事件の真相
シュタイン伯爵家の別荘、その客間。
柔らかな陽光が差し込み、暖炉や深い色の家具を穏やかに照らしている。壁には家紋入りの絵画が飾られ、白磁の花瓶に飾られた花からは甘い香りが漂っていた。
豪著な空間の中央に置かれた重厚なテーブルと、対となるソファーに腰かけるシルビナ。自宅のものとは比べ物にならない座り心地の良さなのだが、ソワソワと落ち着かない様子で視線をさ迷わせている。
仕事を終えて、パン屋に帰ってきたシルビナの前に、シュタイン伯爵家の家紋が掲げられた馬車が現れたのはつい一時間程前のことだ。
乗っていたのは顔見知りのクリストフ・エーベル子爵。『ユリシア嬢が待ってます』という言葉にいちもにもなく飛び付き、クロードと共にシュタイン伯爵家の別荘に来たのである。
今、クロードは別室でクリストフの妻子と過ごしている。
シルビナは一人、出された茶も菓子も口にすることができないまま、ユリシアが来るのを今か今かと待っていた。
(シア……)
一ヶ月ぶりの再会に、嬉しさと不安で胸がドキドキしっぱなしだ。
やがて、扉の外に人の声と足早に近付いてくる音が聞こえて来た瞬間、シルビナはソファーから立ち上がった。
「ルビー!」
「シアッ!!」
バンッ! と勢い良く開け放たれた扉から、ユリシアが入って来る。途端にぶわあっと涙が溢れ出て、シルビナはユリシアの懐に飛び込んだ。
「い、今まで何をしてたの!? なんで全然会ってくれなかったの!? 心配したんだからぁっ!」
「……ごめんね、ルビー」
シルビナは子供のように泣きじゃくり、ユリシアのドレスをぐしゃぐしゃに濡らしていく。高そうな布地だったがユリシアは気にせず、ただシルビナの華奢な背を撫でながら、その涙が尽きるまで寄り添っていた。
「ほらほら、そらそろ泣き止んで……座って紅茶でも――あ、これミントじゃない!」
泣きすぎて咳き込み出した頃を見計らって、シルビナをソファーに座らせるユリシア。だが、カップの中身を見て驚いたように声を上げる。
「ごめんなさいね、私はこれが好きだけど、妹は嫌いなの。フルーツウォーターに替えてちょうだい。 ……今すぐに飲み物が来るからね。ルビー、今まで心配かけてごめんなさい。私がいない間、何もなかった?」
「う、うん……」
「そう。さっき外で遊んでるクロード見かけたけど、二人とも元気そうでよかったわ」
いつの間にか扉の側にいたメイドに、慣れた様子で命令するユリシア。メイドは顔色一つ変えず、「畏まりました」とティーカップを持って下がっていった。まるでこの館の主人のような堂々とした振る舞いを見て、シルビナは目を丸くする。
「あー……リシー。僕も入っていいだろうか……?」
不意に第三者の声が掛かる。
扉の隙間から、この別荘の主人である筈のナサニエル・シュタイン伯爵が、所在なさげな表情で覗き込んでいた。
「伯爵……!!」
途端に怒りが沸いて来る。理由は定かではないのどが、この男の所為で姉と引き離されていたのだと、ナサニエルを睨み付ける。
「威嚇しないの、ルビー。いいわよ、エル。入ってきなさい」
「あ、ああ……」
「……………………?」
――……何故だろう、ユリシアとナサニエルの立場が逆転している。
しかも双方愛称呼びしているではないか。たった一ヶ月の間に何があったのか?
シルビナの疑問を他所に、ナサニエルは二人の向かい側のソファーに腰を下ろす。
三人の前にレモン水が入った水差しとグラスが並び、シルビナが喉を潤したところで、ナサニエルが口を開いた。
「……まずは謝罪させてもらう。シルビナ嬢、これまで本当に申し訳なかった」
ナサニエルが深々と頭を下げた。
プライドと選民意識の高い貴族が……と思うが、確かナサニエルが平民出だったことを思い出し、詞を返さない。
ゆっくりと頭を上げたナサニエルだが、自身を睨む視線に気付いて気まずそうに目を逸らした。
「ナサニエル」
「……一ヶ月前、シルビナ嬢が暴漢に襲われたのは僕の所為なんだ」
ユリシアの鋭い声が飛ぶと、ナサニエルは叱られた子供のように語り出す。
「……シルビナ嬢は、【無貌の黒面衆】という盗賊団を知っているか?」
「……確か、貴族ばかり襲っていた盗賊団だったかと……? 私たちには関係のない話だったので、よくは知りません」
「……そうか。
……【無貌の黒面衆】は名前の通り、黒い面を被って貴族を狙う盗賊団だ。
四年前、【無貌の黒面衆】の本拠地が、シュタイン伯爵領にあると判明し、僕は兵を率いて奴らの本拠地を叩いた。
頭目と、殆どの構成員は捕らえることができた。……だが、数名を取り逃がしてしまい、その残党が君を襲ってしまった、というのが一ヶ月前の真相だ。
私の不手際で、恐ろしい目に遭わせてしまって申し訳なかった」
「……だから、エヴァンは『シュタイン伯爵の所為』と言ってたのですね」
「まあ……そうだな……」
「ちょっと飛躍してたけどね」
「……話はわかりました。でも、伯爵様が悪い訳ではないでしょう?
盗賊団が今も残っていたら、苦しむ人がもっとたくさんいたでしょう。
私が襲われたのは、私の運が悪かっただけ。そのことで、伯爵様に謝られる謂れはございません。
寧ろ、盗賊団を討伐してくださり、ありがとうございました」
礼と共に頭を下げるシルビナ。彼女の真っ直ぐな言葉に、緊張していたナサニエルの顔がようやく綻んだ。
「シルビナ嬢……ありがとう」
「でも、わからないことがあります。……シアが一ヶ月もここにいたのは何故?」
シルビナの視線がユリシアに向けられる。
最後に会った時とは異なり、高そうなドレスや宝石で身を飾っているユリシア。まるで本当の貴族令嬢のような姿だ。
問われたユリシアは、少し気まずそうにしながら答える。
「あんたを襲った奴らに復讐する為に、あたしからお願いしたの。
あいつら、シュタイン伯爵に盗賊団を壊滅させられた恨みあるだろうからね。あたしがシュタイン伯爵が入れ込んでる女だ~って噂を流したら一発だったわ」
「……君のお姉さんが協力しくれて、残党を全て捕らえることができたんだ。感謝してもしきれない」
「シア……私の為に、ありがとう。でも、シアがそんな危ない事しなくても……」
「悠長なことをしてたら、被害に遭う人がどんどん増えちゃうじゃない。一網打尽にするにはこうした方が早いと思ったのよ。本当、餌に食いつく飢えた魚のように簡単だったわ」
「そうかもしれないけど、シアの身に何かあったらどうするの?」
「あ~……その時はその時……? ま、まあ、ほら、もう済んだことだし、結果よければ全て良し、よ!」
シルビナには到底納得できることではない。説教をしてやりたいところだ。
しかし、一連の事件が無事に終わったこと自体は、心から安堵すべきことだった。