睦合
前回の後半部分を今回の前半にもってきてます
囁きと噂が渦を巻く中、主催者であるトゥルク伯爵夫妻が笑顔で二人を迎え入れる。
「ユリシア嬢のお噂はかねがね……。噂通りのお美しさですな」
「恐れ入ります。お褒め頂き、光栄ですわ」
「まあ……立ち振舞いも美しいですわ。本当に平民ですの?」
「ありがとうございます。これも、ナサニエル様とエーベル子爵ご夫妻のご指導あってのことですわ」
賛辞を受けてもユリシアは落ち着いた物腰で謙遜し、礼を述べていた。生粋の貴族を前にしても崩れることのない立ち振舞いに、夫妻からの評価も高まったようだ。
夫妻の前を辞し、集まってきた顔馴染みや高位貴族との挨拶を交わす。
皆、ユリシアの美しさと洗練された礼儀作法に舌を巻き、平民とは思えないと囁きあっていた。中には『まるでどこかの公女のようね』と誉め称える声すらあった。自然とナサニエルの鼻も高くなる。
「シュタイン伯爵、少し宜しいでしょうか?」
そうこうしている間に、声を掛けられる。
厳めしい顔をした彼は、【無貌の黒面衆】討伐の為、都から派遣された騎士団の団長だ。今日はパーティーの警護も兼ねて参加していた。彼の背後にはアンジェラが優雅に微笑んでいる。
「何でしょう? 今は挨拶の途中なのですが」
「急ぎ、お耳にいれたいことがありまして……」
「ここでは駄目なのですか?」
「はい。エーベル子爵もお呼びしております」
「しかし、まだ挨拶が終わっていないのに……」
「行ってきてくださいませ、ナサニエル様」
まだ他貴族との挨拶も終わっていないというのに、ユリシアから離れる不安から断ろうとする。しかしそれを遮ったのはユリシアだった。
「でも、リシー」
「急ぎのお話なのでしょう? 団長様も、その為にアンジェラ様を連れてきて下さってるのですから大丈夫です。まずはお仕事を終わらせて来てくださいませ」
「リシー……」
「団長様も見てらっしゃいますよ。情けない声を出さないでくださいな」
そこまで言われたら、もう行くしかない。ナサニエルはユリシアの額にキスを落とす。
「……すぐに戻る」
「はい、お待ちしております」
「ユリシアさんのことはご心配なく。いってらっしゃいませ」
自信に満ちたユリシアの笑みとアンジェラの後押しに、ナサニエルは泣く泣くユリシアの側を離れるのであった。
団長に案内されて個室には、クリストフが待っていた。
「やあ、ネイト。遅かったな。ユリシア嬢に行きたくないと駄々をこねたのか?」
「ガキじゃあるまいし、そんなことをするわけないだろう。リシーだけにさせるのも不安なんだ」
「それは悪かったな。まあ、アンがいるから大丈夫だって」
「団長殿、早急に話を聞かせてもらっても宜しいか?」
からかってくるようなクリストフを無視し、団長に話を促す。団長はクリストフを一瞥した後、静かに口を開いた。
「事前の情報通りに、本日、奴らは動くようです」
ぴんと糸が張ったような空気感に変化する。
どうやら悪名高き盗賊団の残党といえど、今は烏合の衆となっているようだ。かつての栄光を取り戻すべく団員を集めたが、その中には密偵が複数人混ざっていることに全く気付いていない。
その証拠に、港町ゾーイに構えた複数のアジトは発見され、人数の把握もできていた。後は一斉捕縛の機会を狙うだけだった。
貴族のみを狙うと謳う奴らにとって、本日のパーティーは復活の狼煙にはもってこいってところだっただろう。本日のパーティーに襲撃の可能性を事前に示唆されていたが、まだ未確定であった。
「今、外は雨模様なのですが、雷雲が近付いてきております。密偵の情報によれば、その状況を利用して館を襲撃する算段とのことです」
「浅はかだなぁ。そんな短絡的に考えた計画で、ネイトを殺せると思うなんて」
「かつて成功にたかをくくっているんだろう。あれは綿密な計画を立てていた参謀がいたからだったのにな」
「もういないからね」
「それで、奴らは今どうしている?」
「館近くの森に潜んでいます。雷は、二時間以内に到達予定です」
「成程。では、すぐに作戦を立てよう」
――その後、【無貌の黒面衆】を迎え撃つ計画を立てる。団長は計画実行の為に会場を離れ、ナサニエルとクリストフはパーティー会場に戻った。
「リシーはどこだ?」
「おい、ネイト。少し落ち着けよ。余裕のない男は嫌われるぞ」
「落ち着いてられるか。ただでさえ長い時間一人にしてしまって心細い思いをさせているんだぞ」
「だから俺の妻もいるって……まあいい。でも、ユリシア嬢はそんなタイプのレディじゃないと思うけどな」
周囲を見渡しながら、先ほど別れた場所まで足を進めていたが、途中で足を止める。ユリシアはすぐに見つけることができた。
彼女は数人の女性に囲まれていた。側にアンジェラの姿はない。
(リシー!)
ナサニエルの頭に血が昇る。ナサニエルの脳裏に、貴族に虐げられる平民像が浮かんだ。早足に駆け寄り、背後から小さな肩を掴む。
「リシー!」
「わっ! び、びっくりした……」
「あら、シュタイン伯爵。お話は済みましたの?」
囲んでいた中で、一番高位の公爵夫人が愉快そうに声を掛けてくる。彼女は社交界の中心人物だったな、とナサニエルは頭の片隅で思い出した。
「ええ、まあ……彼女に何かご用なのですか?」
「用などど、無粋ですわね。パーティーといえば様々な話題で交流する場でしょう? わたくしたちはユリシアさんとお話ししていただけですわ」
「そうよ、エル。折角皆様と楽しく話をしていたのに、急に邪魔してくるなんてマナー違反よ?」
「り、リシー……?」
守らねばと助けに入ったつもりが、まさかのユリシアからも窘められてタジタジとなってしまう。
「心配性ね、あなたは」
「そ、そりゃあ、僕にとって君は誰よりも大事だから、心配するのは当然だろう」
「あら……」
今度はユリシアが頬を赤くする。
そんな仲睦まじい二人を見た女性陣は「まあ、お二人は仲が良いのね」「シュタイン伯爵のあんな姿初めて見たわ」「微笑ましいこと」と朗らかに言うものだから、特に意識して言った訳ではなかったナサニエルは顔を熱くする。
「もう、エル様ったら。そんな可愛らしい顔を見せるのはわたくしだけにしてほしいものですわ」
クスリと微笑んだユリシアはあまりにも妖艶で。周りからほう、と溜め息が漏れたのをナサニエルは聞き漏らさなかった。
二人は女性たちから離れ、 人気の少ない窓際に移動する。
「……完全に馴染んでいたな? 誰も君を平民と見ていなかったような……」
「まーね。あなたが来るまでは結構盛り上がって話していたわよ」
「そ、そうか……。……ん? ショールはどうした?」
「ああ、まあ、色々あって腰に巻いてるの」
ユリシアの剥き出しの肩に気付いて尋ねる。ユリシアは、腰に巻いたサテンショールの端を指先で摘み、軽く持ち上げて見せた。
白い肩が艶やかに輝き、ナサニエルの心臓が跳ね上がる。
「どう?」
「あ、ああ……凄く似合ってる……」
「当然よね。……で?」
「? で、とは?」
「……本っ当にあなたって鈍いわよね。今日はパーティーよ? 男女二人揃ってきて、挨拶も歓談も済みました。あとやることは?」
「……あ、ああ!」
言われてハッとした後、片手を胸の前に添え、軽く頭を下げる。
「……僕と踊っていただけますか?」
「喜んで」
にっこり笑って、軽くお辞儀し返すユリシア。伸ばした手を重ね合い、視線を交わすと、どちらともなく吹き出す。
「こうして見ると、本当に貴公子って言葉がぴったりね」
「普段はそんなに違うか?」
「そうねぇ。いつもは駄犬みたいな? よくてのんびり屋な野犬?」
「どういうことだよ。君だって、普段は気紛れな野良猫のくせに」
「野良は野良でも、高級な猫なのよ」
そんな軽口を叩きながら、ダンス会場と化している中央部に足を踏み入れる。
旋律に合わせ、二人は流れるようにステップを踏み出した。
ナサニエルの導きに合わせ、ユリシアのドレスが華やかに揺れ踊る。
互いの呼吸が重なり、僅かな動きで通じ合うような感覚。言葉など要らない。二人だけの物語を謳うように踊っていた。
会場の中心で舞い踊り、息のあった様子を来客者たちに見せつける二人は、まるで長く連れ添った夫婦のようであった。
こうして、ユリシアは平民としては異例の歓待ぶりで社交界デビューを果たす。
ナサニエルの隣に立つ“伯爵の女”としての姿を、人々の心に焼き付けたのであった。




