疾走
長い長い坂道だといつも思う。
自転車で下っているにも関わらず、ご近所の人達は直ぐに呼び止める。
「今日は暑いなぁ」
「そうですねえ」
「ほんなら気をつけていっといでぇ」
「今日はどこまで行くん?」
「そこの公園すぎたとこのまた公園なんです」
今日何回目だろうか。呼び止められる度に何か野菜や果物をもらう。
今日は公園でリンゴ齧るかぁと思いつつまたペダルに足を乗せる。
耳を掠める風の音、少し古い自転車だから下からカラカラ音が鳴る。このなんとも言えないリズムがとても心地よかった。
目的の場所まで二十分かかる。田舎道だから信号もないので、ノンストップで漕ぎ続けられる。
「手前の公園じゃダメなの?」
何人にも聞かれた。ダメだ。ダメなんだ。あの公園でなくてはいけない。特に今日は。
長い坂道を抜けて、細い道へ自転車のタイヤを傾ける。慣れた道だから今でこそノーブレーキで曲がれるが、最初の頃は一旦停止してからまがったりするなどまごまごしながら通ったものだ。
細い道を抜けると、今度は広い道に出る。いわゆる銀杏並木だ。秋になると少しくすんだ黄色になったイチョウがひらひら舞っている。まだその季節にはもう数ヶ月必要だろうが。この道は手前の公園へと繋がっている。私が行きたい公園ではない方だ。
公園を真正面に一瞬見すえたあと、すぐ右にハンドルを切る。すかさず今度は左。平坦な道をずっと全力で漕いでいる。額には少し汗がにじみ、髪がぺとっと張り付いている。
あともう少し先、あともう少し、と段々と重くなってきた足を動かす。
キーーという音を立てて自転車は止まった。
「遅れてごめん!ほら、今日も果物あるんよ!」
息を切らしながら声をかける。
私しか知らない秘密。彼女のことは誰にも内緒。
「そんなに急がなくてもいいのに」
少しはにかみながら彼女は言う。それでもいつもは真っ白の餅のような頬が少し赤みがかっているから、この暑さの中かなり待っていたのだろう。
「もう水浴びよう。暑くてどうしようもないや」
「もう?いいよ、あたしも浴びる」
ここの公園には奥の方に川がある。そこが公園の敷地なのかどうなのかは知らない。でも私と彼女は夏になるとそこで水浴びして暑さをやりすごしていた。
「2日前に雨が降ったでしょう?それで川の水が少し多くなってるの。この暑さの中ならちょうど良かった」
「あぁ、そうやったねぇ。あの雨の日は大丈夫だったん?」
「うん。ちっとも怖くなかった」
「そっか」
私達だけでしか通じない会話。誰にも邪魔されない。
川辺に着くと、確かにいつもより川の水が増して見えた。ゴツゴツした岩の上を2人で手を繋いで歩いた。水が近くなると靴を脱いで裸足でぴちゃぺちゃして遊んだ。
「やっぱりなんか今日滑りやすい気がするんよなぁ」
「やっぱりそう思う?ぬるってしてるよね」
「うん」
段々水が多いところになってきた。この辺りで私達は服を全部脱いで水浴びをする。
服を脱いでる間、彼女は話し始めた。
「この前ね、一人で水浴びしたの。そうしたら私が向こうへ投げてた洋服がね、カラスとスズメに取られちゃって。その二羽でね、私の洋服を使って綱引きしてるの。すっごく面白かったな。カラスはね、ずっと動かずにただ足で耐えてるの。向かいのスズメはちゅんちゅん鳴きながら足をぴょんぴょんさせるの。頑張ってるんだけど、どうにも勝てないの。諦めちゃったスズメはね、その後どうなったと思う?」
聞いたと同時に彼女は川に飛び込んだ。
急な質問にどう答えるか悩んだが、少し考えたふりをしながら
「分からん、飛んで行ったんじゃないん?」
と答えた。
「正解はね、そのスズメは私が捕まえて殺しちゃったの。諦めちゃうなんて悪いことでしょう?」
「でも殺すなんて」
「でも悪いことしてるから。」
言葉が出なくなってしまった。彼女の真っ白な肌に水滴がするすると流れていくのをただただ見ているしかなかった。
彼女にタオルを貸して、二人は川から上がった。
「私の事嫌になった?」
「まさか、ならんよ」
「じゃあ、いいの?作っても」
「いいよ、作ろう」
今日は二人である約束をしていた。
近くの森から太めの木の棒を拾ってきて、両端をガジガジと削る。少しずつ、綺麗に尖るように。
休憩しながら二人はリンゴを齧った。
「うん、甘いね」
「うん、これは甘い、おいしい」
「この味ずっと覚えていられるかな」
また答えられなかった。
他愛もない会話の中に、これから実行することへの興奮と少しの不安が入り交じっていた。そうこうしているうちに両端が尖った槍のようなものが出来上がった。
「じゃあいつもの場所に持っていこう」
さっきまで水浴びしていた川のほとりへ、リンゴと木の棒を持って歩いていく。空いた手は彼女とつなぐ。
「この辺かな」
「そうだね」
二人が向かい合わせに立ち、その間にあの両端が尖った木の棒を横にして2人で持つ。お互いの胸に槍の先が向くように。今日約束していたのはこの事だった。二人が一緒にいられるように。二人の出した最善策。
「じゃあ」
「じゃあね」
その瞬間、二人共がお互いの方へ体ごと進んだ。汗がすごい勢いで吹き出した。同時に血もダラダラ流れている。胸が熱い!痛い!ザクザクと刺さる棘。自分の黒い肌でも分かる赤い血。ぱっと顔を上げて彼女を見ると歪んだ顔に手の跡でついた血の色がとても綺麗に見えた。
二人共苦痛に顔を歪めながらも、お互いの体を求めて、棒に刺さったまま前に進んだ。一メートルくらいの棒が二人の体に埋まっていく。
顔が近くなったあたりで少し微笑んで、唇を重ねた。血の味しかしなかった。それでも私には快感だった。
彼女が倒れるのと同時に私も棒に引っ張られて倒れた。彼女の口が微かに動いたのを見て、私は目を瞑った。
辺りが暗くなった頃、川辺にはカラスとスズメが二人の間をぴょんぴょん飛び跳ねながら、手にあるリンゴをつついていた。