発達障害グレー(後に知的障害のない発達障害当事者だと判明)、解離性同一性障害
なんか酷い記憶
私は長く空白だった。
たった一つを誰かに伝えたかった気はしていた、けれども何をどこに表現したら良いか、具体的なことが全く解らなかった。
家庭は知的障害の姉と酷い毒親とで、私は毒親に只管にサンドバッグにされてきた。しかも洗脳・支配されていて、その事に気付けず毎日ビクビクして生きていた。
学校も同じだった。知的障害のある人間を認める者などいないため、私は姉の分もテストでは100点以外許されなかったが、運動が酷く不得手で出来なくて、そのアンバランスさや発達障害グレーゾーン特有の頓珍漢な言動などで酷く周りを苛つかせていたらしい。結果、私は小中義務教育9年間虐めぬかれた。
この頃、私は解離性同一性障害になったらしい。
友人らしい友人はいなかった。
私の居場所はゲームやアニメや漫画や、日本文学の中にしかなかった。それだけが煌めいていた、私には目映く美しく楽しかった。
私が自身を発達障害グレーだと気付けたのは、三十代後半になってからだった、毒親の洗脳が解けたのもその頃だった。
洗脳の解ける時は突然来た。
何年も連絡をたっていた毒どもから急に連絡が入った。オスの方が半身不随? 不全? になって女が不安になり、重度の抑うつを持つ私に甘えて介護させようと思ったのか、猫なで声で私に寄りかろうとしてきたのだ。
ーー私は向こうが何を考えているのか解らなかった、電話に強迫観念があるが致し方なく電話を受けた。
会話内容は省く。気持ちの悪い甘えと愚かさだった。幼少期の私が、女のサンドバッグとお人形をしてあげていた時と同じ。
何も後先考えず、私に寄りかかって来る。
そんな事を言って、私が自殺しないのか心配ではないのか、と強く反発した、初めて怒鳴った気がする。毒どもには何も届かず我が身可愛さばかりで、しかもオスの方には『早く死ね』と言われた。そう言われるのは二回目だった。
それで洗脳が解けた。自分で解いてしまった38年間の洗脳の副作用は、私を怪物に変えてしまった。
私が作成された理由は、オスが酒に酔って毒婦に乱暴した為で、姉の時と全く一緒の理由だ。しかも懲りずにオスはまた酔い、私の下のきょうだいは堕胎されている。
毒沼は底に引き込むばかりだ、オスも毒婦も私は許さない、何故私が己の出生の経緯を知っているのか問われれば、毒婦であるあの女が私にわざわざ詳細に聞かせたからだ!!
私は生まれつき虚弱で子どもの産めないからだだが、我が子にそんな事を教えてしまう惨さを親が持ってはいけない事ぐらいならば判る!!!
学校も、9年間酷かった。
『お前が一番役にたたねぇ』『勉強だけ出来ても駄目だ』『お前は本当に駄目だな』。全て教師の有難いお言葉だ。
体育の時間は地獄だった。怠けている訳じゃない、わざとやっている訳でもない、出来ないだけで、身体が動かしづらいだけで、あんなにも地獄を見なければいけなかった理由が未だに解らない。
私が助けた虐められっこは、翌日大勢のグループに属し、楽しそうに私を虐めてきた。
そんな土地だった、最低の世界だった。
褒められたためしなどない、正しく叱咤激励をされた事もない。
ーーそりゃあ解離ぐらいするーー
解離して解離して、私はもうどれが自分か解らない。他の人格になった時の記憶はまるで宙ぶらりんで他人事だ。
……、わたしは、毒婦に『悲劇のヒロインぶるな』と言われていた。悲しむことも許されなかった。自分が一番悲劇のヒロインぶっている女にそう言われ、だから、自分が可哀想だなんて思えていなかった。
ーーなのに。
私はインターネットで『あなた自分が一番可哀想だと思ってなぁい?』、と煽られた事がある。
その事がずうっと私を苦しめている。
相手は覚えていないのだろう。
あの人は私の母と私を虐めた女児に似ている。
私は許さないし過去をまだ忘れられない。