望まぬ来訪者
騒動の後、三人はすぐに医者に駆け込んだ。
幸いユリシアの骨に異常は無く、圧迫されたことによる痣跡だけで済んでいた。
しかし、大事な姉に傷を負わせた事、三人揃っての楽しい外出に水を差された事、クロードの楽しい思い出に暗い影を落とした事に、シルビナは腹を立てずにはいられなかった。
その怒りは一日経っても収まらず。仕事を終えた後に、食堂のオーナーに愚痴っていた。
「それは、災難だったわね……」
「ほんと、酷い話です! 私もう、悔しくて悔しくて、夜も眠れなかったんですよ……!」
普段は穏やかでニコニコしているシルビナが、作ったような笑顔で接客していたことに不思議に思っていたオーナーが納得したように頷く。
昨日今日の出来事とはいえ、町で人気者の姉妹の話だ。オーナーも姉のユリシアが男に絡まれていたという話は耳にしていたが、詳細までは掴めていなかった。
終業後のシルビナに直接話を聞いて、ようやく状況を把握できたのである。
「聞こえた話によれば、金持ちそうな男だったんだって? 今から探して慰謝料でもぶんどってやったら良かったじゃない」
「そんなことできません! だって、すっごい危なそうな男だったんですよ!? 沢山人がいる所で暴れて、姉の腕に傷を付けて……! 絶対危ない男です! 二度と姉に会わせたくありません!」
「わ、わかったわかった。落ち着いて……。シルビナはユリシアのことになると人が変わったようになるわよね」
「当然です! 姉は優しくて素敵な女性ですから! そんな人に酷い扱いをする人間なんてあり得ませんもの!」
両親も夫もいない中で子育てや家計を手助けしてくれるユリシアは尊敬するに値し、決して足を向けて眠れない人物だ。
シルビナは胸を張りながら、姉の強さと優しさを思い浮かべていた。
「まあ、仲良しなのはいいことよね。ところで、エヴァンとは最近どうなの? うまくやってる?」
急な話題転換だが、途端にシルビナが真っ赤になって萎んでいき、恋する乙女に変わっていた。
「え、ええ、はい、エヴァンさんとは仲良くしてもらっています……!」
「そう、よかった。あの人も三年前に妻に逃げられて大変だったからね。ようやく春が来たようで安心したわ」
「あ、あの、でも、まだ、正式につ、付き合ってる訳じゃ……!」
「もう付き合ってるようなものじゃない。二人でいるのを見て恋人じゃないって思う方がおかしいわよ」
「あ! あの、姉に聞いたんですけど、私達が、その、こ……! こ、恋人同士って言われてるの、ほ、本当ですかっ?」
「ええ、本当よ。私はまだ付き合ってないって知ってるけど、巷じゃ式はいつなのか~なんて話もされてるからね」
「え、ええ!? あ、あらまあ、どうしましょう……! エヴァンさんのご迷惑になっていないかしら……!?」
「なってないなってない。……ま、取り敢えず、話はわかったわ。聞かせてくれてありがとう。何かあったら相談に乗るから、遠慮なく言ってね。今日もお疲れ様」
「は、はい、ありがとうございます。お疲れ様でした」
手を前で重ね、綺麗なお辞儀をして、シルビナは食堂を出る。店を出ると、空はまだ明るく、柔らかい日差しが街の角を照らしていた。
今日、ユリシアは安静の為の休みを申請しに、酒場に行っている。それに子守りついでにクロードも同行しているため、帰ってきているかもしれないし、クロードの遊びに付き合ってるまだ帰ってきていないかもしれない。
もしいなければ、ユリシアの部屋の掃除を中心に家事をしようと考えながら家路につく。
すると、自宅玄関前に人影が二つあるのが目に入った。
どちらも外套を纏っているが、傍目から見ても高そうなものを着込んでおり、派手な金髪と茶髪の二人組……目に入ったものを頭が理解した瞬間、シルビナは急いで走り出すと、二人の前に滑り込むように玄関扉を塞いだ。
驚いて目を見開く二人が口を開く前に、二人を睨み上げて声を張り上げる。
「帰ってください!」
思った通り、昨日、駅でユリシアに絡んできた二人組だった。
「何をしに来たんです!? また姉に酷いことをなさるつもりですか!?」
「ちょ、違う違う、誤解ですから! 昨日のお詫びと説明をしに来ただけですから、落ち着いてください! ね?」
ユリシアに直接絡んだ金髪の男に敵意を剥き出しにしながら怒鳴る。
金髪の方は少々面食らったようだったが、シルビナの言葉にムッとしたように言い換えそうとする。だがその前に、茶髪の男が二人の間に割って入る。
「……お詫び?」
「そう。えっと、シルビナさんで間違いないですよね。お姉さんのユリシアさんはご在宅ですか? 職場の方はまだ開いてなかったし、家もノックしたけど反応がなかったのですが……」
名前はまだしも、ユリシアの職場まで知られているの!? 笑顔で口調も丁寧な茶髪の男は話し易そうだったが、その言葉にシルビナは警戒はますます強まった。
「……今、息子と出掛けております」
「息子……!?」
「ナサニエル! ……その息子とは、ユリシアさんの子供ですか? それともシルビナさんの子供で?」
何故かカッと目を見開いて驚いて見せる金髪。前に出てきそうになったが、茶髪が背中で押し留めている。
「私の子供です。それが何か?」
「いや、関係ないですが、この方を落ち着かせる為に……ご気分を害してしまい、申し訳ありません。それでは、日を改めてたいのですが」
「結構です! 大事な姉に怪我を負わせた極悪人なんかに、姉を合わせたくありません!」
「!? アリシアが怪我をしたのか!?」
「っ、だから! 姉はアリシアなんて名前じゃありません! あなたが傷つけたんです! もういい加減にしてください!」
何度言っても話の通じない金髪に、恐ろしいものを感じ始める。このままユリシアが帰ってきてしまったらどうなるか――想像した恐怖と怒りで涙目になりながら怒鳴った瞬間だった。
びしゃあっ!!
金髪と茶髪――主に金髪の背後から、大量の水がぶっかけられた。大の男二人分の盾のお陰でシルビナに掛かることはなかったが、数滴ほど顔にかかり、火照った顔を冷やす。
「――よくもまあ、ここに顔を出せたねぇ……?」
……静かだが、地の底から響くような怒りが孕んだ声。告げたのは、ユリシアだった。
「っ、アリ――がっ!」
途端に笑顔になった金髪がユリシアに向かって駆け出そうとした――が、その前にユリシアが投げた桶が金髪の顔面と激突。金髪が地面に転がった。その横を堂々と通り過ぎ、シルビナに並ぶユリシア。
「し、シア!? どうして!?」
「ただいま、ルビー。ロディは隣のおばさんに預けてるから安心してね」
「そうだけど、そうじゃない! どうして帰ってきちゃったの?! 頭のおかしい人が来てるのに……!!」
「ん~まあ、面倒事になる前に話をつけるべきだと思ってね。店の方に来るかと思ってたけど、まさか直接自宅に来るとは……遅くなってごめんね、シルビナ」
シルビナを慈愛に満ちた目で見つめていたユリシア。だが、金髪が呻きながら身を起こすと、射貫くような鋭い視線で金髪を睨み付けた。
その瞳は冷ややかで、微動だにしない姿勢には一切の隙がない。そんな視線を向けられた金髪は、ビクッ! と大きく肩を揺らして固まった。
大の男二人組を相手にしてもなお、揺るがず、毅然と立つ背中を見つめながら、シルビナの胸は強く締めつけられる。
頼もしさと、安堵。こんな状況下だが、怒りを湛えた横顔にシルビナは頼もしさと尊敬を抱くのであった。