エピローグ
本話をもって完結です。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
その結婚式は、どこまでも穏やかで、幸福に満ちていた。
喧騒から少し離れた高台の、小さな教会。白い石で造られた建物は、長い年月を潮風と光にさらされ、長い歴史の温もりを帯びていた。
教会の中は静だが、遠い波の音が絶えず届いている。
天井の高みから落ちる柔らかな陽光の中で、シルビナは神父の言葉を聞いていた。華奢な身を身を包む純白のドレスは、大した飾りも無く安っぽい。だがシルビナから醸し出される清らかさを表すようであり、キラキラと輝きを放っているようだった。
前列には着飾ったユリシアとクロード、エヴァンの娘ミッチェルが腰掛け、その後ろには近所の人々や職場の仲間たちが顔を揃えている。
――これまで、色々あったな。
シルビナの思い出が蘇る。
古い記憶は約四年前。
記憶には無い暴力夫から逃げ出したが、代償として記憶を失った。
最初こそユリシアにおんぶにだっこの生活で迷惑を掛けたが、ユリシアとクロードと三人での生活は本当に楽しく、幸せな日々だった。
だが、これからシルビナは、愛する男性と共に新しい家庭を築いていくのだ。
伏せていた顔を少し上げ、そっと隣に視線を送る。そこには、黒いタキシードに身を包んだエヴァンがいる。顔からは滝のように汗が出ており、少し動いただけでガチゴチと音を立てそうなくらい直立不動の体勢だ。
そんな姿を見て小さく笑うと、その声に気付いたのか、エヴァンの視線が下りてくる。目が合うと気恥ずかしそうに顔を赤くしたが、すぐにすっと眼を細め、優しい眼差しをシルビナに向けてくる。
言葉はなくとも、その表情だけで伝わるエヴァンからの深い愛。自分自身、彼以外の男性はもう目に入らない。
シルビナはこれ以上無い幸せを感じていた。
神父の言葉を皮切りに向かい合う二人。互いが準備した指輪を、互いの薬指に嵌める。
「る、ルビー。ぜ、絶対に、君を、いや、君と子供たちには苦労をさせない。こ、これから、楽しい毎日を、送ろう」
「はい、エヴァン。皆で一緒に、幸せになりましょう」
そう誓いの言葉を交わし、静かに唇を交わす。
会場内から割れんばかりの大きな拍手が響き渡り、二人の新たな門出を祝福していた。
「るびぃー!! ぼ、|ぼんどにおめでど《(ほんとにおめでとう)》ー!」
式が終わり、教会の外で参列者たちから祝いの言葉を掛けられる合間を見計らい、突撃を噛ましてきたのは号泣中のユリシアだった。
「まあ、シアったら。泣きすぎよ。綺麗なお化粧が取れちゃってるわよ」
「だっで……だっでぇ……」
シルビナの言う通り、化粧は崩れ、睫毛は張り付いたままだが頬を伝う涙は止まる気配すらない。
「え、エばン……! ちゃんと、しあわぜっ……幸せに、してよね、あ、あたしの大事なシルビナと……クロードを……!!」
「はい、勿論ですっ! 約束します!」
胸を張って堂々と答えるエヴァン。
かつて自身の危険を省みず、シルビナを助けたあの日からこの男には全幅の信頼を置いていたユリシアにとって満足の行く答えだった。
「ママ綺麗ー!」
「きりぇー!」
そんなユリシアの我慢などいざ知らず。
子供たちは、なんのお構いもなくシルビナに飛び付く。聖母のような微笑みを浮かべたシルビナは、しゃがみこんで二人の子供たちを抱き締めながらお礼を言っている。
本当なら今すぐにでも抱き締めて祝福の感情をぶつけたいが、純白のシルビナを汚す訳にはいかないと必死に耐えているユリシアにとって、羨ましい限りの行動だ。
「ママ、パパ、けっこんおめでとう!」
「おめえとー!」
「ありがとう、ロディ、ミチェ」
「まま、そのドレスかわいい! ミチェもきたい!」
「なっ……! み、ミチェ、お前にはまだ早い! い、いや、大人になったから絶対着ていいというわけではないが……」
「……エヴァン……」
子供の純粋な希望に対し、男親の運命を早々に感じている夫に苦笑するシルビナ。
その様子を目の当たりにした途端、シルビナたちとユリシアの間に線引きが為された。
それもその筈。
完璧で完全に出来上がった幸せな一つの家庭に、他人のユリシアが入り込むことはできないのだから。
こんなに近くにいるのに、ユリシアだけが取り残されたような感覚に陥っている。
――過去を全て忘れ、真っ白な状態で未来に進もうとしているシルビナ。
――過去を全て受容し、闇を抱えて今を歩む自分。
なんの影もなく、光に当たって前だけ見ているシルビナたちに嫉妬や羨望が渦巻く。
――でも。
(決めたのは、自分)
そう思い直して、喉まで出てきた黒い塊を飲み込んで腹の中に治めた。
「……じゃあ、あたし、そろそろ行くわね」
切り替え、笑顔を作りながら言う。
「もう行くの!?」
声を上げたシルビナは一気に不安そうに眉を潜めた。
「あたしだってせめて今日が終わるまで行きたくないわよぉ。でも、ギリギリまで待ってもらってたし、今日行かないと間に合わないかもしれなっていうから……」
冗談めかして肩をすくめる。そうでも言って自分に言い聞かせないとズルズルと長居をしてしまいそうだった。
「ちょっと、そんな悲しい顔しないでよ。これが最後の別れって訳じゃないんだから」
「……うん」
短い沈黙。
なにか言いたげにしているシルビナ。
早く行かなければという思いとは裏腹に、ユリシアはシルビナが口を開くのを待っていた。
「……シア」
「なに?」
努めて明るく返すと、次の瞬間には視界が白く染まる。
柔らかな感触がユリシアの体を包み込む。優しく甘い鼻の香りが直接ユリシアの鼻腔を擽った。
「幸せになってね。お姉ちゃん」
耳元で囁かれる。
『お姉ちゃん』
初めて呼ばれたその呼び方は、呼ばせなかった呼び方。
『あなたが……私のお姉さん……?』
『……やぁね、そんな呼び方しないでよ。あたしのことは名前で呼んでたのよ。これからもそうして』
意識を呼び戻したアリシアにそう言って“姉”と呼ばせなかったのは、ユリシアがアリシアと“母”を重ねていたから。
あとから何を意味のない意地を張っていたのかと後悔したものだ。
だが今、血縁でも立場でもなく守る覚悟と距離を選び続けた結果として“姉”という役割が、ようやく成立した。
シルビナにとっても、呼び名だけが先に浮いていた関係が、ようやく地に足を着いたと無意識に感じていた。
少し歪んでいた形が、音もなく噛み合う。
二人にとって、他に言葉は要らなかった。
待たせていた馬車に乗り込む。
扉が閉まる音が、外の喧騒を断ち切った。
「もういいのかい?」
中で待機していたナサニエルが、低く問い掛ける。
「ええ。シルビナの結婚式に参加できたし、ちゃんとお別れもしてきたわ」
そう答えながら、ユリシアは手の甲で乱暴に涙を拭い、鼻を啜った。
その仕草を見逃さず、ナサニエルはハンカチを取り出し、無言で彼女の頬に当てる。
大きな手。
優しいが、ためらいのない動き。
ユリシアは拒まなかった。
「……落ち着いた?」
「ええ」
ナサニエルはそれ以上踏み込んでこなかった。
シルビナが、初恋の人であり行方不明だった元妻だということはあの日認識した筈なのに。
ナサニエルにとっては、今外の世界で行われている結婚式は『愛する妻の妹の結婚式』という認識でしかなく、ただ落ち着いた様子を見せていた。
これまで見てきた中で一番理知的な雰囲気を纏ったナサニエル。
それもその筈。
今の彼は、一部の記憶を欠落させていた。
原因は、頭を強く打ったこと。ユリシアがナサニエルを噴水に突き落とした時の出来事が要因だった。
彼が欠落させた記憶は全て把握できてはいないが、幼少期に亡くなった母親の死、アリシアとの出会いの二つは失われていることが確認できている。
正確には、母親の失意の死は単なる病死、アリシアとの出会いは完全に失われているといった状況だ。
医者曰く『彼の人生を変える大きな衝撃を受けたような出来事が、記憶の欠除に繋がっているのではないか』ということだ。
なんと都合のいいことか――だが、ユリシアには好都合だった。
馬車が動き出す。
窓の外で、人々の声が遠ざかっていった。
ユリシアは、もう一度だけ深く息を吸い、そして吐く。
ユリシアの胸には、今のナサニエルの心の中にいる女が自分だけだという、歪んだ愉悦が広がっていた。
――だから、あたしは嘘を吐く。
シルビナたちが幸せになる優しい嘘を。
あたしがエルと一緒になる幸せな嘘を。
守るための、嘘を。
だから――さようなら。
2025年9月4日から書き始め、ようやくここまで辿り着きました。
この物語は夢で見た一瞬の情景から作り出したました。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!




