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「怪我は無いようですね」
アランが声を掛けながら荷車に近付いて行った。
相手との交渉は、毎回アランの役目と決まっている。
ベルの視線が、期待から絶望を滲まて伏せられた。
おそらくアランもマリアに魅せられると思って、がっかりしたのだろう。
「お前は誰なのっ!」
マリアのお前呼ばわりにムッとしたが、アランはそれを顔に出さず騎士の礼をした。
「私はフィアの聖騎士アレンです。後ろの仲間はマーズとハロルドです」
マーズはマリアを無視して、器用に賊に縄を打った。
「そう、フィアのね」
マリアが優越感を目に滲ませアランを見た。
「命令です。その賊も殺しなさい」
マリアは憎しみを込めた目を賊に向けた。
「あの男は暗殺を企んだ首謀者を突きとめるための大切な生き証人、殺すわけにはいきません」
「私の命令が聞けないのっ!私はイファの王女よっ」
ヒステリックなマリアの声に、アランが大袈裟に顔をしかめた。
「私が忠誠を誓うのは私の主のみ。他国の王女に騎士の礼は取りますが命令されるいわれは無い」
わざとマリアを挑発するアラン。
フィア入国前に少し大人しくさせようと目論んだ。
「何て生意気な!」
手近な鞭を持って荷車から降りようとしたマリアを、ハロルドが荷車に飛び乗って鞭を持つ手首を掴んだ。
マリアの捕まれた手首を見て、ベルは驚きで目を見開いて固まっていた。
「フィアの聖騎士を鞭打てばどうなるか、イファを潰したいならどうぞ」
ハロルドに何時もの末っ子の顔は微塵もない。
「私はフィアの女王になる身なのよ。控えなさい」
マリアがハロルドをキッ、と見た。
「ただの1候補にすぎないのに、まさか自覚無いの」
ハロルドが呆れた様子で言い返した。
「それに、フィアの女王じゃないよ。第2王子の配偶者の候補の1人に上がっただけ。女王を名乗れるのは現王妃と皇太子妃だけ。そのくらいは分かるよね」
「なら私がグリフィアの女王になっても良いのね。愚かなフィア何か簡単に捻り潰してあげるわ」
ハロルドは哀れな者を見るようにマリアを見て言う。
「それなら少しは大人しくするんだね。フィアが開催する舞踏会に出席出来なくなれば、そのグリフィアの王子にも会えないって分かってる?」
マリアがハッとしてハロルドを見返した。
「警護の騎士も2人は倒れ、残りの2人も負傷している。兵士は戦闘には役立たずだ。フィアの国境まで誰が君たちと警護すると思ってるの?」
悔しそうなマリアに意地悪くハロルドが笑い掛ける。
「一応フィアの王が招待したから仕方無く警護はするけど、自分の立場を考えて動く事を進めるよ」
「フィアに着いたら王に言って、絶対あなたを厳罰にして貰うから」
当然の顔のマリアに、ハロルドもニヤリと笑った。
「楽しみにしてるよ」
そんなやり取りを横目で見て、マーズは手傷を負った騎士2人の手当てをした。
傷の軽い方をハロルドの馬を貸し次の町に走らせた。
暫くハロルドとマリアを見ていたアランも、アホらしくなったのかマーズを手伝いに移動してきた。
そのアランをベルが目で追っていた。
その後ハロルドとマリアの間でどんな会話があったのかは聞いてなかったが、マリアは悔しそうにハロルドを見て鞭を投げ捨てた。
マーズは兵士を使って遺体を1ヶ所に集めた。
亡くなった騎士2人に、マーズとアランが自分の着けていたマントを掛けてやって手を合わせた。
「ルディはかなりご立腹だね」
アランは笑いを堪えて小声で言った。
マーズも苦笑いしている。
独りっ子と末っ子の軍配は末っ子に上がったようだ。
「ハロルド。移動を急がせろ」
マーズが言った。
もうすぐ日が暮れる。
早くここから移動しないと、血の臭いで夜行性の野生の獣が襲ってくる危険があった。
「私は嫌よ。もう1歩も歩けないわ」
「荷車に乗ってるだけだろ」
ハロルドが被せて言った。
「揺れで体が痛いのよ。そもそも私が舞踏会に行かなかったら、王さまの顔が潰れるんじゃないの?」
ふふんと笑うマリアにハロルドが反撃する。
「潰れるわけ無いじゃん。近隣の国々から何人の姫を招待してると思ってるの?その中の1人が来ないくらいで、フィアの面子より舞踏会に来れなかったイファの面子の方が潰れるよ」
ハロルドが意地の悪い笑い返した。
「間に合わなくて困るのはそっちだよね」
マリアが悔しそうに唇を噛んだ後言った。
「意地でも動かないから」
言い返そうとするハロルドをマーズが止めた。
「もう直ぐ暗くなる。この先は道も細い、夜営の準備をさせてさっさとテントに押し込め」
ハロルドが木の隙間の空を見上げ肩をすくませた。
「自分から危険を選んだわけだ」
「ふん、困ってるんでしょ」
「可哀想な人だね。夜の森だよ、当然夜行性の野性動物が動き出す。見てごらんよ。あれだけ血の臭いがする死体が積まれてる。格好の餌だよね」
マリアの顔色が変わった。
兵士の間からも動揺した声が上がる。
「だから仲間が移動しろと言ったの。餌から少しでも離れるためにね。それを潰したのは君だよ」
マリアの目な恐怖に揺れ動く。
後ろにいる侍女2人も心細そうに互いを見合った。
「僕たちは騎士だし馬もある。襲われても返り討ちにする腕もある。君たちは?少し立場分かりなよ」
遠くから狼の遠吠えが長く低く聞こえ、マリアの顔が恐怖から引き吊った。
「弱い者苛めは好きじゃないから今夜は護衛してあげるけど、あんまり我儘言うなら助けてあげない」
マーズとアランが兵士を半分にして、テントを張る者と薪になる枯れ枝を集める者に分けた。
ハロルドにはマリアの見張りをさせた。
マーズはテント、アランは枝拾いと慣れた動きだ。
兵士がテントを作る間、マーズは中央に火を燃せるよう準備した。
枯れ枝を拾ってきたアランがマーズに言った。
「マーズ。この先に水の音がします」
「朝になったら水の補給に行こう」
マーズが焚き火に小振りな鍋を掛ける。
食事は保存食でもお茶くらいは欲しかった。
マーズは火の加減を見ながら何本も枝を折って、ナイフで削っていた。
火の側で、文句を言いつつマリアも保存食を食べる。
見ると、兵士も侍女も固いパンが1欠片だけだった。
「足りないわ。それをよこしなさい」
マリアが当然のように侍女のパンを取り上げた。
マリアには干し肉も付いていたのに足りないと言う。
明日は次の町に着くから、アランに目配せして手持ちの保存食を分け与えた。
「あるんじゃない。最初から出しなさいよ」
侍女に渡した干し肉を取り上げようとするマリアを、ハロルドが阻んだ。
「さっき君だけ干し肉を食べたよね」
「私は王女よ。当然の権利だわ」
マーズが冷たく言い返した。
「食事は平等だ。逆に荷車を引く肉体労働をしている兵士に多く与えるべきだ」
マリアの顔が怒りで紅潮した。
「騎士の分際で!」
「それ以上言うなら僕たちは先に行くよ。良い?」
ハロルドがにこやかに言った。
マリアは怒って立ち上がるとテントに入った。
急いで干し肉を口に放り込み侍女も後を追う。
「あれは絶対侍女に八つ当たりするね」
ハロルドがマリアが消えたテントを見て言った。
「ルディが火に油を注いだんでしょ。我儘同士似てるから反発するんだよね」
アランが呆れた顔でハロルドをからかった。
「見てるとムカムカする。僕ってあんな?」
「ルディは限度を知ってるし、相手によって甘え方変えてるからね。でも、基本は同じ我儘でしょ」
ハロルドがぶーっと膨れた。
ハロルドとアランの掛け合いを見ていたイファの兵士が、堪えきれないよう笑った。
「笑われてますよ」
更にアランがからかう。
残った者でお茶をして、夜の段取りを話した。
「俺とアランはテントを守る。後はハロルドと火を確保してくれ」
「死体を埋めれば狼も来ないんじゃ…」
兵士の1人が遠慮がちに言った。
「狼の嗅覚は鋭い。埋めても簡単に見付ける」
マーズが言った。
「全員が起きてる必要はない。交代でしろ」
狼の遠吠えが近くなる。
マーズは削っていた木の枝を持ってテントに向かい、テントの周りに尖らせた枝を刺していった。
テントの中からヒステリックなマリアの声がするが、マーズは好きにさせた。
マーズとアランがテントの両側に立った。
そこからの2時間は狼との攻防だった。
力関係を本能で感じる奴はあっさり引くが、分からない奴は襲ってくる。
群の長が撤退の遠吠えを長くあげると、周りはぱたりと静まった。
「終わったようですね」
アランが剣を収めて移動してきた。
頷いて焚き火に戻り掛けて、マーズは足を止めた。
見慣れた白い影がテントを背にしてあった。
いつからあったのか。
狼の襲ってくるとあれほど言ったのに、荷物を出すかと呆れる。
狼の爪でやられてたら面倒だと見に行けば、そこに侍女の白い服があった。
「あ?」
驚きで声が出た。
暗がりで顔まで見えないが、恐らくベルだろう。
「アラン」
焚き火に戻り掛けていたアランを呼んだ。
「どうしたんですか?」
マーズは無言で侍女を顎で指した。
アランが息を吐いた。
「これはお仕置きが必要ですね」
アランは侍女を見捨てて焚き火に戻った。
仕方無くマーズが寝ている侍女を抱き上げた。
火の近くの地面に寝かせる。
灯りが映した顔はやはりベルだった。
火の番の兵士も、さすがにベルを見て驚いていた。
「まさか狼が襲ってくるのに…」
兵士がベルを見て絶句している。
「まさか毎晩か?」
「…はい、ほとんど」
兵士が言いにくそうに肯定した。
ハロルドは素っ気なくベルを見て横になった。
ベルの服の裾が血が変色して黒くなっていた。
マーズが足元に回って確かめると、足首が深くはないが切れていた。
傷の加減から、テントから追い出された時にマーズが埋めた枝で傷付けたのだろう。
小さく舌打ちして、鞍から薬と水を持ってくる。
傷口を洗っているところでベルが目を覚ました。
「きゃー」
ベルは暴れて必死に逃げようとする。
足元に居るのがマーズと分かって、ベルが再び悲鳴を上げたがハロルドが直ぐに口をふさいだ。
「静かに」
ハロルドの声が低い。
「足を怪我してるからマーズが手当てをしてる。それでも騒ぎたいなら好きなだけ騒げ」
言うだけ言って、ハロルドが手を離した。
ハロルドの声の冷たさに、ベルが声を殺した。
両手で口を押さえ、ベルは必死に悲鳴を飲み込んだ。
怖さに体が震える。
治療をして貰うなら、怖いマーズより優しいアランが良かった。
目でアランに救いを求めるが、アランはこっちを見もしてなかった。
マーズは治療を終えて薬を鞍に戻し、アランの横に体を横たえた。
ベルの目が救いを求めてアランに向けられる。
アランは無表情でベルを一瞥して背中を向けた。
アランの無言の拒絶に、ベルが口を手で押さえて泣きそうになっても、誰も声を掛けなかった。
ベルはテントを見て、どうしようか考えてたようだけど、諦めた顔でその場に寝そべった。