病床の兄 二
ふと異質な視線を感じて視線をやると、目を細めている貴之と目が合った。反射的に、さっと背けた。
(バカ貴之めっ)
内心で罵ってやる。
「頼むから、もう少しおとなしくしていなさい。あと三~四年もすれば、男が放っておかないくらいの娘となろう。そのとき、あまりお転婆だと、まとまる話もまとまらないよ」
母が亡くなって十四年。父が亡くなって五年。ずっと雪乃を守ってくれた兄は、保護者としての責任感がとても強いということは、雪乃も知っている。だが――
「兄様はつまらぬことを言う。私は「気の強い女は嫌だ」などとぬかす奴など、要らぬ。願い下げだ」
雪乃は十五になる。そろそろ相手を見つける年であるということは自覚している。しかし子供のように諭されてしまい、頬を熱くして吐き捨てると、泰雪は嘆息する。
「大丈夫だよ、泰雪。僕がいるから」
にこやかに、でもきっぱりと言い切る。どこか自信を感じさせる力強い口調であった。
「いらん。貴様、自室へ帰れ」
「ああっ、雪乃ちゃん」
清々しいくらいにきっぱりと言い切ってやると、貴之は大仰なほど声を上げる。
眉を顰めて、辛辣な口調で一息に言う。
「煩い。貴様の嫁になるくらいなら、尼にでもなって辛気臭く余生を送ったほうが、遙かにマシだ!」
「ひ、ひどいよ、雪乃ちゃん。尼さんはつつましいってだけで、別に辛気臭いっていうわけじゃ……というか、陰陽師が尼さんになって、どうするの? いいの、それって……」
陰陽道の直系である雪乃が、尼になるなどという選択が果たして許されるのであろうか。
「黙れ、貴様。出て来る言葉は、それだけか!」
雪乃は貴之に平手をくらわせて、思いっきり怒鳴る。答は当然「否」だということは貴之にも分かるだろうに、なぜそんなことを言うのか。
とにかく憤懣を抑えきれない。憤懣を覚える原因に思い当たるが、それには意識をやらないように気を張った。
「だって、雪乃ちゃん、尼さんになりたいって言うんだもん」
「やかましい! 子供か貴様は! なりたいなどとは、一言も言っておらぬだろう! 話を変な風に解釈するでない! 兄様がご心配なさるだろう!」
怒鳴るだけ怒鳴ってから、唇を噛み締めたくなるのをこらえる。神無月には雪乃しかいないのだから。やりたいとか、やりたくないとかの問題ではない。やる以外ないのだ。
「兄様、私はちゃんと当主代行としての勤めを果たしますので、ご安心ください」
恭しく頭を下げると、泰雪は美しく微笑んで、雪乃の頭を撫でた。
「安堵したよ、雪乃。そなたがもう少し振る舞いに気をつけてくれると、もっと安堵できる」
美しい笑顔のまま、さらりとつけたされ、雪乃は二の句が返せない。頭を撫でられたまま、黙り込む。
泰雪は雪乃を三度ほど撫でてから、思い出したように貴之になおった。
「そういえば、そろそろ祓いに出かける時間ではないのか。今宵の夕餉は、お前の好物と聞くぞ」
「え? ……あ、本当だ。急がなきゃ、ご飯が冷めちゃうよ」
貴之が腰を浮かしかけたとき、泰雪は雪乃に声を掛けた。
「おまえも行っておいで」
「なぜ、私が……」
――こんな奴と、と眉を顰めて、呻くように不満を吐露しそうになった。辛うじて、寸前で留める。
黙り込んで、せめてと不服な眼差しを作って兄に向ける。
「貴之は、当家の家人よりも抜きん出た力を持つ。その者の施術から学ぶこともあろう」
雪乃が何か抗議を言おうと口を開きかけた。ところが、それよりも早く、泰雪は、はっきりと命じた。
「当主命令だ。おまえは今のうちに、一つでも経験を積まねばならぬ」
今までの雪乃への甘やかな声音と打って変わって、情を感じさせない声音で、ぴしりと決めつけた。
胸が引きつれるように痛んだ。言葉もなく雪乃は唇を噛み締めて、ややうつむいた。
(私が学ばねばならないことは多い。経験を積むことは目下の急務。なれば、他人の施術を見ておくことも必要)
単純に持って生まれた力量だけでなく、実務では術の精度が求められる。雪乃は精度を高めていかなければならないと言い聞かせた。
ややあって、どうにか心の整理が付いた雪乃は、こくりと頷く。そんな雪乃の態度を確認し、泰雪はやっと口調を和らげる。
「今日は冷える。羽織を持っておいで」
「わかりました、御当主」
泰雪に折り目正しく言ってから向き直り、貴之を真直ぐ見た。
しばらく待つように言ったところが、
「いつまでも待ってるよ、雪乃ちゃん」
笑顔で言われ、またまた眉を歪めてしまった。それでも、何も言わずに退室した。
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