第11話 あなたが眠るこの世界で
夕暮れの空が橙から紫へと変わる中、ハルトたちはようやく目的の街へとたどり着いた。
宿の灯りがぽつぽつと灯りはじめ、あたりには安堵の空気が満ちる。
「……着いたな」
ハルトは肩の力を抜き、大きく伸びをする。
「お疲れ様でしたわ♡」
テラがふわりと微笑む。
宿は木造の二階建てで、外観は古いが清潔感があり、温かみのある雰囲気が漂っている。
玄関先で出迎えた女将が、にこやかに頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。お部屋とお風呂、そして夕食もすぐご用意いたしますよ」
「ありがてぇ……もう足パンパンだ……」
ハルトはヘトヘトになりながら玄関をくぐる。
リリアもスカートの裾を握りながら、そっと呟く。
「……僕、途中でパンツ事件がなければもっと元気だったのに……」
「本当にすまなかった……」
ハルトは視線を逸らしつつ答えた。
「……変態です」
シオンは無表情で一刀両断。
「お主、言われ慣れすぎてないかの……」
セバスは苦笑しながら後ろからついてくる。
女将に案内され、それぞれの部屋へ荷物を置いたあと、皆で食堂に集まることになった。
木のぬくもりを感じる食堂には、香ばしい香りがふわりと漂っていた。
テーブルには焼きたてのパン、肉の香草焼き、温かいポタージュスープ、そして彩り鮮やかな野菜のグリル。
「おおぉぉ……!これぞ文明!これぞ人の幸せ!」
ハルトがテーブルに感動の土下座を決めた。
「文明の意味が雑すぎますわ」
テラがくすくすと笑う。
「でも……すごく、美味しそう」
リリアがそっと席につきながら、ポタージュをじっと見つめる。
「遠慮は無用ですぞ。こういう時は腹いっぱい食べるべきです!」
セバスは早速ナイフとフォークを手に取り、優雅に肉を切る。
「……おいしい」
シオンも無言で一口食べてから、ぽつりと呟いた。
ハルトはパンにかぶりつきながら、幸せそうに言う。
「うめぇ……戦闘後に温かい飯って、世界救えるレベル……!」
「ふふっ♡ ちゃんと感謝して食べなさいな」
テラはハルトの頭を優しく撫でる。
「でも……パンツの人が感謝語ってもなぁ」
リリアが小声で呟いた。
「まだ引きずるのおおおお!?」
ハルトが涙目になった。
「……変態です」
「安定の定義やめてくれ!」
和やかな、けれど少し騒がしい食卓。
仲間としての絆が、少しずつ深まっていく。
そして女子組は先に風呂場へ向かうことにした。
宿の奥にある風呂場からは、湯気とともにほのかに香る薬草の匂いが漂っていた。
「ふあぁ……やっぱり温泉って最高だわぁ……♡」
脱衣所で服をたたみながら、テラが嬉しそうに伸びをする。
「わ、私……一緒に入るの、ちょっと恥ずかしいかも……」
リリアは顔を真っ赤にしながらタオルで身体を隠すようにしていた。
「……湯気で見えないから問題ないと思う」
シオンが静かに言いながら、すでにタオル一枚で素早く湯船へ向かっていた。
「ふふ、さすがシオンちゃん。潔いわね♡」
テラが微笑んで、そのまま後を追う。
リリアも覚悟を決めたように、タオルを握りしめながら風呂へ入っていった。
湯船の中は広々としており、木造の壁に囲まれた静かな空間だった。
ぽこぽこと泡が立ち、心地よい温度の湯が体を優しく包み込む。
「ふぅ……生き返るぅ……」
リリアが肩まで浸かって、ぽわっとした顔をする。
「ねえ、リリアちゃん。ハルトくんのこと、どう思ってるの?」
いきなり核心を突いてきたのは、もちろん――テラだった。
「えっ!? ど、どどど、どうって……」
一気に湯気より熱くなるリリアの頬。
「うふふ♡ わたくしの大事な“我が子”ですからぁ? 変なことされたら、お仕置きですのよぉ?」
「えっ、いや、えええええええ!? そ、そんな目で見たこと……なくは……なくも……うわあああ!」
リリアは顔を真っ赤にして湯船の中に沈んだ。
「……リリア、泡、立ちすぎ」
シオンが無表情で注意する。
テラはほほえみながらお湯を手ですくい、湯面を撫でた。
「……でも、みんなとこうして入れるなんて……本当に、幸せなことですわね」
その言葉は、どこか寂しげでもあり、温かかった。
一方男湯の方はというと……
「…というとなんですよ!ハルト殿!」
ずっとセバスの筋肉理論を聞いていたのであった。
風呂から上がった一行は、それぞれの部屋着に着替え、用意された和風の客間に集まった。
外はすでに夜の帳が下り、虫の声が心地よく響いている。
「ふぅ……疲れたね」
リリアが髪を拭きながら、畳の上にごろんと横になる。
「シオンは……ってもう寝てる……」
「むにゃ……」
シオンは布団に潜り込んで、ものの数秒で寝息を立てていた。
セバスは部屋の隅で警戒を続けていたが、やがて「交代制で休みましょう」と言い残して部屋を出ていった。
そんな中――
「……あれ? ハルトくん、もう寝てるのね」
テラがふと隣を見て、思わず微笑む。
布団に潜り、ぐっすり眠るハルト。寝相は少し悪いが、どこか無防備で、子供のような安心した顔だった。
テラはその寝顔を見つめながら、小さくつぶやく。
「……ほんと、無邪気ですわね……」
そのとき――
「うぅん……テラママ……」
小さな寝言が、空気の中にぽつりと落ちた。
テラは一瞬キョトンとし、次の瞬間、顔が真っ赤に染まった。
「ま、まま……っ!? い、今……“テラママ”って……♡」
耳まで真っ赤にしながら、口元を押さえる。
「……ちょ、ちょっと可愛すぎますわ……♡」
嬉しさが込み上げてくる。けれど同時に、心のどこかに小さな“痛み”が刺さる。
「……でも、わたくしは……」
ハルトの“母”ではない。“神”であり、“守護者”であり、“加護を与えた存在”。
それでも、こんな風に呼ばれて――
「甘えられる存在」になれたことが、ただただ嬉しかった。
「……ありがとう、我が子よ」
そっと、ハルトの髪を撫でるテラ。
「大丈夫。ずっと、そばにいますわ……あなたが望む限り」
月明かりが障子を照らし、風がそっと夜を撫でていった。
テラの目に光るのは、月のせいなのか、それとも――
こうして、穏やかな夜が更けていく。
誰にも邪魔されない、静かな、温かな夜が。