4
「どうしますか?」
「さっさと帰ろうよ」
アランの問い掛けにハロルドはポンと言い返した。
「道中何かあったら政治問題になる。国境までは後から付いて行こう」
「ホントに?」
ハロルドがマーズの判断を嫌がった。
「国境にカインを呼んでおいてくれ。それと、侍女の1人は第3王女だと伝達しておけ」
マーズは他国に攻め入る口実を与えないよう、細かい指図をアランに伝えた。
アランは伝書鳩を飛ばすため、この街に隠れ住んでる者へ手紙を渡しに行った。
マーズの進言で、殆んどの国へ伝書鳩を抱える者を住まわせているのはこんな時のためだ。
「後は市場で出立の日時を掴むだけだね」
ハロルドが言うとラルフが答えた。
「それならその間、この子供の面倒をみられるな」
「そうなるな」
マーズが頷いた。
「大きな山は1つ越えた。後はこの子の持つ生命力に賭けるしかない」
その日から、毎日誰か2人が組んで街を歩いた。
3日目、子供は目を開けた。
熱はまだかなりあるが、意識はしっかりあった。
「起きたようだな、まず食え」
起きた時丁度ラルフがいて子供にスープを飲ませた。
ハロルドも居たけどどう接して良いのか分からず、ラルフの後ろに隠れていた。
「あ、この味…」
「覚えてるのか?毎日少しづつ、水分と一緒に飲ませてたんだぞ」
「ありがとうございます」
起き上がろうとする子供をまだ寝てろと止めた。
「膝を怪我してるから暫く歩けない、トイレの世話は俺がする」
子供は真っ赤になって嫌々をした。
「俺はこれでも医師のはしくれだ。安心しろ」
子供が体を捩ろうとしても身動き出来ない。
怯えた目で見られて、ラルフがそっと掛けてある上掛けを持ち上げて足を見せてやった。
「…え?」
足には枝を組んだ添え木が付けられていた。
「あ…」
多分少し動かしてみたのだろう。
びくとも動かない自分の足を見ながら、子供は泣くのを懸命に堪えて唇を噛んでいた。
利発な子供だと思う。
このくらいの子供なら誰でもが泣き叫ぶだろう。
なのにこの子は冷静に自分を観察していた。
ラルフは戻ってきたマーズとアランに、短く起きた時の様子を話して利発だと付け足した。
「そっちはどうでした?」
「やっともう迎えは来ないと理解したらしいな」
「噂では追い返した大臣を牢に入れたとか」
アランがクスクス笑った。
「笑えるんだけど、『迎えに来ないなら行ってあげない』って言ってたらしい」
「嘘だろ」
ラルフが信じられないと呆れていた。
舞踏会まで後2ヶ月もない。
馬なら1週間弱の道のりも、馬車か歩きなら嫌でも1ヶ月近くは掛かる。
それに、近くなって着いても主だった者たちの顔繋ぎは終わっていて参加する意味から無くなる。
そう考えると、急いで移動の手はずを整えないと間に合わなくなる計算だった。
「市場を見張れば情報は入る。動くまで待つさ」
マーズは動じる様子もない。
夜にマーズは子供と話してみた。
子供はフロルと名乗り、ラルフが言う通り話してみると利発な子で、良く人を見ていた。
そこから2日城は動きが無かった。
その間誰か彼かがフロルに付き添って話し相手になってやっていた。
3日目、ようやく旅に必要な物を集め出したようだ。
そして、またトラブルが起きた。
店で扱っているドレスの生地が気に入らなくて、マリアは市場で生地を探したらしい。
こんなギリギリになってドレスの生地を探す事にも驚いたが、その後起こった事には嫌悪しかない。
丁度結婚式のドレス用のレースを買っていた女性からそのレースを取り上げ、支払いを求めた店主に警備の騎士がマリアの命令で暴行した。
倒れて打ち所が悪かったのか店主はその後死んだ。
それでもマリアを断罪する声は上がらなかった。
怒ってるのはハロルドだけで、他の3人は平然と事実を受け止めていた。
「何で怒らないの?マリアのしてる事を許せるの?」
「子供の前でする話か考えてから口にしろ」
「あ…」
ハロルドが片手を口に当てて気まずそうにした。
「ごめん」
フロルが顔を歪めて首を振った。
「マリアンヌ様の事はみんなも分かってます」
子供とは思えない口調でフロルが言った。
「大人は、マリアンヌ様に逆らって今以上暮らしが苦しくなるのが怖いんです」
フロルはマーズたちが知らない話も色々知っていて、こんな小さな子が、と言ったら8歳だった。
フロルは家が宿屋なので色々な話を聞くといい、マリアの事を話した。
「モルグからの婚姻の話は姫さまが断ったんです」
「まさか、もっと条件の良い相手が居るとかって?」
ハロルドが思ったままを口にした。
「姫さまはみんなが自分を好きだと思ってます」
言いにくそうにフロルが口にする。
「自意識過剰でしょ」
ハロルドの声にフロルは違うと首を振った。
「綺麗と言うか美しいんです」
「美しい?」
アランが疑問符付きで聞き返した。
「お会いになると分かります。多分世界で1番美しい方だと思います」
他国から来た客も口々に言う、とフロルが言った。
「私の国でも美しいと評判ですよ」
アランが言うとフロルが嬉しそうに頷いた。
「フィアの騎士さまに言って貰えて嬉しいです」
「私たちがフィアから来たと何で分かったの?」
アランは極力優しく聞こえるよう話し掛けた。
意識して伏せているが、目に宿る物は厳しかった。
「鎧の印で分かります」
フロルがアランの脇腹を指した。
「それはフィアの刻印でしょ?」
「確かにそうだね。でも騎士じゃないかもしれない」
アランがにこやかに聞いた。
「絶対騎士さまだよ。動き方や普段の剣の扱いとか、小さな動作から見て聖騎士に近い騎士さまでしょ?」
もしマーズたち4人が銀の鎧だったら聖騎士って言ったけど、黒だから聖騎士に近いと言ったらしい。
アランがマーズを見る。
横からラルフが聞いた。
「俺たちが騎士だとして指揮官は誰だと思う?」
フロルは真っ直ぐマーズを見た。
「どうしてそう思う」
「指示の出し方からそう感じた」
マーズが苦笑する。
「その次は?」
ハロルドが期待を隠して聞いた。
フロルはアランとラルフを見た。
「マーズさんの片腕的な存在だと思う。ルディさんはマーズさんの弟だと」
「え?」
ハロルドが驚いた声を上げた。
今まで兄弟と言われた事は1度も無かったから、素でフロルを見返していた。
「あっ、ごめんなさい。ごめんなさい」
フロルが泣きながら謝ってきた。
「また余計な事言っちゃった。あんなに父さんと母さんに怒られたのに」
「フロル」
泣いているフロルにマーズが声を掛けた。
マーズは、フロルの母親がラルフに言った言葉を思い出していた。
「…はい」
「両親はお前を心配するから言ったんだ」
「はい」
返事はしても、フロルの目はそれを否定していた。
「ねぇ、フロル。お母さんはどんな言い方をするの?優しい?きつい?」
ハロルドが末っ子らしい話し方で聞いた。
「僕が余計な事を言うって。気味悪いって」
「余計な事って?」
「宿に泊まる人たちの話はあちこちの国の話題が出るから、危ない国へ行く人につい言っちゃうんだ」
「それで怒られたんだ。何回も?」
「…うん」
寂しそうに顔を伏せて、フロルが小さく言った。
「母さんも父さんも、早く僕が15歳になれって思ってる。そしたら家を出せるから」
最後の方は声が震えていた。
その夜、マーズはフロルと話していた。
マーズは聞き役で話すのはフロルだった。
話の切っ掛けに、モルグの話題をマーズが振った。
それからは、我慢してた物が溢れたように色んな国の話がフロルの口から出た。
モルグとイファがいとこ関係な事から、モルグが婚姻を結んで2つの国を1つにしたいと望んでいるとか。
「隣のバルスは去年一昨年と不作で今年も不作ならどこかに戦争を仕掛けるしか無いはずです」
「何処へ仕掛ける」
マーズは話を折らずフロルに先を促した。
「このイファです。イファからモルグを落とすと思います。でも…最近変なんです。バルスには強い味方が出来たんだと思う。今は敵わないフィアを狙ってる」
「フィアをか」
フロルの説を聞きながら、マーズは自分の持つ情報と照らし合わせていく。
バラバラだったパズルのピースが、フロルの話でいくつか埋まった。
「バルスがフィアを狙うにはグリフィアを仲間にするしかないのに、大国グリフィアがバロスの味方に付く理由が分からないんです」
「他の国かもしれないな」
「それは無いです。フィアの周辺国は戦争を終わらせた軍神マジェスティさまを崇めてますから」
戦争の中心にあったフィアと違って、距離を置いていたグリフィアは国力も十分整っていると断言した。
「なら、フィアはどう見える」
両親のようにマーズが話を遮らないから、フロルは思う事を全部話せていた。
フィアに話を振っても警戒なしで話始めた。
「フィアは戦争で衰えた国力を回復してる時で、今年豊作なら来年にはグリフィアと肩を並べるか追い超すと思います」
そこまで言って、フロルがハッとして口をつぐんだ。
「どうした?」
「…ごめんなさい。一杯喋って」
「いいさ、もっと話して聞かせてくれ」
「…後はあまり無くて、フィアの王さまがお爺さんになって怒り病に掛かったくらいしか無いです」
マーズはぐっと踏み堪えたがラルフとハロルドはぎょっとしてフロルをきつく見た。
軍師アランでさえ固まっている。
マーズたちの父、フィアの現王に老化による痴呆が始まっているのは絶対の秘密になっていた。
それを子供に容易く見破られて、衝撃から咄嗟に対応出来なかった。
「あ…ごめんなさい」
フロルが泣きそうな顔で謝ってきた。
1番に立て直したマーズがフロルの頭を撫でた。
「その怒り病の話は噂になってるのか?」
「なってない。お客の話の王さまが聞く度違うし、年齢と話が先代の王さまに良く似てたからつい…」
「先代?イファの先代か。その頃フロルは産まれたばかりじゃないのか?」
マーズの態度から怒ってないと知って、フロルはもっと饒舌になった。
「うん、父さんやみんなが時々夜家に集まってそんな話してるんだ」
その時に怒り病になった先王の話も出ると言った。
「怒り病になる前は凄く良い王さまだったから、あの頃は良かったって今の王さまと比べていて」
それで納得できた。