暴れる男
使い慣れた通りを抜け、シルビナたち三人は大通りに入る。ここは町の住人たちが使う先程の通りとは異なり、町の外から来た来訪者たちが集う、港町のメインストリートとも言える道だ。その証拠に、食料や日用雑貨が溢れる先程の通りとは異なり、見慣れぬ旅衣や着飾った人々が通りを歩き、店に並ぶ品物は珍しいものや土産品、高級品ばかりだ。
三人は人の波の中に巧く入り込み、目的の場所に向かって歩く。
「ママ! だいじょうぶ? まいごにならないでね!」
「あらあら。ロディがお手て繋いでくれてるから大丈夫よ」
「ロディ~あたしの心配はぁ?」
「シアおばちゃんはいっぱいここにきてるでしょ? それよりもママ、あたらしいきしゃってどんなのかな?!」
ウキウキした様子のクロードが言っているのは、本日ゾーイの駅に到着している蒸気機関車のことだ。クロードは蒸気機関車に大層興味を示しているらしく、休みの度にこうして足を運んでいるのだ。
「うーん……どうなのかなぁ。ママはよくわからないかな。ロディはどんなのだと思う?」
「えっとね、おっきくてかっこいいとおもう!! それで、すっごくはやいの! すっごくとおくまでいけるの!」
「それ、今までの奴と何が違うの……?」
「シアったら、子供の言うことにいちいち突っ込まないの。どんな蒸気機関車があるのか楽しみね」
「うん!」
そんな微笑ましい会話をしていた時だった。
「――――……ッ!!」
何処からか名前を呼ばれたような気がして、シルビナは足を止めた。
辺りを見回してみたが声の主らしき人は見当たらない。元来た方向も見てみたけれど、横道から出てきた大きな馬車の一団に遮られて確認が出来なかった。
「ルビー? どうしたの?」
無意識に馬車が通り過ぎるのを待っていると、少し先に進んでしまっていたユリシアが待っている。クロードも不思議そうな顔でシルビナを見上げていた
「ママ? どうしたの?」
「……今、誰か私のことを呼んでいなかった?」
「? わかんない」
「……そう、よね」
これだけ沢山の人がいて、あちらこちらから声が飛んでいるのだ。聞き間違えたに違いない。そう思い直して、シルビナは足を進めた。
それから暫く歩き続けると、ようやく駅に辿り着く。
三人が着いたのは、木造とレンガが混ざった小さな駅舎のある駅だった。だが、駅周辺には蒸気機関車を見に来ている人々でごった返しており、駅全体にわくわくした空気が満ちていた。
広めのホームには石と木の床、幾つかのベンチと荷物台が並び、蒸気を吐く大型の汽車が停まっていた。
この蒸気機関車は新しく出来たばかりで、移動しながら寝泊まりが出来るという画期的な旅客用機関車だ。運転席の後ろは全て寝台付き車両となっており、主に貴族や金持ちが使うとあってかなり高級感のある見た目をしていた。
混雑を抜けながら、ようやく蒸気機関車をお目見えできたクロードは言葉を失いながらも目を輝かせている。他にも同じ考えを持つ子供たちと共に、蒸気機関車のあちこちを観察していた。保護者たちは、そんな子供たちの後ろで暖かく見守っている。
「……そんなにいいものかね、これ」
「うーん……正直、私もよくわからないわ。でも、ロディが喜こんでくれてるんだもの。来て良かったわ」
「……ほんと、ルビーは優しい“お母さん”よね。私とは大違い」
「あら、そんなことないわよ。シアも子供を持ったらわかるわ」
「……そうかしら」
シルビナの言葉に、ユリシアが一瞬返事をためらったように見えた――が、それも気のせいかもしれない。
「……ちょっと喉乾いちゃった。売り子どっかに居た筈だから何か買ってくるわ」
「わかったわ。気を付けてね」
シルビナは微笑みながらユリシアを見送った。ベンチに腰掛け、堪能しているクロードの姿を見守るゆるやかな時間に浸っていた。
駅前のざわめきは遠い日常の音にしか聞こえなかった――そのはずだった。
群衆のざわめきの中に、不自然な声が混じる。
「……違うって言ってんでしょ!」
ざわめきをものともしない甲高い怒声が耳に届いた瞬間、シルビナの体は自然に立ち上がっていた。一歩踏み出したが、すぐにクロードのことを思い出して声を掛ける。
「ロディ、おいで」
「ママ? まだみたい」
「ごめんね、すぐに戻るから」
眉を潜める息子を問答無用で抱き上げ、急いで声の方向に向かう。
ややあって、ぽっかりと空間が空けられた中心に二人の男女の姿を捉えた。
「間違いない、君はアリシアだ!」
「だーかーら、違うったら違うの! なんなのよあんた!」
「ユリシア!」
聞き覚えのある声に、シルビナは迷わず中心に飛び込む。思った通り、そこにいたのはユリシアで、そんな彼女の手首を見知らぬ若い男が掴んでいた。
「あ! ルビーちょっと助けて! 変な奴に絡まれてんの!」
「へ、変な奴とは失礼な! 僕は」
「あんたが誰とか興味ない! あたしはあんたのことなんか知らないって言ってんだから、おとなしく離してよ!」
「嫌だ! どうしたって言うんだ、アリシア! 僕のことを忘れてしまったのか!?」
「いっ……!」
掴まれた手を剥がそうと腕を振り払おうとしているユリシアだったが、余計力強く掴まれたのだろう。痛みに顔が歪ませる。
それを見たシルビナはカッとなり、クロードを下ろすや否や二人の間に割って入った。
「姉の手を離してください! 痛がってるじゃないですか!」
「止めるんだナサニエル!」
シルビナが声を上げると同時に、若い男の後ろから若い茶髪の男が現れる。茶髪の男はナサニエルと呼ばれた金髪の男の脇から腕を回し、ユリシアから引き剥がしてくれた。
「シア! 大丈夫!?」
「ったあ~……だ、大丈夫大丈夫。ちょっと痛かっただけだから……」
そうは言うものの、ユリシアの手首にはくっきりと手の形のアザが出来ていた。痛々しい様子に、涙と怒りが沸いてきて、キッと男達を睨み付ける。
「離せクリストフ!」
「落ち着けって! 人違い、人違いだから!」
「そんな訳ないだろう! 彼女はアリシアだ! ようやく見つけたんだぞ?!」
訳のわからないことを叫ぶ男を必死に止める茶髪の男は、シルビナの視線に気付くと早く立ち去れと言わんばかりに顎を動かしている。
「ルビー……今の内に逃げよ……」
「っ……! ……わかったわ……。ロディ、おいで」
一言言ってやろうかと思っていたシルビナだったが、弱々しいユリシアの声に我に返る。腹立たしいものがあるが、今はユリシアの身の方が大事だ。腕を庇うユリシアを支えながら立ち上がらせ、クロードに声を掛ける。
クロードは不安そうな顔ながらも一つ頷いてシルビナたちに続く。暴れる男の視界を、茶髪の男が手で塞いでくれた瞬間、三人は人混みの中に身を踊らせた。周囲にいた人々はシルビナたちを守るように迎え入れ、雑踏の中に隠し混む。
逃げる三人の横を、数人の警備兵が駆け抜けていった。これでそう簡単には追い掛けて来ることはないだろう。
「離せクリストフ! 邪魔をするな……」
暴れる男の怒声を尻目に、三人は無事駅から脱出するのであった。