煙飴
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、もうあそこの公園、お祭りのための矢倉組をし始めたか。ここらへんじゃ、一番早い夏祭りかもしれないね。
祭りといったら屋台。屋台といったら、イベント価格でやけに高い食べ物たち。この印象だなあ僕は。焼きそばひとつとっても、普段のお店だったら考えられないお値段さ。その分、食べる機会が祭り以外だとなかなかない、綿菓子やリンゴ飴に流れがちになるんだけど。
そうそう、綿菓子やリンゴ飴って日本の祭りの定番ってイメージが強いけど、実は外国伝来のものらしいよ。どちらも欧米で開発され、日本に持ち込まれたということになっている。
うん、「なっている」なんだよねえ。こういう人口に膾炙するものっていうのは、ひときわインパクトがあったり、逆に地味で説得力があったり、といったネタが選ばれる。そこには、操った情報の影に隠しておきたい、マイナーな事件が存在していることもままあるんだ。
ひとつ、僕の地元にも綿菓子らしきものをめぐって、奇妙な昔話が伝わっているんだ。利いてみないかい?
先にもちらりと話してけど、綿菓子そのものが歴史の表舞台に出たのは19世紀の終わりのこと。アメリカで綿菓子の製造機が作られたが、綿菓子そのものはそれの少し前にヨーロッパで作られたという話がある。
けれど、僕たちの地元では、それに先立つ数十年前。幕末にこの綿菓子らしきものが売られたと、まことしやかにささやかれているんだ。それはちょうど今のような、夏祭りが行われる時期のことだ。
ひとつの屋台で、奇妙な飴を売っている。店主である男はあぐらをかき、その足でろくろのようなものを回している。鉢の形状をしたその器具の中心には、小さい円柱が立っている。器具の動きに合わせて回るその柱は、つぶさに観察してみると、針で空けたような小さい穴が無数についていた。更にそこからは、少し距離を離していても、顔が焼けるかと思うほどの高温を発していたという。
男は足で絶え間なく器具を回すと共に、空いた手で串を持ち、回る円柱へ押しつけるような動きをとる。すると、毛がもじゃもじゃと生えてくるように、串の周りへ白いものがまとわりつき、膨らんでかさを増していく。器具の外壁にくっつく頃には、顔が隠れるほどの大きさの綿が、串にくっついている。
「特製の『煙飴』だ。ここでしか食べられないよ」
お値段は、従来の水飴よりほんのちょっと高いかどうかというところ。水飴は、口の中で甘みがいつまでも粘つくことが多いのに対し、煙飴はあっさり気味だ。口に入れた端からかすかな甘みをつけたかと思うと、氷のごとく溶けてのどの奥へと運ばれて行ってしまう。舌の上で転がそうとすればできないこともなかったが、いざのどを通す時には、想像以上の冷たさを覚える。その清涼感がくせになった。
煙飴を売る男は、その地域の祭りの時期のみ姿を現し、普段はどこで生活しているのか、知っている者はいない。その代わり、同時に開かれたりしない限りは、すべての祭りに顔を出す熱心さだったという。
味と評判を知るにつれて、煙飴の売り上げはどんどん増していく。しかし、一人当たりに売ることができる飴に関して、制限が設けられていた。材料の確保が追いつかないため、という理由だ。
「皆様のお気持ちは、大変うれしゅうございます。しかし私は、この味で儲けるよりも、更に多くの方へ味わっていただきたい気持ちの方が強いのです。平にご容赦くださいますよう」
そのお願いは伊達ではなく、彼は一度、飴を買いに来た者を余さず判別し、お渡しできない旨を告げてきたそうだ。どれほど巧みに変装したとしても、見抜いてしまうほどだったという。
やむなく人々は、自分たちが買うことのできた飴を、じっくりと味わいながら祭りの時間を過ごしていく。響く囃子の音、かぐわしい線香の匂いに囲まれながら、時を告げる鐘がなる。口にしている飴と同じように、非日常の時間はゆっくりと溶けていき、祭りに訪れた人々に日常の足音が迫っていることを、じんわりと告げる。
飴も時間も、いずれは消えて無くなってしまうのだと、聞こえない声で彼らに語っていくのだった。
しかし、祭りに参加できず、煙飴を味わうことのできなかった子供もいる。その中の一人は家族や友達から煙飴の噂を聞き、しばらくは悔やんでいたが、どうにか飴売りの男の行方を突き止めようと動き出した。
もはやこの辺りでの祭りは一段落がつき、皆は盆を控えた準備に取りかかり始めている。それでも彼は、これまで飴売りが現れたという祭りがあった場所へ、時間が許す限り足を運んだんだ。住職をはじめ、そこにいる人々に話を聞いて回り、どうにか飴売りの素性を特定しようとする。
結果、人相は把握できた。話を聞いた中に、丁寧に絵を描いてくれた人がいておおよそ把握はできた。それを頼りに町中を歩き回ったものの、連日、無駄骨折りが続く。心が折れそうになるたび、彼は周囲の人に煙飴のことを尋ねたという。
味、舌触り、そのいずれもを多くの人から聞くことで、より鮮やかに自分が求めるものを思い描こうとしたんだ。
いつか自分も、煙飴を味わってやる。その気持ちが彼に、飴売りを探させ続けていた。
成果が出ないまま、何日も時間が過ぎる、とうとう盆に入ってしまい、彼も勝手に外へ出るわけには行かなくなった。お棚経、迎え火、留守参り……親の言いつけに従って、準備を整えていく彼。そして留守参りの墓掃除をしている最中、彼はとうとう飴売りの男を見つけたんだ。
彼は墓の入り口にある、無縁仏たちの前で線香に火をつけ、手を合わせていた。彼の家の掃除が終わっても、お参りが済んでも、その間、微動だにしないほど長く。
彼は家族に無理を言って、先へ帰ってもらう。そしてまだ動かない彼の脇で、ずっと立ち続けていたんだ。彼の黙祷は四半刻(約30分)にも及ぶ、長いものだったという。
ようやく目を開いた飴売りは、隣にたたずむ彼の姿に驚いた後、用向きを尋ねてくる。この機を逃してなるものかと、彼は飴売りにこれまでの自分の行動を伝えて、どうにか飴を売ってくれないかと頼み込んだ。
飴売りは少し困った表情をする。時期と場所が悪いというんだ。
神聖な空気をまとうべき先祖の墓で、俗にまみれた銭と食べ物をやりとりする。確かに卑しいといえば、卑しいことかもしれない。それでもと、熱心に頼み込んだ。
とうとう折れた飴売りは、墓場を出てすぐ右脇。立ち並ぶ木立の中へ目立たないように隠した屋台へ、彼を案内する。ろくろによく似た器具を回して煙飴をこしらえていく飴売り。話に聞いていたその手順を実際に目にして、彼も期待感がふつふつと湧き出してくる。
ほどなくできた煙飴は、想像以上の大きさ。目の前に立てると、向こう側の景色がまったく見えなくなってしまうほどだったとか。お金を払おうとする彼を飴売りは止めた。
「この際、お代はいただかない。その代わり、この場ですべて食べてしまうこと。私の見ているその前で、だ」
これまでの穏やかな口調から、がらりと真剣な声音に変わる飴売り。少々、おじけづいてしまう彼だったけど、やがて煙飴の一片にそうっとかじりついてみたんだ。
とたん、飴いっぱいだった景色が一変する。
いつの間にか自分は、家の縁側に座り込んでいた。それだけでなく、赤ん坊が入ったタライが目前に置かれていて、自分はそれを見下ろしていたんだ。
わんわん泣くその赤子に、心当たりはない。だが、その身体を丹念に洗う女性と男性には見覚えがあった。
自分の両親だ。二人とも、今よりも若返っているように見える。声をかけようと、手を伸ばそうとしても、身体が言うことを聞かない。
また景色が変わる。今度は見知らぬ人が大勢いる広間だ。隣には化粧をした白無垢姿の女性がいて、朱に塗られた赤い杯を口につけようとしている。
その横顔も、見覚えがあった。今は家で寝たきりになり、今回の墓参りは父に負ぶわれて参加した祖母のものだ。記憶で知るよりはるかに若々しいが、目元と輪郭がそっくり
三度、景色が変わる。今度は明かりが全くない部屋の中、自分は馬乗りされていた。誰が相手かは分からないが、その目が血走っていることが、闇の中でもうっすらと分かる。
苦しい。のどに痛みと苦しさが押し寄せるが、それを吐き出すことができず、つっかえて溜まっていく。どうやらこの身体も腕をもぎ離そうとしているが、どんどん苦痛は鼻の内側いっぱいに広がり始めて……。
「大丈夫かい?」
気づくと飴売りの顔が、驚くほど近くにある。かじりかけた飴の串は足下に落ち、のどには違和感が残ったままだが、それも当然だった。なぜなら彼は自分の手で、自分ののどを締めていたのだから。飴売りの手は、それを引き離そうとしてくれていたんだ。
今度は手から力を抜くことができた。ようやく通った空気を肺に取り込み、大丈夫だと告げると、ようやく飴売りは離れてくれる。彼が先ほど見た景色を伝えると、こう話してくれた。
「それは墓の中にいる、誰かの記憶だ。煙飴の名前の由来は、見た目だけではない。亡くなった人の飯だという、線香の煙。その味を、人間に受け入れやすくしたものなのだ。
夏。あの世とこの世が近くなる時でなくては、美味くならないのさ。だが、この盆の時期は格別だ。あの世とこの世の境がなくなるのは、飴とて同じ。君は飴を通して死者の記憶に触れたんだよ。ただあまりに強烈だと、練り合わせた飴のように死者と溶け合ってしまう恐れがある。だからこの場で食べてもらい、以前、売った方々にも、数量を限らせてもらったのだよ。
生者に味わってもらうことが、私の使命だからね。」
これ以上食べると、安全は保証できないと告げられ、彼は家路につく。
以降、件の飴売りは姿を見せなくなってしまった。飴を買った人々は、彼の新天地での繁盛を願ったが、彼だけはあの飴が、不幸をもたらさないことを願ったという。