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「改めて私はアラン。そして後ろの君を驚かせたのはマーズ。君の名前は?」
ベルを部屋の椅子に座らせて、再び自己紹介しながらカップにお茶を煎れてベルに持たせた。
座った後も、ベルの目は怯えてマーズを見ていた。
部屋にハロルドは居ない。
多分この町で待っていた騎士が、別室でハロルドの警護に当たってるはすだ。
マーズはムスッとして壁に寄り掛かっていた。
蝋燭の灯りで見るベルは浮浪者のように汚かった。
いつ洗ったかも分からないような服とぼさぼさの髪。
王女とは間違っても思えない身なりだった。
思えば遠目でしか見たこと無かったと今更気付いた。
マーズがそんな事を考えてる間も、ベルは怯えた目をマーズへ向けていた。
その様子を横目で見ながら、アランは忍耐強くベルが話すのを待っていた。
こちらが名前を知ってる事は極力知らせない、とアランの目は言っていた。
「……ベルベ…ット」
やっと本人から名前を聞く事が出来た。
その時だけ、ベルの視線はアランに向いた。
アランに向ける視線に怯えは見えなかった。
ベルに敵認定されたと気付いて部屋を出ようと思ったが、アランには話がある。
ベルとの話の区切りが付くまでは、この居心地の悪い空間に居るしかない。
「ベル?」
聞き取れなかった振りでアランがもう一度聞き返す。
「…ベルベットです」
1度声を出した事で少し落ち着いたんだろう。
ベルは大事そうに持ったカップから、少しづつお茶をすするように飲んだ。
「ベルベット。ベルって呼んで良いかな」
ベルはこくんと頷いた。
「ベルはどうして夜中に廊下に居たの?」
ベルはきゅっと上唇を噛んで震えた。
答えたくないと、泣きそうなのに目が言っていた。
「なら聞かないよ。朝まではまだあるから、少し寝ると良いよ」
アランがベッドを指差すと、ベルのお腹がグーって大きな音で鳴った。
恐怖を張り付けたベルの顔がマーズに向いた。
まるで虐待されてる子が叱られるのを怖がる姿に、マーズだけじゃなくアランも嫌な気持ちになった。
が、それを顔に出す2人ではない。
「お腹空いてるの?困ったな」
気付かない振りで、アランは困った顔でベルを見た。
実際荷物は全部ハロルドの部屋にあってここに無い。
「アラン」
マーズが1度ため息を付いて、袋をアランに投げた。
マーズのそんな動きにも、ベルは大袈裟に怯えた。
受け取ったアランが袋の中身を見て、笑いながら中から1つパンを出した。
「はい。マーズから」
ベルは食べたいのと怖くて手を出せないのとで、パンとアランとマーズを順番に見て泣きそうだった。
さすがにマーズもムッとしてベルから顔を背ける。
見兼ねたアランがベルにパンを持たせた。
「はい、どうぞ」
アランは持たせたベルの手を口まで上げた。
「食べなさい」
ベルはおどおどとマーズとアランを交互に見て、怯えながらやっと一口噛った。
美味しかったのだろう。
ポロポロ泣きながらあっという間に食べてしまった。
残念そうに手を見るベルに、アランはコップを持たせ飲む仕草をして見せた。
飲み終わったのを確かめてコップを受け取ってから、もう1つパンを渡した。
「はい、もう1つ。ゆっくり食べてね」
ベルはこくんと頷いて、パンを手の中に隠すようにして食べ始めた。
リスのように食べながらも、目はおどおどとマーズを見て落ち着かない。
食べ終わったベルを、アランはベッドに寝かせた。
「起きたら食べられるようにパンはここに置くよ」
アランはベルの枕元にパンを1つ置いた。
「お休み」
落ち着かないのか暫くごそごそしていたが、睡魔に負けて寝息が聞こえてきた。
蝋燭の灯りを頼りに声を出さず唇を読んで会話する。
『どうでした』
『次の町に必要な物は用意するよう手配した。ただ、馬車をイファに乗り入れるのは無理そうだな』
『やはり、そうですか』
アランが予測していたと肩をすくませた。
『マリアの方の馬車は国境に手配した。それでぎりぎり舞踏会の半月前に着くようにする』
『馬車はカインが?』
『そうなる。フロルの方は馬に乗せられるようになるまで、動かせないな』
『ラルフが着いているので大丈夫でしょう』
自然に2人の視線がベルに向く。
『気配がしてドアを開けたらあれですから、少女趣味があったのかと驚きましたよ』
アランはからかうように唇を動かす。
『よしてくれ』
マーズは階段を上がってからの話を短く伝えた。
『部屋から追い出されたようですね』
『やったのはマリアだな』
アランが頷いた。
『異常な痩せ方とあの食べ方を見ると、食事もまともに与えられてないようですね』
アランが哀れむ視線をベルに投げた。
『怯えが強い』
ムッとしてるマーズをアランが声を出さず笑った。
『子供に好かれるマーズが怖がられて、傑作でした』
マーズが複雑な顔をした。
マーズをからかってはいるが、アランの本心は無駄に怯えるベルを鬱陶しく思っていた。
『起きて俺が居ればまた怯えるかもしれないな』
『マーズらしくないですね』
『あの怯えた顔は当分忘れられないだろう』
『確かに凄かったですけど』
マーズはアランに片手を上げて部屋から出ていった。
今から外で夜営の準備も面倒なので、食堂の椅子を1つ壁際にずらして寄り掛かる形で仮眠した。
宿の店主が起きてくる時間まで熟睡出来たから、さほど体も辛くない。
馬屋で馬の世話をしてるとアランが出てきた。
「起きたので廊下に出してきました」
「どうした、機嫌が悪いな」
アランは微妙に苛ついていた。
起きて直ぐ、マーズが居ないのを知ってホッとしたベルに苛立ってるとは言いたくない、と口を閉じた。
案の定、朝食の時間をかなり過ぎてからマリアは起きてきて、機嫌が悪かった。
ハロルドが起きてくるのを待って話をした後、マーズとアランは寝に戻った。
汚れたベルが寝たベッドに寝るのは躊躇われて、アランは布団を直してその上にマントで寝た。
代わりに食堂でマリアの傍若無人振りを目の当たりにしたのはハロルドと今日フィアに戻る騎士だった。
「この宿はまともに料理も出来ないの」
ガシャッて床に皿の破片が飛んだ。
「申し訳ありません」
マリアは自分の皿だけじゃなく侍女の皿も叩き落として、嬉しそうに笑ってる。
「早く作り直しなさい!」
店主は慌てて厨房へ走って行った。
「お前たち、食べたいなら床から拾って食べるのね」
3人のうちの1人が飢えに勝てないのか、皿の欠片で指や舌を切りながらも拾って口に入れていた。
「本当に食べるなんて、どれだけ卑しいの」
マリアは食べた侍女の床にあった手を靴で踏んだ。
「いっ…ぁ」
血の臭いと痛みに声を漏らす侍女。
どうなってるのか、見なくても分かった。
「お前のせいで靴が汚れたわ」
さすがに我慢出来ないのか、止めに入ろうとする騎士をハロルドが止めた。
「今止めたらもっとエスカレートするだけだよ」
「ですがハロルドさま」
「舞踏会には出て貰わないと困るよね」
フィアの王が美しいからとわざわざ呼んだのだ、国の権威を他国に示すためにも欠席では済まされない。
「…それは」
「お前は見たままを報告して。マリア姫がマーズの妻には相応しくない、とね」
「分かりました」
騎士は固い顔で頷いた。
マーズとアランが起きてマリアたちに追い付くまで、ハロルドと騎士が一行の後ろを歩いた。
マリアの道中の癇癪に顔を歪めていた騎士は、追い付いたマーズに感謝の目を向けた。
「では私はこれで、連絡に戻ります」
「報告は詳しくね」
「承知しております」
騎士を見送ってから、ハロルドは食堂での一件をマーズとアランに話した。
「旅のストレスが積み重なって普段以上に荒れてる」
アランの言葉にハロルドが付け足した。
「国境が近付いてきて、不安が強くなってるんだよ」
「不安?」
アランが疑問符を付けて聞いた。
「聞き集めた話の中に、マリアは城のある街から1度も出た事が無いってあったよね」
「ハロルド、まさかあの傲慢なマリアが外の世界に不安になってると言いたい?」
信じられない、とアランの問い掛けから疑問符が消えなかった。
「兎に角、次の町までの辛抱だ」
「普通なら3日の道のりだよね。4日で着くかな」
マーズにハロルドがうんざりして返した。
マーズとアランが合流してから、ベルがちらちら後ろを振り向いて面倒だった。
「あれ何とかならないの?」
ハロルドが嫌そうに言った。
「餌付けしたの誰?」
アランの顔に失敗したとあった。
「それに、嫌な顔もしてるね。もしかしたら、マーズを敵認定してるわけ?」
本能で分かるのだろう、ハロルドの声が冷たい。
アランから夜中の廊下の話は聞いていても、末っ子のハロルドにすれば大好きな兄を嫌うベルの方が敵認定の対象だった。
無駄にマーズに怯えるベルの様子は、けして良い気持ちがする物じゃなかった。
この先次の町までは森をいくつか通る。
念の為アランが馬を駆けさせ一行の前へと移動した。
その時、ベルの目は必死にアランを追っていた。
見返して貰えなかったベルの落胆振りは、遠くからでも一目で分かる。
「第3王女だと公になったら、護衛をアランにさせれば良いからこれはこれで良かったんじゃない?」
「そうだな」
「アランは嫌がりそうだけど、仕事なら割り切ってキチンとするでしょ」
早朝アランとマーズが交代する。
その日は1日ハロルドの機嫌が悪かった。
一行の前を進むマーズを、ベルはちらちら意味も無く怯えた目で見る。
なのに後ろのアランはホアンと嬉しそうに見ていた。
「餌付けしたのアランだからね。責任は取って。公になったら子守りよろしく」
「今はラルフも居ない。マーズの警護を他に任せて、私が第3王女の警護に着くと思いますか」
ハロルドを見るアランの視線が冷たくなった。
「そんな睨まないでよ。だけど、アランのミスだよ」
「分かっています」
アランは素直に認めた。
最後の森の手前に、人の気配が複数あった。
待ち伏せされていると察したアランが口笛を吹いた。
後方のマーズから任せろと口笛が返ってきた。
先に森に入って、アランは森の気配を探る。
今までより深い森で道もくねっているから、常時視界の隅に一行を捕らえ距離を取って先行した。
「ぎゃ!」
悲鳴と奇声と剣の打ち合う音にアランが舌打ちする。
森の手前は罠だったと今更気付いた。
急いで駆け戻れば、6人のマントの男たちに一行が襲撃されていた。
一目で暗殺を専門にしてる奴らだと分かる。
気配を消して森に潜んでいたんだろう。
警護の騎士の2人はすでに倒れ、手傷を負いながら残り2人が応戦していた。
残りの兵士は荷車の周りに震えながら集まっている。
手近な賊に切り掛かる。
相手は殺人集団だ、確実に1人づつ倒していく。
残り5人。
最短でマリアの警護に向かいたいが、前に2人が立ち塞がった。
その隙に賊の1人が荷車の前の兵士を薙ぎ倒した。
間に合わない!
と思った時、マーズがナイフを投げた。
駆け付けたマーズに遅れてハロルドも参戦する。
1人は証言させるのに残しておくべきだが、武術は人並みのハロルドが居るから全部切り捨てるしかない。
アランはそう思っていたが、マーズは迷わず3人を切り捨てこちらの加勢に来た。
「こっちを生け捕りにする」
アランが目の前の1人を倒す間に、マーズが首領格の1人を当て身で眠らせていた。
瞬時に4人を倒したマーズの動きに、背中に汗が流れぞくぞくした。
いつ見ても強過ぎる。
軍神と言われる強さを見せ付けられ、いつかは並びたいとアランは強く思った。