

階段を降りようとしているビアンカちゃんの後ろを、真っ直ぐに走り抜けようとしているみたいだ。


あれは……誰だろう……?

キャップをやたらと目深に被っていて、顔が見えない。


でも、何にせよ危険だ。

あのままだと、誰かにぶつかりかねない。とにかく注意しないと。


口を開いた矢先――メイドが上半身を捻って、ビアンカちゃんの背中を押した。


ドンッ……。

鈍い音と共に、ビアンカちゃんの体勢が大きく崩れる。


「ビアンカちゃん!!!??」


けたたましい音が鳴り響いて、数秒と待たずに辺りが騒然となった。

私はつんのめりながらも駆け出して、階段の下に目を向ける。


階下では、ヴァレリオ様とビアンカちゃんが重なるようにして倒れていた。

たぶん、ヴァレリオ様が受け止めてくださったんだろう。


ほっとしつつ、私は急ぎ二階の廊下に目をやる。

あのメイドの姿は――もうなかった。


廊下には他にも何人か……男性の使用人の姿もあったけど、あまりにも突然のことで頭が回らず、追いかけることが出来なかったようだ。

みんな悔しそうな顔で、メイドが走り去った方を見ている。


「ごめんなさいっ……ごめんなさい!!!」


悲痛を帯びた女性の声。

この声は――ビアンカちゃんだ。

ヴァレリオ様の横に座った状態で、何度も何度も頭を下げている。


「ははっ、大丈夫だよ。これでも結構鍛えて――っ!」


ヴァレリオ様のお顔が苦痛に歪む。

手は――右足首を押さえていた。


「失礼致します」


ヴァレリオ様の専属執事のモーリス様が、足の具合を確かめていく。

モーリス様の見立てでは、骨に異常はない。

ただ、捻挫の可能性があるとのことだった。


「ビアンカちゃん」

「っ! ……っ、フィオーラ……っ」


私はそっとビアンカちゃんを抱き締める。

震えて、可哀想になるぐらい強張っていた。

あのメイドへの怒りが、ふつふつと込み上げてくる。


ひっ捕らえて、きちんと罪を償わせたい。

だけど私は、あのメイドの顔すらまともに見ていない。

誰か……階下にいた人なら、もしかしたら……。


「直ちに医者を手配致します」

「ああ、ビアンカも一緒に頼むよ」

「いっ、いえ! アタシは――」

「二階から落ちたんだ。念のため診てもらった方がいい」

「……っ、でも……」

「ビアンカちゃん」


私も目でご厚意に甘えるよう促した。

ビアンカちゃんは逡巡した末に、酷く申し訳なさそうな顔でこくりと頷く。


「それと、モーリス。紙と木炭を持って来てくれないか」

「なりません。今はしっかりとご静養を――」

「違う、違う! ビアンカに()()()()()子の顔を、ね」

「っ! あのメイドの顔をご覧になったのですか!?」


あまりの衝撃に、話を遮るような格好で問いかけてしまった。

「失礼致しました」と私が非礼を詫びるその傍らで、ビアンカちゃんが「メイド……」と小さく呟く。


酷く怯えた表情をしている。

ひがみが殺意に変わったと、そう思っているのかもしれない。

いけない。ヴァレリオ様はそれとなく濁してくださったのに、私は……っ。


「うん、バッチリ。顔もしっかり覚えたよ」

「あの一瞬で……」


モーリス様が驚愕なさっている。私も同じ思いだ。

時間にして五秒もなかったはずだ。それなのに坊ちゃんは……。


「フィオーラ、頼めるか」

「かしこまりました」


私はモーリス様からの命を受けて、ヴァレリオ様のアトリエへと向かった。


あのメイドは、ルンガルディの刺客なのかもしれない。

そんな確信めいた予感を胸に抱きながら。




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