恋心
何処で切るか迷った末、いつもより長いです。
後々修正するかもです。
かつては初恋の女性で染まっていた身も心も、今では目の前にいる女性のことでいっぱいになっている。
そんな彼女が自ら危険に飛び込もうとしていることを許しておけなかった。
単なる正義感からではない。ナサニエル自身が『そんなことをさせたくない』――ただそれだけ。
そしてそれが、もう二度と『愛する人』を失いたくないという感情であることに気付いたナサニエルは、自身の思いの丈を言葉と精一杯の抱擁で伝えようとした。
「……一回寝ただけで自分の女気取り? これだから貴族の坊っちゃんは……」
だが、返ってきたのは皮肉めいた笑いだった。
「違う! 僕は本当に君のことを愛してるんだ!」
「バカね。そんな使い古された言葉で流されるほど、甘い世界に生きてないのよ、あたしは」
どれだけ言葉を重ねても、ユリシアには届かない。それどころか胸を押され、思わず力を緩めると距離を取られる。その背中に追い縋るように手を伸ばすが、触れることを拒む背中を見て、力なく下ろした。
(どうして、そこまで……)
騎士団でも上位の腕前を持ち、地位のある自分をナサニエルは強いと思っていた。
だが、力も金もない華奢な女でしかないユリシアの芯の強さを目の当たりにし、己の傲慢さに恥ずかしさを覚える。それと同時に、ユリシアに対して神々しいまでの尊敬の念が生まれていた。
「……君を危険な目に遭わせたくないんだ……どうしたら信じてくれる……?」
「信じてほしいなら、あんたもあたしを信じてよ。あたしと一緒に、あいつらを殲滅して」
振り返ったユリシアは、もう震えていなかった。秘めていた力を解放するかのように、迷いのない力強い瞳に射貫かれ、ナサニエルは二の句を告げなくなる。
(……僕も、彼女のように強くなろう。今度こそ、愛した人を守る為に……!!)
胸の奥で、どうしようもなく熱いものが膨らんだ。守りたいという痛みが、いつしか愛になり、決意となっていくのを感じていた。
「……わかった。君と手を組む」
「本当?」
「だが、君が妹たちを守りたいと思うくらい、僕も君を守りたいし、傷付けさせたくない。全てを君の思い通りにはさせてやれない。だから、一緒に考えて、力を合わせよう」
そういって、握手を求める手を伸ばす。
「……なんだか、急に成長したみたいね?」
ユリシアは不思議そうな顔でその手とナサニエルを交互に見て、そっと手を握る。
「君に認めてもらう為だ。見ていてくれ、ユリシア」
「……お手並み拝見させてもらうわ」
ナサニエルは力を入れすぎない程度に、しっかり握り返し、笑った。
こうして、ナサニエルとユリシアの共同による【無貌の黒面衆】討伐作戦が開始されたのである。
作戦はこうだ。
トゥルク伯爵に使いを送り、残党討伐の協力を仰いで騎士や兵士を増員させる。余所から入ってくる者に対してはそこそこ緩い審査で、出る者に対しては厳重な審査をする。こうすることによって【無貌の黒面衆】を港町ゾーイに集め易くする。
その餌となるのは【無貌の黒面衆】の復讐相手であるナサニエルだ。
そのナサニエルがユリシアの元に通い、ユリシアを独占することで『ユリシアがシュタイン伯爵のお気に入り』であるという噂を流し、盗賊団残党の狙いをユリシアに集中させる。
その意図は、『貴族よりも平民の女の方が奴らとしても何かと扱いやすいだろうから』というユリシアの発案だ。ナサニエルの弱点となり得るユリシアを盗賊団たちが襲撃、もしくは誘拐することによって一網打尽にする計画である。
その作戦の間はシルビナたちに危険を及ぼさないために家には帰らず、またシルビナとクロードは恋人であるエヴァンの家に避難させ、また陰ながら警護も配置させている。
こうして、ナサニエルは堂々とユリシアと時間をともにする機会を得たのである。
夜は大金を叩いてユリシアとの時間を独占。日中は堂々と腕を絡ませ、高級店を巡る。そんな日々を送っていれば、二人の関係は町中どころか貴族たちの間でも話題となる。
もともと貴族の間でナサニエルは『誤解により愛する妻を失った悲劇の貴公子』と密かな話題を持つ人物であり、その話題と容姿も相まって『お慰めしたい』と狙う女性たちが少なくない男だ。
そんな、ほぼ死亡確定の妻を一途に思い、秋波を送る女性たちを撥ね付けていたナサニエルが、平民、しかも酒場の給仕と恋仲になるなどと誰が予想できただろうか。
それ故に、ユリシアの姿をひと目見たいと思う物見高い貴族は少なくなく。
事情を知らない貴族が、トゥルク伯爵領でパーティーを催したい、と申し出てくることになるとは、少なくともナサニエルには予想外の出来事だった。
トゥルク伯爵領、領主の別荘は港町ゾーイからは少し離れ、町を見渡せる高台に位置している。
田舎ながら、伯爵家の財力と格式で豪華な外観の建物に、集まった複数の貴族たちが集まっていた。鉄道の普及のお陰で集まりやすく鳴ったお陰で、急に決まったパーティーではあったが参加する貴族は多い。
パーティーの会場は、煌びやかなシャンデリアの下、音楽と笑い声が絶えない大広間。参加者たちの好奇と噂は、ナサニエルとユリシアに集まっており、二人の登場を今か今かと待っていた。
――控え室にて。ユリシアを迎えに行ったナサニエルは言葉を失っていた。
ユリシアが纏うのは、大輪の薔薇を思わせる深紅のAラインドレス。若草色のサテンのスカーフを肩に軽く掛け、余計な装飾を削ぎ落とし、しなやかな曲線と白磁のような肌をより一層魅力的に際立たせている。にも拘らず、男に媚びるようなはしたなさを感じないのは、もともとユリシアに備わる凛々しさからだろう。
髪飾りやイヤリング、胸元を飾る大きな宝石はナサニエルを象徴する金や碧で彩られ、まるで『彼のものである』と示しているようだった。
「……何か、気の利いたことは言えないの?」
「っあ、いや、そのっ……リシーが綺麗過ぎて、言葉が出なくて……」
「じゃあ素直にそれを言えばいいじゃない。人間、誰しも大事なことは言葉にしてほしいものだからね」
赤い唇をふんわりと緩ませるユリシアに、ナサニエルの顔には益々熱が帯びる。照れを誤魔化すように視線を逸らす彼の腕に、ユリシアはそっと細腕を絡ませた。
布越しでも伝わる体温と柔らかさに、ナサニエルの顔どころか全身の熱が急上昇する。
「最も、美しいも綺麗も聞き飽きた言葉だけど」
美しい顔に悪戯な笑みを乗せるそのギャップに、ナサニエルの胸の鼓動はドカドカと速まっていた。
ユリシアに翻弄されながら、ナサニエルは控え室を後にする。大広間の扉が開かれると、人々の視線が一斉に二人に集中する。
目立つことが好きではないナサニエルは、ひしひしと感じる好奇の視線に嫌悪を覚えながらも、同じように晒されているユリシアのことが心配になる。
「……リシー、大丈夫か?」
「何が?」
「……見られているだろう」
「別に、気にならないわよ? 寧ろあたし……いえ、わたくしの美しさを披露できて、嬉しく思いますわ」
今回のパーティーに参加するに当たって、ユリシアにはクリストフの妻アンジェラの指導が入った。短い時間ではあったが、礼儀作法も立ち振舞いもまるで吸収するかのように身に付け、アンジェラも驚くほどの上達を見せた。ただ、口調だけはなかなか改めることができず、言い直すこともしばしば。
それでも、ユリシアは確かな自信に満ち溢れていた。
「……なんて豪胆なんだ……」
「それは女性に使う言葉ではありませんよ」
「でも、そんなところが素敵だ」
「あら、ちゃんと言葉に出来て偉いわね」
クスクスと笑い合う二人。その微笑ましい様子に、周囲の人々は驚いているようでもあった。
「あのシュタイン伯爵が笑っているぞ」「シュタイン伯爵が笑っているの初めて見たわ……」「平民と聞いていたが、堂々とした立ち振舞いじゃあないか」「なんと見事なお姿なのでしょう」「下手なご令嬢たちも霞んでしまいますな」「本当に酒場の給仕なのかしら? 替え玉ではありませんこと?」「噂以上の美しさじゃないか」「シュタイン伯爵が惹かれるのも無理はありませんな」
深紅のドレスに包まれた黒髪の美女――その艶やかな姿は、一瞬にしてパーティーそのものを掌握してしまったかのようであった。




