彼らの事情
……なんなのかしら、この光景。
シルビナとユリシアは、ソファーに並んで座っている。この家で一つしかないこのソファーは、ユリシアが酒場の客が不要になったからとセットのテーブルと一緒に貰ってきたものだ。普段なら来客をここに座らせ、シルビナたちは食卓で使う木製の椅子で対応する。
――だが今、テーブルの向こうには、金髪の男と茶髪の男が床に直接正座で座らせられていた。
冷静になって改めて見ると、どちらもここいらではちょっとお目にかかれないような顔の整った男たちである。
そんな見目麗しい男たちを前にしても、ユリシアは腕と足を組み、苛立った様子で相対していた。
「あの、まずはこちらをお納めください」
茶髪の男がそう切り出しながら、革袋を取り出してテーブルに置く。
そのぱんぱんに膨らんだ様子と重々しい音から、かなりの大金が入ってるだろうことがわかる。驚いて思わず声が出そうになったシルビナは口を押さえるが、ユリシアは片眉を僅かに動かしただけだった。
「これは?」
「治療費と慰謝料です。か弱いレディに怪我を負わせてしまい、申し訳ございませんでした。……ほら、ナサニエル」
「……すまない」
「聞こえないんですけど?」
「っ……すまなかった」
「『すまなかった』?」
「ナサニエル」
「……申し訳ございませんでした」
促され、ようやく大人の謝罪らしい謝罪を口にして頭を下げる金髪。
――大の男が子供みたい。シルビナも呆れてしまった。
「まあ、いいわ。腕も大したことないんだけど、折角だから、貰ってあげる。これで話は終わりでしょ? 帰ってくれる?」
「いやいや、まだですから! こうなった事情を説明させてください!」
「興味ないんだけど……」
「申し遅れました。私の名前はクリストフ・エーベル。こいつの友人です」
「……ナサニエル・シュタイン」
ユリシアがシッシッと犬猫でも追い払う動作で帰らそうとするも、茶髪がそれを拒否し、勝手に自己紹介が始まる。
だが、ここにきて初めてユリシアが関心を持ったように組んでいた足をほどいた。
「エーベルに、シュタイン? どちらもお貴族様じゃない」
「ええっ?! そうなの!?」
シルビナは思わず立ち上がりそうになった。
昔と違い、平民の中にも名字持ちは少なくない。とはいえ、使用人レベルの平民が名字を持つ必要がないので、平民が名字を持つことはない。商人や専門職を持つ者たちが名字を名乗ることが殆どだ。
だからシルビナも、金高い衣服を着込んでるようだが使用人を連れている様子はなかった二人を勝手に金持ちの平民なのだと思っていた。
それなのにユリシアの口から貴族と聞かされて、血の気が引いていく。
もしそれが本当なら、自分たちは……と青くなるシルビナなのに、ユリシアのふてぶてしい態度は変わらない。
「そ。エーベル子爵家と、シュタイン伯爵家。どっちもここからずっと北にある土地の貴族よね?」
「凄い。よくご存じですね」
「客商売だからね。色々勉強になんのよ」
「ちょ、シア! なに落ち着いてるの! わ、私達、貴族相手になんてことを……!」
「いえ、お構い無く。私達も元々は平民ですので」
「あ、あら……そう、なのですか……?」
「はい。両親の事業がたまたま成功しただけの、吹けば飛ぶような弱小貴族です。あ、でもナサニエルは自力で伯爵家に成り上がった凄い奴なんですよ」
「じ、自力で? お、お若いのに凄いですね……!」
「若いのに年寄り臭いこと言ってんのよ……って、そんなあんたらのお家自慢はどうでもいいか。どんな言い訳したいって?」
「失礼しました。では、本人の口から説明しますので……ほら、ナサニエル」
「あ、ああ……」
茶髪の男――クリストフの人好きのする態度とおおらかな性格により、シルビナの緊張とその場の空気を和ませかけたが、ユリシアが軌道修正する。
苦笑しながらクリストフは再び金髪の男――ナサニエルの肩を叩いて促す。
会話に混ざれず小さくなっていたナサニエルだが、一度大きく深呼吸してから、酷く緊張した面持ちでユリシアを見た。
「……その、今回は本当に申し訳なかった。怪我をさせるつもりはなかったんだ。だが、君が四年前に行方不明になった妻のアリシアにそっくりだったから……」
「行方不明……! あらまあ、なんてことなの……!!」
衝撃的な言葉に、シルビナはショックを受けたように繰り返す。ナサニエルがシルビナをチラリと見て頷き、話を続ける。
「妻のアリシアはロックス男爵家のご令嬢で、里帰り中に行方不明になってしまったんだ。……周りは死んだと言うが、僕は、四年間ずっと妻を探していた。
それで昨日、駅で君を見掛けて、妻だと思って声をかけたんだ。……それなのに、僕のことを知らないと言うから、つい、カッとなつてしまって……」
ナサニエルの膝の上で握られた拳が堪えるように強く握られる。辛そうに歪める表情と話の内容から、彼が奥方の事を心から思っていたことを感じ取ったシルビナは、思わず同情して涙ぐんでしまった。
そんなシルビナをチラリと一瞥した後、ユリシアは一つ大きく溜め息を吐く。
「ふぅん。そのアリシアって子は、あたしみたいに星空の夜のような黒髪と、黒水晶のような瞳、珠のような肌の、それはそれは綺麗でセクシーなご令嬢だったってことなのかしら?」
「ん゛……!! ま、まあ、そう、だな……」
そう言いながら大きな胸とスカートから覗く長い足を見せつけるようなポーズを取ると、ナサニエルは顔を赤くして視線を反らした。
横で姉の悩殺ポーズを見てしまったシルビナも色気に当てられて頬を赤らめる。が、自身の平らで色気のない体と、白みがかった灰色の髪のことを思って瞬時に悲しくなる。唯一同じなのは目の色だけだが、それもユリシア程大きくて綺麗ではない。
姉妹なのに、何故こうも違うの……と、こっそり溜め息を吐いたが、視線を上げた先でクリストフと目があって。
まるで『僕は好きですよ』と言わんばかりのニッコリ笑顔で頷かれ、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。
「話はわかった。四年前でしょ? 四年前は隣の領のカゴルってとこで暮らしてたけど、妹と甥と一緒だから。ね、ルビー」
「え! あ、え、ええ。そうね。私と息子が少し体調を崩してしまって、体調が安定するまで一年くらいカゴルで暮らしておりました」
「疑うなら、その町に行って聞いてみたら? あたしそこの町長の家で下働きしてたから」
「……わかった」
そう言うやいなや、ナサニエルがすっ、と立ち上がる。
「ナサニエル?」
「……迷惑を掛けてすまなかった」
改めて深々と頭を下げた謝罪をしたかと思うと、シルビナたちの返事も待たずに家を出ていった。
三人とも、ナサニエルの行動にぽかーんとしながら見送っていたが、いち早く我に返ったクリストフが追いかけようと立ち上がり、シルビナたちに頭を下げる。
「最初から最後まで、ご迷惑をかけてしまって本当に申し訳ございませんでした」
「気にしないで。あんたもあんな友人を持って大変ねぇ。お店に来たら幾らでも愚痴聞くわよ? お金を落としてくれるなら、ね」
「ははは……あんなのでも、根は良い方なんです。でもまぁ、美しいあなたに会いに、尋ねさせて頂きますね」
親指と人差し指で作った丸を見せつけながら、ニヒヒと意地の悪い笑みを浮かべるユリシア。社交辞令だろうが、甘い言葉を残してクリストフも家から出ていった。
まるで嵐が去ったように一気に静まり返る室内。次に動き出したのはユリシアだった。
「……ま、何はともあれ、ちょっと痣がついたくらいでこんなに貰えたんだもの。ツイてるわ。これだけあれば、数ヵ月は遊んで暮らせるんじゃない? どうする? 蒸気機関車に乗って旅行でも行っちゃう?」
「……シア……」
男たちが置いて行ったお金の入った革袋の中身を確認し、悪戯な笑みで笑い掛けるユリシア。
だが、笑顔の姉に反してシルビナの顔はどんどんと曇っていき、今にも泣きそうな顔で膝の上に視線を落としていった。
「……何であんたが泣きそうになってんのよ。あいつらに言った通り、私とアリシアってやつは赤の他人だから、安心しなさい」
「……うん」
シルビナは小さく頷きながらも、胸の奥に残る不安を振り払えずにいた。ユリシアはそんなシルビナの手を包み込み、もう片方の腕で抱き寄せる。
暖かな腕と、規則正しい鼓動に触れると、不思議と心が落ち着いていく。幾度となくこうして支えてくれた姉の存在は、シルビナにとって揺るぎない拠り所だった。尊敬するその背を追いかけ、少しでも近づきたい――そう願わなかった日はない。
……だから、シルビナは知っている。
ユリシアが何かを隠して誤魔化すときは、決まって「どこかへ行こう」と誘ってくることを。