[犬回]犬好きの才能
突然だが、私にはとある才能がある。
ある、と言い切ってしまって良いと思う。こればっかりは、自信がある。私には、確かに、才能がある。
『犬好き』でいられる、という、才能が。
自分は小さい頃に犬に追いかけられたり、噛まれたりしたから、犬が苦手で……、という人がおられるだろう。
吠えるからうるさい、犬は嫌いだ! とか、電柱にマーキングするから町を汚す、悪い生き物だから、駄目だ! とか、様々に犬を嫌う人はいるものなのである。
今、ペット人気で圧倒的に猫の方にギュんと差をつけられている、それが犬である。
しかし、しかし。
そんなもの。
『犬好き才能』があれば、全く問題がなくなる。
『犬好き才能』。
私は、それを持って生まれてきた。たいへんに誇らしい。
犬は。人間と意志疎通が最も出来、人間の側に最も長くおり、人を助け、人間が喜ぶことを自身の喜びに変えるーー、素晴らしい生き物だ。
狩猟犬、探知犬、救助犬、牧羊犬、介助犬、セラピードッグ、相棒、パートナー、家族の一員、愛玩犬、ナニードッグ、ペット等々。
なんでも、こなす。実に多才かつ多彩に。
種類も、信じられない程に多い。
人の側にいることを、原初の『イヌ』が選びとり、そこから、人を手助けしながら、人に改良されてきてーー。
イヌたちは、種としてこんなにも多彩に姿を変え、現代でも人間の側にいてくれている。
こんな生物は、他にいない。
人と共生するために、イヌは生き始めた。そんな生き物だ。結果的に、イヌたちは種としてかなりの成功をおさめるに至っている。
ーーしかし、私達人間にも、イヌと接する際に求められる才能と技術はある。
イヌを愛せなくてはいけないのだ、人は。
心の底から愛し、生態を理解しなくては、イヌと接してはいけない。
私は犬の飼育に、自動車運転試験のような試験を設けてから、犬を飼育できる飼い主かそうでないか、を決めて欲しいと思っているぐらいだ。
犬を生ませる方には、難しい国家試験をクリアーしなければ犬を繁殖させてはいけない仕組みにしてもらいたい。
命は重いのだ。
軽々しく扱っては、いけないのだ。
犬を販売する、生体販売をしているようなペットショップには、それこそ、この国トップクラスの難解な取り扱いの資格がなければ売ってはいけない仕組みが欲しい。
気軽に「きゃー、子犬かわいいー」で飼育オーケー出してしまっては、絶対にいけない。
犬は人類最古の、最良のパートナー。
飼うには、知識と愛情が必要だし、飼っていくうちに、飼い主自身も扱いの技量を持っていかなければ、ならない。
私が犬を飼う際、目指したのは『群れのリーダー』、BOSSだった。
うちに来たばかりの、まだ1キロに充たないパピーに対し、私は「私がBOSSだよ」と話しかけ続けた。私は母犬では、ない。
あくまで、BOSSなのだ。彼女の為だけの、彼女の属する3人・匹のなかの、『BOSS』が私ーー、そういう認識をさせるために、未だに私は9才になろうとしている愛犬へ、BOSS疲れたよー、とか話しかけている。
私は母犬ではない。群れのなかのデカイ犬であり、BOSSだ。ちなみに夫は彼女の『おとうちゃん』で、人間だ。
私には、犬好き才能がある。
私の夫には、後天的に犬好き才能を植え付けることに成功した。
うちは三人・匹のファミリーだ。群れであり、家族なのだ。
犬は群れ行動するのが基本である。だから私達はパーフェクトだ。
私に先天的に犬好き才能があった事を、説明しよう。
まず、私は全ての、人間を除く動物が大好きすぎた。
幼稚園に上がる前、近所の優しい犬に、たいへんに甘やかされベタベタの関係だった経歴がある。
近付いても、撫でても、強めに触っても、乗ろうとしても動じない、それは素晴らしい子守りっぷりを発揮してくれた。
何をしても怒らない、唸りもしない。
たしか、名前は『コロちゃん』といったか。大型の、モコモコの雑種で、外飼いの犬だった。
私は毎日のようにコロちゃんと遊んで貰っていた。
飼い主も遠くからにこやかに私達を見てくれていた。
コロちゃんは私に物心がしっかりつくぐらいの時に、亡くなってしまった。
私は大事な存在を、失ってしまった。
暫く時が経ち、私が小学一年生になったとき。
見知らぬ犬が、見知ったスーパーの近くの草むらに、繋がれていた。茶色系の被毛で、日本犬が入っているであろう、中型犬。
今思い返すと、この子は明らかに警戒心が強く、どう見てもしっかり威嚇して知らせてくれていた。『自分に近寄らないでくれ』、と。
しかし、愚かな小学一年生の私は。
その犬に向かって指を差し出してしまった。
そうしたら。
勿論、咬まれた。
ボタボタと自分の指から血が流れ、焼けつくように熱く傷口が傷む。
咬傷は、痛いのだ。
食肉目の顎の力や牙をなめてはいけない。
ズタズタになるのだ、人体なんて簡単に。
私は、病院へ行き、傷口を医者に診て貰った。ボタボタ泣いていたと思う。それぐらい、痛かったのだ。
医者は「あー、生爪剥がれちゃってるねー」と言い、また「良かったねー、指持ってかれなくって」と軽くいい放ち、私をあしらった。
私の指は、たぶん1ヶ月後位には治った。
それから、1年間は、流石の私も犬が怖かった。
また、数年後。小学中学年ぐらいのとき。
私はお気に入りの駄菓子を買って、家まで帰る途中だった。
そうしたら、いきなり、背後から。
犬に、襲われた。
ダルメシアンだ。大型犬のダルメシアンに、私は転ばされ組敷かれ、駄菓子を奪われた。
出来た擦り傷がじんじんと傷む。
しかし。私は、そんな自分自身のことなんかより。
ーー犬の身の方を、咄嗟に案じたのだった。
私が買った駄菓子は、準チョコレートでコーティングされている、パン生地で出来たものだったからだ。
「ワンちゃんが、おなか、壊しちゃう! どうしよう!?」
私が思ったのは、何よりも犬がチョコレートとネギ、ブドウを食すと中毒で亡くなってしまいかねない、あのダルメシアンにチョコレート菓子を渡してしまった、どうにかして取り返さないと、ダルメシアンが危ない、助けなきゃ、という事だったのだ。
自分の事なんて、二の次三の次。大事なのは犬の健康。
ダルメシアンは、引き留めようとする私を見て、申し訳無さそうに気遣う目線を送ってくれ、けれど、駄菓子を咥えたまま走り去っていってしまった。
ダルメシアンが、野良でいる筈がない。田舎だった、昔の出来事だった。
あのダルメシアンは、恐らくーー、無責任な飼い主に捨てられてしまい、飢えていたのだ。
私は、今でもあの子を思い出すと心が痛む。なんで、私は、せめて犬が食べていいものを持っていなかったのだろう。
カリカリのドッグフードや、ウェットフード、湯がいた鶏肉なんかを持っていれば、喜んで渡したのに。
持っていたのが準チョコレート菓子だったから、私は抵抗してしまったのだ。
可哀想な事をしてしまった。
ほんとうに、ごめんよ。イイコ。
またまた時はたち、私は、バッチリ才能を発揮して犬好きに戻っており、通学路のとある家のガレージにいる、とにかくフレンドリーなゴールデンレトリーバーに会えるのを楽しみにして学校に行っていた。
ガレージには檻の柵のようなものが付いており、ゴールデンレトリーバーはいつもそこから、通行人が自分に構ってくれるのを待っているようだった。
中学生の頭には、家主に了承をとってから、犬を触る、という認識がまだ出来ていなかった。
私がガレージを覗くと、ゴールデンレトリーバーは全身をガレージの柵からはみ出させるみたいにして、私に甘えてくるのだった。
可愛くて可愛くて堪らなかった。
時間が許す限り、私は、その子を触った。ゴールデンレトリーバーはお腹をみせて、触って、触ってとコロンしてくる。
可愛すぎる。犬を嫌いになるなんて、私には、到底無理だった。
犬好きの才能があるのだもの。むしろドンドン好きになっていってしまう。
図鑑などで、世界中の犬種を調べた。
私が一番好きだと思ったのは、日本犬だった。
見た目がドストライク過ぎた。
性質を知り、飼いづらいしベタベタには甘えてくれない犬種であるのも理解した。
けれども、やっぱり私は、日本犬が好きで。特に柴犬が、一等好きだと思っていた。
今でも、私が一番好きな犬は柴犬だ。
飼うことは叶わないけれど、一生柴犬が一番好きだ。
しかし、私の家はアレだったので、私は犬を必要としながらも犬を飼えずに生きてきた。
ようやく、犬が飼える事になったのは、私が三十代になってからーー、だった。
ある日、私がとある商業施設を訪れた時、老紳士が連れていた一匹のシー・ズーが、元気に私の足元にじゃれついて、延び上がって来たのだった。嬉しそうに、尻尾をふって、ニコニコで、私に触れてきてくれた。
老紳士は言った。
「ごめんなさい、この子、人が好きで」と。困りながらも、微笑ましそうに、そう仰った。
私は、老紳士には応えられずに、シー・ズーに合わせてしゃがみ、その子を撫でながら泣き出してしまった。そして。
大きな声で「生きていける……!」と言ってしまっていた。
無意識に。
私には、犬が。どうしても、必要だったのだ。その時、私と一緒にいた今の夫は、この出来事に遇い、私と犬を飼い出す事を決めてくれたのかもしれない。
生きていくため、犬を必要とする人間は確かに存在するのだ。
私のように。
私と今の夫は、犬と有料で触れあえる場所に沢山いった。休みの日には必ずいく場所も出来た。
夫も、犬と上手くやれそうだった。
なんなら、犬好きで触れ合いに興奮している私などより、夫の方が落ち着いているので、犬に好かれていた。
二人、毛だらけになりながら、触れあえるコーナーを出て、互いに毛を取る為のコロコロを掛け合う。べちゃべちゃに舐められた手を洗い、消毒する。
そんな中、私が大好きな犬種である日本スピッツに思いっきり拒まれ、三回綺麗に「ワン! ワン! ワン!!」と威嚇されたのは、私達の中での笑い話。
スピッツは原始的な犬で、よく吠えるのだ。私からは「イヌスキスキ大好き」オーラがだだ漏れていて、どう見てもどう嗅いでも不審なので、スピッツは私を気持ち悪く思ったのだろう。
しゅん。
そしてそしてそして。
犬許可物件に引っ越した私達は、待望の犬を迎える事に、漸く、なった!
沢山沢山考え、なんども命を預かる場所に通い、私達が迎えたのはーー。
日本犬では、なく。
ビション・フリーゼ……。
夫が迎えたかったミニチュア・シュナウザーでも私が好きな柴犬でもなく、
ビション・フリーゼ。
彼女の名前は私が付けた。砂糖という意味のフランス語にした。上白糖みたいな、あまやかに可愛らしい上品なお嬢さんになっておくれ、との期待を込めて、名付けた。
子供嫌いなのに、ミルクと離乳食を作った。
生後半年の、避妊手術のときは、とてもとても心配し悩んだ。
飼い主二人とも内向的なのに、驚くほど陽気に社交的に育ってしまい、焦った。
まるで猫みたいに、家に帰って来ても挨拶に出てこない。ソファーの真ん中か、人間用の布団の上を広く使い、でーんと構えている。いってらっしゃいもしない。ソファーの上で「ふぅん、あたしをおいていくの」と偉そうにしている。
お留守番は得意だが、一人遊びはしない。
遊び相手は、私『BOSS』だ。
というか、彼女はBOSSで遊んでいる。
私はワンプロ(ワンワンプロレス)の相手に勝手に選ばれてしまった。
おとうちゃん、は、散歩とマッサージ、ベタベタしたい時のお相手だ。
私、BOSSとする散歩よりはるかに喜んで出掛け、帰ってくる。
何がどう違うというのか。
女の子だから、異性に甘えたいのか、おとうちゃんにはBOSSには言わないワガママも言う。
高い地声なのに、精一杯低く唸って散歩やご飯をねだったりする。
ワガママが聞き届けられる事など、実に稀なのだが。
ボールは見送るし玩具で遊ばないし滅多に吠えない。手を舐めても来ない。
私が育てたのは、果たして本当に犬だろうか。
私の犬好き才能が「この子はイヌじゃないかもしれない」と言っているような気がする。
そして一緒に暮らすうち、私の脳は、彼女をこんなふうに認識しはじめていて、そら恐ろしくなる事がある。
「この子は、私が育て上げて大きく可愛くなったの。この子はね……」
私達の大事な娘だ、と。
私は母犬ではないというのに、私の愛犬は私の口元を、たまに舐めてくる。
犬好き才能は、この子に対しては割合静かなままなのだった。




