疑問
そんな華麗な表世界の裏。
雷鳴が轟く頃、ナサニエルらの考えた作戦は遂行され、襲撃者たちは計画前に捕縛。また同時に行われた複数のアジトの包囲襲撃も成功し、【無貌の黒面衆】残党の討伐は見事達成されたのであった。
激しい雨足は全てを洗い流すように降り続け、鮮やかな西日が大地を照らす頃、空は晴れ渡っていた。
パーティーが終わり、帰路につく馬車。シュタイン伯爵家の馬車の後ろをエーベル子爵家の馬車が続き、周囲を護衛の騎士たちが数名つき、夕焼けに照らされる道を走っている。
馬車の中、ユリシアは無言のまま外を見詰めていた。その様子はどこか不機嫌そうだ。空気を読んだナサニエルは向かいに腰掛けながらも居心地悪そうに座っている。
「……なぁ、そろそろ機嫌を直してくれないか?」
「別に、怒ってませんけど? 私と手を組むと言っておきながら、知らない所で勝手に作戦を進めて勝手に実行してたからといって怒ってませんよ、ええ」
「だ、だから悪かったって。今日は君の社交界デビューの日だったんだよ? 余計なことを考えさせて、集中できず失敗させたらと思って……」
「それこそ余計なお世話だって言ったでしょ? 社交界なんて、残党狩りに比べたら全然重要じゃないもの」
そんなことはない。今回のパーティーは、表向き呼ばれたから参加したわけだが、ナサニエルにはユリシアという最愛のパートナーを社交界に披露するという密かな目的があった。
結果、お披露目は成功。ナサニエルは大満足だったが、ユリシアはそうではなかったようだ。
(普通、危険なことに巻き込まれず良かったと思うものじゃないのか? どうしてリシーは直接討伐に関わりたがっていたんだろう?)
体を揺らしたり、腕を擦ったりと落ち着かない様子を見せているユリシア。その様子をは、最初こそ隠し事をしていたことによる怒りかと思っていた。
だが、疑問が頭を過ってからよくよく観察して見てみると、どこか不安そうな表情をしていることに気付く。
(これまでは、家族に害を及ぼされて仕返しをするためだと思っていた。だが、残党の捕縛が為されたというのに、喜ぶどころか不安がっているとはどういうことだ……?)
考えてみたが、わからない。少し迷ったが、腹を決めて直接聞いてみる。
「なあ、リシー。君は何を隠しているんだ?」
「……別に、何も」
ぴくっ! とユリシアの肩が跳ねる。しかしユリシアは何事もなかったように、視線を一切動かさず、平坦な声で言葉を返していた。これで何も無いというには無理がある。
ナサニエルは小さく息を吐くと、ユリシアの隣に腰を下ろす。手を伸ばして彼女の顎をそっと掴んで振り向かせる。
「――な、なにす」
抗議の声を、乾いた唇に落とした口付けで遮る。触れるだけの、けれども熱いキス。不安を宿すユリシアの瞳が大きく見開かれていた。ナサニエルはすぐには離れず、コツンと額同士を触れ合わせる。
「……リシー。僕は君を愛している。僕は君のことを全て知りたい。君が奴らとどんな因縁があったとしても気にしないよ。絶対に、君を離さない」
「……エル……」
「もう、全て終わったんだ。話してくれてもいいんじゃないか? いや、今じゃなくてもいい。リシーが話す気になってくれたら……」
「ぎゃあっ!!」
言葉を遮ったのは、突然の悲鳴だった。
馬車の外から、護衛騎士の声。続いて馬の嘶き、車輪が激しく傾ぐ。ナサニエルはユリシアの肩を抱き、激しい揺れに耐えた。
「何だ!?」
「奇襲です!! 黒面衆です!!」
「何だと!?」
外から響いた護衛騎士の返事に唖然とする。つい数時間前に捕縛が完了したはずではないのか? そう思いながらも、馬車の中に備えていた剣を取り、扉に手を掛ける。
「エル!?」
「リシーはここにいろ! 絶対に出るなよ!!」
言うや否や、ナサニエルは馬車を飛び出した。
「出たぞ! シュタイン伯爵だ!」
近くにいた賊が大声で叫ぶ。周囲の殺気が集まったことをナサニエルは感じ取った。
周りをざっと見渡す。数は十人弱。それほど多くない。威勢は良いが、数の少ない護衛騎士たちが圧倒している。切りかかってくる輩もいたが、ナサニエルは一凪ぎで切り捨てる。元軍人のナサニエルの敵ではなかった。
だが、クリストフはそうではない。馬車の中で妻を守ることに徹している。そんな馬車を守っていた騎士が二人がかりで圧倒されていた。
ユリシアの乗った馬車を離れるのは不安だったが、二つの馬車はさほど離れていない。
一瞬迷いが生じたが、友を見捨てることはできない。
(すまんリシー! すぐに戻る!!)
心の中で謝り、御者にも馬車を動かさないよう命じて馬車を離れる。
クリストフの馬車を襲う賊の一人に切りかかるも寸ででかわされる。数合刃を交えたが、力で圧し切り、バランスを崩したところを突き刺して倒す。
ふん、と息を吐いてすぐに踵を返す。
その瞬間、ナサニエルの目に飛び込んできたのは、御者台から蹴り出され地面に転がる御者と、走り出す馬車だった。
「リシー!!」
慌てて馬車を追う――だが、逃亡を図り荒れ狂っていた馬車は唐突にその動きを止めた。
ナサニエルは息を切らしながら慌てて御者台に飛び乗るが、御者台の敵は既に息絶えていた。
その後頭部からは赤黒く染まった突起物が飛び出しており、外れた仮面の下に苦悶の表情を浮かべて……。
「っ、誰が……」
「……エル……」
「リシー! 大丈夫か!?」
御者窓からか細い声が漏れ聞こえ、慌てて馬車の扉を開ける。
そこにいたユリシアは、背筋を伸ばし、場違いなほど落ち着いて座っていた。
髪飾りで結い上げられていた髪は解け、肩に流れ落ちている。
御者台から差し込む夕日が、ユリシアの白い肌を茜色に染め上げていた。
「……大丈夫、怪我はないわ」
呟くようにそう言うが、ユリシアの頬には赤い鮮血が付着しており、滑からに伝い落ちていた。
「……もう、大丈夫……」
ユリシアの微笑みは、どこか誇らしげで、穏やかで、柔らかくて――そしてどこか、悲しげで。
その笑みを見た瞬間、ナサニエルの胸に冷たいものが走る。
恐怖ではない。
ただ、愛した女性が一瞬にして遠い存在になってしまったような気がして。
「……リシー?」
そこにいるのがユリシアであることを確かめるように愛称を呼ぶ。
けれど返事はない。
ユリシアは瞼を閉じ、まるで何かをやりきったかのように大きく息を溢した。
夕日が沈み、闇が世界を覆っていく中を、ユリシアの作り物のような白い顔がぼんやりと浮かんでいた。




