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FAKE ~あなたを守る。だから、さようなら~  作者: 福 萬作
ナサニエル編:灰色の世界
13/19

艶姿

 『アリシア』の家を訪ねてから、十日。

 ナサニエルはクリストフと共に、海辺の酒場ヒルデガルドに来ていた。

 海辺の酒場ヒルデガルドは、港町ゾーイでは五本指に入れられる程有名な場所だ。

 

 外観は三階建ての小さめの貴族の屋敷風で、一階は庶民的な酒場、二階は富裕層が集まるサロン、三階は宿泊施設というなかなか珍しい造りになっている。また、二階のサロンには正面に設置された階段から入ることができ、一階の酒場とは一線を画していた。

 貴族であるナサニエルたちならば二階に入る権利はある。

 だが今二人は酒場のテーブル席に腰を下ろしていた。


「いらっしゃーい!!」


 朗らかな声が店内に響く。露出の多いドレスに身を包んだ『アリシア』――いや、ユリシアの姿を見て、ナサニエルは涙目になりつつ大きなため息を吐いた。

 

「……アリシアじゃ、ないのかもしれない……」

「だから、全員が全員、最初からそう言ってたろ。一人で突っ走ってたのはお前だけだ」

 

 酒の入ったグラス片手に、テーブルに突っ伏すナサニエルは落ち込んだ様子でそう吐き捨てた言葉に、一人優雅にワインを飲んでいるクリストフが事も無げに返す。その言葉が刃となってナサニエルに突き刺さった。

 

 先日、『アリシア』ことユリシアの家を訪ね、話を聞き、彼女の言葉通り調べてみた。

 そして彼女の言う通り、四年前のユリシアは妹のシルビナと甥のクロードと共に、隣の領の町カゴルで暮らしていたことが分かった。

 

 『妹と駄目亭主を離婚させたが、病んでしまった妹と、幼い甥を養うためにカゴルの町に来たらしい』というのが町長夫妻の証言だ。

 

 貴族令嬢として暮らしていたアリシアだ。失踪直後に、わざわざ子連れの病人と合流し、平民に傅いて下働きの仕事をするだろうか。

 可能性の一つとして、失踪直後に記憶喪失となり、助けてくれた母子に恩を返しているということも考えられなくもない。

 だが、町長の家に現れた『アリシア』はピンピンしてて、逆に赤子を抱いていた妹の方がボロボロだったという話だ。記憶喪失になるほどの衝撃を受けた女が、そんなに元気でいられる訳がない。


(……やはり、違う、のか……)

「そういえば、なんでユリシア嬢がアリシア嬢だと思い込んだんだ? 名前か?」

「……黒髪が……同じだったから……」

「……お前な……髪色だけで決めつけるなよ……」


 本当に、それだけで決めるなどとは愚かとしか言いようがないが、その時のナサニエルは本気で信じていた。


 カゴルの町以前の身元はまだ調査中だが、既にナサニエルの中で『ユリシア=アリシア』という可能性は薄くなっている。


(貴族令嬢が下働きだけでも信じられないのに、それを辞めてこんな酒場で働くなんてもっと有り得ない――)


 そんなことを考えていると、突然、ドンッ! とジョッキをテーブルに置かれ、ナサニエルは慌てて飛び起きた。

 空いている椅子に、『アリシア』……いや、ユリシアが屈託のない笑みを浮かべて腰を下ろした。 

 

「今日も来てたのね、お二人さん! これはあたしの奢り! 二階じゃなく、わざわざこっち来て高いもん頼んでくれてありがとね!」

「あ、ああ……」

「貴女に会いに来てるのですから当然ですよ、ユリシア嬢」

「はは! 色男にそんなことを言われると嬉しいねぇ~。金髪のあんたも、うまいことの一つ位言ってくれたらもっと嬉しいんだけど?」

「なっ……ぼ、僕はそんな軽薄なことは……」

「こいつは朴念仁だから、期待しない方がいいですよ」

「顔はいいのに勿体ないねぇ。取り敢えずまあ、乾杯!」


 キンッ! と甲高い乾杯音を響かせると、ユリシアは豪快にグラスを傾ける。エールを飲み干すユリシアを見ながら、ナサニエルは口を開いた。


「……ユリシア嬢」

「ん? なに?」

「どうして、下働きを辞めたんだ?」

「そりゃあ単純にこっちの方が給金良かったからね。頑張れば頑張る程、貰えるお金が増えるなんて最高じゃない?」


 報告書によれば、町長屋敷の下働きを辞めたのは、『海辺の酒場ヒルデガルドの店主にスカウトされたから』とのこと。

 だが、彼女は事も無げに言うが、それが()()()()ことによって得られるもの。三階に宿泊施設があるというのも、()()()()()()だ。 


「……騙された訳ではないのか?」

「ナサニエル」


 クリストフが制止するが、ユリシアは気にした様子もなく答える。


「まっさか。うちの店主はきちんとそういう店だって説明して、納得した上で契約書を取り交わしてるから」

「っ、どうしてそこまで……」

「可愛い妹と大事な甥に苦労はさせたくないからね。実際、大分いい暮らしさせてあげれてるし」

「……そんなに稼いでるのか?」

「まあ、そこそこ? 太客と常連がいるからねぇ」

「……君の妹は、君のしている事を知っているのか?」

「当たり前でしょ。同じ町に住んでるんだから、嫌でも聞こえちゃうわよ」


 そんな話をした後、ユリシアは呼ばれて席を立つ。笑顔で淡々と語る姿に、ナサニエルの胸はざわついていた。


「……ネイト、今のは失礼だぞ」

「え?」

「あの人の生き方に、お前は関係ない。彼女の人生に関わるつもりがないなら、余計な首を突っ込むな」


 確かにクリストフの言う通りだ。

 自分には彼女の人生をどうこうする権利はない。それでも、アリシアと重なるユリシアの姿が脳裏から離れない。

 忘れたくても忘れられない、愛しい妻――気晴らしに、杯を一気に傾ける。

 苛立ち混じりの思考が、度の高いアルコールによって発散されるようだった。

 

 そんな折、酒場の奥から荒々しい声が響いた。

 

「なにしやがる!」


 椅子を蹴倒すような音と共に振り返れば、粗暴そうな客がユリシアに掴みかかろうとしている。彼女は涼しい顔を崩さぬまま、手元のジョッキから酒を振りかけたところらしい。


「あーら、ごめんなさい。汚かったもんだから、洗い流してあげましたの。お礼は不要ですわぁ」


 その声音はあくまで上品に、しかし挑発的で。客の怒声とユリシアの皮肉めいた笑みが、場の空気を一瞬で張りつめさせていた。

 

「ふざけてんじゃねぇ!」 

「こっちはあんたの噂聞いて、わざわざ遠くから来てやったんだ。サービスしてもらって当然だろ?」


 同じテーブルにつく仲間二人がそれぞれ言葉を浴びせかける。一人がニヤニヤ笑いながら手を伸ばすも、ユリシアはその手を思い切り払い除けていた。

 

「そりゃどーも。でもうちの店は、あんたらみたいなお上りさんが遊べるような店じゃないので。是非とも通ってくださいねぇ」

「なんだとてめぇ! こっちは客だぞ!」

「だーかーら、うちは一見さんお断りなんですよぉ。勿論、お触りも厳禁。触りたかったらお金積んでもらわないと。お客様たちは……」


 ユリシアはそれぞれの男たちを上から下、下から上へと眺め見て、鼻で笑う。

 

「……まあ、今回は見逃しますから、次は気を付けてくださいねぇ。ま、次があるかわかりませんけど」

「っな……このアマ! 調子乗ってんじゃねぇぞ!!」


 客の顔が怒りで赤黒く染まるのを見て、周囲の空気がひりつく。

 次の瞬間、男の分厚い手が彼女の肩へ伸び――その手を掴んだのは、ナサニエルだった。


「ああ!? なんだテメ……っ!!?」


 握り潰さんばかりの力で相手の手首を押さえ込む。


「……おい、行こうぜ」

「ちっ! こんな店、二度と来るかよ!」


 鋭い眼光で男たちと睨むと、たちまち顔色を変える。ナサニエルの手を振り払い、舌打ちと共に退散していった。


「ありがとね! ナサニエル様!」

 

 ユリシアはぱっと表情を切り替え、花のように明るい笑みを浮かべる。


「……君は、いつもあんな対応をするのか?」

「無礼者にはね。いつもは用心棒が先に動いてくれるんだけど、今日はナサニエル様の方が早かったわね」

 

 先程とは打ってかわって屈託のない笑顔に、ナサニエルの心臓が大きく高鳴る。赤面する顔を見られたくないと視線を慌てて視線を反らした。

  

「……ねぇ、今夜はお暇?」


 突然、ナサニエルはユリシアにしなだれかかられる。大きな胸の柔らかさと、鎖骨を撫でる長い指に、全身が一気に熱くなる。

 

「なっ……! ゆ、ユリシア嬢、ぼ、僕は、そのっ……」


 慌てふためく声は情けなく裏返る。しかし、最後まで否定の言葉を告げないのは本能からの期待の表れだろう。

 クリストフはそんなナサニエルを見て愉快そうに笑い、一人外套を身に纏った。

 

「ネイト、久し振りに楽しんで行ったらどうだ? 私は帰らせてもらうけど」

「なっ!? ま、待っ」

「あら、帰っちゃうの? クリストフ様も楽しんで行ったらいかが? クリストフ様なら、みぃんな大歓迎よ?」

「ははは。こう見えて私は妻一筋なんですよ。見目麗しいあなた方を肴に、食事とお酒を楽しめたら十分です。また会いましょう、ユリシア嬢」

「はぁい。またお待ちしてるわね」

「あ、ちょ、クリスト……! 僕を置いていかないで……!!」


 軽口と共にクリストフは、ひらりと背を向ける。経験を積んだ男の余裕が漂う背中に、慌てて伸ばした手は空を切り、ナサニエルの心臓は跳ねた。

 

「……帰っちゃうの……?」


 伸ばした手に、ユリシアの小さな手が重なり、耳元で甘い吐息と共に囁かれる。潤んだ黒い瞳と、赤い唇に目が離せない。吐息が触れた瞬間、理性が危うく崩れていく。

 

 ――朴念仁であれ、彼も一人の男だった。

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